第11話:溶けかけの氷と、消し忘れた光
激動の看病夜が明け、静かな朝がやってきました。
熱が下がり、正気を取り戻した冬月さんを待っていたのは、昨夜の甘すぎる記憶。
そして、朝陽くんが去った後に気づいてしまった、絶望的な「消し忘れ」でした。
本人は隠しているつもり、でもお隣さんは全てを察している……。
そんな二人の、むず痒い距離感をお楽しみください!
「……ん……っ」
差し込む朝日の眩しさに、私はゆっくりと瞼を持ち上げた。
昨日までの、鉛のような体の重さが嘘みたいに消えている。
それどころか、細胞の一つ一つが新しく生まれ変わったような、不思議な充足感があった。
「……あ。……夢、じゃなかったのね」
視線を横に落とすと、そこには椅子に座ったまま、ベッドの端に突っ伏して眠っている瀬戸くんの姿があった。
私の裾を掴んでいた……気がする、その手は。
今は優しく、私の指先に触れるか触れないかの距離で置かれている。
(……あーん。……あーん、ってしたわよね、私。……しかも、行かないでって……)
昨夜の断片的な記憶が、鮮明なカラー映像となって脳裏に蘇る。
顔が、昨日とは違う種類の熱で爆発しそうになった。
死にたい。わたしはなんてことを…。
「……ん。……あ、冬月さん。おはよう」
「ひゃいっ!?」
変な声が出た。
目を覚ました瀬戸くんが、少し眠そうに目を擦りながら私を見ていた。
「……熱、だいぶ下がったみたいだな。顔、赤いけど……まだダルいか?」
「だ、大丈夫よ。……ただの風邪みたいなものだから。……しっかり休んだから、もう平気」
必死に心臓の鼓動を抑え、私はいつもの「氷の仮面」を被り直そうとした。
けれど、彼が優しく微笑むだけで、その仮面は呆気なく溶け落ちてしまう。
「食欲はあるか? 昨日の残りの出汁で、お粥作ろうと思うんだけど。」
「……いただくわ。……せっかく作ってくれたんだし、食べないと回復が遅れるもの。……効率を考えれば、食べるのが正解よね」
私は俯き加減にそう言いうと、すぐにお粥を作ってきてくれた。
差し出された卵粥を一口運ぶ。
……美味しい。
優しい出汁の味が、弱った胃にじわりと染み渡る。
昨日、あんなに甘えた態度を取ってしまったのに。彼はそれを揶揄うこともなく、ただ私の体調だけを気遣ってくれている。
「……ねぇ、瀬戸くん。……昨夜、私、何か変なこと言わなかったかしら」
恐る恐る尋ねると、彼は一瞬だけ、部屋の隅にある私のデスク――作業机の方へ視線を向けた。
……けれど、彼はすぐに視線を戻し、穏やかに首を振った。
「……いや。ずっと『お腹すいた』って言ってたよ。……あとは、無理せずゆっくり休めよ。お盆は帰りにでも回収するから」
「……そう。……なら、いいんだけど」
彼はそれ以上、何も言わなかった。
学校へ行く準備があるからと、テキパキと片付けを済ませ、嵐のように去っていく。
「今日はちゃんと休めよ」という言葉だけを残して。
一人になった部屋。
私は最後の一口までお粥を堪能し、深いため息をついた。
やっぱり瀬戸くんのご飯を食べると、調子がいい。
……なんて、口が裂けても本人には言えないけれど。
けれど、その穏やかな余韻は、一分も持たなかった。
着替えようとベッドから降りた私は、ふと、部屋の隅のデスクに目が止まった。
「…………え?」
そこには、電源を落とし忘れた液晶タブレット。
昨日、意識が遠のく直前まで筆を走らせていた、イラストレーター『Fuyu』としての最新作。それが、部屋の隅で煌々と輝き続けていた。
「…………嘘……。……嘘でしょ……?」
昨夜、彼は間違いなくこの部屋に数時間いた。
雑炊を運び、私の看病をし、そして、このデスクのすぐ横を通って帰っていったのだ。
画面の明るさは、この暗い部屋の中で嫌でも目立つ。
「なんで、何も言わなかったのよ……」
(……気を使わせた、ってこと? 私が隠したがってるのを察して、知らないふりをしてくれたの……?)
それが彼の優しさなのだとしたら、あまりに誠実すぎる。
私はこれまで、自分の正体を隠すことに必死だった。余計な干渉をされたくなかったし、一人で完璧にやり遂げるのがプロだと思っていたから。
けれど、現実はどうだ。
結果を出そうと焦るあまり、食事を疎かにし、体調を崩し、結局は隣に住む彼に、命を救われるような真似をさせてしまった。
(……認めなきゃ。私一人じゃ、限界が近い。)
彼の作るご飯。あの温かい湯気と、身体の芯から力が湧いてくるような美味しさ。
それがなければ、私は、あの絵を完成させることはできなかった。
もう、以前の「ただのお隣さん」という距離感には戻れない。
私は、もう一度自分の描いた絵をじっくりと見つめた。
そこには、自分でも驚くほど、今までになかった瑞々しい感情が宿っていた。
「……瀬戸くんと……今夜、ちゃんと話をしましょう」
私は液晶タブレットの電源を落とし、静かに決意を固めた。
正体を明かし、対価を払い、そして――私の「生活」を、彼に支えてもらうために。
それが、今の私がプロとして、そして一人の人間として、彼と向き合うための「最高の効率」なのだと自分に言い聞かせて。
お読みいただきありがとうございました!
自分の正体がバレたことを察しながらも、凛ちゃんは逃げるのではなく、朝陽くんと「対等なパートナー」になるための覚悟を決めました。
プロとしての誇り、そして自分の弱さを認めた上での大きな決断です。




