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第二話 書けない履歴書とネイルアート


  一

 タイトスカートにも慣れてきた。

 面接からの帰り。

 白バイがとまっている。同じ警察官と話している亭羅野さんを見かけた。

 仕事の邪魔をしたら悪いなと思って横道よこみちに入ろうとした時だった。

「入間さん!」

 呼び止められた。

「何、常習犯?」

 アベリサウルスの鋭い視線がボクに突き刺さる。

「違う違う。お隣さん」

「ああそう」

「入間さん、奇遇ですね」

 亭羅野さんが近づいてくる。ボクは手を振った。

「事故?」

「はい。でも怪我人はいないので安心してください」

 亭羅野さんは牙を見せて笑った。

「じゃあまた、アパートで」

「同棲?」

 アベリサウルスの鋭い視線がボクに突き刺さる。

「違う違う。お隣さん」

「あっそう」



  二

 休日。

 亭羅野さんがたずねて来た。ボクはお茶を淹れた。

「警察の仕事って大変でしょう」

「楽しくやってますよ。私の天職です」

 ボクは彼女が職場で虐められてやしないかと不安だったので、少し安心した。

「先日の暴走恐竜、あれ、友達が入ってたグループだったんです」

「友達っていうと」

 昔会った、気安いデイノニクスを思い出す。泥野といった気がする。

「何度も訪問して、部屋にも呼んで、暴走はやめろと言っていたんですが、真剣には聴いてくれなくて。今回とうとう拘留することになって……」

 亭羅野さんはしょんぼりと頭を下げた。

「そうだ、入間さんからも言ってやってくれませんか」

「ボクが?」

「同じ肉食恐竜だから説得力がないと思うんです。うちの部署もそればっかりだし。お願いします」

 押し切られた。

「これ、私のラインです」

 流れで亭羅野さんと連絡先を交換した。


 三日後。

 オープンカフェの隅の席。亭羅野さんが隣に座っている。目の前にいるのに二人ともスマホを見つめている。妙な感じだ。

 拘留が解かれた泥野とビデオ通話が繋がった。

「こんばんは」

『うぃっす』

 軽い調子で挨拶された。

「さっそくで悪いんだけど、なんで暴走するの?」

 ボクは率直にたずねた。

『うちらの魂が囁くんだ。狩りを始めろってね』

「わけがわからん」

『本能ってヤツ。これは同じ肉食じゃなきゃわかんねえわ』

 ボクは亭羅野さんの顔をうかがった。彼女もため息をついていた。

「魂の声を聴くのはやめなさい。私たちが多様な社会に参画するためには秩序を守らないといけないの」

 警察としての言葉で亭羅野さんは言う。

「自制心を持つのよ」

『そんなもん何の役にも立たねえよ。実質肉食専用の刑罰なんていくらでもある。大人しくしてようが捕まる時は捕まるんだよ』

 亭羅野さんが言葉に詰まった。

『なめられちゃ終わりだ』

 そこで通話は終わりそうになった。けど、ボクは反論した。

「誰かを傷つけていい理由にはなってない」

『何? 人間も雑食でしょ。肉食うじゃん』

「食べるけど、からあげ好きだけど、でもそれは生きるためで」

『うちらだって生きるために走ってんの』

「我慢できないなんてダサい!」

 我に返って周囲を見た。カフェの客がこちらを見ている。

 ボクはすこし背中を丸めた。

「とにかく暴走はやめよう。今度は拘留だけじゃすまないから」

『……ご忠告どうも~、お隣さん』

 泥野は爪のネイルアートを見せつけて、通話を切った。


「あまり役に立てませんでした」

 ボクは亭羅野さんに謝った。

「いいえ、きっと届いてます」

「ありがとう」

 お礼を言った。

 泥野はなぜ、ボクが今でもお隣さんだと思ったのだろう。



  三

 その夜、ボクは明日の面接の準備をしていた。

 三十二枚目になる履歴書。『女』の字に丸を付けるだけでなぜか疲れて、ベッドに寝転んだ時だった。チャイムが鳴る。

「はーい」

 ドアを開けると長い爪が入ってきた。見覚えのあるネイルアート。

 泥野だった。

「ちょい付き合って」

 チェーンがいとも簡単に破壊された。

 襟首を銜えられた。落下防止の柵ごしに、公園の中央に黒い塊が見える。五頭のデイノニクスが座り込んでいる。

「やめ……!」

 言い終わる前に風圧に襲われた。ボクは三階の高さから落下した。下にあった駐輪場の屋根に受け止められてなんとか生きていた。

 公園からぞろぞろと、デイノニクスたちが集まってくる。今度はスウェットの端を銜えられて地面に落とされた。

「こいつ? ドロっちにナマこいたヤツ」

 そのうちの一頭と目が合った。ボクは身構えるが、足に力が入らない。声も出ない。荒い呼吸しかできない。

 冷たい視線が見つめている。

「住所くらい割れてんだよ。うちらの嗅覚なめんなし」

「ダサいとか言ったんだってね」

「生きてる価値ないって?」

 口々に言葉が降ってくる。

「……ボクは、そんなこと言ってない」

 呼吸を整えて、なんとか反論した。けど、外向きの言葉を忘れていた。

「いまボクっつった? メスザルなのに?」

 カタカタと歯を鳴らす音。

 嘲笑。

 嫌な記憶。

 道徳の押し付け放課後ボクはただ自分の自然なじゃあトイレも男子の使えば?だめだ。また声が出ない。だめだ。ここに居たら、だめだ。

 何とかして起き上がろうとした。しかし、いくつもの長い爪がスウェットごしに、ボクの体に突き刺さる。

『あなたたち、なにやってるの!』

 上から声が響いた。

 亭羅野さんが気付いたんだ。でも、もう遅い。階段を降りる時間はない。

 スウェットが引き裂かれる。

『やめなさい!』

 風を切る音が響いた。そして轟音。何が起こったのかと顔を上げると、駐輪場がぺしゃんこに破壊されていた。その上には亭羅野さんが立っていた。

「やめなさいあなたたち、傷害の現行犯だよ!」

 呆然と見つめるデイノニクスたち。

「マジ?」

 最初に声を発した一頭が宙を舞った。散り散りに逃げていく群れ。果敢に向かっていった者たちも巨大な足に蹴散らされる。

 亭羅野さんが暴れ終わるまで、ボクは頭を抱えて地面を見ていた。



  四

 ボクは頭を上げた。

 血に染まった亭羅野さんの牙が見えた。

「ごめんなさい、入間さん。私のせいです」

「………」

「また泥野たち、復讐しに来るかもしれません。引っ越しの手配はこちらでします」

「いや、要らない」

 ボクは震える足を叩いて、立ち上がる。

「ほら、口ゆすいで」

 ボクは公園の蛇口に近付く。何もないところでこけた。

「……ありがとう」

 亭羅野さんは膝をついた。


「あの日以来ですね、優しくしてくれたの」

 ボクは、耳を疑う。

「わたし、が、優しくしましたか?」

 外向きの言葉で彼女にたずねる。

「ええ、いつもおいしいご飯を」

「肉の入ったおかずを」

 彼女が笑う。

「そうですね。苦手だけど全部食べてました」

 初めて聴いた。感想をもらう前に別れてしまったから。

「どうせ怖がられるなら、それが活かせる職に就けばいいやって思って、ずっと頑張ってたアパレルの仕事も辞めて、警察学校に入ったんです」

 亭羅野さんは月を見上げる。

 冷めた月の光は、亭羅野さんの表情を浮かび上がらせる。

「先輩たちは優しかった。皆、なにかを諦めて来てる人たちだったから。私と同じだったんです」

 諦め。ティラノサウルスというだけで、肉食恐竜というだけで、諦めて来た数々の夢。彼女にはそれがいくつもあるんだ。ボクはようやく気付いた。

「怖がられても、誰かを守れるならそれでいいやって」

 公園の土に腰を下ろしたまま亭羅野さんは言った。

「わたしも、いや、ボクも! ……諦めてました。ずっと」

 立ち上がる。

 頭の中がぐちゃぐちゃで、うまく言葉にできない。

「我慢して、隠し通せばいいやって思い込んでて、それで、自分を偽って、誰かを傷つけて、バカみたいなことして……なのに!」

 亭羅野さんの目を見つめる。

 表情の読みにくい恐竜の顔。でも、今ははっきりとわかる。

 安堵。

「あなたが無事でよかった」

 亭羅野さんの言葉に、気付けばボクは泣いていた。



  五

 上は女物のジャケット、下は男物のスラックス。

 やぶれたスウェットを燃えるゴミに出して、リクルートスーツを着込んだボクは亭羅野さんとばったり出くわした。

「似合ってます」

 彼女は言った。

「亭羅野さんにそう言ってもらえると、自信が持てます」

 ボクは笑った。

「今夜空いてますか」

「? はい、非番ですけど」

「一緒に食事でも」

 性別欄を塗りつぶした履歴書を鞄に入れたまま、ボクは次の面接へ向かった。




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