リアクション芸人か!
ありすは何度もえずいていた。
ダニーとはわからぬほどに崩された顔の横には大量の吐しゃ物があった。もう吐くものがないのだろう、ありすは口の中の酸っぱい胃液を吐き捨て手の甲で荒っぽく口元を拭うと首なしゾンビを跨いで剣についた血をダニーのズボンに擦り付け始めた。
(ち、ち、血は拭き取らないと、に、に、臭いであいつらが集まってくるよね、うん、私は正しいことをしたんだ、うん、うん。)
焦点の合わない目のありすにはずっとあの連打SE音が聞こえている。
機械的に剣を擦り付けていたありすはふらりと立ち上がり、先ほどゾンビが出てきた通路の方を向いた。
(ま、また何体か来そう、、、。こ、ここから離れなくちゃ。)
後退りしたありすはヒールが泥濘に食い込んでしまい転倒した。
もうブーツは血なのか泥なのかわからないくらいに汚れている。それでも這いつくばって何とか立ち上がりゾンビが出てきた反対の道へと歩き始める。その通路には点々としか明かりがない。わずかな光源でもありすには周りが見えているようで、よろよろとした足取りは徐々にスピードを増していき、まるで通路の奥に吸い込まれるように消えていった。
道幅は広いもののしばらく道なりの通路が続く。
ありすは右手に剣を、左手は壁を擦るように早歩きをしていた。途中光源が途切れ真っ暗な場所もあったが、精度の悪い暗視カメラのように粗い視界からかなりクリアな状態での確保ができるようになっていた。念のため壁伝いに歩き続けた結果、何とか現在に至る。
そうしてようやく二股に分かれた場所に辿り着いた。はたしてこちらが地下四階に続く道なのか地下六階に続く道なのかはわからない。ただゾンビが出てきた方とは逆に進んだだけなのだから。幸いにもありすは道中ゾンビには出会っていない。人型ではないゾンビにもだ。
分かれ道は左が今までと同じような通路、右は狭い通路になっている。
狭い方は人が一人通れるくらいの幅しかない。どちらに進むかによって運命が変わると言っても過言ではないだろう。
ありすはしゃがみながら荒い息を鎮め広い方の道に目をやった。
(ヤバい!!)
ものすごいダッシュでありすは狭い通路に走り込む。
目を細め見つめた左の暗がりの先には低い位置に八個の光る眼があった。その中の二つと目が合ったのだ。これは完全に獣型のゾンビだろう。
狭い通路を全力疾走するありす。途中から今までのような道幅になったが足元が悪い。かなりのスピードで逃げているが相手は四本足だ。すぐ後方で複数の唸り声が聞こえる。
(こ、これで死ぬの?い、嫌よ!絶対に嫌!!)
泣きながら歯を食いしばり、走りながらも他に脇に反れる道がないかを確認する。
青いクマに死ねば目覚められると聞いた時“そうなんだ”くらいの気持ちだったありすは殊の外、生に執着しているようだ。
抜け道などは見当たらなかったが目の前に少し広めの場所が見える。このフロアとは雰囲気が全く違い少し明るく感じられた。おそらくセーフティールームだろう。ありすは力を振り絞り入口を目指した。
もう少しで入口というときに、ありすの左側頭部に衝撃が走り耳のすぐ横でガチンと歯をかみ合わせる音がした。
そのままありすは前に倒れ込む。うまい具合に目的の場所にダイブしたようだ。ひらけた部屋の前で歯を剥き出しにして唸る獣型ゾンビ。顔半分がドロッとして吠えるたびに腐った部分を振りまいている個体もいる。誰しもがトラウマ級のショックを受けたであろうあの犬のゾンビに似ている。しかしこの部屋には入ろうとしない。しばらく吠えたり唸ったりして入口付近を徘徊していたものの、動かないありすを見て諦めたのか獣型ゾンビはその場から去って行った。
倒れ込んだ拍子に頭を打ち付けたありすはしばらく動けなかった。
軽い脳震盪をおこしたのだろう。辺りに静けさが戻ったころゆっくりと仰向けになった。水晶のような鉱石が天井いっぱいに広がっている。
「私、、、、、生きてる、、、、。」
そうこぼしたありすの目にはたくさんの涙が溢れていた。
初めて対峙したゾンビ、転化しかけのダニーを殺した事、肺が潰れそうなくらい全力で走った事、ゾンビ犬に殺されそうになった事、すべてが一瞬の出来事のように思える。思い起こすたびにSE音が“ピコーン”“ピコーン”と鳴り響く。まるでその出来事が昇華されていくようだった。気付けば連打音ではなくなっている。最後に深呼吸したタイミングで“ピコーン”と鳴った。
「はぁ、なんか落ち着いた~。思えばゲームなんだよね。角をかじられるってある?めちゃくちゃ焦ったけど案外クリア出来るもんね。」
ありすは左のくるりとした角を撫でながら何となく清々しい顔をしている。
あんなにゾンビを怖がっていたのが噓のようだ。やるべきことをやったんだとありす自身が納得しているように見える。
涙を拭って胡坐をかくとおもむろにブーツを脱ぎ、ヒール部分に剣を叩きつけた。“カツーン”という音が響き渡り両方のブーツが平底になる。
「歩きづらかったのよね、これで普通に歩けるわ。」
かかと部分を獣型ゾンビがいた通路に投げにっこり微笑むありす。
先ほどまで極限状態だったようには見えない。今、あのゾンビたちを見ても取り乱したりはしなさそうだ。
「さて、見たところ上の階に上がる階段があるからこっちで正解みたいね。地下四階っていうことは、、、罠か!困ったな。まだ罠はぼんやりとしか見えないしなぁ。」
まるで何事もなかったかのような発言だ。
恐怖という概念が抜け落ちたかのように落ち着き払っている。ありすは腕を組み悩んでいたがポンと手を叩きウエストポーチを漁りだした。
「確かダニーが差してた目薬があったよね。」
ポーチの中身を見たが空っぽのようだ。
底の角の方に何かないかと手を突っ込むとポーチの深さより先にまで入ってしまう。ありすは反射的に手を引っ込めた。
「え?何?これってもしかして無限アイテムボックス的な?マジかーーー!すごい!こんなにいいもの持ってたの?」
この手の話のチート冒険者には空間収納は必須アイテムだ。
それを手に入れたありすは喜びの表情で満ち満ちていた。腰の辺りで小さくガッツポーズをキメている。
「じゃぁ“目薬!”とか言って手を突っ込めばいいのかな?」
ウキウキしながら手を突っ込んでそうするも全く手応えがない。
ありすは恥ずかしかったのか顔を赤らめ少しの間固まっていた。首を傾げながらウエストポーチを確認している。よく見ると外側のポケットに入っているようだ。目薬を摘まみ上げて顔の位置まで持ってくる。どう見ても墨汁にしか見えない。
「うわぁ、改めて見てもえぐいわ。こんなの絶対しみるに決まってるでしょ。」
そう言いながらもありすはキャップを外し数滴目に流し込む。
ある意味チャレンジャーと言えるだろう。しばらく俯いて無言だったが、もう片方の目にも差しだした。
「全然痛くないじゃん。なに、あのダニーのリアクション。普通の目薬よりしみないわ!リアクション芸人か!」
何故かダニーに対してご立腹のようだ。
目をしばたかせて目薬を浸透させるとありすは上へと繋がる階段へと向かった。




