5号機
ぼやぼやっとした、いや、ふわふわっとした感覚から覚醒した気がした。
ゆっくり目を開ける。見えたのは天井の白い壁。
(あれ?個室じゃん。)
ゆるゆると身体をもたげる。
目にしたのは自分の手。
(あれ?素手だ。)
ぺちぺちと頬を両手で触ってみる。
(被ってない。)
変な検査着を着てベッドに横たわっていたようだ。
(これってもうVR?触った感じ現実と変わらないんだけど、、。)
よく見ると先ほどの部屋ではない。
フィッティングルームもない。無機質な部屋。とにかく明るくて真っ白だ。入ってきたドアもない。しかし反対側には重厚な白い鉄の扉がある。
(なんか某ホラー映画の主人公が捕まった感、半端ないんですけど。)
そろそろとベッドから這い出る。
スリッパは無い。裸足だ。余計にあの映画を思い出す。唯一救われたのはちゃんと服を着ていること。あの映画では裸エプロンと変わらなかったから。取り敢えず、扉へ向かおう。
(これ、開くのかな?)
レバー式のドアノブに手をかけ、ゆっくりと押してみる。
力を入れずとも音も無くスッと開いた。
少し顔を覗かせ、辺りを探る。
円形ホールのようだ。全体的に薄暗い。中心になにやら人形のようなものがいくつかぶら下がっている。遠目でも人形っぽいから断じて人間ではないはずだ。気味が悪いしそう思いたい。
壁伝いには同じようなドアが点在している。
向こう側半分には無いようだ。ドアの上には照明があり、それはまるで”手術室”を思わせる。向こうの方の一つだけ赤で他は緑に灯っている。
自分のドアの上はと言うと赤だ。
人の気配もない。
生理的耳鳴りがするくらい静まり返っている。ここで声を出したらフラグが立ちそうだ。恐る恐る中心の人形へと向かう。いきなり殺されたりしないはずだ、研修だもん、研修。なんの研修かは不明なままだが。
全部で八体ある、いや、あったというべきか。
一体分の幅を開けて七体が円形に外側を正面にして吊るされている。ぐるりと回ってみたら二体ずつ男女ペアになっており、角が生えたもの、動物っぽい耳としっぽがあるもの、普通より耳が異常に尖っているもの、そして普通の。普通のだけ、女子だけしかない。荒削りの彫刻のような感じでスキンヘッドで衣服はまとっていない。だから男女がわかります、はい、あそこ丸見え。
最初は単に天井からぶら下がっているのだと思ったが、天井からまっすぐに下りてきている金属棒がL字型に曲がっており、その曲がった部分に両脇から吊られたワイヤーが一本になって引っ掛けられていた。金属棒は部屋の中心に向かってそれぞれ伸びている。その先は繋がっていない。
(パラソルハンガーみたい。中心繋がってないけど。)
悪趣味だなと思いながら角の生えた女子を見た。
角は羊のそれよりも真ん丸く巻いている。先端が後ろに向いているので、パッと見はお団子ヘアみたいだ。身体は荒削りなのに角だけやけに丁寧に作られている。なんの拘りがあるのだろうか。触ったら警報器が鳴るかなと思いつつ手を伸ばしかけた瞬間、、、、
《だ、誰だ!そこにいるのは!所属と名前!!》
ホールにガンガンに響く放送。
いきなり拡声器で怒鳴られた感覚で、心臓が飛び出るほど驚いた。その反動でつい人形を押してしまった。
ガラガラガラガラッ!
繋がっていた金属の棒が中心に向かって斜めになり、人形が動き出す。
「え?!」
おろおろしている間に人形が中心へ、そして光とともに消えていった。
そしてまた意識がなくなった。
「しっかし、アイツもよく潜りますよね~」
椅子の背もたれにだらりと身体を伸ばした茶髪の男がくるりと回転して後ろの席に声をかける。
「ま、中途採用だしな。そういう契約になっちまったみてぇだし、仕方ねぇんじゃねーの?」
声をかけられた男は画面から目を離し、振り向いて答えた。
研究室と称されるただのオフィスに二人の男の声が響く。
ここはVRMMOの開発チームのデータ管理所。プロゲーマーのようにいくつもモニターがあり、突き当りの壁全体は巨大モニターになっている。部屋全体に圧迫感は無く快適に過ごせるだけの机配置、何時間座っていても疲れないであろう豪華な椅子、仮眠室も備わっている。
会社では研究室と呼ばれているが、別に研究しているわけではない。
実際に試したデータを収集し、出来上がったものを上に持って行くだけだ。今のところ被験者は一人だけであり増えることはない。よって担当も二人だけで上司が一人。上司は別室にて先週上がったデータを分析している。
「そういう契約になったって、潜るの強制?アイツなんかやらかしたんっすか?」
「このVRMMOに文句つけたらしい。道徳に反するとか倫理がどうとか。」
「プログラマーで入ったんっすか?デザインで入ったんっすか?RPGに道徳も何もないっしょ?敵やっつけてゴールドゲットするんですし。」
「いや、まぁそうなんだがな、、、、、。」
先輩風の男は歯切れ悪く答えた。
「まさかグロいとか?『このゲームには暴力的なシーンがあります』的なやつですか?今更でしょ?普通のゲームでも結構過激なのありますよ。VRMMOなら遠慮しますけどね。」
「、、、、、ん、まぁな。」
何を今更映画倫理機構みたいなこと言ってんだと息巻く後輩社員と、あぁこいつは知らないんだなと思う先輩社員。
「とにかくいつもみたく8時間はモニターとバイタル変化を監視して、いつもと違う様子なら詳細をメモっとけよ。」
「オレ、見逃しあるかもっすから先輩もちゃんと見てくださいね、自信ないんすよ。先週のもアイツの生体反応消えかかってるの気づけなかったし。それに完全に潜るとムービーじゃなくて断片的にしか画像が見れないって、非効率的でしょ。その辺プログラム変えれないんですか?」
「ダイブ前の意識下が映像になってるだけでもすごいんだぞ。それにその状態でここからの問いかけが出来るし会話も出来るんだ、文句を言うな。」
「頭のいい奴なら、ちょいちょいって出来ないもんですかね?もうアニメ見てる感覚で確認出来たらめっちゃ楽だし、おもろいんだけどな~。」
後輩社員はくるりと画面に向き直って欠伸をかみ殺す。
いくつかあるモニターの一つであるダイビングルームを映す画面に目をやった。
「あれ?5号機、使用中になってますよ。」
「んなわけないだろう。あいつは1号機を使ってんだ。2から5号機は調整やら修理やらで動くわけねぇよ。」
「で、でも見てください!ラ、ラ、ランプが赤になって扉が半開きっす!」
「なんだと?!」
勢いよく振り返った先輩社員は後輩の肩を掴み、画面を食い入るように見る。
「壁のモニターに映せ!!…くっそ、誰だアイツ!おい!脳内放送で呼び止めろ!!」
鬼の形相の先輩社員に叫ばれた後輩社員は慌ててマイクをオンにした。
「だ、誰だ!そこにいるのは!所属と名前!!」
大声で叫んだためハウリングがすごい。その後にダイビングルームが光に包まれた。
「馬鹿野郎!そんなデカい声出したら脳神経傷つくだろうが!ビビってダミーに触れちまったじゃねーかよ!おい、起動プログラム確認するぞ!」
二人はものすごい勢いでキーボードを叩いていった。
「行っちまったな、これ、、、、。」
「嘘っすよね?ダミー触っただけで潜るんっすか?ちゃんとチュートリアル聞いてからしか反応しないはずっすよね?おかしいっすよ!」
モニターに映る、床に横たわる女性を見て呆然とする二人。
「とにかくお前はアレの回収に向かえ。部屋の位置じゃないとノンレム睡眠に入っちまうからな。俺は上司に指示を仰ぎ、お前が仕事を成功させたのを確認してから動く。絶対に成功させろよ、出来なかったらお前クビだぞ。」
先輩社員はそう言って仮眠室を顎で指す。
「イヤっす!先輩の方がベテランなんですから、先輩が行くべきっすよ!」
「ベテランだから俺が待機なんだ!だいたいデカい声で話しかけたり無神経なんだよ。わかったらさっさと行け!」
「パワハラだ、、、辞めてやる!訴えてやる!!」
地団駄を踏みだした後輩に先輩は小声でささやいた。
「お前、婚約したんだってな。博打で借金あるの彼女知ってるのか?」
「!!脅迫っすか?」
真っ赤になっていた後輩の顔が一気に青くなる。
先輩社員は畳みかけた。
「いや、この会社は給料がいいからな。辞めて他社に行ってもなぁ、半分くらいには減るだろうなって思ってよ。それにこの会社辞めた後、同業他社は採用してくれないみたいだぜ。」
「、、、、、行きます、行きゃあいいんでしょ!!その代わり起きた後は早退しますから!しばらく有休使いますんで!」
後輩社員は半ギレでそう言い残して足早に仮眠室へ向かう。
バタンと勢いよく閉められた仮眠室のドアを見て先輩社員はため息をついた。内部事情を知らないまま普通にサラリーマン出来てたらどんなに幸せか、出来る事なら後輩社員と変わりたいと思いつつ、ダイビングルームのモニターを遠い眼で眺めた。
「ちっくしょう!なんで俺が潜らなきゃいけないんだ!」
思いっきりパイプ椅子を蹴り上げた。
後輩社員こと、浦上誠一郎は怒りが抑えられない。
「なんで借金の事まで知ってんだよ!ったく!!山田にバレてるって事は他にも伝わってるのか?この会社の個人情報どうなってんだよ!」
もはや先輩を呼び捨てだ。
元々敬ってはいないから窮地で本音が出る。
浦上は新卒採用でこの会社に入った。
給料もいい、福利厚生も充実、残業はあると最初から聞いていたので心づもりは出来ていた。三流の大学卒にしては好待遇だ。エンジニア希望で同じゼミの友達はこの会社に落ちている。
二年間、RPGの企画とテストプレイヤーをやってきた。
時間に縛られるがテストプレイは面白いし仕事だと思えないくらい没頭できる。楽して稼げると思った。
この会社がVRMMOに本格的に参入した時に会社側からテストプレイに参加しないかと言われた。
普通のRPGより数倍手当がよかった。普通のRPGではかなり時間を要していたテストプレイだが、今回は登録しているだけでその給料がもらえた。機材がそんなになかったせいもあり、テストプレイは半年以上回ってこなかった。
ようやくテストプレイ要員に指名され、数回テストプレイしたとき”酔う”体質だとわかった。
ひどい時には翌日までふわふわした気分が抜けずに嘔吐した。本業の企画でも十分な成果をあげられず、他の同期にはバカにされ、部内でも役立たずのレッテルを貼られた。労災じゃないのかと総務に掛け合ったが、一定数はそのような症状になるらしく、テストプレイ契約時にそのことは了承済みだという文章が記載されていると言われた。
体調の事を考え、やむなくテストプレイを放棄したら給料が一気に減った。
年齢の割にはかなりの高給取りだったために散財しまくっていたツケが回ってきた。返済の目処が立たない。消費者金融に何件か借りがある。
周りの反応もウザいので会社にも居づらいし、もう病んだ事にして長期休暇をもらおうとクリニックを探していた時に異動辞令が出た。
通称”研究所”と呼ばれるVRMMO管理部。
部署の名前は知っていたが何をしているのかわからない。配属初日にモニタリングとVRMMOの補助だと聞かされた。ただ画面を見ているだけ。優秀そうな先輩がフォローしてくれる。VRMMOの補助は何かと尋ねたら、二十分程度浅く潜るだけだと言われた。今はほとんど潜らないという。願ったり叶ったりだ。同僚からも嘲りからも逃れられる。よし行ける!瞬く間に通常の生活に戻った。大きな買い物もした。彼女に高価な婚約指輪を贈った。
それなのに、、、、。
あの時の感覚がよみがえる。
めまい、吐き気、倦怠感、周りのバカにするような眼差し、、、。
(イヤダイヤダイヤダ!!)
浦上は例のベッドに向かったまま頭を抱えた。
「おい、浦上。さっさと準備しろよ。時間がねぇっつってんだろ。何も何時間も潜れって言ってないだろ?アレを抱えて部屋に運ぶ、それだけだ。なに時間食ってんだよ。全身スーツじゃないだろ。メット被って手と足だけなんだから、さっさとしてくれよ。眠剤ボタン押せねぇだろうが。」
ドア越しに先輩社員山田がわめいている。
完全にパワハラ発言だ。無理矢理やらされて心が折れてというシナリオが成り立ってしまう。これでしばらく病んだことにして、慰謝料裁判を起こせれば浦上にとっては好都合だ。
「やりゃーいいんでしょ!やりゃー!!」
浦上はドアに向かって大声で叫ぶとトラウマ級の嫌悪感をぐっと堪え半ば強引にメットや手袋・ブーツを着用した。
とにかく潜ったという事実を作らなければならない。それもこれも慰謝料を勝ち取るため。吐きそうになりながらもベッドに横たわった。配線はあらかじめセットされているので繋ぐ必要がない。あくまでも簡易的に緊急用に作られたものだ。震える指先でベッド脇の準備完了ボタンを押す。スッと蓋が降りてきた。
「やっと入ったか。これだからイマドキ君は嫌なんだよな。ダイブ前の意識下で案内するだけだろ。ちょっと昼寝するだけで上乗せ賃金もらえんだから楽勝じゃねぇかよ。」
山田は眠剤投入ボタンを押した。
これで浦上のカプセルは特殊眠剤で満たされるであろう。本来なら医者が行う行為だが、この辺りはグレーである。緊急を要するの一言で片付けられているのがこの部署だ。表向きにはテストデータを管理する部署であってプレイする環境ではない。だが社内では暗黙の了解になっていた。
ここで使われる特殊眠剤の濃度は本来のものより極力薄くなっている。
だから部員にはすぐに効く体質の者が選ばれているのだ。山田もそうだが浦上には特に即効性がある。めまい・吐き気・倦怠感が顕著なのは特殊眠剤が効きすぎている証拠らしい。
「いいようにモルモットになってるのはアイツだけじゃないんだよ、浦上。」