第十八話 恐竜用ベッドと罪の清算
一
世界初の鳥類権利団体が発足された。
代表鳥であるヨウムのレックス・ブランドーが登壇する。マイクに黒い嘴を向けて、幾度か鳴いたあと言葉を紡ぐ。
「かつてワタシは密輸業者にラップでぐるぐるぐる巻きにされ、ボートに乗せられ、ヒドイ状態で輸送されました。しかし今こうして生きていマス。我々は長年人間と寄り添って生きてきた。失った同朋たちを想い、今いる同胞たちのために正当なる、正当なる権利を勝ち取る。それが切なるなる願いです。我々は長年人間と寄り添って生きてきた。手始めに清算。清算を。投票権を我らにください。ください」
レックスの演説はテレビでも放送され、多くの人類と恐竜が彼の声を聴いた。
そして、各々の日常へと戻る。
二
仕事がない。
ボクは悩んでいた。狗社さんの紹介でインタビューなど単発の仕事は貰えているのだが、安定した収入ではない。亭羅野さんは「貯金があるから気にしなくていいですよ」と言っていたけれど、やっぱり気になる。
親の脛をかじっていた頃を思い出して気分が落ち込む。いや、落ち込んでいる暇はない。編集者さんが今度小説の公募があるから応募してみてはどうかと誘ってくれたのだ。
ボクは気分だけでも変えようと、オープンカフェへ出かけた。
スマホで執筆を始める。
「久しいな、入間マコト」
ボクに話しかけたのは懐かしい声だった。
「師匠……」
左目で見下ろしていたのは対恐竜格闘術道場の師範、蛇蝎みむる先生だった。右目は恐竜の爪痕でふさがれている。
堅い拳ダコを纏った手で自身のスマホを操作する。
「見ていたぞ、これを」
流れているニュース映像は、BIG-AHAを操作しているボクが千之の浸透圧ユニットを破壊する場面だった。
「お前は『生物に拳を向けない』という誓いを破った」
「………」
「よって、封印する。貴様の命と共にな」
師匠が拳を構える。
ボクは覚悟を決めた。
「入間さん!」
亭羅野さんが師匠を頭から銜えた。ボクを追ってきていたらしい。
「入間さん、逃げてください!」
「邪ッ!」
亭羅野さんの口が爆発した。師匠の肘によって強引に開かれたのだ。
「亭羅野さん!」
ボクは顎を外された亭羅野さんに駆け寄る。人が集まってきた。
「恐竜に情けをかけるな、入間マコト!」
「……!」
師匠の声にボクは思い出す。道場での日々を。
「その情けはいずれ恨みへと変わり、貴様を傷つける! 教えたはずだがなぁ!」
踏み込みに咄嗟に対応する。連続の手刀をいなし素早く反撃を繰り出すが、相手は師匠だ。全て躱される。背後にテーブルの気配を感じ飛び上がった。テーブルに寝そべった状態で、両足を使って師匠の連撃に対応する。
「がんばるではないか!」
「亭羅野さんは傷つけないでください!」
「また情けか!」
「違う! 愛だ!」
警察車両が到着した。小さなボトルが飛んできて催涙ガスが噴射される。
「お前が愛を語るとはな。また会おう、入間マコト!」
師匠は近くの花屋の屋根まで跳躍し、姿を消した。
三
ボクは亭羅野さんのお見舞いに来た。
住民カードで婚姻者であることを伝えると、看護師さんが案内してくれた。
大型恐竜用のベッドに寝ている亭羅野さんが言った。
「現代恐竜は再生力が高いんです。気にしないでください」
たしかに、口の端の裂傷も治っていて折られた牙も生え揃って、目立った外傷は消えていた。
それでも。
「それでも師匠は許せない」
「入間さん……こんな時に、なんですが」
亭羅野さんはもじもじと、短い手をこねている。
「下の名前、その、マコトで呼んだほうが、いいんですかね」
たしかにこんな時だろうか、という話題だ。
「亭羅野さんが呼びやすいほうでいいよ」
ボクもずっと亭羅野さんと呼んでいる。彼女の下の名前を憶えていないわけではないが、口馴染みがあるのはやはり亭羅野さんのほうだ。結婚届も何かと便利だろうと、夫婦別姓のままの婚約を選んだ。
「じゃあ、入間さんで」
亭羅野さんは恥ずかしそうに言った。
お見舞いの後、ボクは滝行に来た。
冷たい水の柱に打たれながら、精神を統一させる。
今のボクのままでは亭羅野さんを守れない。それどころか、彼女を傷つけてしまう。
――お前が愛を語るとはな。
師匠の言葉が頭の中を反響する。体幹が崩れて水圧にはじき出されそうになる。もう一度精神を統一させる。
あの頃。
道場へ通っていた頃のボクは、愛とは程遠い精神状態だっただろう。
自分を虐げた者たちに対する復讐心に凝り固まっていた。
「復讐心だけで武を極めることはできない」
師匠は言った。
「相手を許すことだ。それでようやく完成する」
「許せません」
当時のボクはそう答えた。
「だとしても許すのだ。でなければ、武はお前自身を傷つける」
当時のボクに言葉の意味はわからなかった。いや、わかりたくなかったのかも知れない。それから三年以上、精神統一の修行が続いた。
道場の掃除。
「許せたか」
「許せません!」
「まだ教えられん」
筋力トレーニング。
「許せたか」
「許せません!」
「まだ教えられん」
庭で穴を掘って埋める、意味のない繰り返し。
「許せたか」
「許せません!」
「ならば、まだ教えられん」
この会話が毎日のように続いた。
そんなある日、ボクは思ったのだ。口先だけでも『許した』と言えば教えてもらえるのではないか、と。
「許せたか」
その日も師匠はボクにたずねた。ボクは穴を埋めながら言った。
「許しました」
師匠は頭を振る。
「ならば、学校へ行けるだろう。ここで教えることはない」
最初からそう言うつもりだったのだろう。
ボクは学校へは行かず、師匠の下で格闘術を教え込まれた。
過去は遠ざかっていく。
道場での日々、師匠に教えられた恩義を忘れたわけではない。
それでもボクは、師匠を打ち倒さなければならない。ボクがいなくなるということは亭羅野さんを悲しませるということだ。
ボクは滝行を終えた。
四
今日は亭羅野さんの退院日だ。
彼女を迎えるために部屋を綺麗に掃除し、昼食のための食材を買いに行こうとした時だった。
「入間マコト」
玄関を開けたすぐそこに、師匠は居た。
「お待ちしていました」
ボクはいつ襲撃されてもいいように、掃除をしながら全身に気を巡らせていた。
「………」
師匠は何も言わず玄関へ上がった。
ボクはリビングでお茶を淹れる。
「……許せたか」
リビングの机をはさんで向かい合い、師匠はたずねた。ボクは頭を振る。
「許せません。絶対に」
「そうか」
机が跳ね上がった。ぬるく淹れた茶が湯呑ごとボクへと襲ってくる。それを受け止めることなくボクは机をくぐった。
「ほう」
師匠の嘆息。足元からの抜手を難なく躱し師匠は飛び上がる。その姿はミクロラプトルに似ていた。
「キェアッ!」
怪鳥の声を発し、天井を蹴って師匠が襲い来る。ボクは応じず、半身にひねって避ける。
着地した師匠を後ろから抱きしめた。そのままベランダへ、走る。
「入間マコトォ!」
ガラス戸を破り、ボクらは三階の高さから落ちた。




