4 突然のプロポーズ
「ポーラ嬢、いやポーラ!君は俺にとって天に輝く一番星だ。その眩しい笑顔を、この先はずっと俺だけに見せてくれ」
「………………へ?」
普段のアルテュール殿下からは考えられないような甘い声音と饒舌な言葉に、私は虚をつかれたような間抜けな声を漏らしてしまう。
この現状が理解できずにぽかんと呆けていれば、アルテュール殿下はそんな私の手を大切なものに触れるかのようにそっと優しく握られると、躊躇う事なくその甲に口付けられるものだから、私は飛び上がりそうな程に驚き、目を見開く事しかできない。
「妖精の様に小さく可憐で愛らしい君に、俺の様な大柄で無骨な男が釣り合わない事は重々承知しているが、日毎に美しく花開いていく君を、俺は俺以外の誰にも奪われたくない」
「ひぇ!?」
私を見上げるその表情は、想い出の中よりも何倍も破壊力のある眩しい笑顔だ。優しく蕩けるように私を見詰める瞳は少しだけ潤み、頬はほんのりと薔薇色に染まっていらっしゃる。
この御顔といい、先程からの甘い言葉の数々といい、どう見ても正気ではおられない。
媚薬を作るのも使うのもこれが初めてなのだけれど、まさかたった一滴でここまで変わってしまわれるものだなんて思いもしなくて、私の頭ではこの状況を処理しきれずに破裂寸前だ。
そんな私に追い討ちをかけるように、アルテュール殿下は先程から握ったままの私の手にやんわりと力を込められる。黄金の瞳は蜂蜜の様に甘く輝き、私の瞳を真っ直ぐに捉えた。
「ポーラ、改めて言わせてくれ。どうか俺と共に歩む大公妃となってくれないか?」
大広間にいる全ての人に聞こえるのではないかというよく通る声に、それを仰ったアルテュール殿下御本人だけでなく、周囲の人々全てが固唾を飲んでいる気配がありありと伝わってくる。
この言葉を、アルテュール殿下が正気の時に仰ってくださったのなら、私はきっと天にも昇る気持ちだっただろう。
けれど今のこの異常な状態は媚薬のせいであって、彼が私にプロポーズをしてしまっているのもまやかしなのだ。
心がゆるゆるになって笑顔を引き出すだけのつもりだったというのに、まさかこんな風に彼の好意を捻じ曲げてしまうだなんて思いもしなかった。ただ玉砕覚悟の私の告白を笑って受け止めてくだされば、それだけで良かったのに。
(あぁ、でもこの状況はまずいわ……まさかその気持ちが私が媚薬を盛ったからだと正直に言える筈もないし、こんな大勢の前でお断りしてアルテュール殿下に恥をかかせるだなんて、そんな大それた事はできないじゃないの……!)
今夜は王太子であるシモンの成人祝いというおめでたい席でもある。そんな公式で、大切なパーティーでの王族による公開プロポーズだ。
真っ当な貴族なら絶対に断る事なんて出来ない状況であるし、そもそもお相手が全ての国民から尊敬されるアルテュール殿下なのだ。それをお断りするだなんて、それこそ正気の沙汰ではない。
それに本当は、この言葉を受けるべきだったのはセレスト王女殿下だったのではないかという考えが、罪悪感となって私の心に重くのしかかる。
私がこの場で媚薬を使わなければ、きっとアルテュール殿下は彼女にプロポーズしていたに違いないのだから。
そんな引くに引けない状況の中、藁にも縋る思いで助けを求めるように彷徨わせた視線の先には、こちらをなんとも言えない表情で見ているシモンの姿があった。
私は視線で『助けて』と必死に念を送るものの、彼は首を小さく横に振るとじとりとした目で私を見ながら声を出さずにぱくぱくと口だけ動かしている。
『ポーラの馬鹿!なんでこんな人前で盛ったの!?』
口の動きと表情を考えると、シモンが言いたいのはおそらくこうだろう。よくよく思い返してみれば、シモンは二人きりで話せる機会を作ると言ってくれていたのだ。
二人きりの場ならどうとでも対応できた筈だし、冷静に考えればテラスに連れ出して媚薬を盛るというのが一番安全な手だったのだと今なら解る。
この状況を作り出してしまった全ては、動揺して冷静に対応出来なかった私の落ち度なのだ。
私の言葉をじっと縋るような瞳で待たれているアルテュール殿下。驚きつつもにこにこと嬉しそうなお父様とお母様、羨ましそうな顔のお兄様、この状況の行く末を嬉々として見守る人々。
そんな全ての人々の視線から逃れるように、私は瞼を閉じると大きく息を吸い込んだ。
「……喜んでお受け致します」
その瞬間、大広間に集まった人々からは、わぁっと大きな歓声があがる。その勢いに圧される中、気付いた時には私の体はふわりと宙に浮いていた。
一体何が起きたのかと思えば、私はアルテュール殿下の力強い腕により、横抱きに抱きかかえられていたのだ。
一瞬の出来事に目を白黒とさせる中、私の息を止めんばかりの彼の嬉しそうに破顔した表情が視界いっぱいに飛び込んでくるものだから、私は多分この時に一瞬死んだのではないだろうか。
「そうと決まれば、ポーラ。君を今すぐにでも俺の邸に連れて行きたい」
「え?」
「俺の妃となる君と、これ以上離れて暮らす理由もないだろう?」
「えっ!?いえ、そんなに急ぐ必要もないのではと思うのですけれど……?」
たった一滴の媚薬なのだから、この効果もそう長くは保たないだろう。きっと正気に戻られたら、アルテュール殿下は前よりも私の事を軽蔑した瞳で見られるに違いない。
それ事態は私の自業自得なのだから、どれだけ心が傷付くとしても甘んじて受け入れるつもりだ。
けれどこんな風にプロポーズをお受けした上に、未来の大公妃として邸に迎え入れられてしまっては、本当に逃げ道が無くなってしまう。まだこの公開プロポーズだけなら、後日全て私の不徳の致すところだという事で婚約解消にもっていく事も可能だろうから。
本当は好きでも何でもない私との結婚に、アルテュール殿下を縛り付けてしまう訳にはいかないのだ。
どうにかして彼が正気に戻られるまで距離をとりたい私は、声を上擦らせながらも必死にそう言うのだけれど、彼はしゅんと落ち込んだ表情で、悲しそうに眉尻を下げるのだから思わずうっと呻き声が漏れてしまう。
「ポーラは……俺の傍に居なくても平気なのか?俺はいつだってこうして触れられる距離にいたい。君の銀糸のような美しい髪に口付けて、その夜空の様に輝く瞳に、滑らかな頬に、瑞々しい唇に、君の全てに口付けて甘やかしたいというのに」
「ひゃっ!?」
ちゅっと音を立てて額に柔らかな感触が触れる。名残惜しそうに唇を離した彼の瞳は、熱に浮かされているみたいに潤み、憂いを帯びた表情に心臓がきゅっと音を立てた。
紡がれる甘い言葉がまやかしだと解ってはいても、私の顔はみるみるうちに赤く染まり、思考力を奪っていく。
いっそこれが夢だったらよかったのに。それならただこの幸せに浸れた筈だから。
流されてしまいそうな心を、なけなしの理性で押し留めていたところで、可笑しそうな明るい笑い声が響いた。
「アルテュール、お前がまさかそんな台詞を言えるとは思わなかったぞ。愛しい女性を前にすれば自然とそうなる気持ちはよく解るがな」
「兄上」
からからと楽しげに笑う国王陛下の登場に、アルテュール殿下以外の周囲の人々が礼をとる。私もそれに倣いたいのに、アルテュール殿下は私をがっちりと掴まれているものだから横抱きにされたままでなんとも心許ない。
思わず身を縮こませる私に対して、国王陛下はふっと優しい眼差しで微笑まれると優しく頭を撫でてくださった。
「ポーラ嬢、私の息子にはよく会いにきてくれているようだが、こうして直接会話をするのは久しぶりだな」
「こ、このような格好でご挨拶させて頂くだなんて申し訳ございません」
「よいよい。この朴念仁が迷惑をかけたな。この様に人前で突っ走るような奴ではない筈なんだが、今宵の美しく装ったポーラ嬢を前にして箍が外れたらしい」
国王陛下は私を安心させるような優しい笑みを溢されるけれど、私はどきりとして気が気じゃない。実際その箍が外れた原因は、私が盛った媚薬なのだから。
私がそんな緊張感に揺れる中、和やかな国王陛下とは裏腹に、先程まで蕩けるような笑みを浮かべられていたアルテュール殿下はいつもの真顔に戻られている事に気付いてハッとする。
もしかして媚薬の効果が切れたのだろうかと手に汗を滲ませるのだけれど、彼の厳しい視線は国王陛下へと注がれていた。
「……兄上、ポーラの頭をそのように撫でる必要は無いのではありませんか?」
「おいおい、これくらいで狭量な奴だな。ポーラ嬢はシモンと同い年だぞ。私にとっては娘のようなものだし、実際義娘になってくれるものだと楽しみにしていたんだがなぁ」
その瞬間、壇上でシモンがごほごほと咽せている気配がするけれど、この体勢ではそちらの様子が見えなくて確認する事はできない。カクテルでも勢いよく飲んでいたのだろうか。
「まぁ、私にとっては義娘でも義妹でもどちらでも家族になる事は変わりない。アルテュールは私にとって大切な弟で、誰よりも頼りになる男だ。何があろうともポーラ嬢を守り抜いてくれる事だろう」
「は、はい……」
こくりと頷きながら、私は心の中では泣きたい気持ちでいっぱいだった。こんな風に国王陛下に言われてしまっては、ますます逃げられなくなってしまう。
ちらりとアルテュール殿下の方を見上げれば、いつから私の事を見ていたのか彼の瞳は蜂蜜色に彩られたままだ。国王陛下を見ていた時の厳しさなんてどこにも感じられず、私を見るその瞳はただただ蕩ける様に甘く、優しい。
「アルテュール、退席を許可する。ポーラ嬢も早く二人きりになりたいだろうしな」
「ありがとうございます、兄上」
国王陛下は気を利かせてくださったのだろうけれど、私は先程から冷や汗が止まらなかった。あぁ、どうしてこんな事になってしまったのだろう。そんな思いばかりが頭をよぎる。
最早逃げられないと解りつつも、往生際悪くお父様達に助けを求める視線を向ける。けれどお父様もお母様も、何故か感極まったように涙を拭っておられるし、お兄様に至っては号泣していた。
そもそもアルテュール殿下とこんな事になってしまって、例の縁談とそれに付随するであろう家同士の諸々の関係は大丈夫なのだろうか。
本当はすぐにでも逃げ出したくて堪らないというのに、私を抱えられているアルテュール殿下の腕は力強くも優しくて、私は途方に暮れるしかなかった。
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