施しようのある馬鹿
馬車の傍ではフランシスさんがそわそわしていた。
私を見付けるなり大きく手を振り満面の笑みで迎えてくれる。大きな犬のようでかわいいなと思う。笑顔で思わず手を振り返した。
「ああいうのが好みなんですか?」
白けた目で腹黒が問いかける。
ビックリして振っていた手を下ろしてしまった。
「い、いきなり何よ。好みではないけど好ましくは思うわ。誰かさんみたいに擦れてないし。」
思い切り“お前の事だよ”と言わんばかりにジト目で腹黒の顔を凝視する。
「まぁ、おぼっちゃんとは真逆ですね。今度からあんな感じで化けて差し上げましょうか?」
腹黒は私の顔を覗き込むように首を傾げにっこり笑う。
こいつは嫌味も通じないのか!お前と比べてるんだっつーの。頼むからそれ以上顔を近づけないでほしい。眩しすぎる……思わず顔を背けた。
「一瞬しか見えないんだからそんなことしなくても結構です!」
「何が結構なんですか?アリス様。」
フランシスさんの声がする。
くだらない話をしているうちに馬車まで辿り着いたようだ。フランシスさんが不思議そうに私と腹黒、もとい医者を交互に見ている。
「な、何でもないのよ。ほら、お医者さんも見つかったし、屋敷に戻りましょ。」
「アリス様、お顔が赤いですよ、大丈夫ですか?」
「ええ、平気、平気よ。さ、お医者様も早く中に。」
半ば強引に顔面偏差値激高野郎を馬車に突っ込んだ。
フランシスさんと御者台へと向かおうとすると私には中に入っていてほしいという。御者台の真ん中に一人で座った方が馬を御しやすいらしい。仕方なく腹黒のいる馬車の中へと入った。
ゆっくりと馬車が動き出す。
何故か腹黒は私の横に座り直した。私はたまらず少し窓側にずれる。手を座席に置いたときに当たるか当たらないかの微妙な位置まで腹黒が近づいてきた。なんなの、この男。こちらに少し顔を向けて私を見ている。“フッ”って言いう擬態語が聞こえそうな顔つきだ。なんなのよー!
「この配置の方が馬を走らせやすいんですよ。左右に重さが偏ってはダメでしょう?何だったら私の膝の上に座りますか?」
腹黒はにこやかにポンポンと自らの膝を叩いてみせた。
思わず目を見張る。アカンやつでしょ!乙女をメロメロにするやつでしょ!耐えろ、耐えろ。否定から入れ。とにかく性格がよくない。私をオモチャにして実験ばかりするやつだ。他に無数に女がいる。座ったら私の負けだ!
「け、け、結構です!!」
声を上ずらせながらも悪魔の誘惑を退けてやったわい。
勝ち誇った顔で終始ニヤニヤしている腹黒の表情がムカつくけれども!
“コンコンコン”
馬車のドアを叩く音がする。
気付いたら馬車は停まっていた。ゆっくりと扉を開ける。
「アリス様、着きましたよ。“結構です”って叫び声が聞こえましたが大丈夫ですか?」
またフランシスさんに聞かれたのか。
って言うか、着くの早くない?そんなに揺れなかったし、曲がり角曲がる感覚なかったよね?こいつはフランシスさんの馬車のドラテク半端ないな。やはりフランシスさんも出来る警備員なのか?ラハナスト侯爵邸は逸材の宝庫か!
その足で別棟に向かう。
中ではロリーズが獣の面倒を見ていた。本当に見ているだけのようだが。ヨーコさんは獣にブラッシングを掛けた後屋敷に戻ったらしい。
「どこほっつき歩いてたのよ!私たちに押し付けてさっ!」
「ティナ、そんなこと言わないの。アリスさんも必死なのよ。」
ホント、ティナは文句しか言わない。
それをなだめるのがリィナ。その構図はもう見飽きたわ。フランシスさんはきっと微笑ましいなと思って見ているんだろうけど、こちとらいい加減腹立つを通り越して脱力するわ。
医者と二人だけにしてほしいとフランシスさんに頼んでロリーズを連れ出してもらう。フランシスさんは何かあった時のために扉の向こうで待っているそうだ。さすがは警備員、仕事が板についているわ。
「どう、治せそうかしら?」
「アリス嬢もその目で見ればわかるでしょう?後ろ足の腱を斬られてますね。ひどい虐待を受けてますよ。これだから純血人族は嫌いなんです、まったく。」
腹黒がいろいろ触って確認しているが、獣は一切動かない。
辛うじてお腹が上下しているだけだ。ポーションをかけて濡れていたところはロリーズが乾かしてくれたのだろう。皮膚が突っ張ったようになっていた。
「ねぇ、始祖って何?言葉のままならめっちゃ長生きしてることになるけど。」
「本当の始祖ならかなりの長生きですね。これがそうかはわかりませんが、一般的に獣人やリザードマンなど何かしらの生き物が変化して二足歩行になったもの中で、稀に交配した時に人族の形を成してない者が生まれることがあるんですよ。今ではそれを総じて始祖と呼んでいるようですね。」
むむ、潜性遺伝的な感じだろうか。
腹黒によると始祖が生まれてしまった場合は大半は野に放つそうだ。放逐か!
昔は神聖なる者として育てられていたが時代と共に忌まわしい者として扱われるようになったという。生まれてすぐに捨ててしまうのもそれに起因するようだ。生後間もなくでは絶対に死んでしまう。運よく他の野生動物に育てられたとしても厳しい環境下で生き残っていくのは難しいだろう。そう考えるとこの獣は激レアさんなのではないだろうか。
「それにしても捕まってしまうとは、何とも間抜けな始祖ですね。こういった類のものは誰にも見つからないところでひっそりと暮らすものですが。」
「そういえばこの子を買ったバカ貴族がしゃべらないって言ってたわ。って言うことはカミル区長の前では話したのかしら?」
「考えにくいですね。もし姿を見られたとしても話さなければ動物や魔物と見分けは付きませんから自分からは話さないでしょう。」
「そもそも、何で始祖ってわかるの?エルフたちも見ただけで始祖って言い当てたわ。」
「え?アリス嬢はわからないんですか?」
そんな顔をされても困る。
だってどう見てもクロヒョウでしょ。しっぽが二つあるわけでもないし宝石みたいな物が額についているわけでもないし。だいたい魔物と野生動物の区別もつくかどうか怪しい私にそれを聞く?そりゃ、もう見た感じ“魔物です“とか異常にデカいとかならわかるけど、この大きさなら動物かなって思うじゃない。
黙って俯いていると腹黒が盛大にため息をついた。
「アリス嬢は部分的に純血人族並みかそれ以下ですよね。」
「ほっとけ!早く治せ!」
思わず腹黒の肩を叩いてしまった。
普段なら絶対にこんなことしない。それこそハラスメントに抵触する。やだー、ゲームって怖い。腹黒は特に気にする様子もなく、ガサツな女性は男性ウケが悪いですよとか何とか言っているがウケなくて一向に構わない。むしろウケたくない。
「手っ取り早いのは私の血を飲ませることですが、よろしいですか?」
何故私に確認する?
いきなりの事で目をぱちくりさせていると、純血人族にとってはよろしくない成分なのだと説明された。一応始祖も人族に入るらしいので万が一の事は考えてほしいと言う。要するに責任は私が取れということか。
「あーもういいわよ!どの道何もしなくて後悔するよりマシだわ。やってちょうだい!」
「言質は取りましたからね。」
腹黒はニヤリと笑って手袋を外すと始祖の鼻口部をつまみ上げ、犬歯に人差し指を押し当てた。
綺麗な指先から真っ赤な血が一滴、始祖の口へと零れ落ちる。そのままそっと始祖の顔を置いた。腹黒は人差し指に出来た赤い玉を見つめている。
「え?それで終わりなの?」
「いいえ、まだ――」
そう言いかけた腹黒は突然私の口の中にその指を突っ込んできた。
人差し指が私の舌を撫でる。何が何だかわからない。驚いて腹黒を突き飛ばしたつもりが、思ったよりもビクともしないので私が倒された形になった。
なんなんだ、こいつ!
「これで終わりですよ、アリス嬢。」
腹黒は人差し指を舐めながらこちらを見ている。
それは今私が舐めさせられた指ですよね!頭おかしいんじゃないの?エロ過ぎるでしょ、その行為も、その顔も!
私が頑張って落ち着きを取り戻している間、腹黒は何事もなかったかのように手袋をはめていた。なに涼しい顔してるんだ!乙女を弄ぶな!こっちは自分でもわかるくらいに赤くなってるっつーの!
「ふふふ、アリス嬢はからかい甲斐がありますね。かわいいですよ。」
「も―――――!終わったんなら帰ってよ!ほんっとムカつくわね!」
ギャーギャー騒いでいる自分がなんだか小物のように思えてくる。
腹黒にいいようにオモチャにされていると感じるのは何度目だろう。
「明け方までは容体が安定しませんから気を付けてくださいね。」
「わ、わかったわ。とにかく今日はありがとう。助かったわ。」
きちんとお礼を言った私を腹黒は目を丸くしながらも頭を優しく撫でてくれた。
やっぱり社会人として礼儀は重んじなきゃいけないでしょ。少々難ありでも助けてもらった事には間違いないのだから、少々難ありでも!
フランシスがヒイラギ亭まで送ると言ったのだが腹黒は丁重に断っていた。
きっとそのまま誰ぞの所にでも行くのだろう。別に妬いているわけではない。腹が立つだけだ。姿が見えなくなるまで見送った後、別棟の警備をフランシスさんに任せ、今一度第二応接室へと向かうことにした。
時間的には昼食を摂った後だった。
落ち着いたお茶の時間が流れている。ヨゼフさんによると一応食欲が無い者はいなかったらしい。がっついたりしていなかったということで食事はまともに出されていたと思われる。
「皆さん、お待たせしております。先ほどの話の続きですが、故郷に帰るつもりのない方々には働いてもらいます。もちろん奴隷としてではなく自立してもらうためです。直ぐに働けない方々は癒えるまで休んでもらって構いません。ただし部屋代だけは支払ってもらいます。カミル区長が立て替えてくださいますので借金ということにはなりますが。」
“カミル区長”と“借金”と言う言葉に一同顔色を変えた。
それはそうだろう、カミルに買われカミルに売り飛ばされたのだ。それに借金の肩代わりで売られたもしくは自らを売ったのかもしれないのだから。
「“働いてもらいます”って、もうそれが命令なんじゃないの?俺たちは自由なんだろ?だったら好きにさせてもらうぜ。お前らの遊びに付き合ってられるかよ。」
ガルヌラン伯爵夫人に連れてこられた金髪の男性が席を立つ。
確か孤児院から売られた人物だ。金髪ロン毛で背が高くイケメン的な雰囲気がある。オラオラ系だろうか。
確かに彼の言い分も一理ある。だったら尚更職安ギルドに入って安定収入を得てほしい。
「またお抱え男娼にでもなるつもり?それとも男用の娼館に売り込むのかしら。」
「うるせーな!自分を武器にして何が悪いんだ。仕事だと割り切ったら食いっぱぐれることはないんだ。運が良けりゃいい服だって着せてもらえる。それの何が悪い!」
ははーん、こいつ自分がイケてると思ってるな。
金髪で若いだけでこの程度の男は山ほどいる。こんな男の賞味期限なんてたかが知れているのだ。捨てられたらどんな未来が待っているのか容易に想像がつく。
「お抱えだったら自由がなかったでしょ?娼館でも上前刎ねられるだろうし、堅実じゃないわね。だいたい若さはいつまでも続かないのよ。あなたがいくつかは知らないけれど、捨てられたり用済みになるのは時間の問題ね。その時あなたはどうするの?そのまま路上で物乞いでもするのかしら?その時には誰もあなたなんかに振り向いてくれないわよ。それでもいいんならどうぞご自由に。太く短く生きるのもいいかもしれないわね。」
ここは敢えて突き放す。
今日までの人生をちゃんと考えて選択してもらおう。この手のタイプは何かとプライドが高く肯定すれば付けあがり否定すれば反抗する。金髪男が孤児院で受けた教育がどんなものかはわからないが、この後の行動次第で本当の馬鹿なのか施しようのある馬鹿なのかがわかる。
「、、、、、、、。」
黙り込んでしまったようだ。
そうだ、自分でもう一度考えればいい。誰だって分かり切ったみじめな人生は送りたくないだろう。もう一度金髪男が口を開くまで待ってあげた。
「、、、、、だったら、どうしろって言うんだよ。」
ギュッと拳を握りしめこちらを睨んでくる。
はい、よく出来ました。施しようのある馬鹿だったみたいね。固く握られた手を取りにっこりと微笑んであげた。
「一緒に労働の喜びを分かち合いましょうね。」
金髪男はみるみる真っ赤になっていく。
これが万人受けする美人の特権よ。鞭のように厳しい言葉を並べ立てた後、触れ合って飴のように甘やかす。最後に笑顔をぶちかましておけば大概はうまくいくのだ。
傍から見れば三文芝居のように取られるかもしれないが、男女問わず身体を売って稼ぐだけが仕事ではないとわかってもらいたい。
金髪男に優しく寄り添いソファーに座らせた。
「他の皆さんも故郷へ帰られる方は別ですが、嫌でなければ喫茶の店員さんとして働いてもらいたいと思います。もちろん気分や体調が回復してからで構いません。接客業が苦手な方は他の仕事でも構わないです。詳しいことは明日他の人たちと現地に着いてから説明いたしますね。」
他の四人の反応は様々だ。
同じくガルヌラン伯爵夫人に買われていた金髪女性は血色は良くなったものの終始ビクビクしているし、グレーの髪の女性はめっちゃ私を見てくるし、デリックに買われていた赤髪女性は思い詰めているように見えた。貴族と手を繋いでいた男性は自分の指を見てもじもじと落ち着かないでいる。みんな連れてこられたばかりだから仕方がないか。明日から個室になれば何か進展があるだろう。他に安全な帰る場所があるのであれば止めはしない。
全員を地下牢に連れてきた。
軽く自己紹介をさせ、初期メンバーに合流させる。逃亡の可能性は低いことから早い段階で牢に鍵はかけていない。一応年頃の男女なので就寝時だけは警備が牢に鍵をかける。出入口は施錠をし見張りを立てている。脱走監視目的ではなく諍いが起きた時のためだ。
最初に見た時よりはだいぶ和やかな雰囲気になっている。とは言え地下牢には変わりない。少し申し訳ない気持ちがする。
明日には移動して個室が与えられることを告げると、初期メンバーは一様に喜んだ。
軽く接客をしてもらうことを付け加えておく。無理なら他の仕事を与えることも説明しておいた。
その後少し別棟の始祖の様子を見た後、第二応接で軽食を摂りながらカミルが落ち着くまでに王都の物価や冒険者ギルドに依頼された雑用の相場をおさらいしておく。
食堂で夕食をとヨゼフさんに言われたのだが、とにかく時間が勿体無い。丁重にお断りして片手でつまめるサンドウィッチを用意してもらった。
その夜、食事の席に私がいないことを心配したカミルが少し早めに来てくれた。
ギルド手数料・税金の内訳をもう一度綿密にすり合わせ、ランク制導入やランクアップの条件、ギルドを介することならではの特典や明日届くギルドカード・記録用の水晶や受付用紙諸々の確認を行った。明日の夕刻には職員の四人が揃う。一人はどうしても開業当日になってしまうらしい。すでに一人は最初の打ち合わせの時に顔合わせをしている。
「ハニー、そんなに気負わないで。僕の知り合いなんかにも声を掛けて依頼を出してもらったりするからさ。大丈夫、うまくいくよ。今日はもう休みなさい。」
カミルは私の手を取り退席を促して部屋まで送ってくれた。
名残惜しそうに振り返りながら“おやすみ”を言い、自身の寝室とは違う方へと歩いて行くカミル。きっとまだ何か処理が残っているのだろう。
部屋に入りかけた時にヨーコさんから声を掛けられた。
「アリス様、ハーブティーをお持ちしましたよ。」
ワゴンを見るともう一組ティーセットが置かれていた。
カミルの分に違いない。そのままヨーコさんを部屋に招き入れハーブティーをいただいた。
「ねえ、ヨーコさん。お願いがあるんだけど。別棟の鍵、開けてくれない?今晩は黒モフの傍にいたいのよ。」
「黒モフって、あの黒い動物のことですか?いいですけど、カミル様に報告しないと。」
「あ、それはダメ、カミル区長には心配かけたくないの!お願い。」
しばらく考え込んでいたヨーコさんだが快諾してくれた。
今日は戸締りの当番なので合鍵は全て持っているとのことだ。カミルにお茶を届けてからになるので部屋で待っていてほしいと言われた。
あれからしばらくしてヨーコさんと落ち合い別棟まで案内してもらって鍵を開けてもらった。
内側からきちんと鍵を掛けること、カーテンは開けてはいけないことなど諸注意を受け、今は別棟の中にいる。かなり薄暗い。でも私には暗視カメラ越しのようにはっきり見える。視界なんとかって言うスキルのお陰だろう。持参した枕と毛布を持って黒モフの傍で眠りについた。




