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第六話 大河を駆けるは元奴隷の少年

 森を抜けたクロとカルネ、そしてミネ。彼らが辿る帰路は穏やかであるはずだった――そう、平穏という言葉が嘘にならない程度には。

 けれど、遠ざかる魔女の家とは対照的に、村へ近づくほどに喧騒が大きくなっていく。風がざわめき、人々の声が不穏に重なり合う。


 クロとカルネは目を合わせた。そのまま、騒ぎの中心へと歩を進める。


 村の広場――その一角には、衝突する二つの勢力があった。


 「なんですぐに助けを呼ばねぇ!!」

 怒号が空気を切り裂く。

 「うるさい!奴隷なんぞに助けを求めるものか!!」

 「それに、今は凄腕の冒険者二人が森に向かわれた!!お前らの出る幕じゃないんだよ!!」


 反論が投げ返される。


 「あの、村長、、、それは。」

 ミレが恐る恐るに発言をしたが怒声に罵声の中では、誰の耳にも届くことがないらしい。


 言葉の応酬が炎を巻き起こすように、村人たちと一団の男たちが激しく口論していた。その中心には、村の一番大きな家――村長の家が構える。

 クロはその一団の中に見覚えのある姿を見つけた。金髪を逆立てた大柄な男――ネロだ。


 「団長、それにお嬢!」

 ネロがクロとカルネの姿を認め、驚きと歓喜の入り混じる声を上げる。先ほどまでの怒声が嘘のようであった。


 「ミネ!」

 村長の背後にいたミレが、その名を叫び、広場を駆け抜けた。

 「お母さん!」

 ミネもカルネの腕から飛び降り、小さな足で全力で母に向かって駆ける。


 二人が抱き合った瞬間、村人たちの間から歓声が湧き上がる。その声には英雄的な救出劇への感嘆と、娘が無事に帰ってきたことへの安堵が混じっていた。


 だが、その歓声が収まると同時に、広場には奇妙な静けさが訪れた。

 先ほどネロが口走った言葉――「団長」が、村人たちの耳にこびりついている。

 「あの男が…団長?まさか、軍人だというのか?」

 低い囁きが村全体に広がっていく。



 そんな村人たちのざわめきをよそに、ネロはクロと図らずして再会できたことに、喜びを隠せなかった。


 「団長、まだ酒が抜けないのか?よっぽど千鳥足だったんだな!」

 ネロが豪快に笑いながら、クロの方に歩み寄ってくる。その姿は、まるで迷子の弟を見つけた兄のようだった。


 「ほっとけ。誰のせいだと思ってんだ。」

 クロが不機嫌そうにそっぽを向く。


 一時的ではあるが、ネロの中から怒りの感情はきれいさっぱり雪がれていた。

 それほどまでにネロにとってクロの存在は大きかった。まるで、荒野の真ん中で道を示してくれる一筋の光。かつて生きる意味を見失っていた自分を、剣と生き様で救い上げてくれた少年。その小さな背中はどこまでも遠く、届かないほど偉大だと思える一方で、時に吹けば消え行ってしまう弟のようでもあった。__ネロだけではない。第三師団に属する人間はクロに救われた身なのだった。


 「あなた達、こんな遠くまで見回りにきていたのね。ご苦労様」

 ネロ一行はカルネの労いを豪快な笑みで受け取った。

 「よくもまぁ、あんだけ飲んで動けるな?」クロが何か恐ろしいものをみたか様な表情でネロと、その後ろに控える彼の部下たちを観察した。


 「団長は今朝もグロッキーだったのか?」


 「えぇ、それはもう。」

 カルネがクスクスと鈴の様に笑った。


 「元来、鬼は飲兵衛じゃないのかよ」


 「健康志向な鬼なんだよ。」


 「嘘は駄目よ団長。下戸なの結構気にしてるでしょ?」


 「酒魔王どもめ!!」



 その様子は、平穏そのもの。これ以上はきっとありはしないのだと思えるほどに。


 だが、その空気はネロの不用意な一言で凍りついた。

 「それにしても、昨晩はお楽しみでしたね、お嬢。」

 カルネに視線を向けながら、にやりと笑うネロ。


 クロは振り返った――その顔は静かに険しい。

 「おい、ネロ。その話、詳しく聞かせてもらおうか。」

 「そりゃもう、酔いつぶれた団長があんな事やこんな事を……。()()()()()えげつなかったな。」


 ネロの言葉が途中で止まる。カルネが無言で微笑み、冷たい視線を送ったからだ。その視線を受けたネロの顔には、「失言だった」という明らかな後悔が滲み出ている。クロは自身の背後に立つカルネから不穏なナニカを感じ取った。__あぁ、これ多分カルネが凄い顔しているやつだ。そう思い、怖いもの見たさにクロは振り返る。


 「カルネ....」

 そう言い、クロが振り返ったとき、カルネは何時にも増して、完璧な笑みを浮かべていた。



 「昨日、俺に何したの。」


 「...記憶にございません。」

 カルネは凛として呟く。ヒモクレの花が閉じ込められた花氷を思わせる笑顔だった。ヒモクレの花言葉は__見え透いた嘘である。

 

 「ん?」クロがカルネの方に耳を寄せて、再度問い返す。


 「記憶にございません。」負けじとカルネも同じように返答をする。しかし、旗色が悪くなり始めたのだろう。彼女の頬に一粒、汗が垂れる。


 「オッケー、質問を変えよう。今まで俺に何してきた?」


 「そりゃ、ナニだろう。」

 ぼそりと、ネロが呟いたとき、彼の頭に音もなく、そして季節外れに、雹が降り注いだ。

 「痛てーーー!!」ネロが悲鳴をあげてもなお、カルネは笑顔を崩さなかった。


 「あの、、、、」と、一人の村人がその攻防に一石を投げ入れる。カルネがこれを見逃すはずもなく、直ぐに一連の会話を切り上げて「何でしょうか?」と、心なしかほっとしたように村人の前にでた。丁度、その時にネロを襲っていた大粒の雹が降り止んだ。「ふー、助かった…」




 「ええと、、、あなた方…軍の人なんですか?」


 その問いに対して、ネロが額を押さえながら答えた。

 「凄腕の冒険者ってのは団長たちのことだったんのかよ。まったく、そんな都合よく連中が村に訪れるはずがないだろう。」


 ネロがやれやれといった風に首をふった後、剣を地面に突き立てた。そして、「国防軍第三師団 クロ師団長殿だ...覚えておけ!!」と囃し立てるように口上を述べた。


 その名が響くと、村人たちはざわめきを抑えられなくなった。「奴隷クロ」と、かつて王都を戦慄させた少年が目の前にいる。その事実が彼らの狭い世界を激しく揺さぶった。


 「あぁ、なんて事を。」


 村長がふらふらとクロの元に歩み寄ってくる。一方のクロは待ち構えるように腕を組み、その様子を静観していた。それは彼の意思だった。しかし、きっと、クロの願いとは裏腹に事は動く。


 「お前のせいで、他の村に顔向けできん!」

 そう言って、村長はクロに詰め寄り、力いっぱいに胸倉を掴んだ。


 「元奴隷ごときに借りがあるなんて知られたらどうなると思っているんだ!お前、どう責任を取るつもりだ!」


 村長の声は狂気じみている。その全てが、「村の面子」という狭い了見に囚われている。


 クロはただ静かに、それを受け止めていた。無抵抗のまま。

 だが、カルネの目は見逃さなかった。彼の奥歯がぎりっと噛み締められているのを。


 「てめえ!」


 怒りが爆発したのはネロだった。金髪が逆立ち、火柱のように立ち上る闘気がその怒りの大きさを物語る。地面に突き立てていた剣を握り直し、一気に振りかぶる。そのあまりの殺気に村長は怯え、顔を覆って縮こまった。


 だが――


 ネロの剣が振り下ろされることはなかった。


 「何……!?」ネロが驚愕の表情を浮かべる。


 その刹那、剣の切っ先を掴む一つの手があった。それはクロの手だった。剣鬼が、闘気を纏った刃を止めている。


 その場にいた誰もが息を呑んだ。


 「クロ、何しているの!?...離しなさい!!」カルネも思わず役職を忘れて声を荒げてしまった。

 それもそのはず、

 闘気を扱う者であれば、誰しもが知っている。「生身で闘気に触れる」――それは自殺行為に等しい。纏われた闘気は刃を超えた破壊力を持つ。それに触れた者は皮膚を裂かれ、肉を抉られる――それこそ火を見るより明らかだ。


 だが、クロは平然とそれを掴み、微動だにしない。その手のひらから静かに赤い血が流れ、地面に染み込んでいく。それはまるで、涙のように零れていた。


 「ネロ、剣を鞘に戻せ。」


 低く静かな声。拒むことを許さない、圧倒的な威圧感がそこに宿っていた。


 「何してんだ、団長!闘気は――!?」


 狼狽しながらネロが叫ぶ。

 闘気を纏わずに切っ先を掴むなど、狂気の沙汰だ。不意に宝物を汚してしまった好事家たちのように戦慄いた。


 しかし、クロは一切答えない。ただ無言で剣を握り締め、その動きを封じている。


 握り込むその手には力が込められ、さらに赤い筋が滲む。それでも彼は、揺るぎもしない。


 「……わかったよ。」


 ネロが息を吐くように呟く。振りかぶっていた剣を静かに下ろしながら言葉を続ける。


 「手を放してくれ。....団長を傷つけたくない。」


 その言葉を聞き、クロはゆっくりと剣を離した。切っ先から放たれる闘気が消え、剣が静かに鞘に戻される音が森に響く。


 クロは短く「行くぞ」とだけ言い、踵を返す。その一言で全てが終わり、動き始めた。


 ネロは一度剣の柄を見下ろし、もう一度その場を見回した。そして小さく息をつき、クロの背を追って歩き出した。





 暫くして、ネロが口を開いた。顔を伏せたまま、けれど、その声には怒りと悔しさが滲んでいた。


 「おい、団長……なんで止めたんだよ。」


 クロは足を止めず、前を向いたまま静かに答える。

 「……あの村長を屠って、そこに何の意味がある?」


 「意味?」


 ネロが顔を上げる。その瞳には疑問と、押さえきれない感情が揺らめいていた。


 「俺も、お前も、虐げられてきた。暴力によってな。...だろ?」クロの声には熱も怒りもなく、ただ静かな重みがあった。ネロもまた、奴隷時代の過去を思い起こさずにはいられなかった。__解放され、忘れてしまった。無理やり自分に言い聞かせても、ふとした拍子に、そして鮮明に思い起こしてしまう、あの黒い記憶。


 「お前は、それを繰り返すのか?」


 その言葉が、まるで鋭い刃のようにネロの胸を刺した。


 「……暴力は敗北だよ。」

 クロは足を止めることなく続けた。「その剣を振るときは意味を持たせろ。でなければ、それはただの破壊だ。」


 その背中を追うネロの拳が、震える。


 「……でもよ、団長。」ネロは怒りと悲しみの間で揺れるような声で呟く。「あいつらはアンタの意思を踏みにじったんだ。ただ黙って見逃すなんてできねぇよ。俺らの信念は……アンタなんだよ。」


 その言葉には、ネロのすべてが込められていた。彼の目にうっすらと涙が滲む。


 クロは足を止め、ほんの一瞬、沈黙を挟む。そして、短く言葉を絞り出した。「そうだな……。」


 その声には、どこか寂しさがあった。


 「……今日は先に帰っていろ。」


 ネロは一瞬、食い下がろうとした。しかし、クロの後ろ姿が語るものはそれ以上の言葉を許さなかった。


 「……わかったよ。」

 ネロは歯噛みしながら拳を緩め、振り返る。その背には、言葉にできない感情がのしかかっていた。



 「お兄ちゃん!!」


 村の門が見えてきた頃だった。背後から幼い声が彼らを追いかけてきた。


 振り返ると、そこには小さな影――ミネが一生懸命に走ってくる姿があった。肩を小刻みに揺らし、息を切らしながらも、その瞳だけはまっすぐにクロを捉えていた。


 「これ、お兄ちゃんにあげる。」

 ミネは小さな手に握りしめた瓶を差し出した。瓶の中には、濃密な黄金色の液体。


 「……これは?」


 「ハチミツだよ。」ミネがバツが悪そうに俯く。「あの……怖いおばさんのところから、少しだけ分けてもらったの。助けてくれたお礼なの。」


 クロは微かに目を細め、苦笑する。

 (くすねてきたのか……。子供ってやつは、恐れを知らないな。)


 「ミネちゃん……。」


 「お兄ちゃん、お姉ちゃん、本当にありがとう!!」


 幼い声に込められた真っ直ぐな感謝が、クロの胸の奥深くに響き渡る。その温もりに、心の中の小さな影が溶かされるようだった。


 「はは……悪い子だな、」クロは優しく笑い、ミネの頭をそっと撫でた。「さぁ、村にお戻り。お母さんが心配してる。」

 __古臭く、そして狭い村(せかい)に生まれた、この子供には元奴隷達の姿がどう映ったのだろうか。



 

 ネロ達と別れた後、クロとカルネは再び王都キルキスを目指した。馬車なら軍議にはもう間に合わない。……そう、馬車なら。


 今、クロはカルネを腕に抱きかかえ、帝都の側を横断する大河の上を駆け抜けていた。


 水面を蹴るたびに波紋が広がり、その波が交わる頃には、彼はすでに十歩、二十歩先を進んでいる。その足取りは風のように軽やかで、力強かった。


 クロの胸に身を委ねるカルネは、流れ去る景色を目にしながら、ふと彼の胸元を握りしめた。その指先には、言葉にできない感情が絡みついているようだった。

 カルネは自身の腰辺りから伝わる、彼の右手の体温を求めた。しかし、手の感触は、どこかぎこちなく硬かった。いつもなら温かく、優しい手が、いまは何かで覆われ、わずかに粗い質感を伴っている。その手が触れるたび、カルネは小さく目を伏せた。


 

 (……傷が、痛むはずなのに。)


 彼の手に負わせた傷の深さを思うと、カルネの胸が微かに軋んだ。先ほど、ネロの剣を素手で受け止めたときの光景が脳裏に蘇る。まるで自分の痛みなど意に介さないかのように、、、。

 ……その代償が、今、自分を支えるこの手に刻まれている。


 「……クロ。」


 名前を呼ぶ声は、風の中でかき消されそうなほど小さかった。けれど彼には届いたのだろう、少しだけ顔を下げて彼女に視線を送った。


 「どうした?」


 クロは自身の胸に抱かれるカルネの、その幽かな心情を悟ったのか、静かに口を開いた。「…カルネ。」


 カルネが顔を上げると、クロは少し迷うような声で呟いた。「正義ってやつは…一体どんな形をしているんだろうな。」


 その声には、彼自身も答えを持たない問いが滲んでいた。


 「えっ…?」カルネが驚いてクロを見上げる。


 しかし、彼はすぐに気を取り直したように微笑み、ふっと視線を前へ向けた。「いや、なんでもないさ。もう少し飛ばそう。」


 再び風を切るように川を駆ける。彼の一歩一歩が力強く水面を弾き、波紋が次々と広がっていく。そのたびにカルネは風の流れに身を委ねながら、彼の胸の鼓動に耳を傾けた。


 少しずつ、彼の鼓動が刻む音が、彼女の胸の中のわだかまりを静かに溶かしていく。…少なくとも、この瞬間だけは。


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