第一話 闇の褥より
侵略者に負けそうな終末世界、少年少女、パワードスーツに吸血鬼という要素を混ぜて、コトコトと煮込んでみました。
昏い、暗い、どこまでも闇で満たされた空間だった。
四方を分厚い石で囲まれたその空間には太陽も、星も、月も、人工の光も一切が存在していない。
もし人間が紛れ込んだなら、闇の圧力に精神が耐え切れず、瞬く間に正気を失ってしまいそうだ。
闇以外になにもなく、時間が流れているのかさえ怪しい空間だったが、不意に一度、二度、三度、と連続した振動に襲われて、天井からパラパラと粉塵が舞った。
すると何か蓋の開くような音が空間の中心部から響く。遠方で発生した衝撃が、この空間に覚醒を促したらしい。
音の源は棺桶だった。この空間に唯一置かれた品である。
表面に何の装飾もなく、闇に溶ける真っ黒い塗装を施された棺桶の中から、それまで眠っていた主がゆったりと上半身を起こす。
そして目をこするような仕草をしてから、大きくあくびをして一言呟く。
「うるっさ……」
気怠そうで、けれども耳が幸福に包まれるような美麗な声は、女のものに違いなかった。
棺桶の主は不機嫌な表情を浮かべたままのっそりと体を動かして、億劫そうに棺桶の外に出る。
起き上がった主は光一つない空間の中でも行動に支障はないようで、煩わしそうに腰まで届く長い髪をかき上げながら、天井のあたりをぐるりと見回す。
不定期に振動は続いており、パラパラと新たな粉塵が降り注いでいて、それが主の新たな不機嫌を買っていた。
「ん~~、まだ寝足りないんだけど、核戦争でもおっぱじまったかあ? どうしよう? どうする? ちょっと……外の様子を見てきますか。
それにしてもどんだけ寝ていたのかな? 百年か、千年か。一万年は寝てないと思うけど……人間が滅んでないといいなあ」
そうして主は空間の片隅に向かって、音を立てずにゆったりと、しかし、見る者が居ないのが惜しまれるほど優雅に歩き始めた。
「とりあえず着替えるとするか。全裸で野山を歩き回るのは、とっくの昔に卒業したわけだし」
浮き浮きと弾んだ声で、主は久しぶりの外出を楽しむつもりであるらしかった。
*
空間の主が外出を決めた頃、人の手が長く入っていない深い山の中では、何度も大きな爆発が生じて大木を根元から吹き飛ばし、土砂を抉る激しい戦闘が続いていた。
この戦闘で発生した振動が主を目覚めさせた原因だ。そして戦闘を行っているのは、最新の兵器に身を包んだ一人の少女と、命も心もない殺戮機械の群れである。
灰色の装甲を持った小型車両ほどもある巨大な金属の昆虫と表現するのが、殺戮機械の姿を説明するのにもっとも適切だろう。
平べったい胴体から伸びる扇形の頭部の中心では、黒いレンズ状の単眼が輝きを放っている。どんな悪路も走り抜ける移動用の脚は六本、近接戦の備えとして超振動ブレードの鋏付きの脚は二本、そしてレーザー砲一門を内蔵した尻尾を持つ。
『グレイストーカー』と呼ばれる地球人類の怨敵であり、この三十年あまり人類が嫌というほど顔を突き合わせてきたクソ野郎だ。
グレイストーカー達は木々を避け、道なき山中を一切停滞せず、時速百キロを超す速度で獲物を追い詰めていた。
照射されるレーザーを回避しながら反撃を叩き込んでいるのが、グレイストーカー達の獲物であり、この戦場で唯一の生命たる少女だ。
アウターカラーはピンク、インナーカラーはシアンという華やかな色の髪をミディアムボブカットにしていて、愛らしい顔立ちをしているが、全身を覆う装甲に包まれた素顔は、自分の死が近づいているのを理解して、絶望の色に染まりつつあった。
三十年以上前、巨大な隕石と共にやってきた侵略者『メテオン』に対抗する為、新たに開発された兵器が、少女の纏っている新世代の機動装甲『アイギスフレーム』だ。
ギリシャ神話の女神アテナの盾より名前を取ったアイギスフレームの淡い桜色の装甲は、小柄な少女の全身を余すことなく覆い尽くし、巨大な四肢が百五十センチもない少女を歪な体格の巨人に仕立て上げている。
群がってくるグレイストーカー達に対し、愛機の右手にある長大な黒い砲身のプラズマ砲『雷火』と左手の四銃身のガトリングガン『ヘイルストーム』を使い分けながら、少女は必死の形相で生き残る術を求めて足掻いていた。
「残り二、三……そうだ、私を追ってこい」
ヘルメットの外へと漏れる事のない少女の声は、切迫した響きさえ籠っていなかったら、年頃の愛らしい少女のものに間違いなかった。
敵機に囲まれた味方を逃がす為に、囮を買って出た少女としては、自分に群がってもらわなくては困る。例えそれが、より一層自分の死を近づかせるとしても。
赤いレーザーを機体の警告と同時に察知して回避機動を取り、数本の樹木が焼き切られるのを尻目に、少女──夕闇旭は戦場となっている山中のマップを脳波コントロールで呼び出し、ヘルメット内側のモニターに投影させる。
懸命に脱出ルートを探る旭に新たな攻撃を感知したセンサーが警告を発し、旭は竹藪の中から足裏と腰裏のブースターを点火し、一気に跳躍して下方を流れる川に着地した。
直後、旭の居た場所に降り注いだ小型ミサイルが爆発して大量の土砂と木々を撒き散らし、旭にも幾分かが降り注ぐ。
センサーが捕捉したのは、ファイアーダと呼ばれる別の敵機だ。
蜘蛛の下半身に人間の上半身を乗せた金属の異形で、両手がミサイルランチャー、臀部から弧を描いて伸びる尻尾にはロケットランチャーが内蔵されている。
「雷火もヘイルストームも息切れ、か!」
例え一秒でも足を止めればレーザーとミサイル、ロケット弾が雨となって降り注ぐのが分かっているから、旭は身体に掛かる負担を無視して軽業師のように機体を走らせ、飛び跳ね、一秒でも長く生きようと足掻く。
その内にヘイルストームのドラムマガジンが空になり、雷火もこれまでの酷使にエネルギーパックが空になる。
旭は、途切れた集中力の隙間を突かれ、距離を詰めてきたグレイストーカーにヘイルストームの銃身を全力で振り下ろして叩き潰す。大きな衝突音と破砕音と引き換えに銃身が歪み、使い物にならなくなったが、予備のドラムマガジンもない以上、妥当な使い方だろう。
旭の愛機『星兜』のバックパックから、折り畳み式のサブアームが伸びて、サブウェポンである高周波ブレード『刃音』を差し出す。
「お前達なんかに殺されてたまるもんか!!」
星兜の左手が刃音の柄を握った、まさにその瞬間、旭はファイアーダの発射したミサイルに気付き、回避の間に合わない必殺のタイミングであるのを理解して、星兜の胸部に直撃を受けた。
機体とパイロットを保護する斥力場シールドは、既に限界まで消耗していたこともあり、ミサイルの直撃によって最後の役目を終えて消失し、旭は大きく吹き飛ばされて、背後にあった木々に背中から激突する。
大木に背中を預ける形になった旭は、視界を埋め尽くすエラーメッセージを読み取るのを諦めて、今、自分に出来る精一杯のことをするべく足掻く。
シールドの最後の奉公のお陰で胸部装甲ごと吹き飛ばされるのは免れた。星兜の胸部装甲が上に開き、フルフェイス型のヘルメットが展開して、首元から爪先までフィットするインナースーツを着た旭の姿が露わとなる。
抑えきれなかった衝撃は、旭の生まれつき強化された肉体を大きく痛めつけたが、意識を喪失しなかっただけでも、儲けものだ。
旭の肉体に幸い骨折や内臓の破裂はない、とインナースーツに備え付けられたバイタルセンサーが教えてくれているが、まともに上半身を起こすのも厳しい状態だ。
機体を放棄して逃げ出すのもままならない状態の旭は、それでも抗う意志を見せつけるように、震える右手を腰の拳銃へと伸ばす。自衛用としてはあまりに頼りないそれは、自決用に持たされた品である。
かつて巨大隕石と共にやってきた侵略者達は、多くの災いを地球人類に齎し、必死に抗った人類はメテオントラスの用いる兵器から、いくつかの技術を奪い取り、分析して我が物にすることに成功している。
メテオンの兵器に用いられている動力源であるコアには、未知の物質が用いられており、オリジナルのコアかそのコピー品を動力源とするのがアイギスフレームだ。
既存の兵器に代わり侵略者打倒の切り札と期待されたアイギスフレームには、しかし、動力源のコアがパイロットの精神を汚染するという致命的な欠陥が存在しており、今も戦場では旧世代の兵器が主力を担っている。
だが、パイロットの精神を汚染し、最終的にはメテオンの尖兵化するというどうしようもない欠陥も、追い詰められた人類と切迫した戦況の中にあっては、アイギスフレームの有用性を盾に目を瞑られた。
自決用の拳銃もそうだが、それ以外にも精神汚染が一定の数値を超えた場合、自動で作動して首から上を吹き飛ばす為の爆弾入りのチョーカーが旭の首に巻かれている。
長時間の戦闘と疲労によって、旭の精神汚染率は上昇しており、ほどなくしてチョーカーが起動して、痛みを感じる間もなく旭に死を与えるだろう。
旭が銃口を咥えるか、それとも包囲を狭めて近づいてくるグレイストーカー達へと向けるのか、チョーカーが彼女の首から上を吹き飛ばすのか。
いずれにせよ、旭には死以外の未来はないはずだった。
旭だけでなくグレイストーカー達の意識の外から、音よりも早く投げつけられた巨岩が、ファイアーダを押し潰すまでは。
数十トンはあるだろう岩に押し潰された重武装の蜘蛛が爆発を起こしてから、ようやく旭は第三者がこの場に介入してきたのを理解し、いつの間にか、自分の目の前に鍔の広い帽子を被った、長い黒髪の女性が立っている事にも気付く。
赤いトレンチコートに白のフリルブラウス、キュッと引き締まった腰を際立たせる黒いハイウエストパンツと白のフラットシューズはこの上なく似合っているが、同時にとてつもなく場違いな服装だった。
生まれてから軍の用意した服しか着た事のない旭には、どれだけ場違いなのかイマイチ理解できなかったけれど。
「どこの誰だか知らないけど、可愛い女の子は人類の宝だって知らないのね」
心底呆れた表情で、その女性は旭の顔をしげしげと見つめながら呟く。意識を保つのも難しい旭には、まともに女性の顔を見る余力はほとんどなかったが、もし人類を作り出した存在が居たなら、この女性を理想像の一つにしたに違いない。
それほどまでに人間離れした美しさの女性だ。そして蝋のような異常な白さの肌と、ルビーのように赤い瞳の異質さに、旭は気付けずにいた。
「初めまして~。あ、日本語、通じている? 私、月欠満夜。久しぶりに人間に会うから、ちょっと緊張しているのだけど」
風で帽子が飛ばないように抑えながら、満夜と名乗った女性は、血で濡れているように赤い唇から、真っ白い二本の牙を覗かせながら、どこまでも友好的に笑いかけた。