第五話 先輩小説家と黒毛和牛と原稿
一
ボクは警察署に来ていた。
「ディノパシーの採用試験へ行った動機はなんだ?」
アベリサウルスの安部利さんがボクに質問する。
「怪しかったから、調べようと思いました」
ボクは正直に答えた。
「一般人が無茶をするな。死ぬ気か」
口は悪いが心配してくれているらしい。
調書を取っている警察官の方を見て、安部利さんは息を吐いた。
「亭羅野は今も走れるんだな」
彼は亭羅野さんの元上司だった。あれから刑事に昇進したらしい。恐竜塊事件の主犯とされたために亭羅野さんは警察の職を辞している。
「戻ってこいとは言わないであげてください」
「そのつもりはない。ヤツはもっとでかいことができる」
でかいこととはなんだろう。
「これで取り調べは終わりだ。もう行け」
聴く暇はなかった。
警察署の廊下に待合席がある。そこに亭羅野さんが窮屈そうに座っている。
「絞られましたか」
亭羅野さんは頭を壁にこすりつけながら言った。
「大丈夫」
「安部利は優しんですが厳しいんです。尊敬しています」
亭羅野さんが破壊した橋については、人命救助のためだったとして弁護士が話をつけてくれるそうだ。かなり凄腕の恐竜専門弁護士らしい。あの事故で死者が出なかったのは不幸中の幸いか。
ボクはディノパシーの本社から、採用試験の直後に攫われた。一緒にコンテナに入っていた暴力団員の会話も警察に話した。『加工場』の存在。
まだディノパシーには裏があると思っている。
考えていると亭羅野さんが頭をこすりつけて来た。
「もう危ないことはしないでくださいね」
ボクはその鼻先を撫でる。彼女はうっとりと目を瞑る。
二
頭をコンクリートの床にこすりつけながらアロハシャツの男は言った。
「申し訳ありません斗角さん、次こそ、失敗しませんで……」
男の名は猿田と言った。
猿田の頭をブランドモノの革靴が踏みつける。ミヂッ、と肉の潰れる音がした。
「当たり前です」
廃工場に響くのは冷たい声色だった。声の主は斗角と呼ばれた白いスーツの男。猿田の上司だ。踏みつけたまま、色付き眼鏡を指で押し上げる。
「俺が時間を浪費されるのが嫌いなこと、知っているでしょう。あの雌犬、いや雌恐竜か。生かしておけません」
「し、始末するんで。元マッポを」
「やりようはいくらでもあります。そして、今の質問で3ミスです」
斗角は足をどけると、渾身の力で部下の頭を蹴り飛ばした。
「運べ」
猿田は鼻血を垂れ流したまま両腕を引かれる。さっきまで同僚だった者たちに引きずられ外に停まっている冷凍車へ運ばれる。
「と、斗此さん! いやだ、いやだぁーッ!」
一時間後、猿田だったものは『加工場』へと配送された。
斗角はハンカチを取り出し、革靴に付いた汚れを拭き取るとそれをドラム缶に燃えている炎へくべた。
三
今日は照乃出版の創立記念パーティーがある。新作を描く度に通っていたら百合雑誌の編集者さんが「雰囲気だけでも味わっておきな」と言って招待してくれたのだ。
亭羅野さんも誘ってみたら承諾してくれた。浮かれたボクは最初毛皮のワンピースを纏っていこうとしたが、亭羅野さんの薦めで無難なスーツにしておいた。
パーティー会場はやはりというか、人間の方が多い。天井はこんなにも高いのに大型恐竜の一頭もいないのはもったいないと思う。
祝辞を読み上げるために登壇したのは一頭の始祖鳥だった。極彩色の羽根に煌びやかなグリッターを散らしている。
心の隅に捨古さんの顔が過る。あの日以来行方知れずだそうだ。彼女は無事でいるだろうか。
「もしもし」
後ろから声をかけられた。男性はドリンクも持たずカメラを構えている。
「一枚、お撮りしますよ」
ボクは亭羅野さんと顔を見合わせて、ポーズを取る。フラッシュ。目を閉じてしまったかもしれない。
「あなたですね、噂の恐竜エッセイストさん。あ、自分はこういうものです」
カメラマンはそう言って名刺を差し出した。新聞部の狗社剛とあった。
「よかったら仕事、回しましょうか」
「いいんですか?」
「ええ、なにせ気難しい大先生を抱えてまして」
「大先生?」
恥ずかしながら、新聞は読んだことがない。
「泥野翔先生。知りません?」
ボクはもう一度、亭羅野さんと顔を見合わせる。
著作とインタビューの教本をいくつか読んでから、亭羅野さんと一緒に泥野翔の家へ来た。昔ながらの平屋で小間使いのモノニクスが出迎える。応接間で先生を待っていると、見知ったネイルアートが扉の隙間に見えた。
「おっす、入間っち~」
やはりと思ったが、ここは暴走族の泥野の実家だ。
亭羅野さんが唸る。
「乱暴しないでしょうね」
「しないよ。それよりもさ、じいちゃんに用事なんでしょ」
狗社の紹介でインタビュー記事を書くことになっていた。
泥野が応接間へ入ってくる。
「手土産ある?」
「黒毛和牛10㎏なら」
「うーん、うちならそれでいいけど、じいちゃんを落とすのはムリかもね」
鼻を動かしながら、向かいの一人掛けのソファに座る。
「じいちゃんはねぇ、後輩の作品大好きなんだ」
「作品」
「作家の本能ってやつ。いや、めちゃ昔に知能強化手術を受けたとか言ってたからその影響かも?」
原稿のコピーは幸い持ち歩いている。
「読ませればいいんですね」
「そろそろ来るよ」
姿勢を正した。泥野は移動して窓枠に腰を掛ける。小間使いが扉を開けた。
この世で唯一の恐竜小説家・泥野翔が現れた。見た目には老いたデイノニクスにしか見えないが、深い洞察力と哲学を持ち、その鋭い爪で世界を描き出す巨匠だ。
「入間です。本日はよろしくお願いします。こちら、お納めください」
ボクは手土産の黒毛和牛と、鞄から出した原稿のコピーを渡した。一人掛けのソファに座った泥野翔は肉には目もくれず、原稿を掴んで目を通し始めた。
「この事件」
泥野翔は低い声で話し始めた。
「この事件、見ていたのか」
開いているページは、恐竜塊事件の章だ。
「君は、これがなんだったのかわかるか」
「いえ」
「遺伝子の記憶だよ」
泥野翔は原稿に視線を落としたまま続ける。
「我々の遺伝子には滅亡の記憶が残っている。隕石衝突、氷河期の到来、プルームテクトニクス、数々の仮説が唱えられている」
細長い頭を振った。
「しかしどれも違う」
「違う?」
「我々は遺伝子で知っている。我らが大量絶滅した、その理由を」
「それは……」
「わしも言葉にはできない。しかし、この事件は解明の一助となる。大事にしなさい」
原稿のコピーは綺麗に畳まれて、机に置かれた。
亭羅野さんは不思議そうな顔でそれを見つめている。
「なんでも聴きなさい。録音も忘れずにな」
泥野翔は手を膝の上で組んだ。
インタビューは滞りなく進む。気難しい大先生という前情報が嘘みたいに。
「今日はありがとう」
泥野が玄関まで見送ってくれた。ボクはお礼を言う。ネイルアートを磨きながら泥野はあさっての方向を見ていた。
「うち、あんたのこと嫌いだから」
「へ」
出し抜けに何を言われたんだろう。目だけが動いて、笑みの形に変わった。亭羅野さんは警戒音を出す。
「ティラを奪ったこと、いつか後悔させたげる」
何もされなかったが、まだ油断はできないようだ。
帰りの電車の中。
亭羅野さんは座席からはみ出したまま、考え事をしているようだった。
「絶滅した時のこと、覚えてるの?」
ボクは訊ねてみた。
「わかりません。あの日のことも、記憶が曖昧なので……」
彼女は片方の目で窓の外を見つめている。大事にしなさい、と泥野翔は言っていた。ボクは原稿のコピーが入った鞄を抱え直した。