私のターン!
大きな柱時計の振り子の音だけがカチカチと響いている。
ラハナスト侯爵邸の第二応接室のソファーでありすは頭を抱えていた。
「ちょっと待ってよ、初犯じゃないの?いったいいつから何回やってんのよ。」
どうやらカミルは半年ほど前から懇意のある貴族に奴隷を手配していたらしい。
既に貴族たちは隠れて奴隷を数人抱えている状態なのだ。ご丁寧に納品書があり契約書が交わされているという。
数日後の晩餐会はその第二回目というわけだ。飽きてしまった、他にも欲しいという声を聞き今回はなるべく注文通りの商品を奴隷商から見繕ったらしい。
「とにかく今からクラウンと登城した時に言うことはこうよ。ちゃんと覚えなさいね。」
ありすはカミルが奴隷商をあぶり出すために囮捜査をしていたことにするらしい。
クラウンも奴隷商を追っていた。鉢合わせた結果がラハナスト侯爵邸の事件であるという。カミルが決定的な証拠を手に入れるため実際に奴隷商に接触し、信用させるため奴隷を買い付けたということは報告させる。ただしその者たちは奴隷としてではなく個人として丁重に扱い仕事を斡旋したり親元に返したりしている、いわば慈善事業を行っているのだと説明を加えさせる。
「そこで宣言してきてほしいの。“この慈善事業をギルド化します”ってね。」
ありすの言葉に一番驚いたのはクラウンだ。
カミルに至ってはもうここではない何処かにトリップしているように目がうつろになっている。
「こいつに嘘八百言わせた挙句、ギルド設立させるだと?ふざけてんのか?!」
「私はいたって真剣よ。この事業が成功すれば他の王子なんて目じゃないくらいに領地、いや国家に大きく貢献できるわ。時間ないんでしょ?言われたとおりにしてくれる?帰って来てからが本番よ!一番忙しいのはカミル区長なんだからね。あと出ていく前にこの屋敷に残っている人全員、ここに呼んでちょうだい。」
ありすは壮大な計画に自信があるのかソファーにふんぞり返っている。
その態度がクラウンにどのように映ったのかはわからないが重い腰を上げカミルに急いで登城するよう促した。カミルはヨゼフに後を任せ、クラウンと共に退室した。
「アリス嬢、どうするおつもりですか?」
ユージーンが紅茶を飲みながらありすに話しかけている。
クラウンがいない以上結界を張る必要もなく部屋にはありすしかいないので暇を持て余しているようだ。
「かなり大それたことをおっしゃいましたが当てはあるんですか?」
「そんなのあなたに決まってるでしょう、おほほほほ。ねぇ、ギルドってどうやって作るの?どんな手続きがいるの?」
ありすはユージーンの方へ向き直しにっこりと微笑んだ。
「私が知るわけないでしょう、人族の事なんて。」
「え?」
即答だった。
二人の間に言いようのない沈黙が訪れる。ありすの顔からはどんどん血の気が引いていった。
(マズいマズいマズいでしょ!!ウソウソ!知ってるよね?クラウンだって何も言わずに登城したよね?出来る範疇だからだよね?、、、、、嗚呼、ご都合主義のイベントの神様、何とかしてください!)
空中を見たまま祈りを捧げる半泣きのありすを無視してユージーンは紅茶を啜っている。
そんな折、がやがやと話し声とともにヨゼフたちが応接室に入ってきた。
「お嬢様、カミル様の家臣及び使用人たちを連れて参りました。」
護衛が一人、警備が五人、家令、メイド長、メイドが五人、補佐役、料理長、その手伝い一人、庭師。
総勢十七人。
昨日の立ち回りで怪我をしている者もいる。この大きな屋敷に似つかわしくない人数の使用人しかいなかった。目をうるうるさせているありすを見て使用人たちがざわついている。ヨゼフからは何も聞いていないのか、ありすと同じように目を潤ませるメイドもいた。カミルが連れて行かれたと思っているようだ。一か所に集められたことに対しての不安もあるだろう。
そんな家臣たちの様子を目にしたヨゼフは咳払いをし、ありすに話しかける。
「それとギルドの設立の際に必要と思える書類のご用意と関係各所への簡易連絡を済ませておきました。」
「え?」
ありすは自分の耳を疑った。
失意のどん底で神々しい一条の光を見たかのような晴れやかな笑顔を取り戻し、すぐさまヨゼフに駆け寄り無言でハグを繰り返した。
まさかのヨゼフの神対応だ。
ありすは泣いて喜び、そうしてプルプル震え出したかと思うと急にガッツポーズを決め小躍りしている。その独特な喜びようが異常だったのか使用人たちはかなり引き気味だ。
「あの、ところでお嬢様。どうして我々をお呼びになったのですか?」
奇妙な生き物ありすに勇者ヨゼフが果敢にも言葉をかけた。
ニマニマしながらユージーンを見下していたありすはヨゼフたちに向き直る。
「まずはヨゼフさん、素晴らしい働きです。さすがは執事オブ執事!どこかの腹黒執事とはえらい違いです。で、お集まりいただいたのは“カミル再建プロジェクト”を発足するにあたっての皆さんのカミル区長への忠誠心の度合いを知るためです。この度、カミル区長は残念ながらお縄になることはありません。この私を死なせかけたにもかかわらずです。そこで皆さんに今一度問いかけます!“もうカミル区長になんかついて行けないわ!”って言う人、居たら手を挙げてください。」
ビシッと手を挙げて見せたありすは全員の顔を見渡す。
顔を見合わせこそこそと話はしているものの手を挙げる者はいなかった。
「遠慮しないで。あ、そこの剣を持った人、そう、あなたです。私と中庭で会ったでしょう?どうですか?カミル区長はもう懲り懲りですか?信用なりませんか?」
ありすが問いかけたのはカミルの護衛をしていたジュリアスだ。
しばらくは俯いていたが真っ直ぐにありすを見つめそのような意思がないことを告げた。メイドや庭師までもがカミルを慕っているらしく誰一人として悪く言う者はいなかった。
「なるほどね。それって区長の仕出かしを知っててもなおってことでいいかしら?今ならここを辞めて出ていってもらっても構わないんですけど。」
ありすは意地悪い顔で一番若そうなメイドに目を向けた。
他の者の視線も一斉に浴びた若いメイドはおどおどしながらもスカートを握りしめ少しずつ言葉を紡いだ。
「わ、私は、旦那様のされたことはとてもひどいことだと思います。知らされたときは裏切られた気持ちでいっぱいでした。許されない行為だと思います。も、もし私が売られてしまったらと考えると恐ろしくて。でも、でもそれ以上に旦那様からはいつも優しさと慈しみをいただいておりました。多分他のみんなもです。そんな旦那様がちゃんと罪をお認めになって私たちに謝罪されました。旦那様のお命と引き換えに私たちを助けて下さると聞いたとき、私は、私は、、、。」
しゃくりあげて泣いてしまった若いメイドの肩をメイド長が優しく抱いている。
ありすはそれを釈然としない顔で眺めていた。何が言いたいのかがわからないからだ。だからどうなのかをはっきりさせたいありすはついつい腕を組み睨みつけるような態度を取ってしまった。
「結局どうなのよ。これから区長を盛り立てて行こうっていうときに半端な気持ちの人がいたら困るんですけど。言い方がきついかもしれないけど、それくらい全身全霊で区長をサポートしてもらわないと成功しないことを成し遂げようとしているんですよ。遺恨がある人物は参加させられません!」
この発言を聞いても誰一人としてありすから目を逸らすものはいなかった。
それどころか命までをも懸けるのではないかという闘志が感じられる眼差しだ。
「おそれながらお嬢様、ここにいる者は全てありのままのカミル様を受け入れ赦し、そして再びお側に仕えようと誓っております。」
「そう、それならいいんだけど。それと“お嬢様”は止めてください。アリスでいいです。」
「かしこまりました、アリス様。」
全員の意思がはっきりしたところでありすはソファーに腰掛けた。
もう冷めてしまっている紅茶を口に含み一呼吸置いてから、敢えてカミルついて真実を歪曲して伝えた。本当に真実を知る者は少なければ少ないほどいいからだ。
彼らにはカミルに嘘をつかせた通り囮捜査をしていたのだと話したのである。
その方がカミルにとっても彼らにとっても都合がいい。カミルは彼らの信頼を取り戻せるであろうし、彼らもカミルが罪人ではなかったのだと安堵できる。囮捜査はその範疇に入るとありすは踏んだのだ。主従お互いの心象が良くなったところでありすは彼らに指示を出した。
“今まで通りの生活をし、全てを受け入れること”
これがカミルを陰から支える最も重要なポイントだという。
この登城を機に新しい事業を起こすカミルにとってこれからが正念場になる。屋敷内で何らかの変化を感じ取ることも多くなるだろう。これを成功させるには屋敷の者一丸とならなければならない。そのために屋敷内での出来事は外に漏らさないこと。ただしカミルの事が話題になった時は“今まで通り”いい主人だと話すこと。囮捜査だったとは言え何かと探りを入れてくる人物が出てくるであろうが、そのような人物と接触してしまっても知らぬ存ぜぬで押し通すこと。
要点を絞って簡潔に話し終えたありすはすまし顔で紅茶を飲んでいる。
まだあどけなさを残している女性がまことしやかに作り話をする様子を見てヨゼフのありすに対する評価がまた上がった。
“はい解散”とありすに言われヨゼフを先頭にメインホールをぞろぞろと下りていく家臣たち。
その顔は皆狐にでもつままれたようだった。いきなり招集をかけられ訪れた先には主人ではなく魔族の女性が待ち構えていた。主人が帰らぬ人となることは避けられたものの話が大きすぎて理解に苦しんでいるようだ。皆が持ち場へ戻ろうとした時、ジュリアスが声を上げた。
「ヨゼフさん、本当にカミル様は潔白なんですよね?」
その声に一同が歩みを止める。
ジュリアスは終始言葉少ないヨゼフを不審に思ったようだった。あまりにも出来過ぎた話に素直に納得がいかないらしい。何故昨晩の懺悔の代わりにカミルから真実を告げられなかったのか。そこまでして隠す必要があったのか。
「アリス様のおっしゃる通りですよ。」
皆のいる方へ身体を向けヨゼフは軽く微笑んだ。
それ以上の詮索は許されそうにない。
「あなた、、、、。」
不安そうな瞳でメイド長がヨゼフを見つめている。
彼女はヨゼフの妻マリアだ。長年連れ添った間柄なのでヨゼフの機微を感じ取ったのだろう。夫を巻き込んだ何か大掛かりな陰謀があるのではないかと身を震わせている。
「みなさん、何も心配することはありません。今まで通り粛々と我々にできることをやっていきましょう。それがカミル様の助けとなるのであれば一も二もないでしょう。」
ヨゼフは話を斬り上げるとパンパンと手を叩き、皆を持ち場へと戻らせる。
マリアは若いメイドの肩を抱きながらしきりにヨゼフの方を振り返り心配そうな眼差しを送っていた。
ラハナスト侯爵邸で昼食までご馳走になったありすとユージーンは再び第二応接室にいた。
二時を過ぎてもクラウンたちが帰ってくる様子はない。さすがのありすも少々心配になってきたようだ。
(このゲームがガバガバでありますように。って言うか、このまま闇雲に一年を過ごせって言うの?屋敷襲撃イベントも私抜きで終わってるし。って言うか私が捕まったのよ、おかしいでしょ。このゲームは何をさせたいの?プレイヤーは何が目標?クラウンを王様にするまでは何やっても許されるわけ?)
本来ならこの屋敷でカミルを含め貴族たちを一掃するはずのイベントがあやふやになってきている。
ありすはこのことがずっと気になっていた。カミルを助けるか助けないかでストーリー分岐が発生するにしても、あまりにもプレイヤーの行動制限がなさすぎなのだ。後先考えずに物事を進めていっても最終的には模擬戦というエンディングになるのであればプレイヤー次第で無数のストーリーが展開される。それに対してこのゲームが対応できるのか。NPCはついてこられるのか。ありすは腕組みをし眉間に皺を寄せながら考え込んでいる。
「アリス嬢、お腹が痛いんですか?食べ過ぎなんじゃないですか?」
動かないありすを見てユージーンが顔を覗き込んでいる。
「どこをどう見てお腹が痛いってなるの?そんなに食べてないし!考え事をしてるのよ、わからないの?このイケメン過ぎるNPCが!」
不安と怒りの矛先をユージーンに向けたありすはユージーンの膝に乗り肩をゆさゆさと揺り動かしている。
“コンコンコン”
応接室の扉がノックされ、クラウンとカミルが戻ってきた。
見方によってはとても破廉恥な格好のありすとユージーンが目に飛び込んでくる。もちろん二人には老人にまたがって身体を揺らしているサキュバスにしか見えていない。
「何やってんだ!!」
「う、羨ましい、、、。」
二人の反応は対照的だった。
クラウンは慌ててありすを引き離し、拳骨を食らわせる。カミルはもじもじしながら自身を抱きしめていた。扉の外ではヨゼフがドアノブに手を掛けたまま完全に固まっている。
ありすがひとしきりクラウンに怒られたのちに王城での詳細が語られた。
結果的にはありすの作戦が功を奏したのかカミルに対しては軽く口頭での注意に留まり、ギルド設立に対しても否定的ではなかったようだ。ただギルド設立を立案したのはクラウンで詳細は領地運営に関することなので答え兼ねると回答したそうだ。それはそうだろう、ありすから何も聞いていないので答えられるはずがない。
「で、どうするんだ?何のギルドなんだ。冒険者ギルドと商業ギルドの長に話を通して設立を認めてもらわないと話にならない。まさか奴隷売買のギルドではないだろうな!」
クラウンは先ほどから溢れんばかりの怒気でありすを睨みつけている。
奴隷売買と聞いてぎくりとしたカミルは下を向いてしまった。
「そんな訳ないでしょう。ここからは私が現代の知識で無双させてもらうわ!言わば“私のターン!”ってやつね。」
声高らかに無双宣言したありすだが周りの者には全く伝わっていなかった。




