37 未知の病
フレジエ公爵家領はアスター大公家領と隣り合っているだけあって、王都に来た時と然程変わらない時間で到着した。
薬学研究所ではアルテュールの事を持ち出して、あれだけ私を脅してきたバジル様は、私のスキルが必要な理由を話したからなのか、その後の馬車の車内では私を気遣ってとても紳士的だった。
そのお陰で思っていたよりも和やかにここまで来れた事は良かったのだけれど、例の得体の知れない人物については何も解らないままだ。
「父上はまだ王都にいますが、件の者の所在は不明です。用心するに越した事はありませんから、フードは被っておいてください。それに貴女の評判にも関わりますしね」
「解りました。なるべく目立たないようにしておきます」
馬車の窓から様子を窺った後、真剣な表情をこちらに向けるバジル様に、私もこくりと頷く。ミロワール湖まで来た時と同じようにケープに付いたフードを被ると、少しだけ目線を落とした。
「良い感じですね。邸の者との会話は私がしますから、ポーラ嬢はその調子で顔を見られないように、私の後に続いて来てください」
「はい」
私が頷くのを見て彼も一つ頷くと、そっと馬車の扉に手を掛けた。まず最初にバジル様が降りた後、差し出された手を取り、私も慎重に足を踏み出す。
夜も更けている事もあって周囲は薄暗い上に、フードで視界もかなり悪い。肝心のフレジエ公爵夫人の状態を確認する前に、私が怪我をしているようでは話にならないものだから、こればかりは慎重にならざるを得なかったのだ。
「これはバジル様……!こんな時間にこちらにお越しになるとは、何かございましたか?」
そうして馬車から降りれば、ホッと息をつく間もなく誰かが話しかけてくる。俯いているせいで顔は見えないのだけれど、声の感じからすると年配の執事だろうか。
「少し研究に必要な物を取りに戻っただけだ。着替えは自分で適当に済ませるし、この時間だから侍女達を起こす必要はない。モルガン、お前も下がっていてくれて構わない」
「はい。それは大変宜しいのですが……あの、そちらのお嬢様は?見た所かなりお若く見えますが……」
遠慮がちに聞いたモルガンは、恐らく私の身長の低さから、まだ成人前の少女だと思っているに違いない。私の事を知らない人には年齢より幼く見られる事が多いのだけれど、ここでもやはりだ。
正直少し複雑な気持ちはあるものの、少女だと思ってくれているのならその方が都合が良いだろう。目立たないようにとお忍び用の質素なワンピースドレスにしていた事もあって、まさか公爵家令嬢だとは思ってもいない筈だ。
「彼女は薬学研究所で下働きをしてくれている子だ。必要な物が用意できれば、彼女にはそれを持って王都に戻ってもらう」
「あぁ、成程。了解致しました。……お嬢様、こんなに遅くまで大変でしたね」
物凄く優しい声で話しかけてくれるモルガンは、私をかなり幼い子供だと思っているみたいだ。私は疑われないように緊張しながらも、こくりと小さく頷くと少しだけバジル様の後ろに隠れる。
そんな私の行動に忍び笑いを漏らすバジル様の気配が伝わってきたものだから、流石にムッとしてぎゅっと強めに彼の服を摘んだ。
「っ……すまないな、モルガン。人見知りな子なんだ」
「そうでしたか……お嬢様、帰る時にはとっておきのお菓子を用意しておきますから、是非お持ちくださいね」
モルガンは本当に良い人なのだろう。それに比べて、こんなにすらすらと嘘をつくバジル様といったらどうなのだろうか。
しんと静まりかえっている邸の中に入り、一つ上の階に上がった所で、私は声を潜めながら彼の服の裾を引っ張った。
「……バジル様、笑うだなんて失礼にも程がありますよ!確かに私は背が小さいですけれども!」
「モルガンも貴女がまさか未来の大公妃殿下だとは思ってもいないのですから、疑われなくて良かったではありませんか」
「それはそうなんですけれど、それとこれとは……」
まだ言い足りない私を制するように、彼の手が私を押し留める。彼は更に上の階に続く階段の様子を窺っているようで、私もぐっと口を噤んだ。
「……どうやらまだ進めそうですね」
「え?」
ぽつりと漏らされた彼の声に、私は少しだけ小首を傾げる。
薄暗い邸内ではあるのだけれど、彼が見ている先にあるのは何の変哲もない階段に見える。侍女や侍従も休んでいるのか姿が見えないし、何も問題は無さそうなのだけれども。
「父上が母上の部屋に誰も立ち入れないようにしたと話しましたよね?」
「え、えぇ。公爵様が鍵をかけられたという風に解釈していましたけれど、違うのですか?」
「鍵だけであれば、マスターキーもありますし、新しく鍵を作れば入れない事はありません。最悪鍵を壊したり、ドアを蹴破ったりなんていう強硬手段もとれますしね」
確かに言われてみればその通りだ。いくら公爵様が禁止されたとしても、息子であるバジル様なら入ろうと思えば入れない事はないだろう。
けれどそれがこれまで出来なかったというのは、何か特別な事情でもあるのだろうか。
「そもそも公爵夫人はご病気なのですよね?公爵様以外入れないだなんて、公爵夫人の身の回りのお世話はどうされているのですか?それを侍女達にもさせないだなんて、それはもう――」
既に亡くなっているのでは。その言葉を、私はぐっと飲み込む。
眠られていて食事は取れないという可能性はあっても、それが長期間ともなれば生死に関わってくる。他にも入浴ができなくても体を清めたり、衣服を取り替えたり、そういった事を公爵様がされるとはとても思えないからだ。
そうなると公爵夫人は既に亡くなっていて、それを隠しているとでもいうのだろうか。それにしてもそんな事をする理由も解らないし、もしそうなら公爵夫人の為にも手厚く弔われるべきだろう。
「これまで何度も私だけでなく、先程会ったモルガンや侍女達が母上に会おうとしたのですが、母上の部屋付近には何か得体の知れない力が働いているのか、何と言えばいいのかとても曖昧な感覚になってしまうのです」
「それはつまり、部屋の場所が解らなくなってしまうという事ですか?なんだかそれってどう考えても怪しいではありませんか……!」
例の怪しい人物も存在が曖昧だというし、これはもう確実にその人物のせいとしか思えない。
「しかもそれなら、どうやって公爵夫人の部屋に辿り着くおつもりなのですか?」
これまで公爵様以外が辿り着けていないというのなら、私が来た所で部屋にすら行けないのではないだろうか。
そんな当然の疑問が浮かび、私はじとりとした目でバジル様を見上げるのだけれど、彼は涼しい顔でにっこりと笑みを浮かべた。
「わざわざ貴女をお連れするのに、無策で来る訳ありませんよ。一定範囲ならどんなスキルも無効化するというこのブレスレットがありますから」
そう言う彼の腕には、確かに宝石のような見た目をしたキラキラと光る石が使われた金の鎖のブレスレットが輝いている。
それにしてもそんな物があるだなんて聞いた事がないのだけれど、本当に効果がある物なのだろうか。バジル様は得意げではあるものの、正直私には眉唾物に見える。
「そんな貴重な物、どこで買われたのですか?」
「それは勿論、信頼できる骨董店ですよ。かなり値は張りましたが、現に今も影響なく進めているのですから効果は証明されましたね」
「え、という事はいつもは既におかしな感じになっているという事ですか?」
「最近は3階には行けなくなっていましたから、間違いありません」
成程、それなら確かに効果がある代物だったのだろう。そう言われれば、なんとなく安っぽく見えていたブレスレットが高そうに見えてくるのだから不思議なものだ。
そうして慎重に階段を上がれば、3階に人の気配は全く感じられず、物音もしないものだから少しだけ薄ら寒い感覚を覚える。
バジル様は辺りを警戒しながらもそのまま歩を進め、扉の装飾が美しい一つの部屋の前で足を止めた。少し躊躇っている様子の彼の手は、少しだけ震えていた。
もし本当にこの中で公爵夫人が亡くなっているとしたら、彼の躊躇う気持ちは察するに余りある。
「……バジル様、大丈夫ですか?」
「っ……はい。行きましょうか」
彼は小さく頷くと、ゆっくりと扉に手を掛ける。ぎぃと重い音を立てて、扉はゆっくりと開いていく。
部屋には灯りが灯っておらず、窓からの月明かりだけが頼りだ。少し目が慣れてきた所で辺りを見渡すのだけれど、しんとした室内は侍女達が暫く入っていないにしては綺麗なものだった。
そうして私は、公爵夫人がおられるであろう天蓋付きの寝台へと視線を移す。カーテンが下ろされているものだから、ここからでは中の様子がよく解らない。
ちらりとバジル様を見上げれば、彼は寝台を見詰めて固まってしまっていた。
「っ……う……母上……!」
弾かれたように寝台へと駆け寄る彼は、カーテンをさっと開けてその横に座り込んだ。私も彼の後を追って寝台を覗き込むのだけれど、その姿に驚き、目を丸くしてしまう。
フレジエ公爵夫人は、一見何事もなく眠っておられるように見える。規則的に上下している胸を見れば、しっかりと生きていて、呼吸されているのも間違いはない。
ただ異様なのがその体に浮かび上がっている謎の文様だ。見えている範囲の顔や首、腕には赤黒い文様があり、恐らくこの様子なら全身に及んでいるに違いない。
こんな症状の病気は見た事がなくて、私は言葉も出せずに立ち尽くしてしまう。
「母上、母上……!私です、バジルです!どうか目を開けてください……!」
バジル様は彼女の手を握り締め、必死に呼びかけるものの、公爵夫人の反応はない。
これだけ枕元で声をあげれば、流石に目を覚ましそうなものなのだけれど、彼女の瞼はぴくりとも動かない。ただただ穏やかな呼吸音だけが聞こえるだけだ。
「バジル様、公爵夫人はこんな風にずっと眠られたままなのですか?この文様は一体……」
「えぇ……その通りです。この文様も最初は腕だけでした。それが、こんな……顔にまでだなんて……」
きっとバジル様がこの部屋から閉め出されていた間に、彼女の体に浮かぶ文様は広がったという事なのだろう。これは確かに説明し難い状況であるし、実際に見なくては信じられない事だっただろう。
国中のお医者様が原因を突き止められなかったというのも納得だ。こんな異様な文様は見た事もないのだから。
そう、まるで何かに呪われてでもいるような――
「……!バジル様、これがもし何かしらのスキルでもたらされた呪いのような物なら、バジル様のそのブレスレットで無効化されるのではないですか?」
「いや、こうして手を握っていても母上には変化は見られません。スキルのせいではないのでしょう」
「そう、ですか……」
なんとなくもやもやとした釈然としない思いがあるものの、それならこれはやはり未知の病という事なのだろうか。
それなら私のスキルで効果のある薬が思いつけるのではないかと思うのだけれど、どうしてか何も浮かばない。
「あ、そうね……バジル様のブレスレットの影響で、私のスキルも無効化されているのかもしれないわ」
私はうんうんと頷くと、少しだけ彼から距離をとろうと後退る。どれだけがブレスレットの範囲なのだろうかと考えていた所で、私の腕がいきなり誰かに掴まれるものだから、私はひっと小さく悲鳴をあげる。
ここには確かにバジル様と公爵夫人以外はいなかった筈だ。それなのに一体この手は誰のものだというのだろう。
どくどくと心臓が煩く音を立てる中、私は恐る恐る振り向き、その手の主の顔を見て驚きで固まってしまう。それは、とてもよく知っている人だったのだから。
「っ……!?あ、なた……どうして……!?」
「やっと会いにきてくれましたね、大公妃殿下」
そう言ってにっこりと微笑みを浮かべていたのは、私が大公家のお邸から逃げ出す時に最も迷惑をかけた、ここにいる筈のないアスター大公家の見習い執事であるジルだったのだ。
読んでくださってありがとうございます!
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投稿日設定をしくじって、土曜日ではなく日曜日になっていました……
後5話で完結予定ですので、最後までお付き合いくださると幸いです。




