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第二十四話 事件は恐竜ミルクの香り


 見知らぬ人から恐竜の卵を押し付けられてしまった。

「お夕飯の材料ですかね」

「いや違うでしょ。なにか事件の香りがする」

 ぐるぐる巻きになったタオルの間には携帯カイロがたくさん挟まっている。保温のためだろう。

 よく磨かれた表面に手を置いてみる、その瞬間、卵から振動が伝わった。

「えっ」

「どうしました」

「いや、あの、ええと……この子、もう生まれるかも」

 亭羅野さんが口をあんぐりと開けた。

 卵からの振動が大きくなる。

「あわわ」

「こういう時って、そうだお湯、お湯沸かして」

 亭羅野さんがキッチンへ向かった時だった。

「ピッ」

 たまごの表面にひびが入る。その隙間から、小さな声が聴こえる。

 一部がはがれた。

「ピー、ピュイッ、?」

 薄い膜の向こうから覗いているそれと、目と目があってしまった。

「おかーさ!」

 孵化したばかりのこの子の認識に、ボクは母親として刷り込まれた。


 殻を割る手伝いをして、膜を取り除いて、お湯につけて洗ってあげた。

「ピッ、クスグッタイ、ピューイ」

 高音の鳴き声と一緒に、舌ったらずな言葉が混ざる。

「もう喋れるんだねえ」

「卵の中にいる時から外の音は聴こえてるそうですよ」

 亭羅野さんがタオルで体を拭いてあげる。

 肘から指先まで渡った膜は翼竜の特徴だ。しかし二足歩行、頭の形、部分部分では見たことがあるようで、全体を見るとそうではない。ボクはただの恐竜好きでしかないけど、それでも既存の知識と一致しないということは。

「もしかして新種……!」

「おかーさ?」

 その子が首を傾げた。

「おかーさ、フタリ、ドッチモ、アナタノおかーさ」

「違いますよ、お母さんは別にいるんです」

 亭羅野さんが正直に答えた。

「ピュイッ」

 その子は長い尻尾を振り回す。

「アナタノおかーさ、タクサン、ピィー」

 呆然として天井を見上げる。ちゃんと伝わってるか微妙だ。亭羅野さんは尻尾の先を揺らしている。

「名前、つけましょうか」

「いいのかな、預かってるだけなのに」

「なんて呼ぶかわからないと困ってしまいます」

 クルリと、その子のつぶらな瞳がこちらを向いた。

「ピュイッ、ナマエ、アル、『アナタ』ナマエ、『アナタ』ワ『アナタ』」

 卵の中にいた時の記憶だろう。あの女性が母親だとしたら、ずっとそう呼び掛けていたのかもしれない。

「じゃあ、アナちゃんにしましょうか。今日からアナちゃんですよ」

「アナ? アナ!」

 その恐竜、アナはくるくると両手を振り回した。ちょっとだけ浮かんだ。


 夜に中央駅へ向かった。孵化したばかりのアナを抱えて。

「おかーさ、クル?」

 抱っこ紐に吊るされたまま、恐竜用ミルクに吸いついていたアナが呟いた。

「きっと来るよ」

「ピイ」

 バスのりば近くの喫茶店に入った。窓際の席は周囲全体を見渡せる。

 あの女性を探す。

 有線ラジオから府寺喉彦の歌声が聴こえる。彼を思い出すと胸がもやもやする。あのインタビューのせいではない。ずっと昔から。けれど、その違和感を口にしたことはない。

 夜が明けるまで待っていたが、あの女性は来なかった。


 アナが来て三日後。

「私たちで育てませんか」

 亭羅野さんは言った。戸籍登録の書類を持って。

「でもそれは」

「恐竜の成長速度は速いんです。このまま社会から隔離してしまうのはアナちゃんのためになりません」

 ボクは迷った。アナはボクたちの子供ではない。

 だけど、連日駅で待っていたけど、あの女性は現れない。

 アナは五秒くらいなら滑空できるようになっていた。

「……アナちゃんのためだからね」

「ええ」

 ボクはペンを手に取った。


 アナが来て一週間後。 

 亭羅野さんがアナを幼稚園に送り届けている時だった。

 インターホンが鳴る。

「はーい」

 ボクは配達かと思って、特に警戒せずドアを開けた。

「お邪魔しますよ」

 ドアの前にいたのは電動車いすに座った黒いスーツの男性だった。首にコルセットを巻いている。

 色付き眼鏡をかけたその顔は見覚えがあった。忘れるわけがない。

「斗角……!」

「ああ、復讐なんてしませんから。そんな元気もありません」

 ボクは構えていたが、その覇気のなさを見て言葉が真実だと悟った。構えを解く。

 コトコトと段差を乗り越えて斗角は玄関に入ってきた。

「資金もPM-Dinoの製造法も燃えてどうすることもできませんで、今は懇意の組に預かってもらってます。こんなでもコンサル的なことはできますから」

「なんの用だ。そもそも、どうやってここを」

「質問は無しで。卵、あるでしょ」

 リビングまで来たところで、首を曲げた。車いすを動かしてこちらへ向く。

 質問されるたびに攻撃していたあの時の残虐性を潜めて、斗角が言う。

「ウチの充良じゅうら組とちょいと険悪な、白阿はくあ組がカタギに産ませてしまいましてね。始末するってんで探しているんです」

「白阿組……」

「充良の親としてはそいつを材料に交渉を持ち掛けたいわけです。今時抗争なんて流行りませんからね」

 ボクは改めて周囲の気配を読む。

 マンションの下に車が停まっている。けど、運転手以外の気配はない。斗角は本当に話し合いだけでアナを奪いに来たらしい。

「アナちゃんを始末するつもりなら、渡さない」

「名前付けたんですか」

 斗角は首の動きだけで眼鏡を上げる。

「ウチの親の目的は卵を使った交渉ですが、俺の目的はちょっと違います」

「なんだって」

「卵の恐竜は、カタギのまま育ててほしい」

 ボクは耳を疑った。

「話はそれだけです。もう適当な店で無精卵を買ってるんで、そいつを持って帰りますよ」

「どういう心境の変化なんだ」

「恐竜と関わるのはこりごりなんですよ」

 斗角は疲れた息を吐いた。

「白阿組の刺客は引き受けますんで、卵は外に出さないようによろしくお願いしますよ」

「外に出さないように……たって、もう孵っちゃったし」

「何?」

 窓が割れる。


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