逆転の発想
ヒイラギ亭には朝から多くの客が出入りしている。
少し宿代が高いだけあって貴族の観光客や景気のいい商人が多い。中には冒険者もいるが連泊はしないようだ。
建物横のヒイラギ亭が所有する馬車専用スペースに一人の身なりの良い老人が立っている。
モーニングコートでモノクルを掛けた姿はどこかの貴族の付き人のように見えた。
「どうしてお爺さんなのよ!クラウンも何とか言ってよ。」
入口から回りこんできたありすは開口一番文句を言った。
この老人こそがユージーンである。もっともありすには一瞬だけしか映らなかったのだが老人と認識はできたようだった。
「いつもこんな感じだ。いちいち驚いていたらキリがないぞ。」
全く動揺していないクラウンはいそいそと馬車に乗り込んだ。
残されたありすはニヤついているユージーンを呆れた目で見ている。
「アリス嬢、今の私の顔の位置はそこではありませんよ。お話したいなら私の胸の辺りを見ていただかなくては。」
ユージーンは胸をぽんぽんと叩いてみせた。
「結構です、早く乗りましょう。」
ありすはプリプリ怒りながら馬車に入って行く。
御者に指示を出してユージーンもありすの後に続いた。
馬車の中は四人がゆったり座れる上質なシートで天井まで高さがあり広々とした空間だった。
走らせていてもスプリングが効いているのか振動も左程気にならない。ありすは知らないだろうが二度目の乗車になる。
クラウンは一人で、ありすとユージーンは並んで座っている。もちろんクラウンの向かいはユージーンだ。先ほどありすを抱きしめてからは変に意識しているのか距離を取ろうとしている。そのありすは全く気にする様子もなく窓の外の景色を眺めていた。
「ねぇ、ユージーン。御者さんは大丈夫なの?怪しまれてない?」
乗車前の会話を思い出してか心配そうにありすが尋ねた。
一応気にかけてユージーンの胸あたりを見ながら話している。それに気づいたユージーンはにっこり微笑んだ。
「御者は気にしなくて大丈夫です。それよりも区長がお亡くなりになられていたら無駄足ですよ。」
「最初はダメかと思ったけど、私は生きている方に賭けるわ。」
「凄い自信ですね、その根拠は?」
ユージーンは足を組み窓枠に肘を置いて横目でありすに問いかける。
クラウンからは爺さんが無理な態勢で身体を捻っているようにしか見えない。
「あくまでも街の噂を真実と捉えるなら区長は誰に対しても優しい人物だと思うの。表ではいい顔をして屋敷では冷徹な主人だなんてのは絶対に噂として広まってしまうもの。人の口に戸は立てられぬって言うでしょ?使用人や出入り業者から必ず漏れてくるわ。」
「そんな言葉聞いたことありませんね。」
この世界にこのことわざが存在しないのかユージーンが首を傾げている。
クラウンも同様だ。ピンと来ていない二人ではあるが意味はなんとなく理解しているようだ。
「私が育ったところではあるんです!黙って聞いてよ。街ではいい区長、出来た主人で通ってるんでしょ?彼に対する陰口は聞いたことがないって言ってたよね。だったら生きているはずよ。」
「どうして?」
「だってもし区長が死んでいた場合、誰かが逃げ出したってことよね?主人が死んでも自分の生活を守りたい使用人がいるってことでしょ?慕われているのなら考えにくいわ。それに逃げたところで誰が勤めていたなんて調べれば直ぐにわかる事だし。」
自信満々に持論を展開したありすだがあまり二人は響いていないようだ。
ラハナスト侯爵邸の襲撃では相手を無力化しただけで拘束はしていない。カミルが屋敷の者全員に通達する前に誰かが外に助けを求めに行った可能性もある。あの時の状況を一番わかっているのはクラウンだ。ありすはその辺りの事は聞いていないのだろう。助けを呼ぶという行動は思いつかなかったようだ。
「まぁ、カミルが死んでた時はお前を証人にしてラハナスト侯爵を断罪すればいい。金の亡者を黙らせるいい機会だ。」
クラウンは手を頭の後ろで組んで目を閉じた。
最初から生存に期待をしていないのだろう。ありすの仮説も話半分にしか聞いていないようだ。
「仮に生きていたとしても脅しに屈するタイプではないでしょうに。潔く罪を認めてしまったらどうするんです?」
ユージーンもカミルを味方に引き込むのは無理だと思っているのだろう。
取り敢えず聞いてあげている感が否めない。手詰まりですよねと言いたげだ。この微妙な空気の中、ありすは握りこぶしを作り雄叫びを上げた。
「そこをなんとかするのがこの企画部課長の役割でしょ!プレゼン上等!かかってこいや!」
男性二人は目が点になり、車内はより一層居た堪れない空気に包まれてしまった。
馬車から降ろされた場所はラハナスト侯爵邸からは少し距離があった。
ここからは徒歩で向かうと言う。さすがに宿屋の馬車では入れないのだろう。
ありすは二人の後ろを歩きながら頭の中でこれからの事、今までの事を思い巡らせていた。
ユージーンと馬車停車場で待ち合わせるまでに短時間だがプランを練った。カミルに響くような状況と内容を盛り込まなければならないが手札も少ないことから最終的に煽り倒すことにしたようだ。クラウンも協力するようだがいい感じで演じてもらわねば詰むだろう。
食事処では両者を突き出す事・派閥の事などを言及しているので、その辺りを整合性のあるように進めないと後で辻褄が合わずに自滅なんてことになり兼ねない。
それに会談中の会話をどのようにユージーンが置き換えるのかも謎である。ユージーンが面倒事が嫌いだという事も相手の気持ちを汲むことが出来ないということも不安でしかない。ありすはこの世界がザルであることを祈るしかなかった。
「うわ~、土地の無駄遣いね、、、」
ありすは区長の屋敷の前であんぐりとした。
もうバッキンガム宮殿かというような豪奢な鉄の門、周りも同じような柵で囲まれている。大きな方の門は馬車、その横は人が通るであろう通用門がある。とにかくこんな鉄の柵で囲まれているなんて、ある意味、動物園のようだ。
馬車用の門と通用門の間の塀には謎の出っ張りと半透明の球体がはめ込まれている。
クラウンはそれを押した。
『どうぞ、お入りください』
球体から声が聞こえ、通用門の方が開いた。
「え?え?まさかのインターホン?!そして遠隔操作の自動扉!!」
ありすは現実世界に共通するようなものを目にしてテンションが高い。
球体を食い入るように眺め、ペタペタと触っている。そんなありすを置いてクラウンとユージーンは中へ入っていった。
歩くこと数分、屋敷の入口の扉もかなり凝った造りになっている。
ツタのような細かい掘り細工が施されておりドアノッカーは真鍮製の獅子が模られていた。その扉の半分が開くと家令のヨゼフが顔を出した。
「お待ちしておりました、王子殿下。どうぞお入りください。」
恭しくお辞儀をし、三人を迎え入れる。
供のものがありすと付き人らしき老人であっても顔色一つ変えなかった。
「この分だと区長は生きているようだな。」
「はい、誰一人としてこの屋敷を出て行ったものはおりません。」
「ほう、見事な結束とでも言ってほしそうだな。」
「恐れ多い事でございます。」
三人はそのままホール二階の第二応接室へと案内された。
ホールを挟んで反対側にはドアのない第一応接室が見えている。外れたドアや壊れた装飾品などは片付けられているようだ。
「カミル様、王子殿下がおいでになられました。」
応接室ではソファーに座ったカミルが暗い顔をして考え事をしていたが、ノックの音と共に即座に立ち上がり最敬礼で迎え入れる。
「王子殿下におかれましては――」
「もういい、顔を上げろ。」
クラウンの怒気を孕ませた声にすくみ上りながらも面を上げたカミルの目にありすが飛び込んできた。
「な、何故君がここに!!」
「あ!中庭のイケメン!」
カミルとありすは互いに驚きを隠せないでいる。
クラウンはありすをギロリと睨むとどういうことなのかを説明させた。どうして街に来たばかりのありすが狙われたのかが分からなかったクラウンはその内容からようやく納得したようだった。要するにありすの不注意と報連相を怠った結果だったと判断したのだ。クラウンはありす誘拐の件にマーキュリーが絡んでいることを知らない。
目に見えて不機嫌になったクラウンは一人用のソファーに腰を下ろし腕を組んだ。
ありすとユージーンは奥のソファーに座る。程なくして年嵩の増したメイドが飲み物を運んできた。丁寧にカップを机に置いていく。彼女は部屋を出ていくときに入り口近くに立っていたヨゼフに目配せをしていた。彼女の瞳は悪だくみを考えているようなものではなく悲しみの色が溢れ出るようなものだった。
ヨゼフはそれに頷き、ドアが閉められるとその場に跪いた。
「王子殿下、発言を許してくださいますか。」
予測しなかったヨゼフの行動にカミルは思わず席を立ちそうになった。
しかしクラウンの手前ぐっと我慢する。クラウンの方をちらりと窺い見るが目を閉じたままだ。ヨゼフも跪いたまま動かない。氷が張ったような静けさにカミルは小さく息を飲んだ。やがてクラウンはゆっくりと目を開けた。
「許そう、何だ?」
頬杖をつき、少しだけヨゼフに顔を向ける。
ヨゼフは顔を上げることなく感謝を述べ、そのまま一呼吸置き意を決して話し出した。
「此度の事件、私の独断でそちらのお嬢様を誘拐いたしました。カミル様に喜んでもらいたい一心での事でございます。カミル様は何も知らなかったのです。全ては私の責任は私にございます。」
「な、何を言うヨゼフ!違う、違うんだ!いえ、違います王子殿下!私がやったんです!だってヨゼフが彼女の事を知り得るはずがないでしょう!」
カミルは思わず立ち上がり身振り手振りで必死にヨゼフを庇いたてる。
昨晩、カミルはヨゼフの申し立てを却下した。そして屋敷の者全員を集めて今までに犯した罪を告白し、それを償う旨を伝えた。家臣や使用人たちは最終的にはカミルを許し、ささやかながら食堂にて最後の晩餐を開いたのだった。カミルは素晴らしい家臣たちに恵まれていたのだと実感し、彼らを守ってやりたいと心から思った。その時ヨゼフが妻マリアと共に思い詰めたような顔をしていたことには気付いていたが、今後の彼らの身の振り方について不安になっているのだろうと思い込んでいたのだ。
「ヨゼフ!」
カミルが泣きそうな声で叱責するもヨゼフは相変わらず跪いたまま微動だにしない。
クラウンは白けた目でカミルに着席を促した。
「話は終わったか?くだらないことで時間を取らせないでくれ。カミル、お前に今から二つの選択肢をやる。一つは自らの罪を認め大人しく罰を受けるか、一つは俺が国王になるのに助力するかだ。どちらか選べ。」
クラウンの言葉にさすがのヨゼフも顔を上げ呆然としている。
クラウンは最初からヨゼフの話に耳を傾ける気など無かったのだ。ヨゼフの取った行動はカミルを庇うどころかクラウンの耳汚しになってしまったようだ。
呆然としているのはカミルも同じだった。
『盟約の儀』を交わしているのだからクラウンが望む方を命令すればいいだけの事ではないのか。罪を認め投獄もしくは処刑されたとして屋敷の者はどうなるのかが言及されていない。それに世間ではクラウンが王になる確率は極めて低いと言われている。国王になる手助けをしたところで最終的には財産没収からの処刑になるだろう。遅かれ早かれ死ぬ運命は変わらないのだ。
クラウンが何故わざわざ選ばせるのかがわからず、その真意を問おうとカミルが口を開こうとした矢先だった。
「返事、おっそ。カミル区長に商才があるなんて誰が言ったのかしら。とんだ期待外れだわ~。」
心底つまらなさそうな顔でありすがこぼした。
くるくると指で巻き取った髪を見つめている。まさかそんなことを言われるとは思ってもみなかったカミルは素の感情をあらわにした。
「何だと!」
「いやだ、カミル区長。貴族はいつ何時でも仮面を着けていないといけないんじゃないの?ムキになるなんて自分に才能がないって認めてるようなもんでしょ。クラウンの問いかけに即答できないようだったら上に立つ資格も商人としての才能もあったもんじゃないわね。」
カミルはその言葉に愕然とし眩暈すら覚えた。
いきなりありすに罵倒されクラウンの意図も読めない無能だと言われたのだ。何かを企んでいるような冷たい瞳のありすはメイドの淹れた紅茶を眺めていて、一切カミルの方を見ようとはしない。カミルにはありすが瞳に映す価値すらないと判断したように見えた。必死になって“正解”を導こうとするがどう考えてもわからない。
「もう時間がないのよね、クラウン。だったら一つ目の案でいいんじゃないかしら。」
「待て!僕はどうなってもいいがこの屋敷の者たちは――」
「そんなのどうなるかわかんないわよ。あんたが死んだらどうにでも出来るでしょ。だってあんたは彼らを見届けることはできないんだもの。こっちとしては出来るだけ多くの人物をしょっ引けた方がいいに決まってるじゃない。」
にんまりと笑うありすはさながら悪役令嬢のようだ。
カミルの背筋に悪寒が走る。全員が命を失う未来しか思い描けなかった。
「どちらを選んでも死しかないじゃないか!即答なんか出来っこないだろ!」
「だからあんたに商才なんてないって言ったのよ。」
ありすは吐き捨てるように言う。
人の生死が関わっている状況になってもなお商才を推してくるありすにカミルは薄気味悪さを感じると同時に興味を抱き始めていた。
「いい?ピンチはチャンスって言うでしょ?ビジネスマンの基本よ。商才がある人なら迷わず二つ目を選ぶわ。」
「どうしてだ?だって負け戦じゃないか。」
カミルはハッとして口を押えた。
嫌な汗が背中を伝う。口を滑らせた瞬間、生きた心地がしなかった。間接的にクラウンは王になれないと言ったようなものだからだ。恐る恐るクラウンの方を見たが目を閉じている。甘んじて聞いているのだろう。右の眉だけがぴくぴくと動いていた。
「その考えがダメなのよ。逆転の発想知らないの?“俺があんたを王にしてみせる”くらい言えないのかしら。選ばせてるクラウンから主導権を奪って王になった時に法外な見返りを吹っ掛けるくらいの根性がないと成功は収められないわよ。」
呆れ顔で肩をすくめるありすに急に拍手が降り注いだ。
カミルが目をキラキラさせながらスタンディングオベーションを送っている。先ほどクラウンに怯えていたのが嘘のようだ。
「素晴らしい!勝馬に乗る事しかしなかった僕には考えもつかなかったよ。」
「じゃ、決まりね!」
「、、、、、でも。」
「でも何よ。」
「人身売買に加担したことや君を誘拐した罪は拭えないよ。悪いけど――」
「私にいい考えがあるんだけど、乗る?嫌なら身内を見殺しにして死んでもらって構わないわ。」
容赦なく屋敷の者を盾にするありすにカミルは首を縦に振る事しかできなかった。
ユージーンはありすの半ば脅迫じみた交渉に苦笑いしている。なんとか無理矢理にでもスタート地点に立てたありすは胸を撫で下ろしていた。




