ケツに牙
「部長!冴島部長!そろそろ時間ですよ!」
ドクター鈴木から連絡があったのにまだ冴島は別室で何かをしていた。
ヘッドセットを装着して緊張する山田は気が気ではない、時間との戦いなのだから。
「山田君、もう少し落ち着こうよ~。」
そう言って冴島も着席し、モニターに向かった。
「で、何でクマとウサギなの?」
ダイビングルームの机に着席しているアバターを見て冴島は苦笑いした。
「と、特に意味はないです。簡単だったので。」
「君の趣味かと思ったよ。だって普通クマは茶色だしウサギは白だよね。でもなんでこんなにファンシーな水色なんだろ~って、あはは。」
普段誘導するときのアバターは架空の人間を使う。
人として認識できるレベルのアバターだとそれなりに精巧に作られるため脳への負荷も少し大きい。それを二体も放り込むのにはさすがにリスクが高すぎる。そこで山田は簡単なフォルムで色も単色、外見の違いが分かりやすいようにクマとウサギにしたのだ。
「だったら通常アバターで部長だけでやればいいじゃないですか。」
「それは駄目だよ~。だって一応謝罪するっていう体で現れるのに一人だったら誠意が見られないでしょ?」
「こっちのほうが絶対に馬鹿にしてると思われますって!!」
「大丈夫大丈夫、そろそろマイクオンにして。始めるよ~。」
マズい方に向かう未来しか見えない山田は言われるがままにマイクをオンにした。
「、、、ん、ここは?」
ありすの視界に見覚えのある真っ白い部屋が入った。
(確か、頭が痛かったはずだけど、どうなってるの?倒れた後の記憶がないし起きた場所がここってことは、、、)
ありすは頭を押さえながらゆっくりと上体を起こした。
奇妙なぬいぐるみが目に飛び込んでくる。
「やぁ、お目覚めですか、栗崎様。あ、厳密に言うと目覚めてはいないんですが、あはは。」
「冴島部長!真面目にやってください!」
手を大きく振っている水色のクマに同じく水色のウサギが突っ込みを入れている。
ありすは“何見せられてんだ?”という顔つきで見ていたが、状況がわかると慌てて駆け寄り掌を机に叩きつけて猛然と抗議した。
「どうなってるんですか!ログアウト出来ないし呼びかけても反応ないし!これ、管理職研修じゃないですよね!違うVRですよね!だいたいファンタジーなのにグロいってどういうことですか?ステータス見れないし、明らかに制作ミスですよね?早く帰してください!もう一日過ぎてるんですよ。研修上がりには会社に一報入れないといけないし、捜索届けとか出てると思うんですけど!訴えますよ!」
「あ、あの、落ち着いてください。順を追ってご説明いたしますので。」
早口で捲し立てるように言い放ち、怒りで肩が上下しているありすに恐縮しっぱなしの水色ウサギは心情を表すかのように耳を垂れてさせた。
「クマとかウサギとかふざけてるでしょ?あなたどちら様?!」
「あ、いえ、わ、わたくし山田と申します。こちらのクマが部長の冴島です。」
美人が怒る様子に圧倒されて山田は泣きそうな声になる。
ありすはそんな弱弱しい声を聞いて我に返り深呼吸した。
「説明とかもういいから、早く帰してください。」
冷静な口調で言われると余計に怖さが増すのはお分かりだろう。
ありすの周りに負のオーラが漂い只ならぬ雰囲気を醸し出していた。無機質な部屋がそれを増幅させる。
「取り敢えず栗崎様、お掛けになってくださいよ~。わたくし冴島からお詫びとご説明をさせていただきます。さぁ、どうぞどうぞ。」
こんな状況でも落ち着いた声で、いやむしろ楽しんでいるようなクマがありすを無性にイラつかせた。
「お詫びも説明もいらないから、か・え・し・て!」
ありすは乱暴に椅子を引き、ドカッと座ると頬杖をついてクマを睨みつける。
ウサギがきゅっと小さくなって怯え始めた。“ビビりウサギ”などといってキャラクター化すれば売れそうなほどプルプルしていて庇護欲をそそる。
「、、、、では、結論から申し上げます。ログアウトは出来ません。ログアウトするには目的を達成するか、死ぬかです。あ、自殺は駄目ですよ。行き詰ったらすぐ自殺とか考えられると困るんで。それとこちら側から起こしてしまうと何らかの後遺症が出かねませんのでそれも出来ません。」
淡々と語るクマにありすは目をぱちくりさせた。
(は?こいつ今なんつった?ログアウト出来ません?目的達成か死か?死ぬって、意味わかんないんだけど。)
まるでラノベのような展開にありすは絶句する。
自分が置かれている状況が全く分からないのだろう。この状態は何なのか、さっきの世界は何なのか。
「この作品は試作品でして、まだ世には出ていません。テスト段階なんですよ。現実とほぼ変わらないクオリティーを追及していましてね。いやー、栗崎様は五感・五官ともに感度良好のようで何よりです!、、、、あ、話が反れましたね、周辺機器を誤って装着させてしまったことは心からお詫び申し上げます。ですが、もしよろしければこのまま治験という形で進めさせていただきたいのです。治験参加料もお支払いいたします。必要なスキルも特別にご用意いたしますのでどうかこのまま続けていただくわけにはいきませんでしょうか?」
水色のクマは重要なことをさらりと告げ深々と頭を下げた。
ログアウトを要求しているありすに対してドーレインカンパニー側は金を払うから続けてほしいと言っている。
普通の会社ならクレーム対応で金品を要求されても一切払わない。せいぜい代替品を渡すくらいだ。しつこく要求してくるようであれば警察に連絡したり、お抱え弁護士に相談するところもある。それとは真逆の行為である事から、うまく丸め込み自社の手違いを隠そうとしているように感じ取られる。ありすも伊達に40うん年間生きているわけではないのでクマの回答に違和感を覚えた。
「おかしいでしょ?非を認めるならログアウトさせて。出来ないんじゃなくてやりなさいよ。どの道あなたたちを訴えますから。一日消息絶ってるんだから監禁でしょ?犯罪よ。」
水色ウサギは完全に俯いて声を出してない。
対してクマはありすの目を真っ直ぐに見つめて話し出した。
「栗崎様、よろしいでしょうか?申し上げますが栗崎様が眠られてからまだ15分も経っておりません。当社の極秘プロジェクトですので話したくはなかったのですが、、、、。」
クマは口ごもりありすから視線を外した。
ウサギは社外秘案件を口にするクマをあり得ないとばかりに口を開けて見つめている。クマはウサギの顔を見て軽く首を振り、もう一度ありすの目を見て続きを話した。
「開発中の作品はクリアするまで最長8時間です。8時間の中ですべての物事が完結いたします。作中でどんなに長い時間を過ごしても現実時間の8時間以内に収まります。ですから栗崎様がゲーム内で一日以上を過ごされていても現実の時間ではほんの数分なのです。システムの詳細は独自技術のため開示できませんが、何度も治験をしているわが社の社員でも6時間程度にはログアウトしております。」
とんでも設定にありすは言葉を失った。
そこまでの技術がVRMMOにあるとは思えない。しかしVRMMOの取り決めに“8時間まで”というのがあるのは事実だ。もしそんな技術革新が起こっているならメディアが取り上げないわけはないだろう。
これは“あなただけに教えるんですよ”といった類の詐欺商法にも思える。
「証拠は?そうであるという証拠を示してください。私が納得いかなければ即ログアウトの手続きを取ってください。訴えはしますけどね!」
都市伝説くらいにあり得ない内容にありすは証拠の提示を求めた。
確信に至らなければ絶対にログアウトさせる。今まで能無しのオヤジたちのいい加減な行動を諫めていたありすは一歩も引かなかった。
「あ、、、いや、わかりました。ただ隣の山田にも聞かれますがよろしいんですか?」
クマはしばらく黙っていたがありすに許可を取るように申し出てきた。
「そんなの知ったこっちゃないです。同じ部内なら機密事項も共有してるはずですよね?そっちのウサギには話してないんですか?」
部内でのホウレンソウが出来てないのか部長クラスでの機密なのかはわからないが、クマは少し困ったように愛想笑いをしだした。
「ええ、まぁ、個人情報と言いますか何といいますか、今までの治験でも部下には全てを閲覧させていません。私はお話してもいいんですが、本当によろしいですか?」
「構わないです。私が納得する答えであれば、ですけど。」
適当にそれっぽいことを言って誤魔化し切り抜けるつもりなら許さないと言わんばかりのありすの目力に臆することなく、クマは意気揚々と話しだした。
「まず、栗崎様は全裸で物語に入られました。あろうことか四つん這いになったところを後ろからNPCに見られていますよね。少し考えればわかりそうなのに何故か栗崎様は隣の家に行ってまで服を調達なさいました。その結果NPCが殺されましたよね?いや~予想外でした。変な服装でNPCと森に入ったと思いきや、学習能力がないのかまた衣服を汚しましたよね?小動物に対して正に日本人というような反応を見せて食事を摂られなかった。夜が明けるころにはこちらの眠剤の効果が薄くなってきていたので体調を崩したようです。相手に弱みを見せないように気丈に振舞おうとするところが昭和って感じですね、わかりますよ、わたくしも。ほどなくして宿屋で倒れられたというのが現在に至るまでの15分程度の過程です。違いますか?」
もうウサギは目が点になっている。
詳細を知らされていなかったのからなのだろうか。ちょいちょいディスりながら今までの出来事を語られたありすは怒りと恥ずかしさで真っ赤になっている。
「やっぱり他人に聞かれるのは、、、、ねぇ。うふふ。」
言わんこっちゃないと笑うクマにありすはブチ切れた。
「一部始終を見てたんならどうして助けないのよ!どこにいたの!人としてどうかと思いますけど!!」
バンバンと机を叩き、思いっきりクマを睨んだ。
「あ、これは定点観測的なものです。こちらからはどうしようもありません。」
クマはニヤつきながら両方の手のひらを上に向けて肩をすくめた。
(こいつ、ムカつくわー。自分以外馬鹿だと思ってるタイプよね。でも言ってることは全部合ってるわ。ただし時間の概念はわからない。そんな短時間で1日以上のことが見られる?現実的にあり得ないわよね。あたかも映像を見たかのように話してるし、、、。何か確認する方法はないかしら。)
ありすはしばらく考え込んだが、ある方法を思いついた。
「時間軸がやっぱり信じらせません。私のスマホの待ち受け見てもらえません?何の画像になってるか教えてもらえます?」
ありすの待ち受けは曜日ごとに変化するものだ。
月曜から土曜まで干支の二匹をイラストにしたものを採用していた。とある地場スーパーのキャンペーンで特賞として当たったものだが意外とかわいいのだ。スーパーのロゴも探さないとわからないくらいだしありす自身も気に入っていた。オヤジ部下にはセンスないねと言われたが特に変えたい画像もなかったのでそのままにしている。
土曜日なら“犬と猪”の待ち受けだ。
日曜日だけは残念ながら地場スーパーのキャラクターがでかでかと載っている。日曜だけ人目に触れず我慢すれば問題はないということだ。と言うか日曜日にありすは出掛けたり人に会ったりしないので気にはしなかった。
そのことを思い出しクマに確認させたのだった。
「疑り深いですね、そういうところ嫌いじゃないですよ。」
クマはそう言いながら壁に向かってぶつぶつと話し始めた。
「ドクター、彼女の私物見てもらえます?え?ロッカーですよ。開いてます、本人確認が必要だからマスターキーで開けたんですよ。ええ、そうそう。え?何を子供みたいなこと言ってるんですか。スマホですよ、スマホ。電源入れて。ロック?掛かっててもいいんです。待ち受け見てください。はい。え?何ですって?もう、カメラに向けて見せてください。、、、、うぷぷ、はい、はい。いいですよ。ありがとうございました。え?時間?はい、なるはやで終わらせますから時間になったらお願いしますよ。また声かけて。はい、じゃ。」
クマは盛大な独り言が終わるとニヤニヤしながらありすを見た。
クマと同じ方向を向いていたウサギも小刻みに震えている。
「うぷぷぷ。栗崎様、何ですかこの待ち受けは、あははははは。」
馬鹿にしている笑いを見てありすは日曜だと悟った。
残念なスーパーのキャラクターが社名入りのエプロンを着けて全速力でこちらに向かって駆けて来ている構図になっている。手には“日曜は特売日”という看板を持っているのだ。デジタル時計の表示も分からなくなるほどに迫力のある待ち受けだった。
「日曜なんですね!やっぱり監禁じゃないですか!」
「いーひひひ、、、、え?そんなのでわかるんですか?」
笑いすぎて涙目のクマが真面目に聞き返す。
ウサギはツボっているのか小刻みに震えたまま動かない。
「だ、だって、そのキャラがおかしくて笑ってるんでしょ!他の曜日はかわいいんです!」
ムキになるありすは机をバンバン叩いた。
「他の曜日もこんな感じなんですか?」
「今、関係あります??早くログアウトさせてください!」
「いやぁ、気になりますよ~。だって犬の肛門に猪の牙が思いっきり刺さっててびっくりしちゃってるじゃないですか。シュールですよね。おならも出てますよ、すごいですね~。」
(え?犬と猪?肛門?おなら??)
ありすは自分のスマホ画面を思い出していた。
確か待ち受け画面は後ろを振り返った犬が猪に驚いてアメコミ風に“ワオ”という吹き出しが出ている場面が描かれているはずだった。
(お尻に牙?確か鼻息の荒いイノシシ君が勢いよく飛び出してきてる描写だったけど。まさか牙がお尻に突き刺さって鼻息がおならに見えてる??言われてみれば、、、、)
ありすはまだ笑っている水色の動物たちを冷静に見て改めて思い返す。
(先入観ってこわっ。もうそれにしか見えないわ。おまけにイノシシ君は小さく“ブビッ”って言ってたし。おならの音にも思えなくはない。どうしてそんなのを待ち受け設定しちゃったんだろ。いやいや、コイツらの見方がおかしいんだわ。ピュアな心で見たらかわいいんだからね!)
何事もなかったかのように座り直し髪を耳に掛けながらありすは涙を拭っているクマに聞き返す。
「あなたが見てそう思ったんですか?どう見てもイノシシに困惑してるワンちゃんにしか見えないでしょ。」
「え?だって向こうが“ケツに牙がぶっ刺さって快感している犬”って言うもんですから、あはは。」
クマがまた笑い出した。
ウサギはようやく笑いを堪えたようだがまだ肩が揺れている。
(なんて失礼な奴なの!、、、、ちょっと待って、て事は今まだ土曜日?何それ、このクマの言うことマジな訳??)
ありすは何とも言えない顔で現状を受け止めた。