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第15話:氷の仮面と、約束の報酬

「専属サポーター」としての生活が馴染んできたある夜。

朝陽くんは、冬月さんの「完璧すぎる言葉遣い」に隠された無理を見抜きます。


仮面を脱いだ彼女と、交わされた「ご褒美」の約束。

そして、深夜の静寂の中で冬月さんが自問自答する、彼が自分を支える「理由」。

お隣さん同士の秘密が、より深く、より切実に溶け合っていく第15話です。

その日の夕食は、たっぷりの野菜とソーセージを煮込んだ、優しい味のポトフだった。

向かい合って座る冬月さんは、いつものように背筋をピンと伸ばし、上品にスプーンを口に運んでいる。


「……とても美味しい、瀬戸くん。このポトフ、身体に染みるわ」


「……あー、うん。そう言ってもらえると作った甲斐があるよ」


僕は相槌を打ちながらも、どこか喉に引っかかるような違和感を覚えていた。

契約が始まって数日。彼女は僕の前で、ずっとこの調子だ。

「~だわ」「~かしら」という、学校での『氷の令嬢』そのままの、どこか作り物めいたお嬢様言葉。


「……なぁ、冬月さん。一つ聞いてもいいか?」


「ええ、何かしら?」


「その話し方……疲れないか?」


僕が唐突に投げかけた言葉に、彼女のスプーンがピタリと止まった。


「……え? どういうことかしら」


「いや、学校ならまだしも、ここは家だろ。僕と君しかいないんだ。そんな、一言一句気を遣ったような話し方をしなくてもいいんじゃないかって」


彼女は一瞬、呆気に取られたように目を見開いた。

けれどすぐに視線を逸らし、ポトフの湯気を見つめながら小さく呟く。


「……別に、無理なんて。……これが、私の普通なの」


「嘘だ。……だって今、語尾がちょっと震えてる。学校での君を守るための演技なんだろ、それ。でも、食事の時くらいは身軽になってもいいと思うんだ。その方が、多分もっとご飯が美味しくなるよ」


静寂が部屋を支配する。

彼女はしばらく黙っていたが、やがて「ふぅ……」と、これまでにない深い溜息を吐き出した。


「…………あー、もう。本当に、瀬戸君は……見透かされてるみたいで悔しい。」


ぽろりとこぼれた、少しぶっきらぼうで、けれど年相応に幼い言葉。

「氷の令嬢」の氷が、パキリと音を立てて剥がれ落ちた瞬間だった。


「……あ、今の。そっちの方がずっといいよ」


「…う…うるさい。……でも、確かに。……ちょっと、肩が凝ってたのは事実よ。誰もいないところでまで、あの役を演じるのは……大変だったもの」


少し照れくさそうに、けれどスッキリしたような顔で彼女はポトフを啜った。

僕たちは、初めて「本当の意味」で、向かい合えたような気がした。


食事の終盤。彼女は真剣な表情で僕を見つめ直した。


「……瀬戸くん。今夜から数日、仕事が『山場』に入るの。……イラストレーター『Fuyu』としての、今期一番の大仕事なの。」


「そうか。クライマックスなんだな」


「うん。だから、食事を摂る時間も惜しくなるかもしれない。……でも、頑張るから…。」


彼女のプロとしての覚悟が、その強い瞳から伝わってくる。

「わかった」と頷く僕に、彼女は少しだけ俯きながら、とんでもないことを言い出した。


「……それでね。もし、私がこの仕事を無事にやり遂げたら……ご褒美を、ちょうだい」


「ご褒美?」


「うん。私の一番好きなものを、何か一つ、作ってほしいの。契約のメニューじゃない、私だけのための……ダメ…かな?」


少しだけ上目遣いに、期待と不安を混ぜたような視線。

そんなの、断れるはずがない。


「いいよ。何でも作ってやる。……だから、身体だけは壊すなよ。冬月さんが倒れたら、僕のサポートも意味がなくなるからね」

「ちなみに何が食べたいの?」

「ニューヨークチーズケーキ…。」

(良かった、作ってあげられる。)

チーズケーキは得意だ。

「いいよ!じゃあ、材料買っておくね!」

「……! ありがと! すごく楽しみ!」


僕たちは、小さな指切りを交わすように、約束を共有した。


夜。

液晶タブレットの光だけが、深夜の静かな部屋を照らしている。

ペンを動かす音、PCの冷却ファンが回る微かな音。

いつもなら孤独で、ただ焦燥感だけが背中を叩くこの時間。


けれど、今の私は違う。

ふとした瞬間に、隣の部屋から微かに漂ってくる「明日の仕込み」の匂い。

冷蔵庫を開ければ、彼が用意してくれた栄養満点のジュースや、手書きのメモが添えられた軽食が入っている。


『休憩しろよ。0時過ぎたぞ』


スマホに届いた短いチャットを見つめ、私は小さく唇を緩める。

……なぜ、彼はあそこまでしてくれるのだろう。


家事が趣味だ、と彼は言った。

だから、私という厄介な隣人を支えることで、自分を癒やしているだけなのかもしれない。

そう、合理的に考えようとしても、胸の奥がじんわりと温かくなるのを止められない。


「……お腹が空くことが、怖くなくなったのは。……いつからだったかしら」


以前の私は、食べることを「時間の浪費」だと思っていた。

けれど今は、彼のご飯を食べる時間が、私の心に新しい色を運んでくれる。

彼が私を「一人」にしない。その静かな肯定が、私の筆にこれまでになかった「温度」を宿らせていた。


「瀬戸くんが作るチーズケーキは美味しいんだろうな…。」


私は再びペンを握り直し、光り輝く画面へと向き合った。

キッチンの奥から、また少しだけ、明日の朝食の香りがしたような気がした。

お読みいただきありがとうございました!


ついに朝陽くんの前で「素」の口調になった冬月さん。

二人きりの時の少し砕けた話し方は、彼女が朝陽くんを心から信頼し始めた証です。


大仕事の後の「ご褒美」の約束。

そして、暗い部屋で一人戦う彼女を支える、朝陽くんの存在。

二人の絆は、単なるサポーターを超えて、精神的な支柱へと変わりつつあります。

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