婚礼行列
強すぎる真夏の日差しを避けるため、黒いローブに黒いマントを頭からかぶったニコラウスは、白い王宮の正面階段を駆け下りた。
収納が多いリュックには、医療用具と医薬品、厳選された貴重品や携帯食料が入っている。
医療用具はメスやピンセット、ガーゼなど。医薬品は消毒薬やアロエ軟膏、はるか東方の大国セリコスで重用される麻薬をはじめ、さまざまな薬が揃っていた。また、水筒とは別に、腰に下げた複数の巾着にはある種の粉末がたっぷり入っている。
(これだけあれば、不測の事態が起きても何とかなるはず……)
ニコラウスはこのときのために時間をかけて用意した大きな巾着を大事そうに握り、用意された馬に乗ってメリッサの乗る婚礼馬車の真横を陣取った。
王宮前では、魔力障壁を発生させる護符を織り込んだ防具、それぞれの属性が分かる赤・黄・青の羽飾り付きヘルメット、魔族特有の刺繍を施した布製軍服姿の護衛が点呼をとっていた。
護衛は十人、王女の世話をする側仕えはいない。
魔国の王宮はもともと祭祀に使っていた寺院で、古風な様式の列柱が前面に並び、この地で採れる白い大理石で建てた壮大な建築物だった。
王宮の横には、はるか昔に通された、クロウカシス山脈に続く『王の道』があり、南北に伸びている。一行はまず北を目指し、途中から乾燥した東の丘陵地帯へ方向転換する。その先に蛮族国の使者が待つ国境地帯がある。
中央に、グリフォンの彫刻が左右を飾る花嫁の儀式用四輪馬車。
前後左右には、魔剣を携えた護衛騎士。王宮馬車の後ろには二台の荷馬車、最後尾に弓を持った数人の護衛騎士。荷馬車の一つには、魔国で産出されるラピスラズリが山のように積まれていた。蛮族国への持参金だった。
蛮族国への婚礼行列が整った。
体の線がそのまま分かる白い絹のドレスに、両肩を銀のブローチで止めた総レースの外套、ラピスラズリとドライフラワーをちりばめたオレンジ色のヴェール、膝まである編み上げサンダル。華奢な首・手首・足首には赤い石のアクセサリー。
ニコラウスからプレゼントされた猫のぬいぐるみを抱いた、まだ子供のような王女メリッサ。
着たこともない華美なドレス、クッション付きの豪華な馬車、初めての旅でこれまでになく興奮していた。
国境に着けば護衛を解き、王女ひとりを蛮族国へ差し出す予定だ。
「くれぐれも王の前で粗相のないようにしなさい。魔国のこれからがかかっているのだから」
「かしこまりました、陛下」と頭を下げたメリッサは、最後の別れと思い、髪の毛を何本か抜いて王に渡した。
「……息災でな」と一言だけ言って、王は去って行った。
王太后は姿を現さなかった。
金色の髪の妹を手放すのが惜しいと思いながらも、デイノスはメリッサから渡された髪の毛を大事そうにしまい、婚礼行列を出発させた。
――これでしばらくはやっかいな蛮族国との争いは避けられるだろう。その間に蛮族が西方に興味を持ってくれればひと安心だ。
常に受け身な王は、当面の面倒事さえ避けられればそれでいいとしか考えていない。
今のところ天候は安定している。このままなら六日ほどで国境に到着できるはず。そこから先は、蛮族の使者が花嫁を王のもとへ連れて行く。
楽団の演奏と共に、行列はノロノロと王宮を後にした。
「ニコラウス、わたしの手を握って!」
「無理です、姫様。その代わりのぬいぐるみをお渡ししたではないですか」
「ケチ!」
(あんな境遇だったにもかかわらず、姫様はまっすぐに育った。何も知らないまま嫁がせて政治の駒にするなんて……)と、ニコラウスは思う。
――王太后は必ず婚礼行列を狙うはず。あの女が、憎んでいたアウロラの娘を生かしておくわけがない。
※
メリッサが誕生したとき王太后の殺意を見抜き、当時の王に進言して離宮に保護させたのはニコラウスだった。
外敵から彼女を守っていた王が亡くなったときには、『侍女の娘は塔に幽閉し、側仕えは口のきけない者にしてはいかがでしょうか』と王太后をそそのかしたのもニコラウスだった。
口のきけない者を使用人にするよう勧めたのは、自分とメリッサとの親密な関係をばらされたくないからだった。
メリッサが塔に幽閉されると王太后は安心しきった。そのおかげで、彼女はこれまで無事に生き延びることができたといえる。
婚礼行列が出発する一カ月前から、ニコラウスは王宮から蛮族国との国境へ向かう街道を調べていた。
魔国は、南に五千メートル級の山々が連なるクロウカシス山脈、西には南北に細長く巨大な湖がある。北の国境は大河だ。魔法と地形で魔国は守られている。
蛮族が攻めて来たのは東方丘陵地帯。草原と砂漠が広がるその地は魔国唯一の弱点だった。婚礼行列はその丘陵地帯を進む。そこにはゆるやかな丘陵の合間にいくつもの谷がある。
――王太后が何か仕掛けて来るとしたら、谷間だろう。
仮に王太后がメリッサを狙ったとしても、魔国人ではなくありふれた野盗の犯行に見せるはず。もしかしたら、行列につく護衛は王太后の味方かもしれない……細心の用心をしなければ。いざとなったら隠していた魔力を使うしかない。
様々な可能性を考えながら、ニコラウスは粛々と準備を進めた。
メリッサの一族には、彼女の嫁入りと同時に南へ亡命するよう手紙で知らせてある。同様に、ニコラウスの実家メルクリ家にも――間もなく魔国は蛮族に滅ぼされるだろうという理由も添えて。
※
王宮を囲む城壁を抜け、婚礼行列は左右に野次馬が並ぶ『王の道』を進む。
北から東へ、丘陵を越え、谷間を越え、次の丘陵へ。
次第に草木は少なくなり砂漠へと変貌する。もうすぐ蛮族国とのあいまいな国境地帯だ。一行は野営をしながら、五日目には最後の谷間にさしかかった。
太陽は真上に来ている。そろそろ休憩をしなければ。
案の定、護衛隊長が列を止めた。最後の谷間に入る直前の事だった。
「後列の護衛は直ちに西方の砦へ行くように!」という隊長の意外な命令に、護衛たちは戸惑う。
「しかし隊長殿、我々は……」
「西の砦で蛮族の動きを見張れ、隊長からの命令だ!」
護衛たちは心配そうに顔を見合わせたが、結局、命令は実行された。
(不自然だ。こんな場所で護衛を半分も解くとは……)とニコラウスは思ったが、成り行きを見守ることにした。
「姫君、もうすぐ国境です。その前にここで一休みしましょう」
「はい、皆さまもそうしてください」
「ここでいったん休憩!」
護衛隊長が、残された一行に指示を出した。
「もうすぐ国境ね。そしたらニコラウスとはお別れなのね……わたしはどうなるのかしら。本当にわたしは王妃になるのかしら……王妃なんて嫌だわ、ニコラウスと離れたくない」
馬車の近くに張られたテントの中でお茶を飲みながら、何もかも諦めたという表情でメリッサがつぶやいた。
「……姫様」
(ご安心ください、そうはならないようにしますので)
自分の計画を知られるわけにはいかない。
もうすぐ国境だ。
護衛が半分になった今、王太后が何か仕掛けてくるのではないか――と、ニコラウスは周囲を警戒した。
※読者の皆様、お待たせしまして申し訳ありませんでした。次回、婚礼行列が何者かによって襲撃され、ニコラウスの活躍がはじまります。




