第四話 フェスの暑さとアーバンダイナソー
一
ボクは亭羅野さんと一緒にフェスへ来ていた。
夏の日差しの中、ボクはお気に入りのバンド『KAIJU』を見てヒートアップする。ソデへ捌けるまで物販で買ったタオルを振り回し、気が付けばTシャツがびしょ濡れになって胸に貼り付いていた。
「人間は汗腺があるから大変ですね」
タオルで拭いた。保存用も買っておけばよかったなんて思っていたら、亭羅野さんの瞳孔が動くのが見えた。
遠くからステゴサウルスの皮骨板が近付いてくる。
「ひさしぶり、亭羅野」
「捨古……」
ただならぬ関係であることが分かった。
捨古さんは昔の同僚だそうだ。亭羅野さんがまだアパレルメーカーに勤めていた頃の。
服を着れない恐竜たちにとっては装飾がその代わりとなり、さまざまなシーンに合わせて組み合わせを変える。捨古さんのそれはフェスの現場でも浮いてない、動きやすい日除け布と上品なアクセサリーで飾られていた。そのセンスに、亭羅野さんが影響されてるのがわかる。
正直言って、負けてる。
「帰ってこない? あんたが抜けたプロジェクト全然進んでないのよ」
捨古さんはストローを銜えてノンアルコールカクテルを飲む。
亭羅野さんは頭を振る。
「そっちに未練がない訳じゃないけど、主婦もやりがい感じてるんだ」
「アンタはどこでもやっていけるもんね。八方美人」
ちょっとひねた声で捨古さんは言った。ボクが間に入ろうとすると亭羅野さんに頭で制止される。
「捨古こそ自分でブランド立ち上げればいいのに」
「悪いけど商売の才能無いのよ、アタシ」
「それは他の人に任せればいいだけだし」
「作るならアンタとやりたい」
亭羅野さんが押し黙る。
「肉食だからって暴力か家に籠ってるかの二択、バカげてるじゃん」
捨古さんはそう言って、名刺を置いて去っていった。
亭羅野さんには悪いけど、ボクはずっと捨古さんのセンスのことが頭にあった。
お洒落なんて自分に合わないと思ってずっと地味な服装を選んでいたけど、亭羅野さんの隣に立つ人間として恥ずかしくない格好があるんじゃないかって、不安になったんだ。
恐竜好きのするファッションってなんだろう。
二
「郵便です」
配達員のおじいさんは置き配の指示を無視してドアをノックしていた。ボクは段ボール箱を受け取ってそそくさと廊下を歩く。
「何が届いたんですか?」
「な、なんでもない!」
亭羅野さんの目を盗んで、服の入った箱を自分の部屋に置く。作家デビューもしてないのに貯金を使っていいのだろうか。いや、芸術家はセンスだ。外見にもそれがにじみ出ていれば原稿も採用されやすくなるかも。
鏡の前で纏ってみる。普段着ない服だから、ちょっと手間取る。
「入間さん?」
引き戸に貼り付いた。
「お買い物に行くんですけど、一緒にどうですか」
「あ、うん。ちょっと待って!」
慌ててファッションを完成させる。たぶんこれで大丈夫だ。
「行こうか」
原始を思わせる毛皮のワンピースに、ストーンを大胆にあしらった杖。ボクは石器時代の人類になりきった。
「ちょっと貸してください」
亭羅野さんが杖を手に取った。
顎で噛み砕かれた。
「相談してくれたらよかったのに。私、人間向けファッションの部署にもいたので」
亭羅野さんが買い物カートを押しながら言った。
ボクは地味なパーカーを纏っていた。
「変じゃないですか、これ」
「原始人よりはマシです」
恐竜好きするファッションを研究するあまりドツボにはまり込んでいたらしい。ボクは反省する。
「そういえば妹さんが居ましたよね。ファッションの話、しないんですか」
「妹はボクのこと『オトコオンナ』だってわかってたんで」
「オトコオンナ?」
亭羅野さんが首をかしげる。
「地味な服着て、そうじゃなきゃ皆と同じスカート履いて、目立っちゃいけないんです」
高校時代に叩き込まれた価値観。ボクはまだそれに囚われている。
「そんなことはありませんよ」
亭羅野さんは優しい声で言った。
ふと、見覚えのある皮骨板が見えた。肌とカラーリングを合わせた赤い日除け布。
精肉コーナーの前に立っている。
「捨古?」
亭羅野さんが声をかけた。捨古さんは緩慢な動きで振り返る。
「また会ったわね」
「お肉だよ、これ」
「知ってるわよ」
捨古さんはのそりと方向を変えて、カートを押して去っていった。そのカートには丸鶏の塊が入っている。
「変わったね……」
亭羅野さんは呟いた。
三
「草食動物が肉食に目覚めることも十分ありえるんだって。ずっと昔の、アーバンベアの事件で論文が有名になったみたい」
ボクはスマホを置いて箸を取った。向かいには煮物と野菜サラダを前にした亭羅野さんが居る。
「食欲、無い?」
「ううん。捨古のことが心配で」
ボクはちょっと嫉妬してたのかもしれない。
「ブランド立ち上げ、やってみたらいいよ。ボクだけじゃ稼ぎにならないし」
「そうじゃなくて、今日の様子もおかしかったし」
「お肉もおいしいと思ったんじゃない?」
亭羅野さんが目を瞑る。
「恐竜にとってのお肉ってそれだけじゃないの。本能を刺激する物なんです。野生に還って言葉が通じなくなった肉食の仲間を何人も見てきた」
「………」
「草食でそうなった例を見たことないから、なんとも言えないけど」
その後は、二人とも無言で食事を終えた。
四
持ち込みの途中、街で捨古さんを見つけた。
繕い跡のある布を被ってアクセサリーは大小がちぐはぐで、なんだか最初に遭った時とは違う印象だった。もしかしたらボクの知らないお洒落なのかも、なんて思う間もなく、彼女のあとをつけていた。
オフィス街に入っていく。恐竜用の地下通路を通ってビルへ入っていった。看板に書かれているのは『恐竜生活改善研究所 ディノパシー』。
エントランスに捨古さんの姿はなかった。どこへ行ったのだろう。
受付の女性に話しかける。
「すみません、ここに捨古さんが、知り合いが入っていったんですが」
「アポイントメントは?」
「ありません」
「アポイントメントのない状態でお繋ぎすることはできません。申し訳ございません」
受付は深く頭を下げる。
ビルから出たボクはスマホでディノパシーを検索した。ホームページには『恐竜のQOLを守るため……』と書かれている。
しばらくして、数頭の恐竜がビルから出てきた。
皆、目が虚ろだった。
「怪しい」
ボクは調査に移った。
株式会社ディノパシーは五年前にできた栄養サプリの会社だ。恐竜向けに調合を変えたサプリをいくつか出していて薬局でも売っている。成長中の企業。
念のため亭羅野さんにも聴いてみた。
「恐竜一課に居た頃、噂になっていました」
「どうして?」
「あまり外に漏らしてはいけないんですけどね。認められてない麻薬成分を使ってる嫌疑がかかったんです。結局出てこなかったんですが」
亭羅野さんは声をひそめて教えてくれた。
「怪しい」
ボクはメモを取りながら次の一手を考えていた。
リクルートスーツを取り出して、ボクはディノパシーに乗り込んだ。中途採用で。
「試験会場はこちらです」
パラサウロロフスの試験官が案内する。書類選考が通ったあと軽いテストをすると人事部の社員が言っていた。説明会では怪しい様子は見えなかった。
試験会場は普通の会議室だった。
「では、試験を始めます」
会議室にぞろぞろと恐竜たちが入ってくる。
一様に目が虚ろで妙な迫力がある。共通点は、草食恐竜だということ。
「草食でも食べられる、お肉のメニューを考えてください」
試験官が言った。ボクは手を上げる。
「質問いいですか」
「はい、えーと、入間さん」
「そちらの、草食恐竜の方たちが食べるんですか?」
試験官は首を縦に振る。
「現代には多様なニーズがあります。たんぱく質の確保は全人類、全恐竜にとって重要な課題ですが、食の楽しみを奪ってはいけません。人と恐竜がテーブルを共にすることを考えて、レシピを作成してください」
はぐらかされた。
ボクは試験用紙に大和煮のレシピを書き込んだ。草食の歯でも食べられるように柔らかく煮ると併記する。
「合格の発表は郵送でお送りします。おつかれさまでした」
試験会場を出たあと、ボクはエントランスへ戻らず迷ったふりをして他の部屋を覗く。そうこうしているうちに背後から襲われた。
五
ボクは意識を取り戻す。微弱な振動。どうやら車に乗せられている。
「警察関係です」
低いガラの悪い声。
「この人間が?」
冷たい声がする。
「例の部屋へ向かっていました」
視界は暗いままだ。目隠しをされているらしい。
「話を通しておきますから、いつもの『加工場』へ」
何になるかはわからないが、どうやら加工されてしまうらしい。ボクは抵抗した。
「まったく猿ごときが。抑えなさい」
冷たい声は命令する。ボクは肩を掴んだ腕に噛みつく。亭羅野さんの戦い方を思い出しながら。
腹を殴られた。
「手こずり過ぎです」
「すみません」
パトカーのサイレンの音がした。だけど、遠い。ボクは叫ぼうと思ったけど、胃液が出るだけでなにもできない。このまま、何かに『加工』されて、ボクは死ぬのだろうか。
風が吹く。
「なに?」
六
入間がディノパシーの件を訊ねて来た時から、彼女は準備をしていた。野生の勘を働かせるためにわずかな肉を口にして本社の前に待機していた。入間がビルへ入り、他の就活生とは共に出てこなかったのを見て亭羅野はすぐに走った。裏手からトラックが出て来るのを彼女は見た。
トラックと並走する速度が出せるのは亭羅野くらいだと警察時代も驚かれていたものである。入間の匂いがする。研ぎ澄まされた嗅覚が伝える。入間の体温が見える。彼女の不足遺伝子を補った結果備わったピット器官は思い人の気配を完全に捉えていた。
咆哮し、トラックにショルダータックルを食らわせる。コンテナがへこんだ。二度、三度。橋の上に差し掛かるとトラックが反撃して来た。幅寄せをして亭羅野を河へ落とそうとする。亭羅野は飛んだ。入間の居るコンテナではなく、運転席に亭羅野は飛びついた。巨大な牙を窓ガラスに突き立てた。運転手がハンドルを切る。
橋を完全に封鎖しトラックは横転した。急ブレーキした後続車両が玉突き状態で次々とぶつかる。
爆発。
トラックのエンジン部が爆発した。炎が上がる。野生動物が炎を怖がるというのは実のところ迷信である。でなくとも、最強生物であるティラノサウルスがこの程度の火の粉を怖がる道理はない。花のつぼみのように開いたコンテナの角に牙を立て、亭羅野は扉をはがし取った。
「入間さん!」
咆哮と混ざった声が入間の耳に届く。
二度目の爆発。
炎を跳び越えて、崩れ落ちる橋からティラノサウルスが飛んだ。亭羅野は入間を口の中へ入れていた。
七
ボクはなんとか生きている。
背中にやけどを負って内臓も破裂してたけど、生きている。今の医療技術に感謝しなくては。
ボクを攫った二人は暴力団かつ人間であり、ディノパシーは自分たちと何ら関係ない事件だったと記者会見で発表している。慰謝料も払ってくれないらしい。結局尻尾はつかめなかった。
「入間さん、着替え持ってきました」
亭羅野さんがお見舞いに来てくれた。
「ありがとう、そこに置いておいて」
「はい。……」
亭羅野さんが何かを考えている。
「あの、ですね、急にこんなこと言うのおかしいと思うんですが」
顔に届かない手をもだもだ動かしながら、亭羅野さんは恥ずかしそうに言った。
「ファーストキスだったんです」
ボクは口の中に入ってただけだ。
「キスじゃないよ、あれ」
「でもキスみたいなものじゃないですか」
「キスは、こう」
痛む背中を我慢しながら、亭羅野さんの頬にキスをした。