罪かぶりの赤リンゴ ~悪役令嬢、友だちの恋を応援してたら王子と婚約してました~
私の手を取ったのは、白い手袋をはめた優しい手。
黒いオペラグローブと重なり、互いに握り合うと流れる音楽につられて白い手が私をリードする。
楽団の旋律は軽やかに。
いくつも、いくつも。男女の輪を回り回して、円舞の軌跡を紡いでいく。
一帯はどこを見回しても白ばかり。
舞踏会場のお城も、踊る彼も彼女も、楽団も談笑する大人たちも。
そして夜空から降る雪すらも。
みんながみんな、白一色。
私をリードする目の前の彼すら潔白で、穢れを知らない純粋な眼差しをこちらに向けてくれているのに。
──……この世界で私だけ、黒に染まっていた。
「どうかしましたか、レディ・アプフェルグラウ」
「いえ。相も変わらず、皆さまはわたくしを見ているだけだなと」
「当然でしょう。貴女様は高嶺の花。私ですら、こうして踊れることに感謝の念しかないほどに……美しいのです」
周りを気にかける私へ疑念を感じたのか。
リードを取る彼──ジェームズ王太子は、コッソリと穏やかな声で私の耳に声を届けてくれた。
私たち二人の声は、流れる旋律に隠される。
しかし何かを話していることは、目を凝らせば分かることで。
気づいた人は、表情を険しくするだろう。
なにせ自国の王子が、他を差し置いて私と親し気にしている。
これが他の令嬢ならば立場によった態度があるだろうが、そうではない。
白の王国と友好条約を結んでいる隣国。
黒の帝国に身を置いた、公爵令嬢が私の身分なのだから、王国の民たちからすれば面白さなど欠片もない。
国同士の表向きの関係性はさておき、一時的な友好条約など簡単に決裂する。
一つ間違えれば敵同士。
そんな劣悪な関係の真っ只中なはずの私たちが、どうして今手を取り合っているのか。
それは──
「レディ・アプフェルグラウ。……いえ、アーデルハイト嬢。先の件、どうしても了承して頂くことは無理なのでしょうか」
「私たちの婚姻のお話ですね、殿下。それでしたら両国の良好な関係の為、喜んで引き受けると──」
ジェームズが持ち出してきた話は、いわゆる政略結婚だ。
白の王国第一王位継承者である、ジェームズ・クレメント・スノウホワイト。
そして黒の帝国公爵の愛娘、アーデルハイト・フォン・ウント・ツー・アプフェルグラウこと、私。
両国の支配層が同意した、お互いへの首輪付け。
これが成立したからこそのパーティーが今であり、彼と私が踊るのは当然のこと。
しかしそれは理屈の話。
理解はできても感情的には納得できる訳もなく、周囲の黒い視線はそのためだ。
だとしても私が婚姻に否と告げる権利はなく、笑って嬉しいですとしか言えないのに、ジェームズはズルくも首を振る。
「違います。そうではないんです。私が……オレが言いたいのは」
「どういうことでしょうか、殿下」
「貴女は美しい。それを今、踊っているオレが一番分かっているんです。ですから、あの言葉を今一度。別の形で受け取って欲しい」
「光栄です、殿下。貴方様からそのようなお言葉を頂けるなんて。しかし、あの言葉とは……?」
私たちが向き合ったタイミングで、リードを取っていた彼の手が離れる。
流れる動きでジェームズは私の前に片膝をつき、再び私の手を取ったその感触は、さっきまでのものとは想いが違った。
手折った花を手の平へ乗せるように。
握った宝石に傷がつかないように。
愛した女性に、指輪を嵌めるときのように。
跪いた王太子はふわりと微笑み、私の手の甲に口づけた。
「では、僭越ながら告白させて頂きます、レディ。どうか、お受け取り下さい」
止めて。
それ以上は言わないで。
その続きは、私の黒を濃くしてしまう。
だからお願い。
──この手を離して。
「好きです、愛しています。王子としてではなく、一人の男として」
「それは……」
ジェームズの瞳は私の全てを逃さない。
髪先が灰に塗れた黒の長髪も、赤みが映える白い柔肌も。
着飾った黒と赤のドレスも、握った細い手も指も。
紅玉を騙る熟したリンゴの瞳すら。
余すことなく白の想いは包み込んで、私の何もかもを薄めようとしてくる。
「時よ、止まれと。永遠さえ誓えるほど美しいと、私は貴女に思えています。貴女の為ならば……王冠すら偽りだと、投げ捨てられる」
「お願い……止めて……」
か細い私の声は、ジェームズには聞こえない。
真っ直ぐ過ぎる彼は、何も知らないのだ。
私の黒は、罪の黒。
それを美しいと思っては、純白の君が穢れてしまう。
「アーデルハイト。オレでは、駄目ですか?」
風花を舞わせる青天の日輪。
ジェームズの笑みはそれほどまでに清らかで、私を一途に思っていることが痛いほど伝わってきて。
だからこそ、胸の締めつけは強さを増す。
──嫉妬、憎悪、嫌悪、憤怒。
人の悪意を煮詰めた矢が、私の心に向けて針を通す隙間がなくなるまで放たれ続ける。
射手はこの会場にいるほぼ全員。
除くのは、ジェームズをふくめて片手で数えられるほど。
血のような赤も、褪めた青も、毒々しい緑も紫も。
汚らしい黄色と桃色、そしてジェームズの想いを知らない白色も。
矢に塗りたくられて、私の心に突き刺さり、ドロドロの黒へと変貌する。
「……ジェームズ殿下」
「はい、レディ」
こんな痛みを知らない貴方が羨ましい。
そして、そんな貴方だからこそ、私は相応しくない。
「私はここで失礼いたします。その……どう受け止めていいのか、分からなくて」
「そう、ですか。しかしこの想い、どうか受け取っていただきたく──」
「殿下」
けっして離したくないという想いに反し、柔らかく添えているだけのジェームズの白い手。
きっと彼は、握り返して欲しいのだろう。
それがにじむように伝わってくるからこそ、胸の鼓動は早まっていく。
だから私は、そんな苦しみから解放されたくて、彼の手からするりと抜けだした。
「申し訳ありません」
一言、ジェームズに謝る私は、彼の瞳にはどう映ったのだろう。
目を見張り、呆然としたかと思えば、今にも泣きそうな辛い顔をして。
純白の君に描かれた表情は、鏡写しのように痛みを堪えている。
「本当に、ごめんなさい」
放心するジェームズを残して、私はスカートをひるがえし、舞踏会場から走り去ろうとする。
彼の綺麗な白い手は虚空に伸ばされたまま、私の背中にすらかすりもしない。
白一色の空間から逃げる私を追うのは、同色で隠した黒い視線だけ。
扉をくぐり抜けるまで背中に刺さる痛い感情は、全員の視線が切れる場所まで離れたところで、口からこぼれだしてきた。
「どいつもこいつも、ふざけないでよ。誰も好きで公爵家に生まれていないし、独り敵国の王城まで来る訳ない。私の殿下、帝国の魔女、汚らわしい女。自分勝手な目で見て! 誰も……誰も私を見ずに、この背にある椅子にばっかり見てる!」
出血のごとく流れだす痛みは足の滑りをよくしていき、私は新鮮な空気があるバルコニーへ向かっていく。
「誰も、見ていないの。見て、いなかったのに」
ハイヒールの履き物なんて脱ぎ捨て、人気のない廊下を走り、白の王国よりあてがわれた部屋の大窓を開け放つ。
とたんに私の肌を撫でたのは、雪まじりの冷酷な風。
それでもいいと大きく息を吸い、誘われるようにバルコニーへ足を進めると、灰色に満ちた夜空が私を出迎えた。
「殿下、貴方だけが私を見ていた。見なければ、ただの公爵の娘でいられたのに」
アーデルハイトでは、貴方の想いを受け取ってしまう。
泣きたいほどに嬉しいし、今すぐに戻って抱きしめて、彼の愛に応えたい。
そんな溢れかえりそうな想いが胸を埋め尽くすも、未だに流れる黒い痛みは赤い愛を許さない。
動悸が速まり、呼吸は浅く、胸だけに収まっていた痛みが、血流にのって全身へ巡っていく。
雪の寒さではない痺れが手足の感覚を奪い、ゴホッと咳をすれば、口をおおった手の平に赤が広がる。
「彼を心から愛せば愛するほど、毒となって体を蝕む。最低な呪い。どこが誇り高き純白の王国よ。白々しい」
視界にもやがかかり、赤をふくんだ咳の回数も増えていく。
もう外が寒いことすら分からなくなり、むしろ笑えるくらい暖かく感じるときもある。
それもこれもジェームズを考えるだけで全身に巡る、呪詛の毒のせい。
王太子には知られず、私を暗殺する。
そのためにかけられた呪いだが、高笑いしながら自分を罵倒したいくらいには、てき面に効いていた。
「私はあの子の敵役、お邪魔虫。そう決めていたのに、どうしてこうなるのかしら」
残された力で手すりに寄りかかりながら、思いを馳せるのは同じ年頃の王国の少女。
私なんかよりもずっと昔からジェームズへ思いを寄せていたのに、彼を射止めたのは仲を取り持とうとした私の方。
何もかもがうまくいかない。
ジェームズのあの手に収まるべきは、あの子の方なのに。
「きっと、これは罰ね。あの子が得るべき愛を奪ってしまったのだから。罪は裁かれないと」
本当に、うまくいかない。
だからせめて、最期だけは自分の思い通りにしたい。
「ごめんなさい。そして、さようなら。ジェームズ──」
最後の一絞り。手すりから身を乗り出した私は、バルコニーから落ちる道を選択する。
降り注ぐ雪よりも早く。
夜空から遠ざかる私の声は、あの子の名前を言う前に途切れてしまう。
嫉妬、憎悪、嫌悪、憤怒。
そして隣にいたはずのあの子の想いが心から爆ぜ、私の体から吹きだしたのは赤い炎。
大罪を犯した魔女は、清浄たる火にくべられる。
一片の黒すら残さないとばかりの炎は、瞬く間に私の全身を飲みこみ。
罪をかぶった罰として、私は白でも黒でもない、灰となった。
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