閑話 初恋の思い出
かりかりと窓を引っ掻く小さな音に、僕は政務の手を止めて顔をあげる。視線の先にいた小さなお客さんの姿に、少しだけ頬を緩めるとそっと窓を開けた。
「やぁ、久しぶりだね。またおやつを食べに来たんだろう?」
そう声をかけながら、くるみケーキに使った余りのくるみを指に乗せて差し出せば、そのリスは器用に両手でくるみを掴むと、美味しそうに頬張り始めた。
この子はよく僕の所におやつをねだりに来る馴染みのリスだ。ふわふわの茶色い毛並みとつぶらな瞳がなんとも可愛らしい。嬉しそうにゆらゆらと揺れる尻尾も、見ているだけで何とも癒される。
「美味しいかい?」
『とっても!でもあなたはあまり元気じゃなさそうね』
「やはり君にもそう見えるのか……」
思わず溜息を漏らせば、彼女はすりすりと僕の手に頭を擦り付けてきた。どうやら慰めてくれているらしい。
昔から動物には何故か好かれる傾向があったけど、それの理由が解ったのは10歳の時だった。儀式で僕に授けられたスキルは、生き物全てとの『対話』が可能になるものだったのだ。
この子のような動物に限らず、鳥や虫、あらゆる生き物達の声が聞こえるようになったのだから、最初は驚いたし、ポーラはとても羨ましがっていた。
ポーラが授かった『調薬』スキルの方が人の役に立つスキルだから羨ましいと彼女には言ったけど、僕みたいな王族にはこのスキルの方が向いていたと言えるだろう。
生き物達は人が入れない所にも容易に忍びこめるのだから、彼等から得られる情報はささいなものでも役に立つ事が多いのだ。要するに彼らは僕にとって、身軽な間諜の役割を果たしていると言える。
それだけでなく、このスキルは生き物である人間にも有効なのだ。普段は疲れるから殆ど使う事はないけど、やろうと思えば相手の意思をこちらの有利になるように操り、望む言葉を引き出す事もできる。
このスキルを使えば、ポーラが僕と結婚するように仕向ける事だって不可能ではなかったけど、僕は一度もこの力をポーラに使った事はない。
そんな事で彼女と結婚できた所で、彼女の性格なら僕は嫌われて二度と口をきいてもらえなくなる事は間違いないし、それなら結婚できても虚しいだけだ。
「……結局僕は、一番の友達という居心地の良い場所を失いたくなかったんだよな……」
『お友達……?あぁ、あの銀色の髪の女の子ね。あの子なら最近ごはんがいっぱいあるとこで見たわよ』
「ごはん……叔父上の領地かな?あそこは土が良いから、くるみもどんぐりも豊富だろうし、美味しい果物も多いからね」
叔父上が賜ったアスター領は王都からも程近い。小さなこの子でも移動できない距離ではないだろう。
僕の成人祝いのパーティーで叔父上がまさかの公開プロポーズをポーラにしたかと思えば、そのまま彼女を領地に連れ去ってしまってから早数日。
あれだけの貴族の前での公開プロポーズだ。長年僕が地道に広めていた僕とポーラの噂は、一瞬にして叔父上とポーラのロマンスの話にすり替わってしまっていた。僕に会いに王城に来ていたのも、実は叔父上に会いに来ていたのではないかという憶測まで飛び出していたのだから頭も抱えたくなるというものだ。
ポーラが叔父上を好きな事は出会った頃からずっと知っていたけど、叔父上が彼女を気にしている素振りは殆ど無かったし、寧ろ避けていた時期もあったからまさか叔父上も彼女を好きだなんて考えてもみなかった。
だから叔父上の事は警戒していなかったし、彼女に舞い込む貴族子息達からの縁談は悉く潰してきたつもりだったけど、まさかそれに紛れて叔父上もせっせと彼女に求婚状を送っていただなんて気付きもしなかったのだから間抜けな話だ。
しかも最悪なのは父上だ。僕と叔父上がポーラを好きな事も全部知っていた上でどちらにも手を貸していた訳で、結局全ては父上の掌の上だったという事なのだから。
父上にしてみれば、ポーラの相手が僕でも叔父上でも、オランジュ公爵家の力を王家の確実な味方に取り込める事に変わりはないのだからしめたものだろうけど、当事者の僕にしたら堪ったものではない。
そんな事を考えていたらまた父上に腹が立ってきて、僕は少しだけ顔を顰めた。
『もぅ、怖い顔してるわよ!ほら、笑って笑って!あたしの毛並みを撫でるの好きでしょう?いくらでも撫でていいわよ!』
僕の手を伝って肩口まで登ってきたリスは、ふさふさとした尻尾を僕の頬に押し当ててくるものだから、少しだけこそばゆい。ただ、少しだけ気持ちが癒されたのも事実だ。
「ありがとう。君は優しいね。お言葉に甘えて、少しだけ撫でさせてもらうよ」
柔らかい毛並みを撫でていると、心地良い体温ともふもふとした触り心地に自然と口元は緩んでいく。思ったよりも長い時間その感触を楽しませてもらった所で、僕が追加のくるみを差し出せば、彼女は嬉しそうにそれを頬張っていた。
僕の手から嬉しそうに食べてくれる姿は、どうしてもポーラの姿が過ぎってしまい、今はまだ複雑な気持ちでいっぱいだ。
今後悔してももう遅い事だけど、こんな事になるなら叔父上に媚薬を盛るとポーラが言い出した時に、もっと強く反対するべきだった。
とことんまでポーラの望み通りに行動させて、それがたとえ叶わなかったとしても、僕はずっと傍にいると告白するつもりだったというのに、全ての計画は水の泡だ。
「最初から、僕が叔父上より先にポーラに出会えてたら違ったのかな……」
瞼を閉じれば、今でも鮮明に思い出せるあの日のお茶会。
5歳になった僕は、父上と母上から将来の妃候補を集めたお茶会を開くと聞かされて、最初は物凄く憂鬱だったのを覚えている。
あの頃の僕はまだ引っ込み思案で、それまで王城から出た事は殆ど無かったし、同世代の友達もいなかった。だから知らない子供たちが大勢集まるお茶会だなんて、それだけで気疲れしてしまうものだったのだ。
それでも嫌々ながら笑顔を振りまいていれば、女の子達は自分のアピールに余念が無くて、ぐいぐいとくるその勢いにげんなりとしていたそんな時だった。
『ポーラ!貴女ってばどこに行ってたの!?心配したのよ!』
それは付き添いで来ていたオランジュ公爵夫人の声だった。お茶会に参加する予定の少女が一人、迷子になって騎士達が探しているという話だったけど、どうやら公爵夫人の娘だったらしい。
『ごめんなさい、お母さま。でもね、この人がたすけてくれたのよ』
『薔薇園の迷路で出られなくなっていたんです。あまり叱らないでやってあげてください』
『そそっかしい娘で本当に申し訳ありません。まさかアルテュール殿下のお手を煩わせてしまうだなんて……』
不意に聞こえた叔父上の名前に顔をそちらに向けた所で、僕は叔父上に抱えられた少女の姿にハッと息をのんだ。
銀糸のように美しい髪を上で2つに纏めていて、そこには綺麗な花が飾られている。その姿はまるで花の妖精みたいだった。
完全なる一目惚れだ。
『アルテュールでんか……?』
『王子様ってことよ。貴女を助けてくれたこの方は、国王陛下の――王様の弟なの』
『おっ!?王子さまだったの!?』
瞳が落ちるのではないかというくらい大きな瞳を目一杯開き、かちこちに固まった彼女はとても可愛らしくて、僕はくすりと笑みを零してしまう。
表情豊かでなんて可愛らしい子なんだろう。
僕はこの時にはすっかりポーラに嵌ってしまっていて、それは今でも続いているのだから自分でも驚いてしまう。
叔父上はポーラを公爵夫人に渡すと、すぐに去っていかれたものの、その後のポーラは僕が話しかけても上の空だった。唯一彼女の気を引けた事といえば、僕が叔父上の甥だという事だ。
彼女の好意が叔父上に向いている事を知りつつ、最初はそれを利用して彼女と仲良くなったのだから、今のこの状況は自業自得なのかもしれない。
それでも一番の友達として、親友と呼んでくれるポーラと僕の思い出は数えきれないくらいたくさんある。その全てが僕にとっては大切な宝物だ。
本当は僕が彼女を幸せにしたかったけど、結局僕はポーラが幸せならそれが一番だと思うだろう。今はまだ、心の整理ができないけども。
だからもし、叔父上がポーラを悲しませるような事があれば、僕は必ず彼女を助けにいくし、何があっても彼女の味方でいたい。
僕はそっと政務机の引き出しを開けると、中に入れていた小箱を取り出す。中には僕の瞳の色みたいな若草色のペリドットの指輪が入っている。いつか彼女に渡そうと思っていたこれには、彼女を守るための仕掛けが施してあった。
僕はそれを取り出すと、ぎゅっと握り締める。
「ねぇ、一つ頼みがあるんだけど、聞いてくれるかい?」
『なぁに?』
「僕の友達の銀色の髪の女の子に、届けてほしい物があるんだ」
未練だって事も解っているし、僕の事は友達だとしか思っていない事も解ってる。それでも彼女が助けを求めた時に、一番に駆けつけられるのは僕でありたいから。
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