第七話 半分こケーキとチャームポイント
一
モニュメントを構成していた鉄板が堅い皮骨板に刻まれて飛んでくる。ボクは歩道橋の陰に隠れてやりすごす。ひしゃげた鉄板が目の前を転がっていった。亭羅野さんが走る。
二頭が正面からぶつかった。円形地帯の植え込みがバキバキと音を立てる。
「捨古! 理性を失わないで!」
長い尻尾を掴んで亭羅野さんが叫ぶ。皮骨板に肌を切り裂かれるのもかまわず。
野生へ戻った捨古さんは答えられないかもしれない。その瞬間だった。
「アタシだってモテたいんだよぉ!」
捨古さんの声だった。
「はぁ……!?」
思わず気の抜けた声が出て、亭羅野さんは投げ飛ばされた。駅ビルのガラスが割れる。
「肉食って美肌! 肉食ってフェロモン! 肉食って全てを手に入れるるるるる!」
咆哮混じりの声で捨古さんは話している。それは理性、と言っていいのだろうか。違う気がする。ボクが隠れている歩道橋の階段まで走ってくる。亭羅野さんが割れたガラス窓を踏み折って飛ぶ。もう一度捨古さんを抑えにいった。動揺しながら声をかける。
「に、肉にそんな効果はないし、捨古あなた、恋愛なんてバカバカしいって言ってたじゃん!」
ボクはどうやら肉として認識されている。臭いが相手を刺激しないように風下へ移動した。
「わかんねぇんだよ生来の肉食には! 亭羅野ぉ!」
捨古さんが吠えた。
「ティラノサウルスだからってチームでもかわいがられて!」
「あれは、気を使われてただけだし!」
「いいよなぁ肉食はぁ! 警察でもマッチョをとっかえひっかえしてたんだろぉ!?」
「そんなことしてない!」
怒った調子で亭羅野さんが叫んだ。背中の一番大きな皮骨板に噛みついて、投げ飛ばす。百貨店の壁に捨古さんが突き刺さった。
「いいかげんにして捨古!」
「アンタこそ……いいかげんにしなさいよ!」
突き刺さったまま捨古さんは言った。
「アンタが人間の恋人つれてるの見た時の絶望、わかる? 同じひとりぼっちだって、アタシが一方的に仲間だと思ってただけだって、アンタ見せつけて来たんだよ。だからアンタと同じことするの。肉食って八方美人になってやんの。アンタも食えればもっといいわ」
身をよじって皮骨板を壁から抜く。
亭羅野さんは荒い息のまま、答えた。
「自分の信じた道、進むんじゃなかったの」
かつての友の変貌を嘆いている。
「あなたが教えてくれたのに。情報に踊らされるより踊らせるほうに立つんだって、ブーム作るんだって、捨古は」
「もう疲れたんだよ……!」
捨古さんは前足で舗装された道路を掻く。瞬間、姿が消えた。
亭羅野さんは避けられなかった。
捨古さんは道路を蹴って跳んだのだ。大型恐竜の重量が伴った皮骨板が亭羅野さんの頭に突き刺さった。
「亭羅野さん!」
ボクは駆け出した。
「さよなら、亭羅野……」
捨古さんの声。
だが、
「捨……古の、……馬鹿!」
皮骨板は突き刺さっていなかった。亭羅野さんは牙で受け止めていたのだ。全身を使って振り回し、道路に叩きつけた。
皮骨板が、折れた。
ビルの間から光が差してきて、線路を照らしている。
朝だ。
「アタシの負けね」
捨古さんはモニュメントの台座に横たわったまま言った。
「肉にしなさいよ。この世は弱肉強食よ」
亭羅野さんは頭を振る。
「もう一度、立って。捨古」
亭羅野さんは小さな手を差し伸べる。
捨古さんは、ふ、と笑った。
「どうしてくれるのよ、アタシのチャームポイント」
割れた皮骨板が道路に落ちている。ボクはそれを拾った。
「生えてくるから大丈夫だよ」
「適当なこと言うわね」
「現代の恐竜は皆、遺伝子改良されてるんだ。オリジナルより頑丈で再生力も高い」
政府が配布していた図鑑の情報をボクは教えた。それから、手に持っている皮骨板がしっとりと暖かいことに気付いて、つい欲が出た。
「貰ってもいいかな、これ」
「好きにしたら」
捨古さんは笑いながら言った。亭羅野さんが重いまばたきをして、口を開く。
「あなたに『肉を食え』って教えたのは誰?」
二
捨古さんは自首した。
三
「これ、この間の事件だね」
すっかり顔なじみになった編集者が言った。
「はい」
「社会派に転向?」
原稿用紙越しにこっちを覗く。
「いいえ、理念は変わっていません」
「あっそう」
そっけなく答えて原稿をめくる。
「よくなって来たんじゃない。載せないけどね」
突き返された原稿を受け取って、ボクは席を立つ。
「ありがとうございました」
頭を下げた。
持ち込みの帰り道。
「どうでしたか?」
亭羅野さんが迎えに来てくれていた。
「だめでした」
「そうですか」
あちこちに包帯を巻いた亭羅野さんはボクの隣を歩く。オープンカフェにはいり、ケーキを彼女と一緒に選んだ。
「おいしそう」
ボクのショートケーキを見て亭羅野さんが言う。彼女のにんじんケーキと半分こした。嬉しそうな亭羅野さんが見れて、ボクも嬉しい。
テーブルの上を撮影していると通知が入った。『恐竜デザイナーの奇行 その本心とは』というニュースサイトのコラム。開いてみると捨古さんが手掛けたファッション雑誌の切り抜きや、デザイナーとしての言葉が引用されている。文章も中立的に見せかけてすこし、いや、かなり同情的だ。
最後までスクロールすると狗社さんの記事だった。
ボクはスマホを置いた。
四
駅前。
破壊された部分にビニールシートが張られただけで、人間と恐竜たちは何事もなかったかのように歩いている。モニュメントがあった台座には『改修工事』の看板が置かれていた。
白いスーツの男が喫茶店に入り、コーヒーとモンブランケーキを注文してクレジットで支払う。席に座る。
「ヘビーユーザーが一頭降りました」
隣の席にいた青いスーツの女がスマホを見たまま呟いた。
白いスーツの男は色付き眼鏡を指で上げる。運ばれてきたケーキを、フォークで刻む。何度も、何度も、何度も。
原型を失いクリームの塊になったケーキを男は口に運ぶ。女が続ける。
「当社としてはユーザーを失うことは避けたいため、今後のレンタルは考えさせていただきたいのですが」
「そのくらいあなたたちで穴埋めしなさい」
男は熱いコーヒーをあおる。
「なんのための企業なのか、もう一度よく考えてみては」
男は女にそう言って、喫茶店を出た。