第十三話 キャトルブラシと流星群
一
最初の脱走者となったのはタワ・ハラエの原江だった。その顛末をここに記す。
「看守さん、背中が痒いんだけど」
研究員は看守ではないのだが、原江はこのように監視カメラに向かって要望を出した。一時間後、研究員が電動式のキャトルブラシ(恐竜が使う上でキャトルつまり牛用という名称は不適切だとする議論もあるが、報告書では便宜上表記を統一している)を原江の部屋へ持ち込んだ。同室のアルワルケリアの亞里亞は眠っていた。
「ありがとうね」
原江は取り付けられたブラシに背中をこすりつけて使用していた。三十分後、原江は次の要望を出した。
「なんか腹が減ったな。ごはんください」
研究員が恐竜用のペレットを持ち込んだ。
「これ味気なくて嫌なんだよね」
原江は文句を言ったが、残さず食べきった。金属の器が残された。
それから三十分後、原江は手慰みに金属の器を加工し始めた。鋭い歯と爪によって容易にアルミ合金は切り裂かれた。それをキャトルブラシの先に取り付ける。
扇風機のようなものが完成した。
「看守さん、見て見て」
原江は無邪気に監視カメラに工作を見せつける。そして固定していた本体部分を引きはがしたあと、金属部分を壁に押し当てた。壁材が崩れていく。
「おー、削れる削れる」
赤い光が部屋を埋め尽くす。
『緊急警報、緊急警報、恐竜の脱走者あり』
敏感な気性であった原江は警報に驚き、自力で壁を破壊して外へ出た。それに亞里亞も続いた。
彼の遺伝子には筋力強化が施されており全長三メートル足らずの身体ながら猛烈な破壊力を有していた。
二
警報が鳴り響く中、黒螺は考えた。
忍者の末裔である自分がこの国際絶滅研究所に連れてこられたのは、一族に伝わる秘伝の書が関係しているに違いない。
幸い黒螺には鋭いくちばしがあり器用な鉤爪がある。騒ぎに乗じてここを出ることは容易である。黒螺は嵌め殺しの窓ガラスを外した。
白いつなぎを着た者たちが芝しかない庭を走る。黒螺は飛んだ。
庭の上空を滑空し別の棟に移る。
白いつなぎを着た者の中に黒螺の姿を見上げる者はいなかった。首を限界まで曲げて周囲を警戒する。
「ミクロラプトルだ!」
声。黒螺を見たのは別の牢にいるスピノサウルスだった。
スピノサウルスから発せられた声に反応して白いつなぎを着た者が視線を上げる。黒螺は面倒なことになったと思った。場合によっては始末しなければならない。尾羽の隠し針を用意して黒螺は廊下を走った。扉が開き、白いつなぎの足が見える。黒螺はその間を風のごとくすり抜けて扉をくぐった。
「うおっ」
白いつなぎの者が声を発した。
細長い尾羽が扉に挟まれた。
「ピィッ」
激痛に思わず甲高い声が漏れてしまった。黒螺は己の声が嫌いだった。尻尾を引き抜こうと暴れる。
「D発生、D発生!」
白いつなぎの者はなにやらわめいている。
暴れつづけ、机の上の試験管や顕微鏡を倒して回る。
三
『緊急警報、緊急警報、恐竜の脱走者あり』
研究員の山田は防護服のジッパーを上げてトイレから出た。コンビニを辞めてもっと余裕のある仕事を、と研究職員のバイトへ移った矢先に起こった出来事だった。
「D発生、D発生!」
Dとは恐竜に被害があった時の符号だ。山田が見ると第三実験室の扉から青い尾羽が出ている。研究員がIDカードをかざしているが、操作パネルの調子がおかしいのか扉は閉まったままだ。
「失礼」
山田は近くにあった消火器を掴んで振りかぶった。扉がひしゃげて、青い尾羽の全貌が中へと入っていった。
しかしこの時、ミクロラプトルの黒螺が扉に当たったことにより、研究用の冷凍庫からある強化細菌が漏れ出していた。
四
原江と亞里亞は施設の庭を走った。
「逃げろ逃げろ」
「逃げろ逃げろ」
「逃げろ逃げろ、なんで逃げてるんだっけ、おれたち」
「逃げろ逃げろ、わからないけど逃げろ」
自分たちがなぜ逃げているのか考えることもあったが、それよりも脅威から身を隠す本能が勝った。足を掻く。
『緊急警報、緊急警報、恐竜の脱走者あり』
警報は庭にも鳴り続けている。
角を曲がる。そこでは研究員がバズーカを構えていた。
「ウワーッ」
網が射出されて亞里亞が捕まった。
「亞里亞!」
「もうだめだ」
網には恐竜を沈静化させる薬物が塗布されている。原江は網を避けてさらに逃げた。壁を破って逃げる。逃げる。逃げる。
原江が壁を破壊し続けた結果、閉じ込められていた恐竜たちが庭に出て来た。
五
「泥野先生、出られそうです」
覗き穴がある首元を、壁の穴から出してボクは言った。
「わしはここに残る」
「しかし」
泥野は首を振る。
「君たちは行きなさい」
研究所は蜂の巣をつついたような騒ぎで、大型から小型まで多種多様な恐竜が庭へ出てしまっている。防護服を着た研究員がネットランチャーで対応しているが追いついていない。恐竜同士の接触で怪我をする者も少なくないだろう。
「では、どうかご無事で」
ボクと石清水さんは外へ出た。
「亭羅野さんを探そう」
「は、はい」
庭を走る。
ふと、その恐竜が目に入った。
「わーっ! フクイサウルスだ! サインください!」
「い、い、入間さん、落ち着いてください」
ボクは駆け出した。石清水さんが引きずられているのもお構いなしに。
その後も普段見ない恐竜を見かけるたびにボクが駆け出すので、亭羅野さん探しは難航した。
六
庭では亭羅野さんは見つからなかった。
「まだ部屋にいるのかも」
「さ、探してみましょう」
破壊されていない部屋を選んで窓を覗いてみる。
咆哮。
「亭羅野さんの声だ!」
ボクは駆け出した。愛する恐竜の声を聴き間違えるはずはない。
辿り着いたのは『第十三実験場』と書かれた部屋だった。バイオセーフティーレベル4を示す黄色い看板が扉に貼られている。
「研究員証がないと開かないようです」
言った直後、壁に空いた穴から人体が飛んできた。大型恐竜の尻尾に吹き飛ばされた研究員だ。着ぐるみの帆で受け止める。
「大丈夫ですか?」
声をかける。息はあるようだ。
気を失っているのを良いことに彼の研究員証を拝借した。
室内は暗く、緑に光る柱が立っている。その中にボクは見た。
「亭羅野さん!」
着ぐるみのまま駆け寄る。
研究員たちは突然侵入してきたスピノサウルスに驚きバタバタと逃げ回る。いや、ひとり逃げない者がいた。柱の前に立つ背の曲がった小さな影。
「落ち着きなさい、着ぐるみです」
枯れた女性の声で影は言った。ボクらを看破した彼女は頭を下げた。
「国際絶滅研究所長のシェリル・洋子・アニングです」
ボクは息を整えて、洋子さんに質問した。
「亭羅野さんは、どういう状態なんですか」
「もっとも予言発生率が高くなっている個体のため観測カプセルに入ってもらっています。彼女の声は二十一の解析を通った後、0.1秒のラグでAIナレーターに翻訳されます」
「彼女が、予言をするんですか」
信じられなかった。
「件という伝説があります。予言する獣は……ホモサピエンスを含めて、世界各地で観測されて来ました。条件さえあれば、言葉を繰る生物であれば全てに発生し得ると私は信じております」
洋子さんは強化アクリルの向こうで目を閉じる。
「メカニズムまでは解明できていません。宇宙の情報を動物たちが受け取って未来を予見するのか、あるいは高次元存在の証明となりえるのか、我々には何も」
「彼女は無事に帰れるんですか」
ボクは一番気になっていたことを聴いた。
「予言を終えた者は体力を極度に消耗するため、こうしてPFCの中で保護しています。身体検査をした後、丁重にお返しします。安心してください」
高酸素溶解度の液体の中で亭羅野さんは眠っているようだった。
「念のためそれは着たままがいいでしょう。予言曝露の可能性がありますので」
ボクは着ぐるみに入ったまま腰を下ろす。
眠る亭羅野さんを見つめていると、彼女に繋がっているオシログラフに反応があった。
「来ます」
洋子さんが呟いた。
実験室が静まり返る。亭羅野さんの口元がわずかに動いた気がした。
AIで合成された機械音声が流れる。
『今年は豊作となります』
予言がなされた。
ボクは着ぐるみの中で汗を拭き、バタバタと走り回る研究員を見ていた。
後ろで石清水さんが息を吐いた。
「こ、こ、これだけですか」
「食料問題は喫緊の課題です。良い予言でよかった」
洋子さんが手慣れた手つきでタブレット端末を叩いている。
『また、小惑星が一か月後に地球と衝突します』
洋子さんの手が一瞬止まり、三倍にスピードアップした。
予言は終わった。
七
「入間さん、そろそろですよ」
亭羅野さんの声を聴いて、ボクはスマホを手にベランダへ出た。
すでに亭羅野さんが小さな手でスマホを掲げていた。ボクも録画モードにして夜空にカメラを向ける。
小惑星46610、通称ベシスドゥーズに、民間探査船フォックス・フロート以下二十機の無人宇宙船が体当たりを決行したのだ。洋子さんが政府に呼び掛け予測進路を再計算させた。
粉々に粉砕されたベシスドゥーズと宇宙船のかけらは流星群となって地球の空を彩った。光の筋がいくつも流れ落ちていく。
「綺麗ですね」
予言をおこなった当の恐竜は何も覚えていないようだった。小惑星衝突の話をしても本気で驚いていて、ボクの方が動揺したくらいだ。
「今年は豊作らしいよ」
「なんですか、それ」
この予言も覚えていないらしい。ボクは笑った。
八
また、これは予言されなかったことなのだが、今年は足の裏を痒がる恐竜が増えている。
国際絶滅研究所から漏れ出た強化水虫菌が流行っているのだ。




