第二十五話 それぞれの選択
ボクは素早く天井へ飛ぶ。
窓を突き破って入ってきたのはタクティカルスーツに身を包んだ男たちだった。小銃を携えている。サバイバルゲームが白熱して入ってきた、わけではないだろう。
「撃て!」
銃口がこちらを向いたので、ボクは天井を蹴って襲撃者たちの間へ落ちていった。一人の首を極める。
「あがっ」
「くそっ! 散れ、散れっ!」
リーダーらしき一人が指示を叫ぶ。ボクは飛び回って射線を掻きまわす。
「こちらへ!」
斗角が叫んだ。キッチンへ避難していた彼の車いすから四本のアームが伸びていた。五本指のその先には銃口が付いている。
ボクはカウンターの裏に潜り込んだ。
爆風。
「ニトロです。事前に撒かせて貰ってました」
「先に言ってほしいなぁ」
スプリンクラーが作動した。防火素材でできた壁と床を濡らす。
男たちは爆発で気絶している。二人ほど窓から外へ投げ出されたようだ。
「外へ出ましょう」
「いや、まだ囲まれてるよ」
気配を読んでボクは頭を振る。
斗角はぐっと奥歯を噛んで意識を集中させた。電動車いすが変形していく。
「屋上まで運んでもらえますかね」
翼の生えた車いすをボクは斗角ごと抱えあげた。
玄関を出た。狭い通路にはやはり襲撃者が待機していた。
「てえい!」
車いすを盾にして男たちを突き飛ばした。
「丁寧に扱ってもらえませんかね、高かったんですよ」
「人命が優先!」
文句を言う斗角を連れてボクは非常階段へ向かう。
階段でも襲撃者が小銃を構えていた。ボクは突き出した脚で銃身をいなして銃手ごと蹴り落とす。
屋上に到着した。
「いくよ!」
ボクは斗角を抱えたまま屋上を端から端へと走り抜ける。ひじ掛けのジェットノズルが開き噴射を始める。徐々に浮き上がりはじめた。
「入間さん、こんな時に申し訳ありませんが」
「なに!?」
「これ一人乗りなんですよ」
アームの銃口がボクへ向く。それを避けて手刀で切り払った。弾丸が詰まる音。
「あー、やっぱり」
斗角の疲れた声が聴こえた。
ボクは車軸にしがみつき、屋上から滑空した。
アームはもう攻撃を仕掛けてこない。
「せっかくなんで、白阿組にカチコミかけますか」
ジェットノズルが操作され軌道が修正していく。着地地点になりそうな所に瓦葺の大きな屋根が見えた。
「手伝わせようとしてるでしょ」
「平和のためですよ」
斗角の言葉を聴いて、ボクは鼻頭に皺を寄せる。
枯山水の上に着地する。
白阿組の本部では日本刀や銃を持った黒スーツの構成員がボクと斗角を取り囲んだ。
「ヤクザってのはどいつもこいつも、代わり映えのしない格好ですね」
今は斗角も同じ黒ずくめなのだが、思うところがあるらしい。
そんなことはどうでもいい。
「親分さんを出してくれるかな」
ボクは頼んだ。都合のいい返事は当然なく、男たちの怒号だけが響いた。
車いすのアームが増えた。ボクが切断した残骸を切り離して、今度は細い刀身を備えた四本が飛び出した。
「ここは任せてもらいますかね!」
斗角が言い終わるのも待たずボクは構成員の間を走り抜けた。刀を躱し、股の間をすり抜け、屋敷の奥へと滑り込んでいった。
渡り廊下に出る。人影。
「!」
「往生せいやぁ!」
長い渡り廊下の向こうでロケットランチャーを抱えた男が叫んだ。
飛んできたロケットをボクはプレシオサウルスの構えで巻き取り軌道を百八十度回転させた。
「うおおおおっ」
男が逃げる。ロケットは渡り廊下を飛び出して松の木を破壊した。
ただならぬ気配を感じた。
「あなたか。白阿組の親分さんは」
離れの茶室から出てくる影があった。
深い皺が刻まれた肌は浅黒く、藪にらみの両眼は鋭い殺気を放っている。
その左手に鞘に納められた脇差が握られている。
「お初にお目にかかる。白阿組の当主、白阿井伊之助である」
親分は頭を下げた。
「卵は持ってきてるか」
視線が合わないまま彼は言った。
「持って来ていたとしても渡しはしない」
「わかった」
井伊之助は脇差を抜き放った。
その時。
「お義父さん!」
張りのあるその声は、国民的恐竜歌手の府寺喉彦のものだった。
空を見上げる。彼が庭へと飛び込んでくるその最中だった。
「貴様か! お義父さんなどと言われる筋合いはない!」
井伊之助は脇差を天に突き出した。
「いいえお義父さん、聴いてください!」
「わしの一人息子を誑かしおって!」
着地した喉彦に向かって脇差を振るう。話が見えない。
「おかーさー!」
もう一体、小さな恐竜が飛び込んできた。
幼稚園にいるはずのアナだった。
「おかーさ、声、キコエタ! おかーさ?」
よたよたと枯山水を乱し、アナは転んだ。
それを見て喉彦は、ハッ、と表情を変えたように見えた。その時、ボクの中にあった一つの疑問に決着がついた。
「メスだったんですね、喉彦さん」
ボクは言った。
「ただの思い違いかと、思っていましたが」
喉彦は観念したように嘴を降ろした。
「僕は生まれた時からこうだった。世間の目を気にして隠してきたけれど、メスとしての自分を僕は捨てられなかった」
喉彦は言葉を続ける。
「そして恋をしてしまったんです。よりにもよって人間に、白阿組の若頭に」
「我が息子ながら吐き気がする、こんな恐竜に盛るとは!」
「違うんですお義父さん!」
喉彦はアナに駆け寄った。
「僕と喜忠さんはお互い、指一本だって触れなかった。その代わり話し合って決めたんです! お互いの愛の証を残そうと、それがこの子です!」
大きな翼に包まれて、アナはキョトンとしていた。
井伊之助の肩は震えている。
「べちゃくちゃと訳の分からんことを……」
「じーじ?」
アナが呟く。
母親の翼の下から出て来て、アナは脇差を構える彼に歩み寄った。
「じーじ、ナンデ怒ッテル?」
「うるさい! こんな、こんな恐竜に……!」
脇差が振り上げられた。
ボクは思わず目を背ける。しかし肉を断つ音は聴こえなかったし、血の臭いもしなかった。
玉砂利に突き刺さった脇差が、倒れる。
「こんな恐竜でも、我が孫だというのか……」
膝をついた祖父の頬を、アナは拭った。
数日後、ボクたちは隣町の産科に来ていた。
「つまりボクの体から万能細胞を取り出して、精子を培養する」
「それを私の無精卵に」
亭羅野さんはボクの言葉を受けて続ける。
不妊治療のエキスパート佐竹紅葉医師は頭をゆっくりと頷かせる。見た目は九十を越えそうなおじいさんだが、細められた目の奥には優しい光が宿っていた。
「そうなります」
「あの、副作用とかないんですか。恐竜だけど人間の腕が生えたり」
「鳥権団体の放送はショッキングでしたね。ですがあれは意図的な操作を行った例です。普通に受精させる分には起こりえません」
「普通に人間と恐竜の遺伝子を持った子供が生まれる」
「そうなります」
佐竹医師は両手の指を組んで、ボクを見つめる。
「成功率は現段階では六割ほど。まあ、気長に」
ボクはまだ信じられなかったし、亭羅野さんも首をかしげていた。
「お大事に」
受付の医療事務員の女性は今は眼帯をつけているけど、あの時ボクに卵を託した女性だった。
「ありがとうございました。本当に」
お礼を言われて、ボクは気恥ずかしくて頬を掻く。
病院を出て帰路につく。
あれからアナは白阿組に預けられた。跡継ぎとして育てられるそうだ。
斗角は銃創だらけになりながらも生きているらしい。昨日お中元が届いた。やめてほしいんだけど。
府寺喉彦は今回の件を自ら公表し表舞台を去った。たくさんのファンが彼、いや、彼女に追いすがり、失望し、呪いの言葉をかけた。だけど。
「今頃、新婚旅行かあ」
喉彦は若頭と共に南の島へと飛び立った。出発前に電話をくれたけど、その声は晴れやかだった。
「不妊治療の事も教えてくれましたし」
亭羅野さんがボクの顔を覗き込む。
喉彦の細胞から卵を培養したのも佐竹医師だった
実例をこの目で見ているボクたちは、安心して治療に当たることができている。
「おかーさ!」
ボクは振り向く。
アンキサウルスの親子が歩いていた。
「おかーさん! おんぶ!」
「はいはい」
小さな四つ足が丸い背中によじ登る。
「亭羅野さん」
「なんですか」
ボクはなんとなく寂しくなって、彼女の前足を掴む。
「どんな子でも、立派に育ててあげようね」
「⋯⋯ええ」
ボクたちは帰路を進む。
第二章 完




