今しゃべってたよね?
明け方、空が白み始め別棟にもカーテンの隙間から朝の気配が感じられる。
小鳥のさえずりに耳をぴくつかせた獣人の始祖は薄っすらと目を開けた。目の前には静まり返った中で規則正しく腹を上下させ眠っている女性がいる。
始祖は驚いて目を見開いた。檻の中ではなく、いつものじめじめした臭い雨ざらしの庭でもない。高い天井には豪奢なシャンデリアが付いており、毛足の長い豪華な絨毯に毛布を敷かれ、おまけに隣の女性とケットを半分ずつ掛け合っていた。理解が追いつかない。
獣人の始祖はもう自分がどれくらい生きているかわからなかった。
両親が無くなってからもずいぶん経つ。両親共に獣人の始祖だった。小さいときは周りの動物がどうして自分と同じように言葉が話せないのかわからなかった。親の言っていることを理解し文字と言うものが読めるようになった時、自分が獣人であることを知る。そしてまた自分とは違う形をした獣人がいるということも知った。
しばらくは平和な日々が続いた。
山深い廃村に居を構えていたので身を隠せる場所はたくさんあった。聖典と呼ばれる書物や畑を耕すと言われる道具や茶碗などの生活用具などはそこかしこに転がっていた。それをどう使うかも知らなかったがいい遊び道具にはなっていたと思う。
たまに父親は数か月いなくなることがあった。帰ってくるたびに“居ないねぇ”と母親と話しているのを聞いたことがある。
自分で餌が取れるようになったころ、父親に番を探すように言われた。この辺りには自分たちと同じ姿の獣人はいないと。遠く離れて森の奥深くを探せと追い立てるように旅に出された。
険しい山間部に近い深い森の中を色々と探し回ったが動物や魔物しかいない。
自分では歯が立たないであろう相手に対しては気配を消し、生きるために動物を襲った。そんな生活をどれくらい過ごしたかわからない。
水に映る自分の姿が両親よりも老けて見えるようになったころ、自分とは違う姿の獣人を見た。二足歩行で器用に前足を使い道具で木を切っている。後ろ足の方がはるかに長い。しかも毛が生えてない。耳としっぽだけが自分と同じだった。変な布を身体に巻いている。
初めて見る二足歩行の獣人から目が離せなかった。
森の最深部ではないとは言え、動物や魔物以外は見かけない程には深い所であることには違いない。こんな所で何をしているのかが気になった。気配を消してしばらく様子を窺っていると同じような二足歩行の者がやってきて獣人を鞭で叩きだした。明らかに獣人とは違うソレは煌びやかな布を巻きつけて偉そうな態度だった。同じ言葉を話す、耳が側面についたしっぽのないヤツ。
のちになってそれが純血人族と呼ばれる同じ“人族”だと知った。
純血人族以外を奴隷として扱い酷い仕打ちを行って平気で笑っているような奴等だった。
それを知ってからは滅多に森の奥からは出ないようにした。
それでも番を探すためには森を渡り歩かねばならない。平地に近い所では極力気配を消し目立たぬように行動をした。
長い旅の間に魔族や神族も目にすることが出来た。
どうやら自分には相手の種族やらスキルと呼ばれているものが見えるらしい。これを【鑑定】のスキルと言うのだと旅の途中で知り合った毛のある二足歩行の獣人に教えられた。
当てもなく番を探す旅路の中、ようやくこの大陸から大きな争いが無くなり人族中心の国が集まる地域に足を踏み入れることが出来た。
相変わらず自分と同じ姿形の獣人はいなかったが森の近くの村では別段種族を問わず普通に暮らしている光景があった。人族間でも特に問題もなく、田畑を耕したり狩りをしたりで生活をしているようだった。
魔物も少なく気配を消していれば狩られる心配も無かったので少しばかりこの近くの森に長居をした。
そろそろ別の場所へと移動を考えていた時に遠目に見えたのは耳の長い獣人の男性が茂みにしゃがみ込み声を殺して泣いている姿だった。
この辺りは森の深部に近い。しかも早朝だ。狩人ならまだしも、軽装の獣人が何をしに来たのかわからない。迂闊に声を掛けて厄介ごとにでも巻き込まれればこちらの立場が危うくなる。少し近づいたあたりで様子を窺っていると別の方向から純血人族の気配がした。風に乗って動物の血の臭いもする。こちらが本当の狩人のようだ。
耳長の獣人もそれに気付いたのか慌ててその場から立ち去る。ガサガサと音を立てて猟犬が飛び出して来た。幸い猟犬たちはこちらには気付かず耳長を追って行く。
そのまま気配を消して耳長がしゃがんでいた場所へ向かった。
何かを埋めた後のようだった。
普段ならこんな場面に遭遇したら一目散に逃げていただろう。でも何故か今回だけはそうしなかった。どうしてなのかはわからない。まだ柔らかい土を前足で掘り始めた。そう深くないところで何かに当たった感触がした。そっと鼻で土を掻きだすと白い布が見えた。その瞬間、それが何かを理解した。
「ウソだ!」
たまらず叫び声をあげた。
それは確かに自分と同じ匂いがした。布を咥えて引きずり出す。ちらりと長い耳と二足歩行には向かない後ろ足が見えた。
「まさか、そんな、、、、。」
明らかに小動物のようなそれを見て絶望した。
冷たかった。生まれて間もない状態だった。明らかに命を奪われた痕跡がある。気が動転して立ち尽くしてしまった。だから直ぐ傍まで近付いていた男の存在に気付けなかった。
「君、今しゃべってたよね?」
その声にハッとして顔を上げた。
アッシュグレーの長い髪を横に結んでいる身なりのいい男を目視した瞬間、別方向から捕獲用の網が飛んできて気絶させられた。
次に気が付くと窮屈な檻に閉じ込められていた。
首には絞めつけのきつい装飾品が施されている。唾を飲み込むのにも違和感があるほどだった。身体に力が入らない。ぐったりとした状態で目だけで辺りを確認した。近くのソファーには対面で純血人族の男性が二人会話をしている。一人は自分を捕らえた男だった。
「カミル殿、本当にこれが獣人の始祖なのかね?」
「ええもちろんですよ、アクシス侯爵。この耳でしかと聞きました。たまたま知人に狩りに誘われましてね。乗り気ではなかったんですが、いやはや大収穫ですよ。毛艶も申し分ないし、漆黒なんて珍しいでしょう?気絶している間も譫言を漏らしてましてね。」
譫言なんてあり得ない。
いや、あんな光景を見たからだろうか。
「にわかに信じがたいですな。獣人は始祖が生まれれば直ぐに殺すか捨てるんじゃありませんでしたかな?我が子を葬るなんて同じ人族とは思えないほど下劣な奴等ですよ。まあ、畜生が生まれること自体、下等種族だと証明しているようなもんですがな、がははは。」
どういうことだ。
始祖を、生まれた子を殺す?何故だ、何故なんだ。
「この始祖の傍には始祖であろう生まれたばかりの赤子の姿がありました。似てはいなかったのでそれの子供ではないでしょう。死を悼んだんでしょうね。ようやく同胞を見つけられたと思ったら死んでいたんですから残念がっていたんでしょう。」
「始祖は滅多に生まれなかったのではなかったかな?奴等もそれを育てればいいビジネスになるものを。今どき不吉だとか不運だとか迷信を信じていること自体がナンセンスだと思わんかね。」
そんなことで幼い命が奪われていたのか。
何がどう伝わってそのような歪曲された話になってしまったのだろう。今まで自分が出会ってきた獣人は普通に接してくれていたというのに。
そのままアクシス侯爵という男性に引き渡され、その屋敷での生活が始まった。
屋敷と言ってもその庭の厩舎だった。鎖で繋がれ自由はなかった。最初のうちはアクシス侯爵が直々に肉などを持って来てくれたが、一言も話さないでいると次第に足が遠のいて行った。数週間後には元の小さな檻に入れられ庭の隅に追いやられた。
世話係たちがなんとか言葉を発せさせようと、棒で叩いたり焼き鏝を押し付けたり熱湯をかけたりしてきた。そんな者たちを威嚇するも狭い檻の中なので思うように方向転換などが出来なかった。
痛みに耐えながら日々を過ごしていると、とうとう足の腱を切られてしまった。激痛に言葉を漏らしそうになったが歯を食いしばり何とか耐えきった。
そのころから食事も粗末なものになり、カビたパンや生ゴミなどを放り込まれるようになった。糞尿の始末もホースで水圧の高い水を掛けるだけだった。怪我をした部分は不衛生から壊疽していた。
何を口にしても味が感じられなかった。毎日口に向かって水を掛けられるがそれも喉を通らなくなった。変な首輪のせいではないだろう、もうぶかぶかなのだから。
そんなある日、世話係が檻に麻布を被せてきた。
いよいよ廃棄されるのだろう。このまま森に捨てられるのだろうか。それともこのまま火にくべられるのだろうか。もう目を開けることも動くことも出来ない。
今までの人生は何だったのだろう。
獣人の始祖は横たえた身体を戻し、尻を上げて伸びをした。
口の中にかすかに何かの血の味が残っていた。何を食わされたのだろう。反芻する度に全身に力が漲る。縮こまっていた前足を限界まで伸ばしプルプルと小刻みに震えた。ケットがするりと滑り落ちる。毛が抜けて爛れていた腿辺りにも黒い艶のある毛が生えており、何より後ろ足が自由に動いた。
「、、、、おはよう。生きてるね。」
女性と目が合った。
起き上がりもせずにこちらを眺めている。真っ赤な瞳に部分的に赤のある真っ白な髪、特徴は目視出来ないが魔族だった。新たな飼い主であろう女性はゆっくりと手を伸ばしてくる。痛めつけられると思い鼻の辺りに皺を寄せて威嚇した。
「あ、これ外すね。ごめんね。」
女性は寝転びながら左手にはめていたアームスリーブを手首辺りまで下すと手の甲を向けてきた。
何か毒のようなものでも塗ってあるのかもしれない。ゆっくりと近づいてくる手の甲に警戒しながら女性の顔を見た。笑っている。この状況の笑いの意味が分からなかった。良からぬことを企んでいると判断し瞬時に手首に嚙みついた。
「、、、いっ、だだだ、大丈夫、ここここ、怖くないよぉぉぉぉぉ、、、。」
勢いよく血が噴き出しているにもかかわらず、やせ我慢をし引き攣っている顔の女性は奇妙な笑みを作ろうとしていた。
かなりの力で噛みついたのだ、骨が軋んだ音もしている。なのにこの魔族は動かない。何を考えているのかわからなくて恐ろしくなり顎の力を緩めてしまった。その時ふと口の中に流れ込んできた血の味に気付いた。
目覚めた時に口の中に広がっていた血の味とかなり似ている。もしかすると――。
女性の腕を解放し、口の周りについた血を再度舐め回した。
反芻しても何も感じないが、同じ系統の血の味がする。改めて女性を観察した。噛みついた手首にケットをぐるぐる巻きつけてそれを抱えるように目を閉じている。
「ごめんね、メイドが起こしに来るまで一緒に寝てくれるかな。」
眉を下げそのまま女性は話しかけてくる。
時折閉じた目にギュッと力を入れて痛みを我慢しているように見えた。一体この女性は何者なのか。
死にかけていた自分を癒したのは血液に間違いない。この女性の所縁の者の血液だろうか。何故自分を助けるのか。何の得があるのだろうか。
罠かもしれない。今のうちにここから逃げ出せば明るくなる前に森へと帰れるのではないだろうか。
長い沈黙の後、覗き込むように女性の横に寝そべった。
あれから女性はずっと歯を食いしばっている。
「うぬが助けてくれたのか?」
女性からの反応はない。
もしや耳が不自由なのだろうか。彼女の左耳に鼻を近づけ臭いを嗅いでみる。急に彼女は悩ましい声を上げてびくりと全身を震わせた。
「、、、、耳はダメ。って言うか、今はちょっと無理、めっちゃ痛いから。ごめん。」
呻くように言葉を振り絞ったかと思うとまた歯を食いしばりはじめた。
自分の声が聞こえているのかわからない回答に困惑した。意を決して話したというのに何とも肩透かしな状況にどうしていいかわからなくなった。
かなりの深手を負わせてしまった、このまま出て行っていいのだろうか。
前足に顎を乗せしばらく女性の顔を眺めていたが自然と瞼が重くなりそのまま眠ってしまった。
夜が明け切った時、扉に近づき錠を外す音がした。
そう遠くない場所からこちらに向かっている足音は聞こえていたが特に邪悪な気配ではないことから警戒はしていなかった。
「アリス様~、おはようございま~す。」
赤毛のおさげ髪のメイドが音を立てないようにゆっくりと扉を開き小声で入ってくる。
まるで盗人のような足運びだ。あまりこちらが見えていないのだろう。顔を伏せたまま様子を窺った。メイドはゆっくりとアリスと呼んだ女性に近づき小さめのポットを傍らに置くと一番近くの窓のカーテンを開けた。
「さあ、アリス様、起きてください。黒ちゃんの飲み水もお持ちしましたよ。」
背を向けている女性に手を掛けたメイドが息を飲んだ。
窓から入る光によって照らされた血の跡を見たからだった。左手に巻かれてあるケットには血が滲んでおり、敷かれてある毛布にも血がついている。
「アリス様!どうされたんですか!アリス様!もしかしてこの黒いのが!」
女性を庇うようにしてこっちを睨んでいる。
この状況なら疑われても仕方がないしそれが事実なのだ。メイドは恐怖に震えながらもその手はしっかりと女性を支えていた。
これでこの女性も手当てをしてもらえるだろう。これ以上の長居は無用と立ち上がった時、女性が大きなあくびをした。
「ヨーコさん、声大きいよ。私は大丈夫、おはよう。」
“よっこらしょ”と言いながら女性は座り直し、ケットを外した。
見ると手には血の跡はあるものの傷一つ無い。ヨーコと呼ばれたメイドは半泣きになってその手を擦っていた。
「どういうことだ、何故治っている!」
驚きのあまり言葉を口にしてしまった。
こんなに早く治癒する者は見たことがない。特定の魔物でさえだ。魔法や魔術を使った形跡も見られない。この女性が何か特別な個体なのだろうか。それとも血のせいなのか。
「ごめんね、自分でもよくわからないの。きっと腹黒のせいね、って言ってもわかんないか。とにかくあなたが無事でよかったわ。私はアリス。こちらはメイドのヨーコさんよ。あなた、名前は?」
ヨーコというメイドは呆然としていたが、アリスという女性はニコニコしながら右手を出してきた。
「、、、、ワシに名は無い。」
「取り敢えず、握手しよ、ね。」
強引に前足を取られ肉球を握られた。
その感触が溜まらなく気持ち悪くて慌てて振り解き肉球を舐めた。振り解いた際に爪が当たったにもかかわらず、彼女はニコニコしていた。
「ヨーコさん、めっちゃ肉球気持ちいいよー。かわいい。」
「そんな事よりアリス様!お怪我は大丈夫なんですか?!」
「なんと!手首の脈あたりはこの防刃耐性のある服で大丈夫だったのよ!すごくない?」
「すごくないです!こんなに血が出てるのに、、、、心配です、お医者様に診てもらいましょう。」
「ほんと大丈夫だって。ズキズキするけど外傷もないしね、そのうち痛くなくなるわよ。それよりもカミル区長にこの子のこと連絡して、お願い!」
追い出すようにメイドの背中を押し、女性はため息をついた。
正座をして居住まいを正すとこちらに向かって頭を下げてきた。何のつもりなのか。“カミル”という名を聞いたからにはここには用はない。所詮この女性も純血人族の僕だったというわけだ。何に落胆したのか自分でもわからないが腰を上げ出口へと向かう。
「待って!傲慢だって思うかもしれないけどあなたを保護したいの。あなたみたいな人たちを救いたい。」
振り返り彼女の瞳を見つめた。
真剣な眼差しからは噓は見えなかった。かと言って信じられるわけがない。騙され売り飛ばされるのがオチだ。この場から去った方が身のためだと判断し背を向けた。




