2話
カーラが「光の神子」として特訓をして魔物退治などを行うことになり、フェルナンたちもお目付役として彼女と一緒に行動するようになった。
双神教教会は「奉仕活動」の斡旋を行っており、教会に名前を登録すると魔物退治などの仕事を割り振ってもらえた。「奉仕」とはいうがきちんと報酬があり、難易度の高い依頼をこなしていくと階級が上がっていくシステムになっていた。
そして、登録者は皆「光の神子」に協力する義務があり、彼女の誘いを受けたら一緒に魔物退治をしたり素材を集めたりといった仕事をする必要があった。
当然というべきか、カーラはよくフェルナンを指名した。フェルナンはずば抜けた剣術と貴族男子のたしなみとしての弓術、そして最低限の魔法を使える。魔物退治にも慣れているので、カーラが彼を頼りにする気持ちはアリーシェルもよく分かった。
……反面、アリーシェルはあまり呼ばれなかった。
(……まあ、教会には他にもたくさんの魔道士がいるし、私じゃなくてもいいわよね……)
きちんと日々の鍛錬は行っているし、単独でも受けられそうな採集などの依頼も積極的に受けている。カーラに呼ばれないのは寂しいが、やるべきことはたくさんあった。
それに――
「……おかえりなさいませ、殿下」
「ああ、アリーシェルか。ただいま」
夕方に、王子用の部屋にフェルナンが帰ってきた。
今日の彼はカーラたちと一緒に下級の魔物を倒しに行っていた。カーラは様々な武器や魔法をまんべんなく扱えるようで、彼女が魔物退治に慣れるためにフェルナンは側でサポートしているそうだ。
アリーシェルは部屋に帰ってきたフェルナンから荷物を受け取り、彼が鎧を脱ぐのを手伝った。城にいる頃は従騎士の少年たちがこういうことをしていたが、教会にいる間は王子一行の中の留守番係――主にアリーシェルがその役目を担っていた。
重い鎧を脱がせたらすぐに、蒸しタオルを差し出す。それを受け取ったフェルナンが「ありがとう」と笑顔で言ってくれるものだから、ついアリーシェルの胸がときめいてしまう。
「今日もお疲れ様でした。戦果はいかがでしたか?」
「上々だ。今日はついにカーラ殿が、光魔法で小型の飛竜を倒した。上空をちょこまか飛ぶ小さな標的を落とすのは難しいことだったが、見事なものだった」
「まあ、それはよいことですね」
アリーシェルはフェルナンの鎧を拭きながら、笑顔で相づちを打つ。
……魔道学院で才媛と呼ばれていたアリーシェルなら、指の一振りで飛竜を倒せる。魔物を倒しながらもフェルナンの方を気遣えるから、彼の鎧をこんな泥まみれにすることもないのに。
(……私の、馬鹿。こんなの……ただの嫉妬だわ)
慌てて自分の黒い感情に蓋をする。呼んでもらえなくて寂しいのは事実だが、こんなことで張り合うのはおかしい。そもそもアリーシェルとカーラでは経験値が全く違うのだから、嫉妬するのが間違っている。
そんなアリーシェルの胸のもやもやに気づくよしもないフェルナンは、彼女の方に首を向けた。
「だが……こうして君が帰りを待ってくれているから、私も日々頑張れるよ。……いつもありがとう、アリーシェル」
「っ……。……部下として当然のことですから」
いきなり褒められ礼を言われ、嬉しい。だが、ついつい素っ気ない返事をしてしまった。
つくづく可愛くない女だと、アリーシェルはかっかと熱を放つ頬に片手を添えて思った。
フェルナンの鎧を磨くために使用する粉が少なくなっていたので、アリーシェルはそれを探すべく倉庫に向かった。
(ええと。確か倉庫は、教会の裏門から出て西側に……あら?)
夕焼けの色に染まる教会の裏庭を歩いていたアリーシェルは、ぽつんとたたずむ小さな影を見つけた。
(あれは……カーラさん?)
短い銀髪を靡かせており、神子のローブを着ているから間違いないだろう。彼女も戦帰りのはずだが、ここで何をしているのだろうか。
声を掛けようかどうしようかと迷っていたら、カーラの方からこちらに足を進めてきた。近づくにつれて、彼女の無表情がはっきり見えるようになってくる。
「……こんにちは、カーラさん。今日も殿下と一緒に魔物退治をなさったそうですね」
彼女が正面まで来たためひとまず声を掛けたが、カーラは何も言わない。アリーシェルの方が背が高いため、無言でじっと見上げてくる。
(……な、何かしら……?)
「あの――」
「教えてあげる」
カーラの薄桃色の唇が開き、そこから可憐な――だが無機質な声が放たれた。
「あなたとフェルナンが結ばれるエンドは、ないの。あったけど、消されたの。だから、何をやっても無駄なのよ」
(……え?)
アリーシェルは、息をのんで目を瞬かせた。
藪から棒に、謎の言葉を掛けられた。
(エンド? 消された? ……い、いえ、それよりも、私と殿下が結ばれる、って……?)
魔道長官の孫でしかない自分と第二王子であるフェルナンが結ばれるなんて、あり得ない。あり得ないはずだが……カーラの言葉には妙な響きがある。
「……カーラさん? 何を言って……」
「あなた、フェルナンのことが好きなんでしょう?」
「……。……それは」
(ど、どうしてそれを!?)
フェルナンに対して抱く恋情は、完璧に隠していると思っていた。同僚のラファエルにもよく、「最初は殿下狙いかと思ったけど、おまえって恋とか愛とか分かってなさそうだよなぁ」とからかわれるくらいで、自分が王子殿下に浅ましくも恋をしているなんて誰にも気づかれていないと思っていた。
それなのに、出会って一ヶ月も経っていないというのにこの少女はアリーシェルの恋情を見抜いてきた。それが驚き以上に不気味で、恥ずかしいどころかむしろぞっとしてきた。
夕日を浴びて銀髪を淡い金色に染めるカーラは、相変わらずの無表情でアリーシェルに近づいてきた。
「無駄なことは、しない方がいいわ。どんなにあがいたって……シナリオには勝てないんだから」
そう囁きながらカーラは、アリーシェルの横を通り過ぎていった。
しばらく呆然としていたアリーシェルは慌てて振り返ったが、もうそこにカーラの姿はない。
(……今の、何だったの……?)
『あなた、フェルナンのことが好きなんでしょう?』
『何をやっても無駄なのよ』
カーラが単純に鋭くて、アリーシェルの恋心に気づいた……にしてはおかしい。もしかするとカーラは頼もしいフェルナンのことが好きになったのではないか……とも思ったが、恋敵のアリーシェルを牽制するにしてはあの話し方と態度が引っかかる。
だが、カーラの意図が何だとしても、結果は同じだ。
「……分かっているわよ」
ぽつり、とアリーシェルはつぶやく。
(エンドとかシナリオとかの意味は分からないけれど……私は最初から、この恋が叶うことはないと分かっているわ)
アリーシェルは、ただの護衛魔道士。
フェルナンは、一国の王子。
どんなに想っても、結ばれない。結ばれるはずがないと、恋を自覚した日から分かっていた。
だからアリーシェルも、本当はフェルナンと一緒にいられて、褒められて、頼りにされて嬉しいのに、何でもなさそうに振る舞っていた。
とはいえ、出会って間もない少女にあそこまで言われると悔しいし……なんだかもったいないような気がしてきた。
「……どうせ叶わないのなら、ちょっとくらい羽目を外してもいいかも?」
そう言ってふふっと笑い、アリーシェルは倉庫へ足を向けた。
カーラに謎の挑発をされてから、アリーシェルは……少し斜め右上の方向に走ることにした。
「おはようございます、殿下」
「ああ、おはよう、アリーシェル。……悪い、ちょっと髪の調子が悪くて……」
朝、王子用の部屋に併設されている執務部屋に行くと、手鏡を手にして唸るフェルナンの姿があった。難しい顔で鏡をのぞき込み、側頭部あたりの髪の毛をいじっていることからして……寝癖がついたのだろう。
「御髪がはねてしまったのですか? では、整髪用の香油をお持ちしますね」
「すまない。……はぁ、ラファエルたちならともかくアリーシェルの前ではこういう姿を見せたくなかったんだがな……」
「何をおっしゃいますか。私は殿下のしどけない姿やちょっとお困りの姿を見られて、嬉しいですよ」
……いつもの自分なら気を利かせて、「滅相もございません」で終わらせていただろうが、今日のアリーシェルはひと味違った。
案の定、アリーシェルが冗談を言ったからかフェルナンははっと顔を上げた。
「……う、嬉しいのか?」
「はい。敬愛する主君のことですから、どんなお顔でも拝見したいに決まっております」
「……。……寝癖なんて、格好悪くないか?」
「そんなことありません。誰だって寝癖はつきますし……はねた御髪を必死で直そうとなさっている殿下も素敵ですから」
アリーシェルはにっこりと笑い、「香油を探してきますね」と言ってフェルナンに背を向ける。そして廊下に出てから、アリーシェルはふう、と大きな息をついた。
フェルナンは日頃から、「もっと気軽に接してほしい」と言っていた。ラファエルたち他の部下は同じ男性ということもあってか、最初こそ緊張していたがしばらくするとかなりラフに接するようになっていた。だが唯一の女性部下であるアリーシェルは「私ごときが」と遠慮し、臣下としての態度を崩すことはなかった。
(……本当はラファエルたちみたいに、こうやって軽口を叩いたりしたかったのよね……)
アリーシェルは昨日カーラにダメ押しをされたからか、「それならいっそ、とことんぶつかっていこう」という気持ちになっていた。
この恋が叶うことはないけれど、フェルナンへの気持ちはたくさん伝えたい。可能性がゼロだという現実を突きつけられて、今の自分は少したがが外れてしまったのかもしれない。
(……好きです、殿下)
アリーシェルは心の中で、愛を告げた。