第十二話 お墓参りの後は帆を立てろ
一
「ごみの分別がされてないんですよ」
「はあ」
大向さんの言葉にボクは返事をする。
「回覧板に書いておいたんですけどね、奥さんからも言っておいてください?」
「なにをですか」
大向さんはぐるりとあたりを見回してから、声を小さくして言った。
「旦那さんに、脂身を燃えないゴミに出すなって」
ボクはあくびをして訂正する。
「どっちも奥さんです」
「あら、そうなの? ごめんなさい失礼しました、オホホホホ」
大向さんは甲高い声を上げて、気まずそうに道路を渡っていった。
「大丈夫ですか?」
べランダから亭羅野さんが覗いていた。
「なんでもないよ」
ボクは頭を振る。
二
恐竜市民権が認められて十二年、ボクらは今でもこんな調子だ。
三
ボクはお墓参りの行きがけに、泥野翔先生の家をたずねた。
「じいちゃんならいないよ」
孫娘の泥野美言さんが玄関で出迎えた。
「留守ですか?」
「なんかねぇ、政府の要請」
「へえ」
ボクは気の抜けた声を出す。
「しばらく帰ってこないんだって」
「どのくらいですか」
「しばらくはしばらくだね」
ボクは腕時計を見る。泥野さんは目を細める。温かな陽射しが冬の寒さを和らげてくれる。
「文句なら政府に言いな」
泥野さんはなぜか楽しそうだった。
ボクは未鐘寺に来た。
「い、い、い、入間さん、お、お久しぶりです」
石清水さんが花桶を持って立っていた。
「鬼島さんと丑松さんは?」
「お、お仕事が忙しいとかで、お花だけ、こ、ここに」
「そうですか」
ボクらは墓地を歩く。
「あれから一年ですね」
未鐘家のお墓は質素ながら綺麗に掃除されていた。ボクは皆から贈られてきた花を生ける。ここに未鐘さんはお母さんと一緒に眠っている。
ボクらは手を合わせ、本堂へ向かう。
未鐘さんの父親である住職は、お経をあげたあと、話し始めた。
「拙僧の教えは届かなかったようです」
本尊に背を向けて彼は言った。
「目に見えるものに惑わされず、清い心を持てばよいと日々説教していながら、自らの家族は省みれなかった。それゆえに妻は薬に溺れ、一人息子も喪いました」
「届いていたと思います」
ボクは言った。
「未鐘さんは、息子さんは自分でできる範囲で正しいことをしようと、考えていたんだと思います」
「そ、そ、相談はして欲しかったですけどね」
石清水さんがボクの顔を覗いて言った。ボクはつい笑ってしまう。
「………」
住職は無言で頭を下げた。
「ところで最近、恐竜の檀家さんが次々と姿を消しておりまして」
「なぜですか?」
「世界の危機です」
住職は沈んだ表情を変えずに答えた。
ボクはまばたきをして答える。
「ディノパシーの検挙から政府が注意勧告を出したはずですが」
「大量絶滅の要因は一つではないということです」
大量絶滅。
膝に置いた手に力が入る。
「恐竜たちはどこに集められているんですか」
住職の代わりに答えたのは石清水さんだった。
「こ、国際絶滅研究所かと思われます」
四
国際絶滅研究所は高いコンクリートの壁に囲まれていた。
「け、見学許可が下りないか聴いてみます」
石清水さんが受付へ向かう。ボクは待っていた。護送車が入ってきてボクは門柱に体を寄せる。
声がした。
『入間さん!』
ボクは振り返る。護送車の後部に付いた嵌め殺しのガラス窓から見えたのは、亭羅野さんの目だった。
「亭羅野さん!?」
ボクは走る。助走する護送車に駆け寄ったがそれ以上どうすることもできなかった。
『入間さん、来てはいけません!』
「なぜここに、亭羅野さん!」
警備員がやってきてボクを引きはがす。搬入口のシャッターが閉まる。
石清水さんが走ってきた。
「石清水さん、亭羅野さんが!」
「い、い、一度、退避しましょう」
ボクの肩をつかんで石清水さんが言う。ボクは振り払ったが、彼女の左手が触れた瞬間、気を失った。
目が覚める。
「すみません、護身装置が作動してしまいました。すみません、すみません」
平謝りする石清水さんをなだめてボクは辺りを見回した。ピンクと紫で統一された内装。ファンシーなぬいぐるみがあらゆる場所に並んでいる。
「石清水さんの部屋ですか」
ボクはたずねる。石清水さんは前髪をいじりながら言った。
「はい、き、き、緊急避難で運びました。汚い部屋ですみません」
カーペットは綺麗に掃除機掛けされていて壁には埃取りが掛かっている。不潔さは感じない。が、どこか病的な空気を感じるのは何故だろう。
ボクは先ほどの光景を思い出す。亭羅野さんが絶滅研究所に運ばれていた。
なぜ? 住職は『世界の危機』と言っていた。亭羅野さんは『来てはいけません』とボクに言った。なにか関係があるのだろうか。
「見学許可は、お、お、下りませんでした。そ、それどころかバイオセーフティーレベル4の実験室として、し、し、し、施設の主要区画が隔離されています」
バイオセーフティーレベル4とは、毒性・感染性ともに強い細菌やウイルス、つまり病原体を扱っていることを意味する中で最強の隔離を意味する。病原体の例としては、たとえばエボラウイルス等が思い浮かぶ。
「病気なんですか、亭羅野さんは」
「い、今はなんとも、わ、わかりません」
麻薬取締官の石清水さんとはいえ、他の部門に立ち入るのは難しいだろう。ボクらは手段を失った。
だけど、あきらめてはいけない。
石清水さんの部屋を見渡すと、それが目に入った。着脱式の毛皮を纏ったティラノサウルスのぬいぐるみだ。
「恐竜になりましょう」
ボクは提案したが、石清水さんはわかってないようだった。
五
ボクらは映画の撮影所に潜入した。
「厚生労働省の者です」
石清水さんは職権を使った。人間が恐竜を演じるための道具が並ぶ特殊メイク室へ入る。大きな帆を背中に立てたスピノサウルスの着ぐるみに、石清水さんは左手をかざす。
「こちらの着ぐるみ持ち帰って詳しく調べさせていただきます。元の通りお返しできるとは限りませんが、よろしいですか」
嘘をつく時も、どもらなくなるんだ。ボクは思ったが、今は言わないことにする。
撮影所スタッフの女性は挙動不審でキョロキョロと周囲を見渡している。
「何か?」
「いえ、いえ! 持っていってください。……」
石清水さんに何かを渡した。
「連絡先です……」
スタッフの顔が赤くなった。ボクは思わず目を見開く。石清水さんは受け取った紙片を胸ポケットにしまうと、軽く微笑んだ。
「この件はご内密に」
「はい……!」
ボクらはスピノサウルスの着ぐるみを借りられた。
国際絶滅研究所近くの廃屋。破れたマットレスの上で寝泊まりしているおじさんがいた。
「なんだあんたら」
「緊急事態なので、ちょっとお邪魔します」
ボクは一言断った。それで承諾してくれたのか、おじさんはカップ酒を傾けて着ぐるみを抱え入れるボクらを見ていた。着ぐるみの前足にボク、後ろに石清水さんが入って、ジッパーを閉じる前に何度か歩幅を合わせる。
「行きましょうか」
「は、は、はい」
ジッパーを上げる。ボクらは帆を立てて出発した。
「がんばれよ」
おじさんは手を振った。
意気揚々と出発はしてみたが、やっぱり慣れない着ぐるみ操作でよろよろと千鳥足になる。
「ば、バレませんかね……」
「逆に調子悪そうに見えるかも……」
外に漏れない音量で会話する。千鳥足のまま絶滅研究所の前を三往復した。
警備員が集まってきた。
「はい、そこの恐竜、止まってくださーい」
護送車が来てボクらは研究所の中へ運ばれた。
車から降りると白い部屋へ通される。そこに見知った顔がいた。
「泥野翔先生」
研究員がいなくなったのを見計らって、ボクは話しかけた。泥野先生はこちらをギョロリと睨んで、目を閉じた。
「スピノサウルスの知り合いは居ない」
「ボクです、入間です」
「冗談だ」
着ぐるみのジッパーを開けようとしたら、泥野先生が喉を鳴らして警戒音を出した。監視されている。
「ここから出ましょう」
「それはできない」
泥野先生は頭を振る。
「やっぱり、病気なんですか」
「病気、か。そうとも言えるかもな」
含みのある言葉をつぶやいて、泥野先生は続けた。
「予言だ」
「……予言?」
「二十四年に一度、わしら恐竜の中に予言を発する者が現れる」
泥野先生は天井を見上げる。
「わしら恐竜には世界の演算装置としての役割がある。科学だけでは見通せぬ未来、あらゆる可能性を探し、絶滅を回避するため人間の手で復活させられたのだよ。政府は予言を発する恐竜を予測し、こうして集めている」
にわかに信じられない話だ。
「だ、だ、だったらなぜ政府は、こんなに厳重に、か、隔離するのですか」
後ろ足の石清水さんが質問した。
「予言は感染する。元来、限られた者にしか伝えてはならない呪言としての側面もある。口伝を通してその力を薄めなければ危険なものなのだ」
「じゃあ、亭羅野さんが連れてこられたのは……」
「あの者も来ているのか」
泥野先生は瞬膜でまばたきをする。
「発する者としてか口伝する者としてかはわからんが、ありえるかもな」
突如、赤い光が部屋を埋め尽くす。
『緊急警報、緊急警報、恐竜の脱走者あり』
アナウンスが鳴り響く。ボクは着ぐるみの中で身構えた。




