第二十話 ホルモンと鬼島の恋
一
「なんか最近、返信遅くない?」
丑松は鬼島にたずねた。有休を使って休みを合わせわざわざ鬼島の帰宅ルートにある居酒屋で待っている。ここまでして気付かないなら相当な朴念仁か、あるいは、まったく気がないかのどっちかだろう。
「実は気になる人がいてな」
後者だったか。丑松は頭を抱えた。しかし他人の恋話も丑松は大好物だった。
「ちなみに、誰」
「上司だ。写真がある」
鬼島がスマホを見せる。毎日ジムに通って日焼けサロンで肌を焼いてそうな油ぎったスーツの男性だった。
丑松は頭を抱えた。
「動画もある」
「いやいやいいって」
画面がスワイプされて動画が流れ始めた。
丑松はしかたなくジョッキを傾ける。
『やめちまえ、お前!』
最初に流れたのは怒号だった。背景はオフィスの会議室。先ほどの男性が恫喝する勢いで、プレゼン資料の粗を詰めている。その後も延々と声が続く。
「報告すべきか気になっていて」
「それをはよ言えっ」
丑松はジョッキを置いた。
「ハラスメントなら石清水ちゃんのとこでしょ、証拠も掴んでるし行ったら?」
「いやしかし、会社としては」
「下はンなこと考えなくていいの。サービス使ってる就活生にも悪いっしょ」
言われて鬼島は背筋を正す。大手リクルート会社の社員としての誇りを思い出したのだろう。
「でも、これだけじゃちょっと薄いかもね」
警察ならこの程度の恫喝は日常茶飯事だ、丑松の感覚では。
二人でパワーハラスメントの証拠を押さえることになった。
二
丑松の所属はマル暴なのだが、偽の関連性をぶちあげて潜入した。
「よろー!」
鬼島はおもわず頭を抱えそうになったが、部下の手前背筋を正し、丑松の偽のプロフィールを諳んじる。
「鹿児島支社から出向してきた丑松さんです」
「よろよろー! 鬼島ちゃんもよろー!」
「丑松さん、わからないことが有ったら遠慮なく質問してくださいね」
「りょー!」
ターゲットの名前は高圧ケイスケ。週六でスポーツジムに通い併設の日焼けサロンにも入っている。ロードバイクの趣味があり週末は坂を攻めているという。バイタリティの塊だ。
「そんな彼がなぜパワハラを?」
「わかりません、先週突然、爆発して」
動画で高圧に詰められていた部下、紅穂ヒロアキは話しはじめる。
「そういえば会議の直前、通っているジムで新開発のプロテインがすごく自分にあっていて……とか話していました。変わったことといえばそのくらいで……」
丑松は真剣に紅穂の話を聴いていた。
「顔が良いね」
「え? あ、ありがとうございます」
真剣に聴いていた。
「丑松さん、セクハラです」
「マジ?」
鬼島に指摘されて丑松はなぜか周囲を見渡す。鬼島は頭を抱えた。
「行ってみますか」
「そうだね」
高圧が通っているスポーツジム『テストステロン・ラボ』に到着した。
「新商品のプロテインでしたらこちらですね」
筋肉隆々のジムトレーナーが試飲コーナーへ案内する。
並んでいる袋の中から銀紫のパッケージに『メンズパワー』と書かれたものを丑松は手に取る。
「石清水ちゃんがいたらなぁ。いや、こっちの話」
「こちらのジム名前はテストステロン・ラボだが、ホルモン操作をしているわけではないな?」
鬼島の質問にトレーナーが両腕を上げて否定する。
「まさか、ホルモン操作には特別な認可が必要ですから。あくまで筋肉量が上がりそうな単語にあやかっているだけです」
丑松がプロテインを掲げた。
「なるほどねー。じゃ、このプロテイン買うわ」
「ありがとうございます! サービスでベンチプレスが付いてきますが、やっていきますか?」
「また今度で」
二人はスポーツジムをあとにした。
「そのプロテインになにかあるのか?」
「まー、実験よ実験」
丑松は給湯室でお茶を淹れた。社員に配っていく。
鬼島が口をつけたのを見て、丑松はスマホを操作した。
「鬼島ちゃん、これ」
子犬が悲しい目に遭う映画の予告編を見せた。丑松は彼と一緒に観に行ったことがあるが、鬼島は法律上の話をしていて一滴も涙を流さなかった。
しかし今の鬼島は顔を覆う。
「………!」
両眼に涙がにじんでいた。
「感情の振れ幅がでかくなってんね。これはあーしでもわかるわ」
「まさか、さっきのお茶に」
「実験つったでしょーよ」
プロテイン『メンズパワー』の効果がわかり、丑松は頷く。
「これは高圧を叩くだけじゃ収まらないかもね。ん、そういや紅穂きゅんは?」
三
男子トイレの個室で紅穂は息をひそめていた。
「いるのはわかってんだぞ、紅穂」
外にいる高圧が言った。
「俺はお前の為を思って言ってるんだ。なんでそれがわからない?」
ガタガタと個室の扉が鳴る。
「わかってるならできるよなぁ、なぁ!」
「ひいぅっ!」
扉が蹴破られた。高圧が襲い掛かる。
丑松が男子トイレに飛び込んできた。
「天誅!」
「ぐっ」
高圧の顔面をパンチして逮捕術で拘束する。
「大丈夫か、紅穂」
後から入ってきた鬼島が紅穂を救出する。
「は、はい」
紅穂は立ち上がって、丑松に頭を下げる。
「ありがとうございました」
「気にしないで。警察だしあーし」
「え、あ、そうなんですか」
大きな目を開いて、きょとんとした顔をした。
丑松は良いところを見せられたな、と心の中で自画自賛する。
鬼島は紅穂の肩を掴んで、顔を正面から見つめる。
「高圧さんのことは上に報告する。絶対きみに接近できないように掛け合う。だから安心して仕事をしてくれ。紅穂」
「鬼島さん……」
紅穂の頬が赤く染まった。
「ん、ん?」
丑松は見逃さなかった。
四
「でさぁ、そのまま二人? 付き合うことになっちゃって」
「よかったじゃないですか」
オープンカフェで、ボクと亭羅野さんは丑松さんの話に付き合っていた。
丑松さんはうなだれている。
「はぁー。せっかく警察以外の男、いいかもって思ってたんだけどなぁ」
「どっちがですか?」
「どっちも」
一応言っておくが、この社会では一妻多夫制は採用されていない。ボクと亭羅野さんは顔を見合わせる。
「ほんとさ! 女の子同士はいいけど男同士は無理!」
「そんなこと言っちゃいけませんよ。愛は自由なんですから」
「そうそう自由自由」
二人で丑松さんを嗜める。
「そういえば、その『メンズパワー』はどうなったんですか?」
「ああ、これから製造所行くとこ。一緒に行く?」
世界ハラスメント研究所に潜入した。
そこでは違法にホルモンバランスを崩し人間を感情的にする薬剤が作られていた。
「現代ではチップによってホルモンが完璧に操作されてるのに、なんてことを!」
亭羅野さんが叫ぶ。
「政府によるホルモン操作などディストピアの世界だ! 我々は自由のため抵抗する!」
研究員が恐竜のボディガードを繰り出してきた。
亭羅野さんが咆哮する。ボディガードたちは逃げていった。
「おのれ、ここまでか」
研究員がなにかのスイッチを押した。ボクは嫌な予感がする。
「逃げましょう!」
「ハラスメント死すとも自由は死せず!」
研究所は爆破された。
ボクたちは間一髪で脱出していた。
「自由とは一体、なんなんでしょうね……」
夕日を浴びて燃える研究所を眺めて、亭羅野さんは呟いた。
ボクたちは自由について考えながら帰路についた。




