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第三話 冷えたカレー鍋と知らない悪夢


  一

「で、何を伝えたいわけ」

 目の前の編集者が言った。ボクは臆することなく答えた。

「理想です」

「はあ、入間さんあのねえ」

「これからの社会を生きる人々、その力になりたい。勇気を与えたいんです」

「百合雑誌なんだけど、うちの主力」

 編集者が頭を抱える。

「ティラノサウルスが暴れる小説が書きたいならそういうところに持っていってください」

 原稿を受け取った。


 結局就職は叶わず、書き溜めていた日記をさまざまな出版社にボクは持ち込んだ。だけど理解してくれる人はなかなか見つからない。持ち帰る日々が続いていた。

 部屋へ帰ると亭羅野さんが出迎えた。

「おかえりなさい」

 小さな手を鍋つかみが覆っている。

「ただいま」

 亭羅野さんと一緒に入れる店はあまりなかったので、こうして時々お互いの部屋で料理をする。

「今日もだめでした」

「疲れたでしょう」

「警察官に比べれば全然」

「比べなくていいんです」

 言われて、ボクは肩を竦める。


  二

『元気にしてるの?』

 電話口で母は開口一番にそうたずねた。

「亭羅野さんとまた会ったよ。お隣なんだ」

『そう』

「驚かないんだね」

『あんたが明るい声してるから』

 言われて、自分の頬に手を当てる。

 熱くなっている。

『昔から好きだったものね』

 違うんだ。母さん、昔あなたが“恐竜が好きだなんて男の子みたいね”と言った時とは、違う“好き”なんだ。そう言おうとしてやめた。笑みを含んだ母の声が聴こえてきたから。

『わかってる』

 スマホを持つ手の震えが止まった。

『式には呼んでね。楽しみにしてる』

「無理しなくていいから」

 PTSDはそう簡単には治らないはずだ。

『それでも見たいわ』

「……うん」

 通話は終わった。


 あの頃の“好き”ではないのはわかってる。

 でも、種族を超えて一緒になりたい願望なのかは、わからない。

 ただ亭羅野さんの隣にいたい。



  三

 その日もボクはスーツを着て持ち込み営業に明け暮れた。原稿の行先はまだ決まらない。

「今日はこのくらいにしておくか」

 スーパーマーケットに入った。野菜カレーの材料を一個一個、亭羅野さんの表情を思い浮かべて吟味して、セルフレジでもひとつひとつを確認するように袋へと入れていった。

 袋一杯の食材を手に、合鍵を使って亭羅野さんの部屋へ入った。

「ただいま」

 亭羅野さんはまだ勤務中だろう。暗い部屋の電気をつけて、背の高い流し台の前に踏み台を置いた。

 皮をむいただけの野菜を圧力なべ一杯にゴロゴロ入れて、水分はトマト缶だけ。そうしてIHのスイッチを入れる。豪快でこだわりの強い、父から受け継いだ調理法。

「早く帰ってこないかな」

 ボクはリビングのソファに座って、彼女の帰りを待った。


 いつの間にか眠っていたらしい。

 時計を見ると十一時を指している。

「遅いな」

 なべはすっかり冷えていた。スマホを確認するけど、亭羅野さんからのメッセージは入っていない。

「きっと忙しいんだろう」

 ボクはお風呂の用意をした。

 サイレンが聴こえる。

 かなり近い。スーツを脱ぐ前にボクはなんとなく、窓の外を見た。


 恐竜。


 群れというには、あまりにも雑然と、お互いを食い合うように、それは固まっていた。恐竜の塊。何が起こっているのかボクにはわからなかった。

 気が付くと部屋を飛び出していた。革靴の踵を踏みつけたまま走った。

 現場には人だかりができていて、誰かを押し退けなければ通れなかった。

「止まって!」

 人間の警察官が制止した。肩越しに塊が見える。近くのビルを破壊しながら塊は巨大化を続けている。このままでは住宅地までもを飲み込むだろう。

 立ち入り禁止のテープが張られていてそれ以上は近付けなかった。

「これは、なんなんですか」

「知らなくていい! 早く帰りなさい!」

「亭羅野さんは、いないんですか! 恐竜の警官は!?」

 警察官は何も答えない。

「亭羅野さんは……」

「遺伝子操作の弊害ではないんですか!」

 ボクの言葉を遮って近くにいた男が叫んだ。黄色い腕章はテレビ局の報道員だ。

「自然の摂理に反して恐竜を復活させた政府と研究機関はどう責任を取るのか!」

 報道員に共鳴して「そうだそうだ」「傍迷惑だ」と怒号が続く。

 ボクは耳を塞ぐ。

「恐竜は絶滅させておけばよかった!」

「やめてくれ!」

 ボクは渾身の力で叫んだ。

「亭羅野さんは、ボクのかけがえない、恐竜のお隣さんです! 彼女を救ってあげてください!」

 あの塊の中に彼女がいるとはかぎらないのに、気が付くとそう叫んでいた。

「なんだあんた! 恐竜の肩持つのか!」

「爬虫類に人間の心なんかわかるわけないだろ!」

 群衆の怒号はボクへと向けられる。

 聞き覚えのある咆哮がした。

「亭羅野さん!」

 恐竜の塊の頂上。赤い満月を背景にティラノサウルスの影が見えた。

「亭羅野さん! 亭羅野さぁん!」

「下がって!」

 警察官がボクの身体を群衆に押し込む。

 なんで。

 彼女の恐竜の本能は理性を凌駕したのか。

 人間のボクでは彼女の隣にはいられないのか。

 なんで。

「亭羅野さぁぁぁん!」



  四

「入間さん」

「はい」

 亭羅野さんがボクの前に座っている。頭を低く降ろして、目線を合わせていた。

「私たち恐竜は一度絶滅しました。琥珀に残っていた細胞から人間の手で再生されるまで、この地上に私たちはいなかったんです」

「それは、知っています」

 学校で習う歴史だ。ボクは手を伸ばした。亭羅野さんの鼻先を撫でると、彼女はうっとりと目を瞑った。

「私は人間を尊敬しています。器用で、不器用な、繁栄の先輩として」

「それって、どういう……」

「入間さん」

 亭羅野さんは頭を振る。

「なにがあっても、私はあなたを守ります」



  五

「入間さん!」

 頂上の影が動いた。

 そこからバラバラと、指揮系統を失ったように恐竜たちは剥がれ落ちていく。

 遺伝子に残された絶滅の記憶。大きく、今にもちそうな満月を支えようとしていた塔は、崩れていく。

「入間さん! 入間さん!」

 恐竜たちを踏み越えて一頭のティラノサウルスが、亭羅野が走る。その先に人間たちの群衆がある。

 ばらばらと逃げていく人間たちの中に、ひとりだけ逃げない者がいた。


 入間は両手を広げて亭羅野を受け止めた。



  六

「で、何を伝えたいわけ」

 編集者が言った。ボクは臆することなく答えた。

「理想です」

「はあ、あのねえ」

「これからの社会を生きる人々、その力になりたい。勇気を与えたいんです」

「百合雑誌なんだけど、うちの主力」

 編集者が頭を抱える。

「恐竜が暴れるSF小説が書きたいならそういうところに持っていってください」

「それから、愛です」

 突き返されそうになった原稿は、机の中ほどで止まる。

「愛を伝えたい」

 編集者は額を押さえて、それから原稿にもう一度目を通し始めた。


 部屋へ帰ると亭羅野さんが出迎えた。

「おかえりなさい」

「ただいま。今日もだめでした」

 ボクは皺だらけの革靴から足を抜いて、彼女に報告した。

「疲れたでしょう。主婦の私に比べたら、全然だろうけど」

「比べなくていいんだよ」

 ボクは言った。

 亭羅野さんは頭を下げて、届かない腕で恥ずかしそうに頬を掻いた。



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