第二十二話 最後の晩餐は納豆で
一
2113年、日本は水虫菌に国会を乗っ取られた。
二
事件は三か月前にさかのぼる。
国際絶滅研究所から逃げ出した強化水虫菌たちは恐竜たちの鱗の隙間を住処として繁殖していた。
そしてある時から、言語を理解する者が現れた。
個体番号A-37564は宿主恐竜の声帯を占拠し、インターネット配信を介して声明を発表した。
「我々はこの地上の支配者である」
バーチャル恐竜チューバーの冗談としてこの声明は無視されたため、菌たちは大いに怒った。
菌は人間の足に手を広げ着々とその勢力を伸ばしていく。靴下や靴に守られた人間の足は快適でさらに菌は繫栄した。
ついには人間の脳に入り込み身体を完全に支配することが可能になり、今に至る。
「我々はこの地上の支配者である。貴様ら人類と恐竜類は我らの声明を無視したあげく、抗菌薬という毒をばらまいた。これは許されざる行為である」
声明は全ての放送局をジャックし全世界に注目されている。
「我らはこの地上の支配者である。これを認めぬ限り貴様らのあらゆる部位を痒くする」
声明は終わった。
強化水虫菌を世に放ったとして国際絶滅研究所は責任を追及されている。
菌に操られた者たちは革靴を一日中履き角質を乱雑に掻きむしって菌に適した環境を作っている。
地上は水虫に支配されていた。
三
「亭羅野さん、最近水虫が流行ってるみたいだけど大丈夫?」
「ええ、毎日清潔にしているので」
亭羅野さんは言う。
「足以外にも気を付けた方がいいらしいよ」
ボクは納豆をかき混ぜながら言った。
のどかな朝だった。
四
「ついに完成したぞ……強化水虫菌バスターだ」
製薬会社ワルクナイン(株)の研究所で猪木・ジェノサイド・寛治が呟いた。
強化水虫菌を99.9999パーセントまで殺菌せしめるが、人体と恐竜には無害。その矛盾をついに解消したのだ。
しかし猪木もまた保菌者であった。
「これは殺人である。製薬会社ワルクナインを爆破する」
猪木自身の口から犯行声明が発せられる。咄嗟に自身の口を塞ぐが足は危険薬品倉庫へ向かっている。
「おのれ!」
猪木は最後の力を振り絞ってフラスコの中身をあおった。ナノマシンで構成された薬剤は猪木自身の肉体を通って全身にいきわたる。
猪木の身体の水虫菌は完全に駆除された。
「早く国会に届けなければ……!」
猪木は研究所から脱出した。
「ということで、強化水虫菌の駆除に協力してほしい」
安部利は言った。
「いままでなにをしてたんですか」
ボクは思わずツッコむ。
「警察の保菌率をなめないで欲しい。雌雄関係なく水虫菌に乗っ取られていたさ」
猪木を保護した警察は機能を回復し、行動に移っていた。
「ナノマシンは素肌の肉体的接触によって伝染するらしい。我々にもナノマシンはいるが、原液を口にした猪木がやるのが確実だ」
「猪木さんの護衛をしながら水虫菌に乗っ取られた人間と恐竜たちを正気に戻すんですね」
「その通りだ」
ボクらは出発した。
国会へと向かう道すがら、菌に操られた人間が襲い掛かって来た。
「確保!」
ナノマシンを保有する機動隊が彼らを捕まえる。激しい抵抗にあっている。
「猪木、前へ!」
白衣姿の眼帯をつけた男性、猪木さんが護送車から現れた。抵抗を続ける保菌者に近付く。
「バスター注入!」
叫んで、張り手を食らわせた。
保菌者は顔に大きな紅葉を残し大人しくなった。
「次!」
「バスター注入!」
ナノマシンの注入は続けられた。
数台のトラックが突っ込んできた。保菌者による攻撃だ。
「猪木を守れ!」
恐竜たちがトラックを食い止める。亭羅野さんも一台跳ね返す。
ボクらは猪木さんを伴って国会へと潜入した。
議場の中心には男が立っていた。巨体と下垂した瞼は現総理・馬場広大だ。
「我々は水虫菌に降伏する。彼らは真にこの地上の支配者だ」
「言わせてるだけでしょう」
機動隊の一人が呟く。
「菌ですか」
猪木さんが驚いた様子で言った。言葉こそ総理そのものだが、既に水虫菌に乗っ取られている。
「我らは間違っていた。我らは菌を保育するための器でしかなかったのだ。であるならば、器らしく生きようではないか」
水虫菌は言葉を続ける。総理の口を借りて自己を正当化しようとしているのだ。
「隣人ではだめなのか」
ボクは言った。
「………」
総理が無言で右手を上げた。十体以上の大型恐竜が現れた。
ボクは始祖鳥の構えで恐竜たちを攪乱した。
「バスター、注入!」
猪木さんが叫びながら総理へ向かっていく。
しかし机を蹴りやぶったキックを腹に受けて猪木さんは跳ね飛ばされる。椅子を持ち上げて反撃に出るが連撃にも総理の巨体はびくともしない。警察はゴム弾の銃を装備しているが総理の身体に発砲するのを躊躇っている。
「猪木さん!」
ボクは恐竜たちを攪乱するので手一杯だ。
猪木さんは跳んだ。
「うおおおお!」
平手をしならせて唯一露出している素肌、総理の顔めがけて跳ぶ。
張り手を食らわせた。しかし。
「ぽうっ」
総理のチョップが猪木さんの背中に炸裂した。落下する猪木さん。
「今ので99.9999パーセントの同胞が死滅したが、この者の保菌量は並ではない。残った我々でも問題なく操縦可能だ」
その時、亭羅野さんが現れた。
「入間さん!」
総理の恐竜たちを食い止めるボクにわずかな余裕が生まれた。
「総理! 目を覚ましてください!」
ボクは跳ぶ。
「ち、近付くな、うおおおお」
様子がおかしい、一歩も動かなかった総理がボクを恐れている。
ボクは恐竜たちの間を飛んで総理を攪乱した。
「空中殺法か!」
総理が構える。だが遅い。
ボクはその顔に張り手を食らわせた。
五
「亭羅野さん、筋肉痛は大丈夫?」
「ええ、すっかり」
ボクは納豆をかき混ぜていた。
テレビでは総理の会見が行われている。事件の混乱を収めるために彼自ら奔走している様子が流れている。
「水虫菌たちはなぜあんなにボクを恐れたんだろう」
スマホにニュースが飛び込んできた。
『納豆菌の威力! 強化水虫バスター<改>発売!』
見出しと赤と黄色と青で彩られたサムネイルが踊る。
「これかあ」
「どうかしましたか?」
亭羅野さんがボクの顔を覗き込む。
「なんでもない」
ボクはスマホの画面をオフにして机に置いた。納豆を掻きこむ。
のどかな朝だった。
「あの、こんな時になんですが」
亭羅野さんがもじもじとお箸をこねている。
「子供、欲しくありません?」
ボクは納豆を噴き出した。
六
鳥類権利団体は政府に鳥権条約草案を提出した、鳥権認可まで秒読みとなった。
代表のレックスに記者が質問する。
「鳥権団体に鶏はいないのでしょうか?」
「彼等にその意思があればあれば加入することデショウ。我々は人間とのかかかわり方、その自由を尊重する」
レックスは言った。別の記者が手を上げる。
「では近い将来、焼き鳥が食べられなくなるのでしょうか」
「いついかなる時も、そのように歴史は変わって、変わっていきます。焼き鳥のない未来も悪くないものだと、人間たちが意識を変えていくことも、進歩ではないでしょうか」
レックスは冷静に対応した。
「ギュチィ」
レックスが突然鳴いた。その翼の付け根から、人間の腕が生えてくる。
「我々ワレは我は、ワレワレわ、ワレ、ワレ」
記者会見場は騒然となった。
レックスは違法遺伝子操作を受けたヨウムだったのだ。
この事件により鳥権条約は白紙に戻った。
しかし、いつか鳥たちの市民権も認められる未来は来るだろう。




