第十話 恐竜と友達になるのが夢だった
「こんばんは、俺は斗角です。自己紹介はこれでいいですか」
白いスーツの男は言った。
ボクは裸のまま車に乗せられ、廃工場へ連れて来られていた。両腕だけは自由になっている。
一部が崩れ落ちた天井から三日月が見える。
「ティラノサウルスを呼びなさい」
「………」
黙っていると、スマホが目の前に投げられた。
「呼び出しなさい。しばらく待ってあげます」
斗角はそれが最大の温情だとでもいうように、冷たい声で言った。周りでは斗角の部下が小銃や日本刀を手にして待機している。
「目的はなんですか」
一応聴いてみた。
「俺はあのティラノサウルスに用事があるんですよ、落とし前をつけるためにね。そして、今ので1ミスです」
背中を蹴られた。背後にいた者だろう。ボクは冷たい床に顔面から倒れた。スマホが胸に当たる。
「警察が突入した時はどうなることかと思いましたが、どうにか撒くことができました。俺はツいてるようです。新しいシノギもきっとうまくやれるでしょう」
「シノ、ギ、って」
「恐竜の売買です」
色付き眼鏡を上げて斗角は続ける。
「恐竜、あんなのが野放しで街を闊歩していること自体がおかしいんです。あるべき使い道を与えてやったほうが、お互いの為だとは思いませんか。2ミス」
背中を踏みつけられた。息が漏れる。
「恐竜協会との共同でね、恐竜を操作する技術を開発したんです。それがPM-Dino。人間にとっちゃ単に気持ちよくなるだけの薬ですが、恐竜に投与すると人の言うことを素直に聴いてくれるようになるんです。ついでに人間の血の味を覚えさせれば殺人兵器の完成です」
斗角は続ける。
「でも協会はやりすぎました。昔みたいに大人しくデモだけやってればよかったのに、がめつくなっちゃったんでね。まあしかし、あなたたちがめちゃくちゃにしてくれたおかげでPM-Dinoの製造マニュアルも手に入ったし、あのティラノサウルスを始末したあとは海外にでもトんでうまくやりますよ」
「呼びませんよ」
ボクはなんとか声を発した。
「亭羅野さんは、呼びません。死んでもあなたなんかに会わせたくない」
背中に体重をかけられる。喉を胃液が焼く。
「3ミス」
斗角は立ち上がった。
「お前の地獄行きは決まりました。ご愁傷さまです、雌猿」
首を掴まれて強引に持ち上げられた。下敷きになっていたスマホを斗角は取り出し、ボクの顔の前にかざした。網膜パターンでロックを解除する。連絡先を探されている。ボクは全身で抵抗した。
「呼び出しなさい」
スマホをもう一度顔の前にかざされる。亭羅野さんのアイコンが見える。
不意に、轟音がした。
廃工場の壁を破ったのは巨大な足だった。次に大きな頭が入ってくる。瞳孔が開いた瞳は、黒く、底が知れない。不釣り合いに小さな腕には鋭い爪が伸びていて、空中を掻くように動いている。鋭く並んだ牙が月の光を受けて、輝く。
亭羅野さん。
「来ましたね」
斗角の部下が小銃を構えた。亭羅野さんを銃弾の雨が横殴りに襲う。しかしそれをものともせず、跳ぶ。日本刀を構えた男の腕を鋭い牙が齧り取った。血しぶきが散る。
「最初から本気ですか。上等です」
ボクは肩に抱えられる。斗角はそのまま階段を上った。頭を揺さぶられて酷い気分だ。だけど、亭羅野さんが戦っている。日本刀が亭羅野さんに向かうが肌の表面を滑っていくだけで刃が立たない。一本が亭羅野さんの足に突き刺さるが柄を握っていた男は頭突きで吹き飛ばされた。骨が折れる音。血しぶき。効果がないと解った者たちは武器を次々と捨てて逃げていく。
先に小銃を捨てていた男たちがドラム缶を転がし始めた。揮発性の鼻をつく匂いにまた胃液が込み上げる。爆発。未鐘さんのそれとは爆発の種類が違う。炎が天井まで上がる。逃げ遅れた男たちが燃えている。肉の焦げる匂い。
人間の血を飲み、肉の焦げる匂いを吸い、亭羅野さんの気配が変わっていく。
「化け物ですね」
斗角はボクを投げ捨てて、隠していたロケットランチャーを構えた。ボクは斗角の足に噛みつく。
「こいつッ」
ロケットの狙いが逸れた。天井の穴から飛び出して空中で爆発した。ボクは顔を蹴られる。バキバキッ、と音がして足場が揺れた。
亭羅野さんが登ってきている。
「……ッ!」
斗角は懐から拳銃を取り出した。改造を施してあるみたいだが亭羅野さんの肌を貫通することはできない。弾丸が口の中に入った。
「はは、やった、やったぞ」
拡張弾頭にPM-Dinoの成分を含ませていたのだろう。しかし、効果は出ない。
足場が崩れて、炎の中へと落ちていく。斗角とボクは焙られながら床へと転がった。
「がああああッ!」
裸のボクは少しの火傷だけで済んだが、白いスーツに引火した斗角は悶え苦しんでいる。ボクは廃工場の外へと走った。斗角の姿が炎に巻かれ、亭羅野さんの足下に入った。
「ああああ、あ、ああ、あ、あ……」
ゴキン、と嫌な音がした。
亭羅野さんは何かを踏みつぶしたことも気付かないまま、ボクのほうへ向かってくる。燃え盛る廃工場を背景に、彼女の影から立ち上る闘気が見える。
本能が理性を凌駕してしまっている。あれだけの血を飲めば仕方ないだろう。
「亭羅野さん……」
恐竜塊事件の時を思い出した。
あの時の彼女も、同じ目をしていた。恐竜の大量絶滅。泥野翔はヒントをくれていた。恐竜たちは《《互いを食い合って滅んだ》》のだ。肉を求める本能に従うまま。
亭羅野さんをこのまま野に放てば別の恐竜を襲う。互いを食い合う連鎖反応が起こり、あの恐竜塊がまた発生するだろう。そうなれば、今度は人類を巻き込んで絶滅する。ボクは哺乳類の本能でそれを感じ取った。
できることはひとつしかない。
ボクは覚悟を決めた。
構える。
――学校に行けなかった十四の頃、恐竜に関係するならなんでもいいと、通ったのが対恐竜格闘術の道場だった。そこで免許皆伝を貰い、秘伝の暗殺術を教わった時、この力を生物に決して向けないことを誓った。――
今、その誓いを破る。
愛する恐竜のために。
トラックを追い越す速度で亭羅野さんが向かってくる。ボクはギリギリまでひきつけて廻り込む。膝裏の急所を爪先で刺した。膝を折った亭羅野さんの背中をすかさず駆け上る。人間の力で恐竜の太い首は絞め落とせない。代わりに左目を手刀で突いた。咆哮。ボクは宙返りをして草叢に着地する。視界を半分失った肉食恐竜に立体視はできないはずだ。しかし林の木々を避けながら亭羅野さんの気配はボクを追ってくる。これでいい。林を抜けて川が見えてきた。ボクは岩の間をすり抜け足が凍りそうになるのも気にせず水に入る。
左目から血を流しながら亭羅野さんは現れた。岩を踏みつけ、三日月を背にして咆哮した。
ボクは泣いていた。
愛する恐竜を傷つけたこと、自分の弱さ、亭羅野さんの苦しみ、それらすべてが悲しかった。
岩を蹴って亭羅野さんが飛ぶ。ボクは深みに全身を浸してそれを避けた。別の岩を蹴って亭羅野さんは水面に突き刺さる。その鼻にボクは踵を落とし、川の底に沈めた。屈折率を利用した単純なトリックすら今の彼女は気付けない。尻尾が暴れ、岩を転がしボクの方へとぶつけてきた。ボクは咄嗟に跳ぶが、肩に当たった。骨が外れる。
「………ッ!」
回転して河原に落ちる。水面から亭羅野さんが顔を上げた。咆哮。水しぶきが顔に当たる。
ボクは外れた肩を入れ直し、もう一度構える。
唸り声。亭羅野さんが鳴いている。その声にもはや理性は……――
「ニゲテ……」
亭羅野さんが。
亭羅野さんが泣いている。
視界が滲む。
「逃げません。ボクは、あなたを助ける」
震える喉で宣言した。
亭羅野さんが跳ぶ。ボクはその頭を、避けることなく真正面から受け止めた。
幼い頃、ボクは恐竜と友達になるのが夢だった。
恐竜の隣に居るのは、こんなにも苦しいのだとようやくわかった。




