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三.変わり者の妃

 冽然(れつぜん)はその後、自身に(ほどこ)される教育に熱中していった。

 気負いを下ろして向き合ってみれば、知識を得ることは、ただ純粋に面白い。

 冠礼(かんれい)を間近に控えた頃には、学習の動機は、「母に褒められたい」から、「興味があるから知りたい」に変わっていった。


 あの青年との出会いで、不必要な肩の力が抜けたことが大きいのだろう。視野が広がり、自分なりに国の在り方についても考えるようになった。

 皇太子の位を意識するようになったのも、この頃だ。


 そして、その地位を得た後も、彼は空いた時間を可能な限り、現場視察と学習に()てていた。





 その日の晩も、冽然は皇太子の冕冠(べんかん)を見つめながら、物思いに(ふけ)っていた。



 皇太子として政務をこなす中で、気になるのはやはり、父の施策(せさく)の数々だった。



 前王朝に(なら)うかのような父の統治は、今のところ、大きな問題もなく順調に進んでいる。だが、力の均衡が崩れた時にも、今のやり方を貫けば、国が荒れかねない。

 民の自由を、全否定するつもりはない。

 けれど、そればかりを優先しては、民を守る器たるべき「国」そのものが崩れる。



 父のやり方は、劇薬に等しい。この国には、まだその思想は早いのだ。



 他者の立場を(おもんぱか)る余裕が出来て初めて、自由は機能していく。理性や制限のない自由は、ただの暴力と同義だ。明日の食事の不安を抱える民と、高慢(こうまん)な優越感に浸る貴族たちが同じ土俵に立ったところで、一部の特権を巡って、血で血を洗う争いが広がっていくだけだ。


 先に自由を与え、試行錯誤(しこうさくご)の末、上手くやる方法を見付けていくことも出来るだろう。けれど、それが上手くいかなければ、前王朝末期の混乱の二の舞だ。


 冽然(れつぜん)の役割は、国に「礼」を根付かせることだ。

 生活の不安をなくし、天高く積み上がった自尊心を()め、互いの立場を思いやれる空気が出来上がるまでは、「国」による統治を行うしかない。


 そしてもちろん、「天高く積み上がった自尊心」を持つのは、貴族だけではない。

 彼ら皇族もまた、意識を改めていく必要があるのだ。




(先は長いが……やるしかない)




 冽然は一人、孤独に夜空に浮かぶ半月を見上げ、(うなず)いた。







 皇太子として、まず冽然(れつぜん)が真っ先に意識したのは、自身の足元を固めることだった。

 母である忍妃(にんひ)(せん)氏の一族は、そこそこの歴史はあれど、名家という程の格はない。皇太子にはなれなかったが、名門・(きょ)氏を後ろ盾に持つ第二皇子(あに)は、未だに脅威だった。


 それゆえに、自身の正妃となる皇太子妃には、建国当初からの歴史を誇る、(ちょう)家の娘を指名した。

 そして同時に、歴史は浅いものの、近年官僚として存在感を増してきた(おう)家の娘を側室に迎え、(ちょう)を与えた。幼少時からの教育係であった(ぎょう)氏も、典部(てんぶ)で順調に出世している。そうこうしているうちに、それぞれの妃との間に、一人ずつ男児が生まれた。


 あとは、新たな妃を今のうちに迎えるか、二人の妃との間に更に子をもうけるべきかと、思案していた矢先。

 降って湧いたのが、父帝の命令による、新たな側妃の受け入れだった。




 珍しく冽然(れつぜん)は、感情を露わにして父帝に抗議したが、聞き入れられるはずもなかった。冽然はしぶしぶ、三人目の妻を迎え入れることになった。

 冽然が、二十二歳の時のことだった。






 初めて顔を合わせた、六歳年下のその娘──(しん) 蕙蘭(けいらん)は、一言でいえばただの変わり者だった。

 彼女は皇太子との子を授かることよりも、希少な書物を読み漁ることにばかり、重きを置いているようだ。

 父帝の命による輿入れとのことで、調子に乗らないよう釘を刺せば、「皇太子とは面倒なものだ」などと(のたま)う始末。

 馬鹿にしているのかと冽然が腹を立てて見せても、飄々(ひょうひょう)としており、彼は早々に理解することを諦めた。


(……なんなんだ、この女は)


 しかし、冽然にとっては意外なことに、彼女は他の二人の妃とは、当たり障りない関係を築き始めた。だが、それとて彼女たちへの配慮というよりは、はなから自分の立場に興味がない所為(せい)だろう。


 冽然(れつぜん)危惧(きぐ)した通り、父帝の治世は、食糧不安に(たん)を発した地方の騒動を経て、きな臭い空気を帯び始めてた。

 自由を履き違えた地方官僚が、食糧の買い占めに走り、法外な金額で売りつけようとしたため、飢えた民たちが徒党を組んで、地方府に攻め入ったのだ。


 ここで、父帝の命で嫁いできた沈妃(しんひ)に関われば、「皇太子・冽然は父帝の言いなりなのだ」と周囲に思われかねない。


 彼女が子を授かったと聞いて以降は、冽然は側妻──蕙蘭の元へ通うことを止めた。十月後に産まれた娘の顔も、見ることはなかった。






 冽然(れつぜん)は、父帝と対立しながらも事態の鎮静に当たり、寝る間も惜しんで政治を学び、彼の足場を強固にする妃たちへの寵愛と配慮の演出に気を配っていた。



 やがて、父の突然の崩御(ほうぎょ)を受け、冽然はついに二十八歳の時、至高(しこう)の位に登った。



 正直に言って、即位後の記憶はほとんどない。


 父が残した仕事を引き継ぎ、彼が変えてしまった数々の制度を見直し、賢臣と佞臣(ねいしん)を見極め、下賎(げせん)な思惑で皇帝の後宮に送り込まれてきた女たちを選別し。


 冽然は表向きは涼しい顔で、影では文字通り奔走した。


 ただし、急な変革とあからさまな粛清(しゅくせい)が引き起こす混乱は、父帝の末期を見るまでもなく明らかである。慎重に協議し、時には長期戦での策を練っているうちに、あっという間に即位から一年余りが経過していた。







 冽然(れつぜん)は即位直後に、皇太子妃であった氏を皇后に指名し、二人の側妻はそれぞれ妃の座に据えていた。

 新たに迎えた女たちも、家格や本人の資質を鑑み、冽然自ら位階を定めた。そうして、中級妃以上の位が全て埋(ちょう)まった後宮は、想定の範囲内ではあったが、入宮直後から、早くも女たちは足を引っ張り合い始めていたたらしい。


 朝堂(ちょうどう)の力関係に配慮し、各妃嬪(ひひん)の宮に足を運ぶ頻度は調整した。それでも、「寵愛は王氏に、敬意は趙氏に」という冽然の方針は、徹底して変わっていないのにも関わらず、だ。


(愛だの情欲だので、その扱いが変わるはずもない。それを(わきま)えているからこその、あの二人の待遇であるというのに……。愚かなことだ)


 ある日、冽然はいつものように、自身の皇后の殿舎を訪ね、後宮を上手く治めてくれている妻を労った。(しとね)を共にした皇后は苦笑し、はだけた肩を気だるげに竦めて答える。


(おう)雅妃(がひ)が、そつなく私を立ててくれるおかげです。それと……(しん)貞花(ていか)の」


 意外な名を耳にし、冽然は思わず首を傾げる。


 (たま)の宮中行事で遠目に見かける以外には、もう何年も口もきいていない側妻(そばめ)の名を、ここで聞くとは思わなかった。後宮の様子は定期的に宦官たちに報告させ、冽然自身も注意深く観察し続けているが、彼女が、読書と娘との交流以外に、何かをしている気配は皆無だった。

 (いぶか)る冽然に、趙皇后は淡く微笑んだ。


「ええ、別に何もしていません。娘の昭瑶(しょうよう)皇女と書物以外には、基本的に興味のない子ですから。隣の殿舎の(さい)貞容(ていよう)とは、仲良くやっているようですが……」


 眉を寄せる冽然をよそに、趙氏は吉祥文様(きっしょうもんよう)の施された高い天井を眺めている。外に控える敬事署(けいじしょ)宦官(かんがん)が、注意深く二人の会話に耳をそばだてている気配を感じた。


「……この後宮で、誰が力を持っているのか。あの子には、そんなことはどうでも良いんです。一人の人間として、相手に敬意を持って接し、一人の人間として、納得出来ないことは遠慮なく主張する。

――珍しい書物を目の前にすると、飢えた猪のように暴走するところは、本当にどうかと思いますが。それでも、彼女と居ると、何故だか皆、毒気を抜かれてしまう」


 あの子、碁の腕も大したものだそうですよ。


 悪戯っぽく笑う正妻の顔を見つめ、冽然は目を瞬かせる。碁は、彼の数少ない息抜きだった。

 こちらに向けられた趙氏の顔が、意地っ張りな息子を苦笑しながら見守る母親のもののように見え、冽然は憮然(ぶぜん)として顔を(しか)めた。


「……もう寝るぞ」


 冽然が音を立てて(ふすま)を頭から被ると、静かな空間に、趙氏の微かな笑い声が響いた。





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