第16話:戦いの終わりと、甘すぎる報酬
締切直前の数日間、冬月さんの部屋はまさに戦場でした。
食事、掃除、そして……まさかの洗濯物まで。
「専属サポーター」として限界まで彼女を支えた朝陽くん。
そして迎えた、運命の金曜日。
約束の「ご褒美」は、濃厚なニューヨークチーズケーキと、無自覚に伸びた彼の手のひら。
一線を越えかけた二人の距離感に、心拍数が止まりません!
それからの数日間、僕は文字通り彼女の「影」となった。
液晶タブレットの前から一歩も動かず、修羅の形相でペンを走らせる冬月さん。
そんな彼女の背中を追い越すように、僕はキッチンで鍋を振り、部屋の隅のホコリを払い、溜まった洗濯物を回収する。
「……瀬戸くん、これ……お願い……」
そう言って、彼女が足元に脱ぎ捨てたジャージの山を指差した時だった。
回収しようと手を伸ばした僕の指先が、その山の中から覗く「薄桃色の布地」に触れた。
(……っ!?)
繊細なレース。わずかに透けるような、清潔感のある、けれど明らかに「女の子」を感じさせる下着。
僕は一瞬で沸騰した。顔から火が出るどころか、脳細胞が数個焼き切れる音がした。
(落ち着け、瀬戸朝陽。僕は影だ。これはただの布……綿とポリウレタンの集合体だ……!)
「無」だ。僕は「無」になるんだ。
僕は震える指先を無理やり制御し、それを一枚のTシャツで包み込むようにしてネットに放り込んだ。
当の冬月さんはといえば、モニターの中の線画に全神経を注いでおり、自分が何を預けたのかすら気づいていない様子だ。
「……専属サポーターって、思ってたより過酷だな……」
ベランダで彼女のインナーを干しながら、僕は夕暮れの空を見上げて深くため息をついた。
心臓のバクバクが、洗濯機の脱水音よりも大きく響いていた。
木曜日の深夜、スマホに一通のチャットが届いた。
『……終わったわ。全部』
その短い文面からも、彼女がどれほどの死闘を潜り抜けてきたかが伝わってきた。
そして迎えた、金曜日の夜。
約束の「ご褒美」の時間だ。
「……わぁ、すごい。これ、全部瀬戸くんが?」
「ああ。約束だからな。今日は奮発したぞ」
今夜のメニューは、一晩かけて煮込んだ『特製ビーフシチュー』。
そして、デザートには彼女のために用意した、どっしりと重厚な『ニューヨークチーズケーキ』。
「いただきます……」
一口食べた瞬間、彼女の顔からスッと「プロの顔」が消え、ふにゃりと柔らかな、年相応の少女の表情になった。
「……美味しい。……身体が、溶けちゃいそう」
「だろ? 寝不足の身体には、これくらいのカロリーが必要なんだよ」
数日間の極限状態。僕が洗濯物をどう処理したか、彼女は一生知らないままでいい。
ただ今、こうして美味しそうに僕の料理を食べてくれている。その事実だけで、僕の数日間の苦労は全て報われた気がした。
食後、彼女は大切そうにフォークを動かし、ニューヨークチーズケーキを堪能していた。
濃厚なチーズのコクが、彼女の疲れを優しく解きほぐしていく。
「……本当に、瀬戸くんに頼んでよかったわ。瀬戸くんがいなかったら、私、今頃倒れてたかも…」
彼女はそう言って、僕をまっすぐに見つめた。
いつもは「氷の令嬢」として、あるいは「プロのイラストレーター」として自分を律している彼女。
けれど今の彼女は、ただの「頑張った一人の女の子」だった。
そのあまりにも健気で、誇らしげな笑顔。
数日間、彼女の戦いを一番近くで見てきた僕の胸に、言葉にできない愛おしさがこみ上げた。
「……ああ。本当によく頑張ったな、冬月さん」
気づけば、僕の手は自然に彼女の方へ伸びていた。
そして、そのまま彼女のさらさらとした髪の上に、そっと置かれた。
「…………っ!?」
冬月さんの身体が、ビクッと跳ねる。
けれど僕は、その手のひらから伝わる彼女の温もりと、成し遂げた彼女への敬意を込めて、優しく、ゆっくりと彼女の頭を撫でた。
「…………え、あ…………せ、とくん……?」
彼女の顔が、見る見るうちにリンゴのように真っ赤に染まっていく。
その反応を見て、僕はようやく自分の仕出かしたことに気づいた。
「……あ。……ごめん、つい」
慌てて手を引こうとしたが、心臓はもう、暴走列車のように鳴り止まない。
ニューヨークチーズケーキの甘い香りが漂う中で、僕たちの視線が絡まり合う。
サポーターと、依頼主。
ただのお隣さん。
そんな「契約」の境界線が、今、完全に溶けてなくなろうとしていた。
お読みいただきありがとうございました!
ついに大仕事を完結させ、朝陽くんに頭を撫でられた冬月さん。
「氷の令嬢」の面影はどこへやら、顔を真っ赤にして固まる彼女の姿に、ニヤニヤが止まりません。




