第10話:熱に浮かされた、氷の令嬢の本音
第9話で、限界を超えて倒れてしまった冬月さん。
鍵の開いた部屋で彼女を見つけた朝陽くんは、あまりの熱さに動揺し、救急車を呼ぼうとします。
けれど、弱りきった彼女が、震える手でそれを止めました。
「氷の令嬢」が守りたかった、小さな秘密と、今の生活。
それを知った朝陽くんの、静かで必死な看病が始まります。
熱に浮かされた夜、二人の境界線は、優しく溶け出していくようで――。
「……っ、熱すぎだろ、これ」
ベッドに横たえた冬月さんの額に触れ、僕は思わず手を引いた。
手のひらから伝わるのは、もはや生暖かいなんてレベルじゃない、刺すような熱気だ。
測るまでもない。おそらく四十度近い高熱。
僕はパニックになりそうな心を必死に抑え、震える手でスマホを取り出した。
「冬月さん、ごめん。……すぐ救急車呼ぶからな」
画面に『119』と打ち込み、発信ボタンを押そうとした、その時。
熱で小刻みに震える彼女の指先が、弱々しく、けれど必死に僕の手首を掴んだ。
「……ま、待って……。……呼ばないで、お願い……」
「……四十度近くあるんだぞ。もし手遅れになったら……」
僕は声を荒げる代わりに、絞り出すような声で彼女に訴えた。
喉の奥が熱い。彼女を失うかもしれないという恐怖が、僕の冷静さを奪おうとしている。
けれど彼女は、朦朧とした瞳で僕を見上げ、ポロポロと涙をこぼしながら首を振った。
「……騒ぎに、なっちゃう……。……学校の人に、知られたくないの。……この生活、壊したくない……」
必死な懇願。
彼女が守ろうとしているのは、『氷の令嬢』としてのプライドじゃない。
誰にも干渉されず、ただ静かにイラストを描き、僕のご飯を食べる……そんな、今の歪で、けれど彼女にとっては唯一無二の「居場所」だった。
「…………わかった。わかったから、もう泣くな」
僕はスマホをポケットにしまった。
「その代わり、少しでも容態が悪化したら、その時は僕の判断で呼ぶ。いいね?」
彼女は安心したように、小さく、本当に小さく頷いた。
僕は彼女のキッチンを借りて、持ってきた雑炊を温め直した。
冷蔵庫の中は、僕が渡したお裾分け以外は飲み物ばかりで、自炊の気配が全くない。
彼女がどれほど自分を疎かにして、あの「絵」に全てを捧げてきたのかが痛いほど伝わってくる。
「……冬月さん。少しだけ、上体起こせるか?」
「……ん……っ」
僕は彼女を抱きかかえるようにして支え、背中にクッションを差し込んだ。
熱を帯びた彼女の体が、僕の腕の中で驚くほど薄くて軽いことに、また胸が締め付けられる。
「一口だけでいい。食べないと、さっきもらった薬飲めないだろ」
スプーンで雑炊を掬い、ふーふーと息を吹きかけて冷ます。
普段の彼女なら、「自分で食べるわ」と拒絶しただろう。
けれど、今の彼女にそんな気力は残っていない。
「……あーん」
僕の言葉に、彼女は羞恥に顔を染めながらも、素直に小さな口を開けた。
ゆっくりと雑炊を飲み込むたびに、彼女の喉が小さく動く。
「……おいしい。……やっぱり、瀬戸くんのご飯……」
「いいから、喋るな。……ほら、もう一口」
一匙ずつ、ゆっくりと。
静寂に包まれた部屋で、カチカチと鳴る時計の音と、彼女の荒い息遣いだけが響く。
世界に二人しかいないような、不思議な時間がそこには流れていた。
食後、薬を飲ませて彼女がようやく深い眠りについた頃。
僕は部屋の隅で、煌々と光を放ち続けている液晶タブレットに目を向けた。
そこには、描きかけのイラスト。
昼間、大輝と紗季さんに見せられた、あのラノベの表紙と同じタッチ。
……いや、それ以上の「熱」を持って描かれた、一人の少女の姿があった。
「……そうゆうことだったのか」
彼女が隠していた、本当の姿。
誰も寄せ付けない氷の仮面を被りながら、その内側でこんなにも温かい世界を紡いでいた。
「…………頑張りすぎなんだよ、本当に」
僕はそっと、彼女の額に冷たいタオルを置き直した。
いつの間にか、彼女への「放っておけない」という気持ちは、境界線を優に飛び越えていた。
嵐のような看病が一段落し、僕は洗い物を済ませて自分の部屋へ戻ろうと立ち上がった。
「……じゃあな、冬月さん。また明日の朝、様子を見に来るから」
その時だった。
眠っているはずの彼女の手が、ガシッと僕の服の裾を掴んだ。
「……いかないで……」
「冬月さん? 起きてるのか?」
声をかけるが、返事はない。
熱に浮かされた、無意識の寝言。
けれど、その力は驚くほど強く、縋るような切実さに満ちていた。
「……おなかすいた……。……もっと……たべたい……」
「……あはは。食いしん坊かよ」
僕は思わず苦笑してしまった。
こんな時までご飯のことを言っているなんて。
でも、そのおかげで少しだけ肩の力が抜けた。
僕は彼女の手を優しく握り、彼女の呼吸が安定するまで、そのベッドサイドに椅子を引いて座り続けることにした。
窓の外では、まだ雨が降り続いている。
けれど、僕の心の中には、あの表紙の絵のような、不思議な温もりが灯っていた。
お読みいただきありがとうございました!
ついに朝陽くんが冬月さんの秘密を確信し、看病を通じて二人の距離はかつてないほどに。
「行かないで」と裾を掴む冬月さん……、氷の令嬢の仮面が完全に剥がれてしまいましたね。




