39、レーデンボークの選択
そして、会議でヴァランの話が出た日。会議が終わった瞬間、オクルスは帰っていったが、レーデンボークは会議室に残っていた。
「なんで話を止めたんだよ、師匠。大事な大魔法使いが1人、いなくなるかもしれないんだろう? 放っておける問題じゃない」
「レーデン。あなたはオクルスさんのことを大して知らないですよね?」
ラカディエラに問われて、レーデンボークは瞬きをした。
「大魔法使いとして、4年くらいは付き合いあるじゃないか」
「それでも、ほとんど知らないでしょう?」
確信めいた声色に、ばつが悪くなってレーデンボークは目を逸らした。ラカディエラは丁寧な言葉使いであるのに嘘をつけない威圧感がある。
「師匠も知らないだろう」
「ええ。知らないです」
あっさりと返事をしたラカディエラに、レーデンボークは不満を言おうとした。しかし、彼女の憂うような表情に、言葉を失う。
しばらく、沈黙が流れた。レーデンボークがオクルスのことを考えていると、ぽつりとラカディエラが呟いた。
「でも、あの目をした人は危ないです」
「目? あいつはどんな目を?」
甘そうな淡い桃色の瞳。いつもなら思い出すことができるが、なぜか今日の瞳は思い出せない。
ふっと笑ったラカディエラは、やはり何かを憂いている。
「自分が死んでも、何かを守りたい。いや、むしろ、あの人は死について何も感じていないようでしたね。そんなことは興味がない、というように。恐ろしいほど、覚悟をしている人の目です」
自分が死んでも守りたい。それはまるで、愛ではないか。汚れがなく、澄んだ色の愛情にしか見えない。
それを、あんな普通の子どもに?
「あいつは、あんな子どもが好きなのか? 愛しているのか? あんな子どもを?」
「無粋ですよ。オクルスさんがどのようなお考えかはわかりませんが……。レーデンはヴァランさんと会ったこと、あったんでしたよね?」
「まあ、一応」
会った、と言っても固有魔法の調査のときだけだ。見目の良い少年だったと思う。基本的に俯いていて、表情はあまり覚えていないが。
「とにかく、オクルスさんを下手に刺激してはいけません。本当に孤立されてしまえば、何もできないでしょう?」
ラカディエラの言うことは、正しいのだろう。オクルスに本気で激怒されて、他国にでも逃げられてしまえば、こちらからは何もできない。
「師匠は、なんであいつが死ぬかは分からないのか?」
「私は死ぬとは言っていませんよ」
「は? 違うのか?」
「私は見えない、としか言ったつもりはありません」
それで思い出す。確かに、ラカディエラは「数年先の未来が見えない」と言っていた。それを勝手に勘違いしたのは、レーデンボークだ。
いや、本当に勘違いか?
死ぬ気かときいたとき、薄らと笑みを浮かべたオクルスが脳裏によぎる。
「でも、あいつは死ぬ気だろう?」
レーデンボークがはっきりと言うと、ラカディエラは悲しそうに俯いた。
「その可能性は否定できません。ただ、未来が見えないということは、確定していないだけの可能性もあります」
レーデンボークは、この師匠の見える世界をよく知らない。
「じゃあ、俺の未来は?」
「オクルスさんに振られます」
一瞬、何を言われたか理解できなかった。しばらくの間固まったレーデンボークは、思わず椅子を蹴って立ち上がる。
「……は? 俺は、別にあいつのこと……。は?」
「今、一瞬でも意識したでしょう?」
「……」
妙に速くなった鼓動に、レーデンボークは俯いた。蹴飛ばした椅子を静かに戻して座る。ラカディエラの言葉の意味を考えていると、彼女の声が届いた。
「私の今の一言で、あなたの未来は少し動いたかもしれません」
「……」
質の悪い冗談だが、未来の不確定さは理解した。冗談、であるはずだ。
混乱がしずまっていないレーデンボークを見ながら、ラカディエラが穏やかな口調で話を始めた。
「レーデン。私の魔法でも、確定していることはないのです。死ぬと予知していない人間が死ぬこともあれば、予想通りに亡くなる人もいます」
黙っているレーデンボークを見て、ラカディエラは口元に笑みを浮かべた。
「私は全てが見えているわけではありません。私はこの魔法を使うのは、あくまで、未来の悪いことを避けるためです。この世の全てを支配する気など、ないのですから」
レーデンボークは息を吐いた。この人は、この力を持つべき人なのだ。
本気になれば、世界を支配できるだろうに、それをしない。さらには、国からそれを強制もさせないように立ち回っている。
仮に国がラカディエラに世界を支配する目的で予知をするように脅せば、彼女は亡命するだろう。いや、この人は自害する覚悟すら持っている。
大魔法使いとして、最上級の存在。それなのに国政に大きくはかかわらず、目立たないように暮らせているのも、この人の力量だ。
そんな師匠を前にすると、レーデンボークは自分が何をすればいいか、分からなくなるのだ。
ぐしゃりと赤茶色の髪をかき上げたレーデンボークは静かに口を開いた。
「それじゃあ、オクルスの未来が見えないのは?」
「……それは、分かりません。今まで、そんなことはないので。ただ、あの方が言ったでしょう。手を打っている、と。それが関係あるのかもしれませんが。この世界の神が、予想もしていないことを、しているのでしょうか」
オクルスは何をしようとしているのか。神すら考えてもいないことをし始めた? 一体、何を。あの男の澄ました顔が浮かんできて、レーデンボークは顔を歪めた。
「それで、俺の未来は?」
「内緒です。基本的には問題になりそうな未来以外は口外しないと決めているので。オクルスさんに先ほど言ったのは例外」
ラカディエラの表情は、謎めいたものに見えてしかたがない。師匠の考えを悟るなんて、できないのだ。
ごちゃごちゃとした思考に、レーデンボークが天井に視線を向けると、静かなラカディエラの声がした。
「レーデン。1つ言えることとして、あなたには数え切れないほどの未来が選べます」
「……」
「どの道を選んでも、何かを後悔することがあるでしょう。人は、選ばなかった物の方が美しく見えます。だから、その中でもあなたが自分を恨まない道を選ぶのが良いと私は思います。師匠として言えることは、それだけです」
レーデンボークはラカディエラに視線を移す。にこり、と笑みを浮かべた彼女の感情はやはり分からない。
「それは、予言か?」
「いいえ。助言です」
自分の幼いときから魔法についても、日常生活についても面倒を見てもらったラカディエラからの言葉。
自分を恨まない。それは何だろうか。どうせ後悔するのなら、同じようにも感じるが。
オクルス・インフィニティを失うのは、国としての損失だと思う。しかし、レーデンボーク個人としては、どうか。
「……別に、俺はあの男と無関係だ」
どうでも良い。無関係。レーデンボークはオクルスが気に入らないし、考えても苛立つだけだ。
拳を強く握りしめ、椅子から立ち上がったレーデンボークは、それ以上何も言わずに部屋を出た。ラカディエラは制止してこなかったため、レーデンボークは振り返らなかった。
胸の中に浮かんだ薄い霧は、気のせいだったことにした。




