“クリーン”して♪
天井にはぽっかりと穴が開き、まだパラパラと石ころが落ちてくる落盤現場。
大小の瓦礫の上に薄っすらと人影らしきものが見える。それは立ち込める土埃の中からありすたちの方へ向かってゆっくりと歩いてくる。グリフィスとドナシアンに緊張が走った。
身構えた二人の視界が徐々に晴れていく中、ありすが剣を杖のようにして立ち上がろうとしているのが見えた。
「くそ、逃がすかよ!」
ドナシアンがありすを再び蹴り上げる。
浮いた身体を壁に打ちつけられ、ありすは低いうめき声を上げた。同じようなところを蹴られたようだが辛うじて吐血はしていない。懲りずにまた立ち上がろうとしている。
その二人の様子を見ていたグリフィスだが気配のする方へ視線を戻した。
「へぇ~、雌ゴリラと仲良くヤッてるかと思ってたんだけどな。それともシモンを囮にでもした?お兄さん、運がいいんだね。それともアリスちゃんにご執心かな。」
そこにはあの場所で罠に嵌めたはずのクラウンが立っていた。
予想外の人物の登場にグリフィスは口笛を吹きながら剣を抜く。安い言葉でクラウンを挑発しているようだ。
「これはどう見ても契約違反だろ。いや、犯罪だな。」
クラウンはぼろ雑巾のようなありすを一瞥するとグリフィスに対して剣を向けた。
「あははは、だったらどうするつもりだい?俺たちを突き出しちゃったりする?出来っこないよね。お兄さんは生きて帰れないんだからさ。」
腹を抱えて笑い転げるグリフィスに対してクラウンは剣を構えたまま動かない。
「クラウン!」
駆け寄ろうとするありすをドナシアンが阻む。
「どきなさいよ!」
「あっちはあっちで仲良くしてんだ。水を差したら悪いだろ?おとなしくアイツが倒されるまでこっちも楽しもうぜ。」
ありすの剣に自分の剣をカンカンと当てたドナシアンはグリフィスに向かって大声で叫んだ。
「おぅ、グリフィス!焦げ跡一帯には罠はねぇ!さっさと片付けねーと、女の手足が無くなっちまうからな!」
言い終わるや否や、高速でありすに打ちかかる。
先ほどの打ち合いとは違い、一振り一振りの重さが増していた。クラウンの登場でありすにも希望が見えたのか最後の力を振り絞り応戦する。ドナシアンの剣を軽く当てるだけにして受け流し右に左に動き回り、最初のうちはなんとか捌ききっていたのだが、今や動体視力と反射神経をフル稼働させての逃げの一手となっている。とうとう壁際に追い詰められてしまったようだ。息が上がり、まるで空気を求める魚のように喘いでいる。SE音を気にしてかしきりに首を振っていた。
(マジでヤバイ!早く助けに来てよ!もう無理、絶対に無理!あーーー!うるさいうるさいうるさいうるさい!)
集中力の欠けてきたありすにドナシアンが襲い掛かる。
ありすは真っ直ぐに振り下ろされた剣を受け止めはしたものの力の差は歴然だ。歯を食いしばって耐えてはいるが両腕がプルプルと震えている。ドナシアンはまだ本気ではないのか余裕の笑みすら浮かべていた。
「いい顔してるぜ。ちょろちょろと逃げ回るのももう終いだな。もうちょっと手加減してやろうか?」
そんなニンマリとした表情のドナシアンの足元に何かが転がってきた。
コツンとドナシアンのブーツに当たる。ありすの視界の端にもそれは入ってきた。ドナシアンは何かと思い目線だけを落とし確認する。剣から少し力が抜けたのもあり、その仕草にありすも釣られて視線を落とした。
「きゃーーー!!!」
「おい、噓だろ!!」
二人が同時に叫び出す。
転がってきたのはグリフィスの首だった。目を見開き大きく口を開け驚いた瞬間を切り取られたような表情だ。首はまるで居合で斬り落とした竹のように美しい断面をしている。
「野郎!!」
低く唸るような声で振り返ったドナシアンは切先をクラウンに向ける。
ちょうどクラウンは血振りをしているところだった。しかしドナシアンは鋭い眼光で警戒している。無暗に飛び掛かったりはしないようだ。これが雑魚だと飛び掛かって斬られて終わりなのだろうが、ドナシアンにはそれをしないだけの思慮深さがあるのだろう。急に剣を引かれ前のめりになったありすを気にも留めない。ただただクラウンの一挙手一投足に神経を注いでいる。
ありすは蹴飛ばしそうになったグリフィスの生首と目が合ったような気がした。
ごくりと唾を飲み込む。嫌な汗も吹き出してきていた。自分の置かれている状況を物語っているかのようにSE音が早くなる。ありすにはそれがまるで時間制限を警告しているように感じた。
(なんでドナシアン(この男)は向こうに行かないの?こ、この位置じゃ、私も巻き添えじゃない!クラウンはどう動く?、、、、もし私が捕まって人質にされたら?盾にされたら?私諸共斬っちゃうの?え?逃げた方がいい?でも逃げたとしてクラウンが負けたら詰みだわ。私が後ろから攻撃した方がいいの?うそうそ、どういう状況?)
ドナシアンが腰を落とし右足をゆっくりずらす。
混乱したありすは棒立ちでドナシアンを、クラウンを眺めることしかできない。注視しているありすの目には二人ともに大なり小なり赤い部分が見えだした。一番大きいのはやはり心臓の部分だった。
(これって、、、、やっぱ私って相手の急所が見えるんだ。っていう事は、後ろから心臓を一突き?そもそも革の胸当てを貫ける?いやいや、殺すこと自体無理、魔物じゃないんだから。でも今がチャンスなんじゃない?ドナシアンはこっちを全く気にしてないわ。ダメダメ、やっぱり人殺しになっちゃう!出来ない出来ない!怖いもん!でも、でもでもこのままだと私も殺される。もう痛いのは嫌だもの!あんな思いはしたくないわ!そうよ!殺らないとこっちが惨たらしく殺られるのよ!殺やれる前に殺らなきゃ!反撃されないように確実に、、、そ、そうだわ、正当防衛よ!そう、そうよそうよ、、、、)
心の中で葛藤を繰り返していたありすだが、精神的にも肉体的にも追い詰められ最終判断を下した。
強烈なSE音もありすの思考を乱したに違いない。ありすは両手でおもむろに剣を握りしめ腰を屈めた。もう目の焦点が合っていない。譫言のように何かぶつぶつとつぶやいている。剣のガードギリギリでグリップを握り直し、全体重をかけドナシアンの心臓めがけて一気に突き刺した。
“ドサッ”
一瞬の出来事だった。
ありすはドナシアンに重なるように倒れ込んだ。ドナシアンは勢いよく突き上げるように刺されたのでバランスを崩し、腕を振って反撃することも出来なかったのであろう。結局彼は一言も発することなく息絶えた。ありすの剣は革の胸当てを避けるように斜め下からピンポイントでドナシアンの心臓を貫いていた。肋骨を避けるためか剣身は斜交いに刺し込まれている。膝を折り、返り血を浴びて真っ赤になったありすは剣を握ったまま動けないでいた。
「あ、あ、こ、殺しちゃった、、、、これ、これは正当防衛よ、私は悪くない、悪くない、、、」
まるで呪文のように同じ言葉を繰り返すありすは機械仕掛けの人形のようだった。
精気のない真っ白な肌、大きく見開いた目からは大粒の涙が零れ落ちている。急に黙り込んだかと思えば今度は息を何回も激しく吸ったり吐いたりして過呼吸状態に陥っていた。ドクドクという心臓の高鳴りを身体全体で感じ、それとSE音がシンクロするように高速で鳴り響く。もうありすにはそれ以外何も聞こえなかった。人を刺した感触が未だに残っているようで早く剣から手を離したいのに指が固まって動かない。動かそうとすればするほど肉の感触が余計に伝わってきた。
「アリス!アリス!しっかりしろ!大丈夫か!アリス!」
駆け寄ってきたクラウンに強く肩を揺さぶられてもなお、ありすの意識は朦朧としている。
クラウンはありすの顔を両手で挟み自分の方へ向け、瞳を見つめた。
「俺の目を見ろ、いいか。こっちだ、そうそう。よし、いい子だ。ゆっくり息を吸え。そうだ、ゆっくり吐いて。」
ありすの瞳は死んだ魚のようだった。
クラウンはありすにゆっくりと息を整えさせると今度は剣をきつく握っている手を自らの手で包み込んだ。
「もう終わったんだ、力を抜け。深呼吸しろ。そうだ。」
声を掛けながらありすを安心させつつ一本一本の指を剣から解いていく。
深呼吸をする度に、指が一本ずつ放れていく度に、ありすの脳内に響くSE音が静まっていく。最後の一本を放した時にはだいぶ落ち着いたように見えた。
「お前は正しい選択をした。わかるか?お前は間違っていない。」
クラウンはありすの強張った手をしっかりと包み込み慈しむような瞳で見つめた。
理不尽に叱られた子供をなだめているようにも見える。こんなに穏やかな顔をしたクラウンは滅多にお目に掛かれないだろう。
“正しい選択をした”“間違っていない”その言葉をありすは心の中で反芻する。その度に“ピコーン”“ピコーン”とSE音が呼応した。初めてゾンビと対峙した時のように気持ちが昇華されていく。
「わ、私、、、、。」
ようやくありすが口を開いた。
瞳に光が戻る。幼子のように声を上げて泣き崩れるありすに戸惑いながらもクラウンは優しく抱きしめた。嗚咽交じりで泣きじゃくるありすの頭を何も言わずに撫で続けた。
「落ち着いたか?」
「、、、、うん。」
クラウンの言葉にありすは少し照れながら答える。
SE音も聞こえなくなったようで本当の意味で落ち着いたようだ。あの時のようにありすの顔は晴れ晴れとしている。
「取り敢えずここを離れよう。すぐそこのセーフティールームでいい。行くぞ。」
二人はゆっくりと立ち上がり、罠が無いことを確認しながらその場を後にした。
「ねぇ、クラウン、早く“クリーン”かけてよ!」
「状況確認が先だ!あと一人はどうした?はぐれたのか?」
「先にかけて。気持ち悪い!」
「ぎゃーぎゃーうっせーな!先に言え!」
ここは地下四階と地下三階を結ぶセーフティールームである。
先ほどまでいい雰囲気だった二人とは到底思えないほどの言い争いが始まっていた。早く汚れを落としてスッキリしたいありすと残る一名の所在が気になるクラウン。どちらの優先順位が先かと言えば後者だろう。
「あと一人はどうなのかさっさと言え!」
「“クリーン”っつーだけでいいんでしょ?そっちが先に言いなさいよ!」
壊れかけていた人形のようだったありすは見る影もない。
つまらない言い合いをしながらもクラウンはこんなに早く吹っ切れるものなのだろうかと少し疑問に思っていた。あまりにも立ち直りが早すぎる。
「お前、さっきまで怯えてただろ。何でそんなに、いやいつも以上にバカなんだ。」
「はぁ?クラウンが気にしなくていいって言ったんでしょ?それにあれはれっきとした正当防衛なんだから、悪いのはアイツでしょ。私は悪いことはしてないわ。やることをやっただけよ。諸悪の根源に鉄槌を下しただけなんだから!」
「気にしなくていいとは言ってない!ただ、何と言うか、なんだかさっきとは別人みたいな気がして、だな、えっと、、。」
少し俯き言葉を濁したクラウンは少し気まずい思いをしていた。
怯えていたありすに違う意味で関心があるように思われるのは避けたい。しかし純粋に先ほどとはあまりにも違い過ぎるありすの状態が気になって仕方がない。どう切り出していいものか迷っていた。
「私にもわかんないの。でもなんか憑き物が落ちた感じなんだよね。こういうの、このダンジョンに来てからもう二回目だし。」
背中を向けたありすはどこか寂しそうな雰囲気が漂っている。
自分でもまだ受け入れられていないのかもしれない。クラウンはありすから何かを失った悲しみのようなものを感じ取った。華奢な背中が余計にそう思わせるのだろう。
「二回目?最初はどういう経緯だったんだ?とにかく初めから話してくれ。」
「うん、わかった。その前に―――“クリーン”して♪」
満面の笑みで振り返るありすに、同情した自分が馬鹿なのだと言い聞かせるクラウンだった。




