4話
結論から言うと。
アリーシェルは、生き延びた。
「死んだと思っていたわ……」
「いや、俺ももう無理だと思ってたわ。おまえ、しぶといんだなぁ」
ベッドに上体を起こしてつぶやくアリーシェルにそう返したのは、ラファエル。彼は見舞いの品であるリンゴの皮を適当に剥くと、ほらよ、と投げて渡してきた。残念なことに、皮よりも実の方がたくさん削られてしまったようだ。
森の奥で意識を失ったアリーシェルはフェルナンに抱えられて、治療師のもとに運ばれた。そこですぐに治療を受けた結果一命を取り留め、「一ヶ月は療養ね」と中年医師に釘を刺されたもののこうしてボコボコのリンゴをかじるに至ったのだった。
「にしても、まさかあの森でシルバーウルフが出てくるとはな……」
「やっぱり突然変異か何かなの?」
「うん、多分。今調査中だけど、魔力か何かの影響で普通のウルフが変異したんじゃないかって話になってる」
リンゴをぼりぼりとかじりながら、アリーシェルはラファエルの話を聞いていた。だがしばらくすると部屋のドアがノックされた。
「アリーシェル、いるか? 私だが……」
「殿下ですか?」
「ああ。入ってもいいか?」
「もちろんです、どうぞ」
アリーシェルが促すと、簡素な私服姿のフェルナンが入ってきた。だが彼はアリーシェルの側にラファエルがいるのを見るとすっと眉を寄せたため、ラファエルは慌てて立ち上がった。
「え、ええと……俺はちょっと様子を見に来ただけですので、どうぞ!」
「……すまないな。ああ、そういえばカーラがラファエルにシルバーウルフについての話をしたがっていたから、行ってやってくれ」
「了解です!」
ラファエルは「それじゃ、またな!」とアリーシェルに言って、慌ただしく部屋を出て行った。フェルナンは部下の去った先をしばらく見た後に先ほどまで彼が座っていた椅子に腰を下ろした。
「まずは……目が覚めたようでよかった、アリーシェル。傷は、まだ痛むか?」
「いえ、もう痛みはほとんどありません。お医者様によれば、もう一ヶ月もすれば傷跡もほとんど見えなくなるだろうとのことでした」
教会でも凄腕の治療師が手当をしてくれたため、大量出血はしたもののアリーシェルの体の傷はほとんど塞がった。だがいかんせん血が失われているし皮膚も回復途中なので、一ヶ月はゆっくりするようにと言われている。
そう説明すると、フェルナンはほっと息をついてうつむいた。
「……本当に、自分の無力さが恨めしい。もっと私に力があれば、あそこでアリーシェルを行かせたりしなかったのに……」
「いいえ、殿下の責任ではございません。シルバーウルフは変異種のようですし……私こそ、殿下のご命令に背いて勝手な行動を取りました。申し訳ありません」
「君が謝ることでもない。あのとき君が飛び出さなかったら、それこそ死人が出ていただろう。……だが、同じことが二度あってはならない。教会とも連携を取った上で精進し、もっと強くならねばならないし、皆が生き延びるために誰かが犠牲になるような展開にしてはならない。君も、自分の命をもっと大切にしてくれ」
フェルナンが真面目に言ったので、アリーシェルはうなずいた。
(……そうよね。物事にはいくらでも「想定外」があるのだから、誰もが慎重になってできることをするべき。私も……死ねばそれでおしまいなのだから、もっと用心しないと)
アリーシェルは納得してリンゴの芯を皿に置いたが――そこでフェルナンがわざとらしい咳払いをした。
「……ときに、アリーシェル。君は、森でのやりとりを覚えているか?」
「…………どれですか?」
「私たちがお互いに愛を告げあったことだ」
そんな感じはしていたがあえてはぐらかしたのに、フェルナンは真正面から突っ込んできた。
覚えている。忘れていた方が幸せだったかもしれないのに、アリーシェルはあのときのことをはっきりと覚えていた。
「え、あ、あの、それは……!」
「君は、私のことを異性として愛してくれているのだな?」
「う、え、ええと……その……忘れてください……」
「忘れることなんてできないし、先に言っておくとあのとき私が告げた言葉も慰めなどではない、本心だ」
フェルナンはそう言うと、ぎょっとしたアリーシェルの右手をそっと手に取り、その甲に口づけた。
「……アリーシェル・グレン。私は君のことを、女性として愛している。どうかこれからは、私の恋人として側にいてくれないか?」
「…………え、ええっ?」
「もう一度言おうか?」
「い、いえ、大丈夫です! 聞こえていました!」
ぶんぶん首を振りながらも、アリーシェルは混乱していた。
(え、ええええっ!? あれは、死にかけていた私への情けじゃなかったの!? 本当に……本当に殿下は、私のことをあ、愛していたの……!?)
「そんな、でも、そんなそぶり――」
「ああ、ばれないようにするので必死だった。……いつも私の側にいてけなげに尽くしてくれる君に関心を持つのは必然だったし、そんな君がたまに見せてくれる笑顔に心惹かれるのも仕方のないことだ。しかも、ここに来てからはますます感情豊かに接してくれて……恋心を募らせる一方だったんだ」
「ひぇ……」
「だが、君は真面目な女性だし下手に告白しても困らせるだろうからと自制していた。……それなのに君の方から告白してくるものだから、私も我慢できなくなった。何が何でも君を助け、改めて想いを告げたいと思っていたんだ」
フェルナンはヘーゼルの目でまっすぐアリーシェルを見つめ、「アリーシェル」と、まるで祈りの言葉でも告げているかのように恭しく名前を呼んできた。
「もう一度聞く。……私の恋人になり……いずれ、私の妻となってくれないか?」
「んんっ!? つ、妻……!?」
「私は恋を遊びにしたくない。私が口説くのはつまり、将来も見据えているということ。それだけ本気なのだと、分かってほしい」
真剣な目でそう言われると……アリーシェルもさすがに困ってしまう。
嬉しい、という気持ちと、自分が王子の妃になんて……という気持ちがない交ぜになる。
「……わ、私、王子妃になれる気がしません……」
「大丈夫だ。君なら絶対に、皆が認める素晴らしい妃になる。それに国王陛下たちや兄上たちも君の優秀さはよく知っているからな。ただ……カルヴィンを説得するのには骨が折れそうだが」
カルヴィンとは、魔法長官であるアリーシェルの祖父のことだ。彼は第一王子やフェルナンが幼い頃に魔法を教えていたようで、今でも王子たちは長官に頭が上がらないらしい。
「もしカルヴィンに魔法での決闘を挑まれても、勝ってみせる」
「それはやめてください……」
大変言いにくいことだが、魔法決闘だったらフェルナンではカルヴィンどころかアリーシェルにも勝てないのだから、命は大切にしてほしい。
「……その、分かりました。ええと、結婚のことは……私も前向きに考えます。まだ、はっきりお答えはできません」
「ああ、私が本気であるということさえ分かってくれればいい。……それで、その。告白の返事は……?」
いつも堂々としているフェルナンが緊張した様子で問うてきたので、アリーシェルは微笑んだ。
「……嬉しいです。私もずっと……あなたに見いだしてもらったあの日から、あなたをお慕いしています。……愛しております」
「っ……! アリーシェル、ありがとう! 愛している! ずっと、一生大切にする……!」
「あ、ありがとうございます……ですがその、安静と言われておりますので……」
「そ、それもそうだな」
アリーシェルが言うと抱きついてきていたフェルナンはすぐに抱擁を解き、頬にちゅっとキスを落とした。
「では……これからもよろしく、アリーシェル」
「こちらこそ。……あの、どうか私のことはリーシェと呼んでくださいまし」
アリーシェルが家族だけの愛称を伝えると、フェルナンは目を見開いてから嬉しそうに頬を緩めた。
「ああ、そうさせてもらうよ。……リーシェ」