第三話 普通と普通じゃない
旭は意識を失っている間、夢を見ていた。
先ほどまで自分が命がけで戦っていた山々が燃え、周囲には逃がしたはずの仲間達と顔も名前も知らない人類の兵士達が、骸の山を築いていた。
木々は燃えて空を黒煙が覆いつくし、血の川が流れている。ハッと息を飲んだ瞬間にはメテオンとの戦いで廃墟と化した都市に立っており、周囲に生きた人間の姿はなく、旭は廃墟を闊歩するメテオンの列に加わっていた。
──わたし、も、メテオンの一員になっている!!
旭以外にも虚ろな目をした少年少女の姿があり、同じように精神汚染されてメテオンの一員になり果てた者達『汚染者』だ。
自決も、味方に処分してもらうのも間に合わず、メテオンの意のままに人類に攻撃を繰り返す敵となってしまった末路。
夢とも現実とも区別のつかない旭は最悪の結末を迎えたと思い、必死に自分の頭を吹き飛ばすべくアイギスフレームを動かそうとしたが、ピクリとも反応しない。
旭が、このまま人類を絶滅させる手伝いをさせられるのか、一刻も早く自分を処分してくれと何よりも強く願った時、ふいに分厚い雲に覆われた空からパラパラと雨が降り始める。
旭の頬を冷たく濡らした雨はあっという間に大雨に変わると、旭だけでなく周囲の汚染者とメテオン達も濡らしてゆく。旭が異常に気付いたのは大雨に変わってすぐだった。
──これは、雨じゃない。血? 血の雨!?
血の雨の勢いは留まるところを知らず、廃墟と化した都市を飲み込む勢いで赤く染め続けてゆく。視界の全てが赤く染まる中、すでに膝まで血に浸かった旭は朧気に理解する。
周囲のメテオンと汚染者は精神汚染の影響によって見せられている幻覚で、降りしきる血の雨は吸血鬼化の進行を象徴しているのだと。
──私は今、汚染者になるか、吸血鬼になるか、その岐路に立っているんだ。
ソレを理解した瞬間、旭の周囲は血の雨の中に飲み込まれ、今度は夢の中で意識を失うのだった。そして夢の中での意識喪失は現実世界への覚醒を意味していた。
旭が瞼を震わせながら目を覚ました時、太陽は少しだけ傾きを増していた。
上半身を起こし、無意識の内に満夜の口づけを受けた首筋を触る。旭の指先は確かに二つの小さな穴が開いているのを感じた。まるで熟れすぎて爛れたような傷口だ。
「本当に、血を吸われたんだ」
次に旭が感じたのは小さな倦怠感とインナースーツ越しにもヒリヒリとする皮膚の痛みだ。倦怠感はこれまでどの戦闘の後にも感じた覚えのないもので、痛みについても戦闘で負ったダメージではない。
そうなると理由はただ一つ。満夜に血を吸われて、吸血鬼になった影響なのだろう。皮膚の痛みはおそらく太陽光によって、傷つけられているからだ。
「はあい、それで体の具合はどう? 見たところ、精神汚染は免れたみたいだけど、意識ははっきりしている?」
じっと自分の体を見回していた旭は、声の方を振り返り、斬り捨てた侵略者達の残骸に腰掛ける満夜に気付く。
「一人で、これを全部?」
旭が見回せば二十機以上のメテオンの残骸が転がっており、そのほとんどが真っ二つにされていて、満夜が手に持っている刃音でやってのけたのだろう。彼女の帽子からトレンチコートまで、傷一つ付いていない。
満夜は変わらず微笑を浮かべており、軽やかに立ち上がると旭のすぐそばまで歩いてきて、刃音を地面に突き刺すとじっと旭の瞳を覗き込む。
「どれどれ、どんな具合? ふうん、精神汚染自体は止まっている。けど、これは吸血鬼化とせめぎ合って、膠着状態を維持している、か。
半分は人間、残り半分が吸血鬼とメテオンで分け合っているみたい。心の方はどう? 前と比べておかしなことになっている?」
「……特に変わりは、ないと思います。メテオンは相変わらず絶対に倒さなければならない敵だし、皆のことも、うん、変わらず大切。
ただ、貴女に対して、なんだか理由のない親しみを覚えています。貴女に血を吸われたから?」
満夜に対する根拠のない親近感と友愛の感情は、旭にとって不可解で警戒感を募らせるものだったが、それ以上に満夜への好感は大きい。満夜は旭から顔を離して、ふむふむとなにか納得した様子だ。
「貴女が私に好意を寄せているのは、吸血鬼として私と『親子』の関係にあるから。貴女にとっては不思議でも、吸血鬼になった時の定番だから気にしなくていい。ただ旭の場合は完全に吸血鬼になったわけではないわね」
「……太陽の光を浴びても灰にならないから、ですか? 貴女もですけど」
「満夜でいいわ。そこは伝承との違い。私は生まれた時からお日様は苦手でも、灰になるほど向こうに嫌われていないから。
旭の場合は、言ったでしょ? 人間と吸血鬼とメテオンが入り混じっているって。四分の一が吸血鬼になった分、太陽が苦手だけど、半分は人間であるからそこまで害はないってわけ。完全に吸血鬼になるよりは、その方が貴女にとっても都合がいいんじゃないの?」
それは満夜の言うとおりだ。太陽の下で活動できない体になってしまっては、メテオンとの戦いが大きく制限されてしまう。旭はメテオンとの戦争に勝利する為に生み出されたのだ。その存在理由を全うするのに、活動時間に制限を設けられては大いに困る。
そこまで考えて、旭は自分の身などよりも先に確認しなければならないことを思い出し、焦った表情で満夜に問いかける。
「そうだ、あの、私の仲間達を知りませんか? 私が気を失っている間に通信があったりとか、私を助けてくれるまでの間に見かけたりとかは……」
「んー、それは無いわね。旭のお仲間からの連絡もなし。まあ、私が大暴れした分、近くのメテオン達が集まってきたし、その分だけ貴女の仲間達が逃げられる可能性は高くなったと思いなさいな」
「はい。……そう、考えることにします」
「それで、旭の血を吸って貴女の名前だとか、この連中がメテオ・レギオンを略してメテオンっていう侵略者だとか、ちょっとした情報は分かったんだけど、改めて自己紹介くらいはしてもらってもいい? やっぱり直接、名前を教えてもらいたいじゃない?」
「私は、夕闇旭35号です」
「んん? 夕闇が名字で旭が名前よね? 35ってなに? 今の日本人って名前の後に数字を振るのが普通なの? 貴女の血からはそこらへんの事情は分からなかったんだけど」
満夜は数字から不穏なものを感じ、嫌な予感を抱きながら旭に問いかけた。
「ええっと、いえ、普通の人なら数字は着きません。私はオリジナルの夕闇旭さんの三十五番目のクローンだから、それを分かりやすく表現しているだけです」
旭がなんでもないように口にした内容に、満夜の表情は見る見る内に変わる。
満夜が眠りに就く前からクローン技術は現実のものとなりつつあったが、人間のクローンは倫理的にも技術的にも実現に至っていなかった。
それがこうして目の前にいる旭は人間のクローンの実例そのものだという。しかも三十五番目! 旭当人はあっけらかんとしているが、今の世界ではクローンは当たり前なのだろうか?
「ええ……。まあ、私が眠っている間に技術が進歩して人間のクローンが作れるようになったのはまだわかるけどさあ」
こんな思春期の年頃の少女に番号を着けて管理して、兵器に乗せて侵略者との最前線に立たせているとは、満夜の想像を超えた状況に陥っている。
(現代の人類の倫理観、終わってない? 私が思っている以上に追い込まれているのは間違いなさそうだけど、それなら情状酌量の余地あり?)
満夜は言葉を失って、思わずまじまじと旭を見つめる。満夜の様子に何を感じたのか、旭は自分の髪の毛を摘まんで、なぜか朗らかに新たな情報を伝えてきた。
彼女なりに満夜とコミュニケーションを図っているのなら健気なものだが、口にした内容は満夜の精神にさらなる衝撃を与えるものだった。
「私みたいなクローンは、見た目ですぐにわかるように髪や瞳の色を、自然にはあり得ない色にしているんですよ。
今の人類で髪の色を変えるなんて、そんな生産性のない無駄なことをする余裕のある人はいませんから。よっぽどの変わり者くらいじゃないかな? だからこんな派手な色をしていたら、まずクローンなんです」
「朗らかに言う話じゃないわ、それ。はあ、眠っていた私が文句を言える筋合いじゃないけど、それでどうして旭みたいな十代の子供のクローンを作って、前線に立たせているわけ? 私の中の常識だと、成人の方が兵士に向いているはずなのだけれど?」
満夜が旭の血からそれほど情報を得られなかったように、旭の側も満夜の知識や情報はほとんど伝わっていない。だから彼女との間にある常識のズレを正確に理解できていなかったし、満夜の疑問を他人事のようにしか感じ取れずにいた。
「それは、このアイギスフレームを動かすのに、精神汚染に対する耐性が求められるからです。過去にテストした無数の人間の中で、高い耐性を示した人間のクローンを作り、アイギスフレームに乗せてメテオンとの戦いに投入する。それが人類の基本戦術ですから」
人類はなんとか撃墜に成功したメテオンの兵器群から回収した動力源や技術を解析し、アイギスフレームの開発に至った。
だが、アイギスフレームに搭載しているメテオン由来の技術で開発された動力源がパイロットの精神と同調し、汚染するという致命的な欠陥がテスト段階で発覚する。
精神汚染の発生はアイギスフレームに限らず、戦車や戦闘機といった旧来の兵器でも変わらず、人類は精神汚染の予防や抑制、治療方法を研究する傍ら、パイロットの側にも手が加えた。
精神汚染に対して特に高い耐性を持つ傾向にある十代の少年少女達、その中でも特に優れた資質を見せた子供らのクローンを、アイギスフレームを運用する為のパーツとして製造したのだ。
旭もそのクローンの一人で、世界中のメテオンとの戦いの最前線では多種多様なクローン達がアイギスフレームを駆って、自らの存在理由を全うする為に命がけで戦っている。
「それで精神汚染が限界に近付いたら、首の爆弾がボン! ってわけね。メテオンの傀儡になるくらいならって気持ちは分からなくもないけど、世知辛い世の中になったものね……」
「でも、それが、普通ですから」
「私にとっては全然、普通じゃない」
にわかには信じがたい情報を短時間で聞かされた満夜は、もうこれ以上は聞きたくないと言わんばかりに顔をしかめて、頭を抱えた。吸血鬼とは言うが、意外と感性は人間とそう変わらないらしい。




