蛮族国への嫁入り
その頃、東方に興った蛮族の国が破竹の勢いで周辺国を征服していた。やがて魔国へも蛮族の軍勢が迫り、あいまいな国境での武力衝突が絶えなくなった。
もともと遊牧民族だった蛮族にとって、長距離移動と素早い機動力での騎馬戦は容易いことだった。
しかも彼らは征服した民族を使い捨ての戦力にした。
魔国は防衛を地形と魔力だけに頼る小さな山岳国で、人口も少ない。今まで侵略されなかったのは、魔法を操る事で恐れられていたにすぎない。
しかし東方の蛮族は違った。
彼らは死を恐れない狂戦士の集団だった。魔法攻撃に対しては馬を自由自在に操ってかわし、巧みな弓術と催涙煙幕を用いた独自戦法、そして容赦ない残忍さで魔国を脅かしたのである。
その結果、魔国は蛮族国との停戦交渉をせざるを得なくなった。魔国の歴史上初の屈辱だった。
『王女を差し出せ』と蛮族に言われた魔国の王デイノスは、国の正当な王女である長女ではなく、侍女の娘メリッサを差し出すことにした。長女はすでに有力者の元へ嫁いでいたのだ。
「ニコラウス! 早く神経痛の薬を持って来い!」
「お言葉ですが、さきほどお飲みになったばかりです」
「いいからさっさと持って来い! 背中が痛くて仕方ないのだ!」
「かしこまりました。では治癒師も呼んで参りましょう」
このところ王は背中にできた腫物のせいで上半身が熱を持ち、常に激痛が走っていた。お陰で政務もおざなりだ。その上蛮族から不利な交渉を持ち掛けられ、常にイライラしていた。
傷や火傷などは治癒師――癒しの魔力を持つ者――で治療できるのだが、残念ながら痛みや病気にはあまり効果はない。ニコラウスの処方する、麻薬の入った痛み止めはよく効くため、王族からの信頼は厚い。
軽い鎮痛薬を王に飲ませ、数少ない治癒師を呼ぶと、ニコラウスはさっさとメリッサの元へ行った。
※
それは雪の舞う冬の日のことだった。
侍従長と数人の使用人がメリッサを塔から連れ出し、身なりを整えて王の元へ向かわせた。
「ねぇ、何年も塔から出たことがなかったのに、いきなりどうしたの?」
「国王陛下からの命令です」
「国王? お兄様? ニコラウスはいないの?」
「いません」
「?」
八年ぶりに外に出たメリッサが向き合ったのは、魔国の王デイノス――砂糖菓子を持って来ては執拗に髪の毛を撫でる、気難しそうな顔の兄。青銅色の髪の毛に緑がかった目はどことなくニコラウスに似ているが、自分にはあまり似ていない。
「お前は半年後蛮族の国へ嫁ぐことになった」
「……はい?」
「これから輿入れの準備を始めるから、お前は宮殿で過ごすように」
「はい……?」
何も分からないメリッサは生返事しかできなかった。
その日から宮殿で暮らすようになったメリッサは、これまでになく贅沢な生活を与えられた。
「すごいわ、朝からこんなに豪華な食事なの? 無理だと思うけど……」
「王女様、これは王からの命令です。すべてお食べ下さい」
「えぇ~」
「言葉遣いに気を付けて下さいませ」
「……」
輿入れまでの半年間に、貧弱な少女を大人の女性へ変身させなければならない。発育が遅れているメリッサにはまだ生理がなかったのだ。
輿入れが決定してからは、数人の教師が就くことになった。
王族としての礼儀や知識を学んだのは離宮にいたときだけ。ニコラウスがメリッサに教えたのは、淑女教育ではなく博物学だった。
「王族としてのマナーのほかに、周辺国の地理と輿入れ先の国の事情を覚えて下さいませ。このままでは一国の王妃となることができませんので」
「王妃……にはなりたくないけれど、分かったわ」
「王妃になりたくないなどと、間違っても口にしてはいけませんよ」
メリッサが王妃と言われて思い浮かべるのは、塔に幽閉せよという命令を、敵意を持って出した悪魔のような女性だった。
(あんな大人にはなりたくない)とつくづく思うのであった。
「王女様、本当に理解したのですか?」
「は、はい……」
※
「ニコラウスはわたしと一緒に嫁ぎ先の国へ行ってくれるの?」
「それは……どうでしょう」
「ひとりで行くなんて嫌!」
「……王に交渉してみましょう」
ニコラウスは魔国の王宮医師。多かれ少なかれ魔力を持つ魔族の末裔が他国の住人になる事は禁じられている。それは国の独自性を保つためにも重要な事だった。
しかしニコラウスは、これは最初で最後のチャンスだと思った。メリッサを救い、魔国から脱出し、広大な世界へ飛び出すのだ。
それは同時にニコラウスの願いでもあった。
※
輿入れ直前にメリッサは王に呼ばれた。その部屋には二人の女官と、無表情を貫いているニコラウスがいた。王の正面に立ったメリッサは、周囲から異様な目で見られている気がして気持ち悪かった。
「そこに立って服を脱ぎなさい」
「えっ?」
「早く、衣服を全部脱ぎなさい」
厳しい目をしながら王が命令した。
わけが分からず突っ立ったままでいると、後ろから女官が来て有無を言わさずウエストの帯を解き、服をすべて剥いだ。
「あっ……」
たちまちメリッサは丸裸にされた。
「ニコラウス、傷や腫物はないか全身調べろ」
「かしこまりました」
粗食のため発育が遅れ、十六歳には見えない子供のような体。宮殿でまともな生活をさせても未だに生理はない。これでは結婚しても当分子供は望めないだろう。それでもこのまま蛮族に差し出すしかない。
生まれたときから王宮医師としてメリッサを診てきたニコラウスは少しの間ためらったが、王に逆らうわけにはいかない。とりあえず全身調べた振りをして、『特に異常はありません、誠につややかな肌でございます』と、適当に答えた。
丸裸になったメリッサを王はあらゆる角度から眺めまわし、長い髪の毛を撫でながら言った。
「少しはマシな体になったようだな。蛮族の王ならばこれくらいで十分だろう。もうよい、服を着せろ」
その夜メリッサは泣き続けた。
「どうしてわたしがこんな目に遭わなくてはならないの。わたしが何をしたというの……お父様……わたし、王妃にだけはなりたくない……ニコラウスと旅に出たい……」
慰めてくれる者はいない。ニコラウスがメリッサと共に蛮族の国へ行くことはできないのだ。
※
「王よ、お願いがあります。せめて国境まで、花嫁に付き添わせて頂きたいのです」
「なぜだ? 護衛がいるからお前は必要ないだろう」
「万全の体調で姫様を嫁がせたいと思いまして。それに、道中病気や怪我などありましたら、困るのは魔国でございます」
「……フン、いいだろう。側仕えもいないことだしな。なら頼んだぞ」
花嫁行列の数日前、ニコラウスは思い切って王に申し出た。蛮族の国へ共に行く事は無理でも、国境までならメリッサの侍医として行けるかもしれない。
そのあとは……。
一方王太后は、例え蛮族国といえど、侍女の娘メリッサが王妃になることに我慢ならなかった。それに、万が一蛮族国が再び敵国になれば、メリッサが蛮族の王との間に産んだ子供が魔国の権利を主張してくるかもしれない。
それならいっそのこと……。
薄々王太后の陰謀に気付いていたニコラウスは、密かにメリッサ救出と魔国脱出の計画を立てた。




