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第14話 二つのお弁当と、苦い記憶の蓋

「契約」という形でお隣さんの生活を支えることになった朝陽くん。

けれど、彼が料理を「自分のためだけ」に作ってきたのには、中学時代の苦い経験が理由でした。


学校で別々に食べる、同じ献立のお弁当。

「氷の令嬢」の周りで起こる小さな騒動と、それをあしらう唯一の親友。

そして一日の終わりにスマホに届いた一言が、朝陽くんの閉ざしていた心を、少しずつ溶かしていきます。

数時間前――。

アパートの廊下には、まだ夜の冷気が薄っすらと残っていた。

僕は寝癖を水で無理やり抑えたばかりの頭を掻きながら、隣の「202号室」のドアの前に立った。


「……これ、今日のお弁当。昨日のリクエスト通り、卵焼きは甘めにしたから」


手渡したのは、青いチェックの包み。中には自分用と全く同じ、彩りだけを少し意識したおかずが詰まっている。


「……ええ。助かるわ。じゃあ、学校で」


冬月さんはそれを受け取ると、いつもの凛とした、けれどどこか眠たげな瞳で僕を見つめ、静かに歩き出した。

「他人のフリ」というルールを守り、僕たちは時間差で、同じ学び舎へと向かった。


「おーい、朝陽! 飯食おうぜ!」


昼休みのチャイムと同時に、大輝が僕の席に机をくっつけてきた。隣には購買のパンを手にした紗季さんもいる。


「……瀬戸くん、今日もお弁当? 相変わらずマメだねぇ」


「まあな。適当に詰めただけだよ」


僕はそう答えながら、自分でおかずを詰めた弁当箱を広げた。

箸を割り、メインの卵焼きを口に運ぶ。出汁の風味が鼻を抜けた瞬間、ふと、なんとも言えない不思議な気分に襲われた。


(……隣のクラスの冬月さんが、今、これと同じものを食べてるんだよな)


そう思うと、なんだかむず痒いというか、落ち着かない。

僕の作った料理が、学校一の有名人である彼女が食べている。その実感が、どこか非現実的なものに感じられた。

そしてそれと同時に、心の奥に無理やり蓋をしていた「苦い記憶」が、ふわりと浮上してきた。


中学二年生の頃。当時友達だと思っていた人に、良かれと思って手作りの差し入れをしたことがあった。

返ってきたのは、感謝ではなく、軽蔑の混じった困惑の表情だった。


『……え、瀬戸くんが作ったの? ……正直ちょっと重いっていうか……キモいよ』


あの日からだ。僕が料理を「自分のためだけ」に作るようになったのは。

誰かに振る舞って、拒絶されるのが怖かった。自分の「好き」を否定されるのが、耐えられなかった。


(……どうしてあんな契約、引き受けちゃったんだろうな、僕は)


卵焼きを噛みしめながら、僕は自嘲気味に独白する。

でも、昨夜うどんを啜った彼女が言った「美味しい」という一言が、あの日の拒絶を上書きしようとしていることも、また事実だった。


一方、隣の2組では、静かな、けれど確実な事件が起きていた。

「氷の令嬢」こと冬月凛が、いつも食べている味気ない栄養ゼリーではなく、立派な手作り弁当を広げたからだ。


「……えっ。冬月さん、それ……お弁当?」

「手作り!? まさか、冬月さんが自分で作ったのか?でも、布巾は男物…?」


騒ぎ立つ男子たち。そんな騒動を、一人の少女が強引に遮った。


「はーい、そこまでー! 野次馬は散った散ったー! 凛が何食べてようが自由でしょ。ほら、自分の席戻った!」


サバサバとした声で群衆を散らしたのは、佐藤陽菜さとう ひな

クラスで唯一、凛を「令嬢」扱いせず、対等に接する貴重な友人だ。

陽菜は凛の隣の席に腰を下ろすと、彼女のお弁当――丁寧に詰められたアスパラの肉巻きや卵焼きを、品定めするようにチラリと見た。


「……ねぇ、凛。それ、あんたが作ったんじゃないよね? かと言って、業者の弁当でもなさそうだし」


「…………」


「ま、深くは聞かないでおいてあげる。面白いから」


陽菜はニヤリと笑い、自分の弁当に手を付けた。

凛は再び、静かに卵焼きを口に運ぶ。

周囲の騒ぎよりも、陽菜の鋭いツッコミよりも。

今はこの、じんわりと身体に馴染むような甘さが、彼女にとっては何よりも優先すべき「真実」だった。


午後の授業が終わり、終礼を待つ教室。

僕はカバンの中で震えたスマホを、こっそりと取り出した。

通知画面には、冬月凛からのチャット。


『……美味しかったわ。ありがとう。』


たったそれだけの、素っ気ないメッセージ。

けれど、それを見た瞬間。

昼休みに思い出した、あの『キモい』という言葉で凍りついていた僕の心の一部が、パキリと音を立てて溶けたような気がした。


「……ったく。調子狂うな、本当に」


僕はスマホをポケットにしまい、少しだけ口角が上がるのを必死に抑えた。

窓の外には、柔らかな夕日が広がっている。

自分が作ったもので誰かが喜んでくれる。

そんな、一度は捨てたはずの「当たり前」の幸せが、今の僕にはどんなご褒美よりも眩しく感じられた。


(……明日は、何を作ってやろうかな)


気づけば僕は、昨日よりもずっと軽やかな足取りで、帰りの準備を始めていた。

お読みいただきありがとうございました!


中学時代のトラウマを抱え、自分のためだけに料理をしていた朝陽くん。

けれど、凛ちゃんからの「美味しかった」という一言が、彼の過去を少しずつ塗り替えていっています。

そして新キャラ・陽菜ちゃん。彼女の「面白いじゃん」という視線が、今後二人の関係にどう影響するのか……。

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