第三話 解けぬ柵は知らぬ間に
「この村で、何があったんです?」
けが人の処置が終わったカルネが、一息つきながらミレに訪ねた。その様子をクロは居間の椅子に座ったまま耳を傾けていた。(...御者係の団員は状況の報告のため、一足先にキルキスに向かうわせることにした。)
「...魔女です。昨晩、森に現れました。」
「魔女ですって!?ありえない。だって、、、」カルネにとって予想外の答えだったようで、勢いづいて椅子から立ち上がる。
世界の各地に「魔女」は存在する。
魔女達は各々が住処を持つ傾向がある。魔女たちの間でも「家を建てたら一人前」の様な考えがあるのかもしれない。勿論、その住処のほとんどが不法占拠極であるのだが。例えば、湖のほとりに。または忘れ去られた墓地に。或いは、池に面した森の中とか。中には雲を住処に、世界中を漂う魔女もいるとかいないとか。
基本的に魔女は、その住処を離れることはない。それ故か、住処に敵意を持って立ち入ったものに対しては酷く攻撃的になる。立ち入った存在が、人間であろうと、闇の勢力であろうと彼女達には関係のないことなのだ。
勢いづいた様子のカルネを宥めつつ、クロはミレに続きを促した。
「その、、、魔女は「西の魔女が死んだ」と言っておりました。」
「「なっ、、、!!」」
今度はクロも驚きを隠せなかった。
魔女たちは自由主義かつ個人主義の象徴のような存在だが、それでも「魔女の魔女による魔女のための社交界」が存在する。それが「梟の手紙」だ。
この完全会員制クラブに名を連ねて初めて、正式な魔女として認められる。非会員でも魔女を名乗ることはできるが、それは「非正規の魔女」とみなされる。入会には現会員からの推薦が必要であり、そのため多くの魔女が見習いを一人か二人連れている。
魔女たちは思想的に二極化しており、人類との共存を望む「右派」と、闇の勢力に加担する「左派」が存在する。アルカニア大陸には、主に「右派」の魔女たちが集まり、彼女たちは四方の魔女と呼ばれる四人に統率されている。その中の一人が「西の魔女」だ。
四方の魔女は大陸全土の魔女たちを従える絶対的な権力を持つ。その職務は煩雑だが、見習いに仕事を押し付けることで乗り切れるため、実質ほとんどリスクがない。そのため、この「絶対的な権能」を持つ椅子が一つ空席になれば、多くの魔女がその座を狙うことになる。己の享楽のために。
事の重大さを知らぬ間に、ミレは続けた。こちらが本題だと言わんばかりである。
ミレは深刻そうな様子で、「娘を攫って行きました。血の鍋を作ると。」といった言葉を紡ぎながら、涙を浮かべている。
「…どう思う、カルネ。」
「直接確認しないと何とも。」
クロは考え込むように目を細めた。
「その魔女、蜂の魔女ってやつだな。その『血の鍋』ってのは何だ?」
「魔力を強める儀式よ。師匠いわく、馬鹿げた古い手法だとか。おそらく、長い間森に潜んでいたのね。」
クロはもう一つ、解せないことがあった。喉に魚の骨が引っかかったような違和感だ。
「ミレさん。軍に助けを求めないんですか?村には『発光玉』が支給されているはずですが。」
発光玉は村の危機を知らせるための魔法具で、常備が義務付けられている。だが、ミレは顔を伏せ、震える声で答える。
「それはできません。第三師団には助けを求めない。それが村の意思なんです。」
下唇を噛みしめたミレの口から、涙の代わりに血がこぼれた。
アーガスト王国の国防軍は八つの師団で構成され、各師団が管轄地域の治安維持を担っている。ミレの村も第三師団の管轄下だ。クロは問いかける。
「なぜ?」
すでに答えを知っている問いだった。なぜなら、その原因は彼自身に起因しているからだ。
「元奴隷に助けられるなんて、村の面子に関わるからです。」
かつて奴隷制度を敷いていた国は多い。その中でもアーガスト王国は7年前、剣聖グランによって奴隷解放令が出され、元奴隷に人権が認められた。だが、元の優越感を手放せない者たちが多く、今なお元奴隷への蔑視が根強く残っているのだ。
カルネの声が冷たく響く。
「それでいいの?村の面子は、子どもの命より重いの?」
ミレが叫ぶ。
「そんなわけないでしょ!でも、村でしか生きていくのなら、受け入れるしかないんです!あなた達に何が分かるのよ!!」
ミレの慟哭に、クロは奴隷時代の記憶を重ねる。あぁ、痛いほど分かるよ。圧倒的な強者の前で弱者はただ屈するしかない。受け入れがたい現実を「無念」という言葉に押し込める。それが、弱者として「強く生きる術」だと。
カルネの怒声が響く。
「あなたねえ!」
身を乗り出したカルネにミレは怯え、ぶたれると思ったのか身を縮める。カルネの腕が振り上げられる。
「カルネ。」
静かな、けれど確かな力を秘めたクロの声が、その場を凍りつかせた。
「…っ。」
カルネは息を飲み、振り上げた腕を下ろした。
クロはミレを見据え、静かに尋ねる。
「ミレさん、ご主人はお一人で娘さんを探しに行ったんですか?」
「……はい。」
ミレの声は弱々しく、沈むように響いた。
クロは立ち上がり、剣の柄に肘を乗せ、静かに戸口へ向かう。その背中に、カルネも無言で従った。ミレを振り返った彼女の瞳には、まだ収まらぬ怒りの火が宿っている。だが、その怒りを堪え、クロの意思に従う姿勢を貫いていた。
クロは、戸口から静かに言葉を投げかけた。
「ご主人は立派な人だ。自分の命を顧みず、娘さんを守ろうとする勇気……それは、誰にでもできることじゃない。」
「……えぇ。」
ミレは心の奥底に何かが刺さるような痛みを感じ、涙が頬を伝った。
「そして、あなたも立派だ。無鉄砲であることだけが強さじゃない。」
その言葉にミレは目を伏せた。自分が立派だと言われても、胸に浮かぶのは後悔と恥だけだった。
クロは軽く息を吐き、続ける。
「そういえば、自己紹介がまだでしたね。私はアーガスト王国国防軍、第三師団団長のクロです。そして――お察しの通り、元奴隷です。」
「えっ……。」
ミレは顔を上げた。その驚きと羞恥に言葉を失い、クロの言葉が胸に染み込むように感じられた。涙が再び頬を濡らす。それは後悔と自己嫌悪の涙。自分もまた「村の面子」とやらに縛られ、奴隷たちを心のどこかで見下していたことへの恥だった。
ミレの声が震える。
「私は……私たちは……」
言葉に詰まる彼女に、カルネが冷静に首を振った。その仕草は「今は謝罪の時ではない」と告げているようだった。
クロが一歩前に出る。
「ミレさん。はっきり言います。お子さんの命は保証できません。それでも構わないですか?」
ミレの中に微かな希望が灯る。それは、目の前の元奴隷のクロが差し出した小さな光だった。
「お願いします……娘を、ミネを助けてください!」
ミレの声は涙に詰まりながらも、必死に届くよう響いた。
クロはカルネに目を向け、短く命じた。
「カルネ副団長。」
「はい。」
クロは戸を開け、昼前の光が差し込む中で低く告げる。
「魔女狩りだ。」