ダイビングルーム
「浦上~、ダイビングルームに出てこ~い。」
モニターを見ながら山田が脳内放送で優しく呼びかける。
一番端のオフィス専用部屋のランプが赤くなっているので浦上がいることは間違いない。
「浦上~。あとが閊えてるんだ~。早くしてくれ~。」
浦上の反応はなく自分の声がオフィスにむなしく響く。
仕方なくスイッチを切った。
「ったく、何やってんだよ!緊急事態なんだぞ!頼むから出てきてくれよ。」
この後の処理の事を考えるとうんざりしてきた。
浦上はしばらく放置しよう。取り敢えず部長の指示通り対象者がいるエリア総務に内線し、責任者に取り次いでもらった。
「あ、3号棟管理課の山田です。緊急事態です。簡潔に申し上げますので指示に従ってもらえますか?あ、はい。はい、そうです、冴島部長からの、はい。ええ、例のプロジェクトの件で。はい。あ、誰かがうちの装備を持ち出したようですね。ええ、2号棟備品室横のラボに修理に出していました。はい。ええ、それを誤って持ち出した者がいるんです。はい。ええ、対象者は4階の43号室です。はい。今すぐ立ち入り禁止に。ええ、私も後から向かいます。はい、あとは冴島部長の指示に従います。はい、警備の者を付けてください。はい。はい、それでは。」
ゆっくりと受話器を置く。
事前に相談した上司、部長の冴島が話を通していたのでスムーズに事が運んだ。ただ部長は新しいサンプルが取れると手放しに喜んでいたのが怖かった。
これは一般人を巻き込んだただならぬ事件だというのにどういう神経をしているのだろう。
決して示談では済まない、訴訟も起こされかねない、極めて重要な案件のはずだ。こんな案件を自分が対応していいのだろうか。俺が現場に?というか、行ったところで対象者は寝ているのだからどうしようもないのではないか。とにかく睡眠を妨げてはいけない。無理に起こしてはいけない。対象者が着けている装置はアレなのだから。
対象者は話によるとセミナー受講者のようだ。
恐らく簡単なシミュレーションの類のVRMMOを受けに来たのだろう。およそ十五分程度の体験版。だとしたら特殊眠剤の投入量が違うはずだ。もう切れているんじゃないか?そのあたりは医師と連携が取れているんだろうか。深いことを考えてもキリがない。自分は責任者ではないし考えても無駄だろう。眉間をつまみ上げ、ため息をついた。
「はぁ、浦上をどうにかしないとな。」
真っ白な無機質の部屋のベッドに浦上は座っていた。
手と膝から下の感覚しかない。尻に感覚がないので座っているのかも曖昧だ。
「、、、、、大丈夫だ、俺なら出来る、、、、。」
深呼吸をして自分を落ち着かせる。
《浦上~。あとが閊えてるんだ~。早くしてくれ~。》
最初のダイブの時は平気だった。
十分程度のテストだった。起きても全く違和感はなく、居眠りしてたかな程度だった。二回目三回目と数をこなしていくうちに時間も長くなった。二十分を超えるテストになるとだんだん気分が悪くなるようになった。
普通のゲーム開発でのテストプレイでいい感じに改善点を指摘し、それなりに信用を勝ち取っていた。
同じテストプレイヤーからも一目置かれるようになりVRMMOでも是非と言われ引き受けた。自分には才能がある、着眼点が違う、他の奴らに価値はない、そんな天狗が鼻をへし折られたのだ。バグも思うように指摘できず、周りからは陰口を叩かれるようになった。本業の企画でも実績が残せず、とうとう部内ではお荷物扱い。そんな苦い記憶がどんどん蘇ってくる。慰謝料なんでどうでもいい、このままベッドで眠ってやり過ごそうと思った。
《浦上~。これが成功したら、お前は英雄だぞ~。会社からも一目置かれて昇進間違いなしだ。俺なんか追い越して部長にだってなれるんじゃないか?》
あいつらを見返したい、ぎゃふんと言わせたい、羨望の眼差しを向けられたい。
この数十分を乗り越えればそれも可能かもしれない。功績を残せばもう潜らなくていい立場になれるかもしれない。馬鹿にしたやつを追い詰めることも。
《浦上、お前なら出来る。お前は特別だ。才能があるんだよ。さぁ。》
脳内に話しかける山田の声はまるで神の啓示のようだった。
「よし、やってやろうじゃないか!」
気合を入れて立ち上がろうとしたが、うまくいかない。
何せ膝から下と手にしか感覚がないので力の入れようがわからない。
「落ち着け、無意識でベッドからは起きられたんだ。何かコツがあるはず、、、テストプレイでバグを探す感じ、、、よぉし。」
感覚はないが立ち上がるイメージで力を入れる。
生まれたての小鹿のようにプルプル震える。よろよろしながらも立つ事が出来た。
「よっしゃー!これなら行ける!俺は英雄だ!!」
ゆっくりだが確実に歩みを進めて扉を開いた。
「あ~、思ったより早く終わったな。」
山田は背伸びをしながら三号棟の裏口へと向かっていた。
三号棟から目的地は正面通用口を通るより、社員用の裏口を使って中庭を通り一号棟の裏口から入ったほうが断然早い。一号棟は六階建てで、一階から四階は一般にも開放されたVRMMO専用のプレイルームがある。その四階43号室が目的地だ。今日は対象者が受けるはずだったセミナー用に開放されていたはずなので他の予約は入っていないだろう。
中庭の端を歩いていると二号棟が目に入った。
こちら側から見えているのは恐らくドクターの控室に違いない。欧米かというくらいの豪華なカーテンが見える。ドクターは好待遇だ。
ドーレインカンパニーは麻酔科のドクターを曜日ごとで採用している。
ただし大病院のドクターではなく町医者をだ。大病院のドクターはシフト勤務しているので決まった曜日に入れない。いつ論文や研究発表が入るかもわからない。町医者なら休業してでも当社を優先する。一日休んでもそれ以上の収入があるからだ。今でも採用待機の医者がいるというから驚きだ。奴等はどこまで守銭奴なんだろう。
「今日は土曜だから鈴木ドクターかな。」
そんなことを考えているうちに一号棟の裏口についた。
社員証をかざして中に入る。なるほど人っ子一人いない。しんと静まり返っている。正面入り口の方のエレベーターに向かう。
「ん?停止中?」
エレベーターの前には停止中の立て看板があった。
正面入り口の摺りガラスには外側の警備員の影が映っている。
「階段で行けってか、だりぃな。」
三階の踊り場まで来た時には息が上がっていた。
日ごろの運動不足が祟ったのだろう。ただでさえデスクワーク中心の生活を送っているのだから。ふと見上げると警備員が立っている。
「高いところからすみません、山田様ですか?」
「ああ、そうだ。」
手すりに掴りながら情けない声で返事をした。
何とか四階にたどり着くと警備員に社員証の提示を求められた。首から下げているネックストラップから社員証を出し警備員に渡す。渡された警備員は端末に社員証を差し込む。“ピポッ”という音がしたということは偽造ではない証拠だ。
「こちらを向いてください。」
そう言って警備員は俺の片目ずつに端末をかざす。
“ピポッ”“ピポッ”っと片目ずつに音が鳴る。虹彩認証もクリアだ。
「ご本人で違いない様です。どうぞお通りください。」
社員証を渡しながら警備員が道を開ける。
これほどまでに本人チェックが入ったのは初めてだ。緊張してか動機息切れかわからないが鼓動が早くなっていた。
「、、、歳だろうな。」
そう呟いてその場を離れた。
部屋の前にも警備員がいる。
面倒くさそうにネックストラップに手をかけた。すると警備員が結構ですという仕草をしたので軽く会釈をして部屋をノックする。
「山田です、入りますよ。」
ドアを開けると上司の冴島とドクターの鈴木が丸椅子に座っていた。
「いやぁ、山田君。だいたい時間通りだね。どうだい?新しい子は。役に立ったろう?」
ニヤニヤしながら冴島が口を開いた。
あのだらしのない口元がいつ見ても半笑いでどうも好きになれない。
「短時間で効きやすい大質だからね。手と足だけでもうまく仕事やっただろう?センスがあるのかなぁ、今の若い子は。はっはっは。」
「はぁ、まぁ、お陰様で早めにこちらへ来られました。」
興味なさそうに適当に答えてやったのに冴島はまだ笑っている。
自分が嫌われてるのがわからないのだろうか。あの笑い方も嫌いだ。
「そんなことより、これからどうされるおつもりですか?相手は一般市民ですよ。訴訟問題になったらどうなさるおつもりですか!」
イライラついでにヘラヘラしている冴島に向かって語気を荒げてやった。
部屋が静まり返る。対象者に繋げられている機械音だけが響いていた。
「大丈夫だよ~、山田君。そんな管理職でもないのに気にしすぎだよ~。何かあったら好待遇で引き抜いたことにでもしたらいいから。これくらいならレベル5くらいの対応で十分。それよりも、彼女の顔を見たら部屋に戻るよ。」
なんとも調子抜けな口調で答られ、ドクターだけがせわしなく視線をさまよわせている。
(は?なんなんだ!管理職じゃないと気にしたらダメなのか?普通に気にするだろ。頭のネジが飛んでるんじゃないのか?)
信じられないものを見るように冴島を凝視した。
たぶん馬鹿にしている態度と軽蔑がダダ洩れになっていると思う。当の本人はそんな目で見られていることを特段気にすることもなく鈴木に話しかけていた。
「ドクター、そこのパソコン、私のパソコンと繋がってるからカメラオンにして待機しててよ。タイミング見計らって連絡もらえる?あと15分くらいだよね?あ、まさか使い方わからないとかないよね?」
パソコンをしげしげと眺め、ぎごちない手でマウスを持っている鈴木が一瞬びくっとしたように見えた。
自分に振られるとは思ってなかったのだろう、いい気味だ。高給取りなのだから頑張ってもらわないと困る。
「な、なにをおっしゃいますか、出来ますよ。ほんと老人扱いは困ります。そんなことよりさっさと事務所に向かったらどうですかな?眠剤は最初に投入した配分と同じですので早くしたほうがいいですよ。」
鈴木もまさか自分が当番の日に問題が降りかかるとは露ほども思ってなかったのだろう。
恨めし気にVRMMOの機械に目をやっている。どことなく落胆したような背中だった。順番待ちがいるくらいだし、解雇されるのも時間の問題だろう。
しょぼくれたドクターをぼんやりと見ていたらいきなり肩を叩かれた。
「じゃ、行こうか、山田君。」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。俺がここに来た意味あります?」
「いや、こんな美女、滅多にお目にかかれないだろうから是非山田君にもって思ってね。」
ニヤついている冴島に蹴りを入れたい気持ちと、ちょっと得した気持ちになった自分がムカつくのとで無言になってしまった。
「ほんとに裏口から抜けるの早いんだね~。」
冴島が別室から持ってきたノートパソコンを机に置いて話しかけてきた。
俺は先にダイビングルームで使用するアバターを二体用意する作業を行っている。
一度潜った被験者は二度とダイビングルームには戻さない。戻るときは目覚めの時なのでダイビングルームでわざわざ呼び止める必要もない。だが今回初めて被験者を再びダイビングルームに呼び戻すという。そもそも呼び戻すなんてことができるのだろうか?そのまま起きてしまうのではないだろうか?
この部屋に来るまでにその質問を部長にしたのだが“今がチャンスなんです!”としか言わなかった。対象者はどういう状況なのだろう。作中で死にかけているのだろうか?とにかくどんなことが起こるか見当がつかない。それでも冴島はやろうとしていた。
対象者にはドクター鈴木に依頼して最初に使ったものと同じ眠剤を再投入しているとのことだった。
最初のもので三十分程度効果がある。二度目は二十分後に投入したらしい。そしてこの眠剤が切れるかどうかというタイミングで対象者をダイビングルームで呼び戻し、簡単な説明とスキルを取らせてから再び潜らせるというのが部長の算段だ。計算するとあと少しでドクターが連絡をくれる手はずになっている。
「大丈夫なんですよね?後遺症になったりしませんか?比較的浅い睡眠なんでしょ?起こしちゃったりしませんか?」
アバターや周辺の用意を終えた俺はかなり焦っている。
そもそも人の睡眠についてなど専門外だ。悪事に手を染めている気分になる。
「心配性だなぁ、山田君は。大丈夫だよ、用が済んだら8時間用の眠剤入れるから気にしないで。」
冴島は鼻歌交じりでマイク調整をしながら軽やかに答えた。
これっぽっちも罪悪感はないらしい。“用が済んだら”などと簡単に口に出来るメンタルを羨ましいと思いつつ5号機の部屋を各々のモニタリング用画面に映し出した。
「机の位置、ここでいいの?彼女に歩いてきてもらうわけ?この部屋ならどこで倒れても大丈夫なんだけど、出来ればベッドに戻ってくれるのが一番いいと思うよ~、あはは。さぁ、早く動いてくれないかなぁ。」
新しいおもちゃを与えられた子供のようにはしゃぐ冴島を見て寒気がした。
“コイツは絶対ヤバいヤツだ”と本能が警鐘を鳴らす。血の気が引いていくのが自分でもわかった。