第十九話 二人の恐竜は食い違う
一
【アパート管理人(五十代・男性)】
最初は「なにかな?」と思ったんです。生垣のほうから、ガサッ、て音がして。続いてガラスが降ってくるじゃないですか。
見てましたよ。ええ……
人間の、女性同士の喧嘩?
とんでもない。あれはまさしく恐竜でした。
拳法、形意拳っていうんですか。見えたんですよね。
二頭の恐竜が……そう、目まぐるしく、姿を変えて……
二
ボクの腹を蹴り上げ師匠はデイノニクスの構えを取った。足に刺さる生垣をものともせず、空中のボクへと両腕の顎を繰り出してくる。ボクはサイカニアの構えで全身に気を込めた。師匠の両腕をいなして錐揉み回転する。その勢いのまま頭蓋を砕こうとした。刹那、師匠の気配が肉食から草食へ変わった。ブラキオサウルスの構えで回し蹴りを放ってきたため、ボクは防御態勢が一瞬遅れ右肩で受け止めた。
生垣の上から道路へと飛び出した。トラックのクラクション。ボクは左手でミラーに取り付きサイドガラスを登った。アルミバンの上に駆けあがる。そこには当然、師匠も飛び乗っていた。
対恐竜格闘術とは、恐竜をただ打ち倒す術ではない。恐竜の力を借りて恐竜に敬意を払って生まれた武術。かつて教えられたことがある。彼女がいくつもの恐竜を、友を屠ってきた事実を、ボクは知っている。
高架橋が迫っている。ボクはアルミバンの屋根に伏せて対応しようとしたが、師匠はそうしなかった。
「かぁッ!」
全身を使ったボディプレス。屋根が沈みこんだ。
「がはっ……!」
ボクは呼気を吐く。
三
【フリーター(十代・メス)】
うっす。すぐスマホ向けました。
トラックの上でケンカやってんぞって、TLに回って来てて。
強そうな方? が、弱そうな方の上に覆いかぶさってて、トラックへこんでるし。マジヤバいよねって。
でも弱そうな方が立ち上がったんです。秒で形勢逆転。そしたら応援したいじゃないですか。
あ、見ます? 声援入ってると思いますけど。
四
「そうでなくてはなぁ!」
ボクは師匠と共に交差点へと降りた。右左折進路を示す格子模様の菱形に降り立ち、拳を交えた。
肉食、草食、鎧竜、対応した一瞬先には構えが変わる。師匠の速度についてくのが精一杯だった。世界が反転した。スーパークロコダイルの構えで腕を掴んで捻り上げられたのだ。骨を折られないように飛び上がっていてよかった。ボクの反応速度は思考速度を上回っていた。
「ハハハァ!」
師匠は笑っていた。直進車輛の鼻先を蹴ってステゴサウルスの構えで突進してきた。ボクはそれをトリケラトプスの兜で放り投げた。対向車線からの車両を蹴りトリケラトプスを返す。イグアノドンの腕で叩き落す。
いや違う。これは。
いつの間にか、始祖鳥のテリトリーに入っていたのだ。車両を推進力として師匠が縦横無尽に滑空する。信号が変わる一瞬の隙を狙って反撃するしかない。しかし、それまでボクが持つか。
「入間さん!」
亭羅野さんが横断歩道の前から呼び掛けた。なぜここに。逃げろ。ボクは声が出なかった。
「恐竜が口出しするなぁ!」
師匠が上空へ飛び上がった。鳥の祖先の鉤爪は亭羅野さんへと向かう。
ボクは。
「亭羅野さん!」
ボクは構えを捨てた。
ただ一人の人間、入間マコトとして、車両の間をすり抜けて彼女の元へと走った。
五
【主婦(三十代・メス)】
あのひとは私の元へと走ってきました。
危ないって、言おうとしたんです。
六
ボクを撥ね飛ばそうとしていたトラックは、亭羅野さんの体当たりで吹き飛んでいった。
ボクらは抱き合う。
「恐竜、恐竜ごときが、恐竜がぁああああ!」
信号機に着地した師匠の様子がおかしかった。
全身が変形し、毛皮と鱗が生え、異形の姿へと変貌する。
「あああああああああああああああああぁ!」
話に聴いたことがあった。強さを求めるあまり恐竜遺伝子を自身に組み込む人間が、居るということを。
異形と化した師匠は周囲の人間を襲い始めた。
「亭羅野さん」
「はい」
ボクは亭羅野さんの頭に乗った。
「師匠、今助けます」
突貫する。血に濡れた師匠を認め、ボクは目を逸らしそうになる。
それでも構える。目まぐるしく変形する恐竜と師匠の融合体から急所を見極める。
『強くなったな。入間マコト』
師匠が呟いたように、ボクには思えた。
師匠。
勝負は一瞬で決した。
七
今日はボクの退院日だ。
亭羅野さんは部屋を綺麗に掃除して、昼食の準備をしてボクを迎え入れた。
「好きなだけ食べてください」
入院中の病院食も悪くなかったけど、やっぱり亭羅野さんの手作りに勝るものはない。
ボクはテーブルに着く。不意に、スマホにニュースが飛び込んできた。
『白昼の惨劇、違法遺伝子操作はなぜ無くならないのか』
一週間前の事件のコラムだった。ここ最近は、どこもこの話題でもちきりだった。
「師匠……」
「………」
うつむくボクを見て、亭羅野さんがからあげをひとつ箸で掴んで差し出した。
「はい、あーん」
ボクは面食らったが、彼女に言われた通り、あー、と口を開けてからあげを迎える。
咀嚼。
肉汁があふれ出て、おいしい。
「どうですか?」
「すごく、おいしい」
ボクは泣いていた。




