4、守りたい
「うわあ!」
オクルスは驚いた声を上げるヴァランを自身の前に乗せながら、箒を使って空から塔へと戻っていた。まだ子どもの彼は、箒に乗るという経験はないはずだ。しかし、怖がる様子はなく、下を覗き込んでいる。
「危ないから、あんまり身を乗り出さないでね」
「はい!」
もちろん風魔法で調整をしているため、オクルスが落としてしまうことは通常ならないと思う。それでも子どもは何をし出すか分からない、というのがオクルスの認識だ。
前世も今世も、子どもなど育てた記憶はないが。いや、きっと前世は覚えていないだけで、子どもはいたのだ。そうに違いない、と必死に思い込む。我ながら惨めだ。
ヴァランの荷物はトランクに入れてあり、それはヴァランが抱えている。こちらも風魔法で調整しているから、ヴァランの手が滑ったとしても落下はしない。
「大魔法使い様は、どんなところに住んでいるんですか?」
「街からは少し離れた塔だよ。大魔法使いと認められたときに、国から与えられたんだ」
「へえ。すごいですね」
素直に褒めてくれたヴァランは純粋な子なのだろう。オクルスはそれ以上は彼に何も告げなかった。
なぜなら。あの塔は、実際のところただの隔離場所だ。厄介払いに近い。
大魔法使いが、何をしでかすか分からない。だから、大魔法使いへの贈呈ということにしてあたえられたのが、オクルスの住む塔だ。
だから街からは少し離れた場所に存在している。それだけのつまらない理由。
「うーん……。多分君の想定より、良くないよ」
「そうなんですか?」
ふと思い当たる。オクルスの固有魔法やテリーのことを説明することもなくヴァランを連れてきてしまった。
さて、どうするか。仮にテリーを否定されれば、オクルスは子どもを相手に激高する可能性すらある。自分の価値を否定されるようなものだから。
「ヴァラン」
「はい」
名を呼ぶと、すぐに返事が返ってくる。自身の口から出た声がいつもより固いことを自覚しながら慎重に言葉を探した。
「私の塔で、何を見ても受け入れる、否定しないと、約束できる?」
そう尋ねながら、オクルスの口から嘲笑がこぼれそうになった。もちろん、自分への。
こんな酷い約束、あるだろうか。詳しくは何も伝えず、世界も知らない幼い子どもに、一方的に約束を乞う。なんて、非道。
箒の前方に乗っているヴァランの表情を見ることはできない。しばらく沈黙が流れる。箒が風を切る音が妙に耳についた。
「わかりました」
静かなヴァランの声。オクルスの願いを受け止めた彼に、逆にオクルスが困惑してしまう。
「いいの?」
「絶対、とは言えないけれど。頑張ります」
そう明るく答えたヴァランに胸が痛くなる。だって。
オクルスがヴァランを預かると言ったのは、ただの親切なんかじゃない。
オクルスの身勝手な、気持ち。
このまま1人でいたくないという我儘な心からの行動だ。
ヴァランは魔力が制御できるようになったら出ていく。それまでの束の間の孤独ではなくなる瞬間。ただ、それだけ。それだけのためにヴァランを連れてきた。
だから、せめて。この子どもを、大切に指導しよう。ちゃんと魔力を制御できるようにしよう。
それが、身勝手にヴァランを預かることにした、オクルスにできる最大限の罪滅ぼしだ。
◆
オクルスの塔に戻ると、人の気配があった。
「あれ?」
「どうしたんですか?」
「ああ、いや」
まだエストレージャがいたようだ。忙しい男なのに。魔力暴走の件の報告を待っていたのか。
「人がいるけど……。まあ、あの男は大丈夫」
「ひと? ご家族ですか?」
「うーんと……。家族ではないよ。友人が来ているだけ」
折角エストレージャがいるのだ。ヴァランを紹介しておいた方が、後で楽だろう。
オクルスが塔の入り口に立つと、オクルスが触れるでもなく、扉は勝手に開いた。
「え……?」
不思議そうにしているヴァランを見る。姿勢を正し、強張りそうになる口角を無理矢理上げたオクルスは塔の中を示した。
「改めて、ようこそ。オクルス・インフィニティの――物従の大魔法使いの塔へ」
物従の大魔法使い。「物」を「従」える、という意味から使われ始めた。それが世間からの呼び名。
目を見開いたヴァランの表情をじっと窺う。
前世の記憶があるオクルスには「自動ドア」という物を知っているから、ドアが勝手に開く状況も違和感なく受け入れるだろう。
しかし。この世界の人は違う。
物を触らずに動かすことのできる、オクルスの固有魔法の力。それは多くの人を怯えさせてきた。
怖がられるだけなら良い。それでも、どうか。オクルスと固有魔法を否定や拒絶しないでほしい。そんな祈りに満ちた感覚が胸中に広がる。
「すごいです!」
驚きに満ちた声。それでも嫌悪感はなさそうだ。オクルスは無意識で息を吐いた。その無限の広がりを持つように見える青の瞳は、オクルスをしっかりと見つめている。
彼が邪気のない笑みを浮かべた。
「もっと、教えてください」
「機会があればね」
ぼんやりと胸に温かい感覚が広がった。この子は、怖がらない。オクルスを、否定しない。それがどこまでも尊いものに感じられて。
この子を守りたいな、と思った。