5、王子様
オクルスはヴァランを連れて階段を上る。できるだけヴァランの歩幅にあわせて、いつも使っている部屋までたどり着いた。
扉を開ける。椅子に座って、何かの書類を確認しているエストレージャがいた。扉の音で金の瞳がこちらに吸い寄せられるように向けられた。
そんな彼を見ながら、オクルスは首を傾げる。
「お忙しい王子様はまだ帰ってなかったの?」
「お前を待っていたんだが。鍵もかけず、でるわけにはいかないだろう」
窓から出て行ったオクルスだったから、人がいないと不味いと思ってくれたのだろう。この男は基本的に真面目なのだ。
「ああ。言ってなかった? この家、侵入者は排除するから」
「は? 家が?」
「私の力を知っているでしょう? 私が許可した人しか家に入れないようになっているから」
ぱちり、と金の瞳を瞬かせたエストレージャが、可笑しそうに口元を緩める。
「……そうか。お前の力を忘れていたな」
不必要には立ち入ってこないエストレージャらしい。
今のオクルスを完全な孤独にしていないのはエストレージャであり、孤独を実感させるのもエストレージャなのだ。
この男がいるときは孤独じゃないせいで、この男が全く来ないときの部屋の静かさを引き立たせる。
そんなドロリとした思考を振り払うように、オクルスは明るい声を出した。
「君だって、いつも勝手に入ってくるでしょう? 扉が勝手に開いているはずだけど」
「お前が毎回、開けているのかと」
「そんな面倒なこと、しないよ」
訪問者が有害か無害かを自分では確認せず、物に――この塔に行わせる。その感覚は「普通」ではないのだろう。
理解不能、という顔のエストレージャだったが、諦めたように息を吐いた。
そして彼がチラチラと何度も視線を向けていた先、ヴァランを見ながら、恐る恐る口を開く。
「それで。さっきから気になってきたんだが。その子ども、どこから攫ってきた?」
「攫うとは人聞きが悪い。預かっただけだよ」
「……お前に預ける人間が?」
疑いを隠そうともしないエストレージャに、オクルスは不満に思う。
「私をなんだと思っているの?」
「人間から怖がられる代表」
「ひどい」
事実であることが、余計に腹立たしい。
『物従』。物を従わせる。それは、相手の物、自分の物、区別なく可能。
極端な話、相手の衣服をいきなり操り、窒息死させることが可能。
人を殺める予定はないため、真剣に考えたことはないが、他にもいろいろできるはずだ。故に怖がられる。
それだけではなく、オクルスの魔力量が膨大であることも、怖がられる要因。
自覚はある。しかし、実際に言われるのは嫌だ。不満を込めて睨みつけるが、エストレージャは気にしない。
「それで、どこの子だ?」
「えー、孤児院だよ」
「ああ。確かにあの魔力暴走はそのあたりだったな。その子どもが?」
「そうだよ」
エストレージャの金の瞳に見つめられ、ビクッとしたヴァランが、オクルスの後ろへと隠れた。
それを見て、エストレージャは声を上げて笑う。
「はは。お前にしては、随分と懐かれたじゃないか」
「……」
ヴァランからぎゅうっと服の裾を掴まれ、オクルスは苦笑した。
「この人、怖くないよ。王子様だけど」
「おうじさま?」
「本物だよ。本物」
「おい」
普通なら不敬にあたることをオクルスは言っているが、今更だ。エストレージャは咎めるような声は出しているが、真剣に注意する気もないはず。これよりも不敬な発言は普通にしている。むしろ、ため口で話していることを咎められてもおかしくはないのに、エストレージャは何も言わない。
「それで、魔力暴走については問題ないと報告しておいて。この子――ヴァランは私が預かるから、気にしなくていい」
「……分かった」
妙に億劫そうな声のエストレージャに、オクルスは首を傾げた。
「なんでそんなに面倒くさそうなの?」
「お前が子どもを預かるなんて、誰が信じるんだ? 説明が面倒だろう」
「よろしく」
「お前な……」
オクルスはエストレージャに丸投げをすることにした。エストレージャは嫌そうな目を向けてくるが、オクルスは知らないふりだ。
「だって、城は半分出禁だから」
「別に出禁ではないだろう」
「呼ばれたとき以外は来るな、仮に来るときは連絡をしてからにしろって言われてるから。君の父君に」
「……」
エストレージャの父親、つまりは国王陛下からそう言われているのだ。国王がオクルスをどう思っているかは知らないが無下にはされない。国に必要な存在、とでもいうところか。
エストレージャは諦めたように頷いた。
「それなら説明はしておこう。お前が後に呼び出されるかは知らないが」
「君が説明する方が無難でしょう。私に話が来ないようにしてね」
「お前な……。まあ、そうするが」
王子を顎で使っている状況。少しは悪いと思っている。
先ほどエストレージャが言ったように、オクルスが子どもを預かるという状況をすぐに信じる人はいないだろう。残念なことに。
オクルスは人を寄せ付けないと思われているから。オクルスの固有魔法や魔力量のせいで。
「こんなにフレンドリーなのに。なんでみんな怖がるんだろう?」
「マイペースの間違いだろう」
「えー? そんなにマイペース?」
「ああ」
エストレージャからは疲れたような目で見られた。解せない。
オクルスの思考はすぐに違う方へと向かう。机の上へと視線を向けたとき、動くぬいぐるみ、テリーを紹介しなくては、と唐突に思い至った。
「あ、そうだ。ヴァラン。テリーを紹介するね」
「おい、俺の名前よりもテリーが先か?」
「え? 言ってなかった?」
記憶を辿る。確かに、言っていなかったかもしれない。
自分に隠れているヴァランを見つめた。彼もオクルスのことを見ている。オクルスはエストレージャを指し示した。
「この王子様はエストレージャ・スペランザ。この国の……。第何王子だった?」
エストレージャのことを覚えていないわけではないが、王家には何人も王子や王女がいて、よく分からなくなる。
エストレージャが軽く息を吐いて答えた。
「適当だな……。第二王子だ」
「そうだっけ? 第二王子だって」
オクルスの影から顔を出したヴァランがじいっとエストレージャを見る。エストレージャが視線を合わせた。
「エストレージャ・スペランザだ。君の名前はヴァラン、で良いのか?」
「……はい」
「よろしくな」
「よろしく、お願いします」
恐る恐る、といった様子でヴァランは挨拶をしたが、それでも視線は不安げに揺れ動いている。
やはり少し怖がっている様子のヴァランに、オクルスは首を傾げた。
「王子様と会うのは緊張する? 王族と会うのは初めて?」
「えっと……。第一王女様、が、孤児院に来た……、じゃなくて。いらっしゃったこと、あります」
どうやらエストレージャの姉が孤児院に来たことがあるらしい。少し聞いたことがある。女性でありながら、王を目指す王女様。名前は忘れた。
「ルーナディア姉上か。あの御方なら行くだろうな」
エストレージャの言葉で何となく思い出した。ルーナディア・スペランザ。この国の第一王女。王を目指しているんだったか。実際に街にも足を運び、平民の生活を知ろうとする人、という話を聞いたことがある。まるで女神だという評判も。
そんな彼女なら、孤児院に行くのも不思議ではない。
それなら、王族であるエストレージャに緊張しているわけではないのか。不思議に思いながらも、オクルスはヴァランを観察していた。
ヴァランは、オクルスには緊張をしていなかったように見えたが。オクルスのことが怖がられることが多いため、少し新鮮な反応だ。