閑話 たとえ地の果てでも
「ポーラがいなくなった!?」
朝起きてすぐに報されたその事実に、俺は愕然としてその場に立ち尽くす事しかできなかった。
最近のポーラは、確かに元気に振る舞ってはいても、どこか悩んでいるような沈んだ雰囲気があった。
本人は疲れているだけだと言って、俺にはその理由を誤魔化して話してはくれない。それを歯痒く思いつつも、彼女から何でも話せるくらいの信頼を未だ得られていない俺自身を不甲斐なく思っていたのだ。
これがもしシモンなら、ポーラは悩みを話しているのではないか。
そんな事を考えては、己の狭量さに自然と眉根が寄ってしまった。図体ばかりでかくて心が狭いだなんて、本当に目も当てられない。
醜い嫉妬心はおし隠し、俺は目の前で頭を垂れる2人の護衛騎士、ヴェロニクとミレイユを見やった。
「妃殿下が時折邸を抜け出されるというのは、公爵家の騎士達に伺っていましたが、妃殿下が息抜きできるよう必ず遠くから見守るようにとオランジュ公爵から厳命されているという話でした」
「ですのでそれを守っていたんですが……まさか現れた馬車に妃殿下自ら乗られるだなんて思わず、出遅れてしまったあたし達の落ち度です。申し訳ありません」
彼女達には夜間も交代でポーラの警護にあたってもらっていたが、昨夜は今目の前にいる2人ではなくニコラとナディアが担当だった。
昨日はポーラと初めて建国祭を回る事ができた記念すべき日だ。
いつもよりも着飾ったポーラのドレス姿に浮かれていた俺とは裏腹に、彼女は式典の後からどうも何かを考え込んでいるような節が見られたのだ。
街の出店を回っていても上の空で、俺とでは楽しめないのかと落ち込みもしたものの、それでも夜になりランタンが飛ぶ頃には良い雰囲気にはなっていた筈だ。
力を込めれば壊れてしまいそうな、小さくて華奢な彼女の体を抱き締め、口付けた温もりをまだ覚えているというのに、彼女はまだ陽も昇らぬ時間にまたしてもバルコニーから逃げ出してしまったのだ。
ポーラの護衛騎士であるニコラとナディアに加えて、オランジュ公爵家の騎士達も彼女が抜け出した事には勿論気付いていた。
特にオランジュ公爵家の騎士達にとってはいつもの事だったようで、常の通りにオランジュ公爵の命に従って彼女に気付かれないように追ったものの、王都の外れにあるミロワール湖でいきなり現れた馬車に彼女が乗り込んでしまい、そのまま馬車に振り切られてしまったというのだ。
昨夜は非番だったヴェロニクとミレイユは、その事を我が事のように重く受け止めているようで、沈痛な表情を隠せない。そんな彼女達を前に、俺は深い溜息を漏らした。
「いや、お前達の責任ではない。オランジュ公爵の命なら致し方ないしな。だが、そうか……ポーラは自分から……」
「馬車に乗っていた人物は、丁度我々の位置からでは死角になっていた上に、馬車の家紋も消されており、特定には至りませんでした」
貴族の馬車であるなら必ず家紋が描かれているものなのだが、それが消されていたとなれば用意周到なものだ。
恐らくポーラはあらかじめミロワール湖に来るように言われており、そこに何者かが現れて彼女は自ら馬車に乗り込んだというのだから気分はどうしても落ち込んでいく。
そんな中、項垂れたままのヴェロニクとミレイユはその体勢のまま声を張り上げた。
「アルテュール団長……!ニコラとナディアが馬車が走り去った方面を追ってはいますが、我々も追跡の許可をください!」
「どうか、あたし達に挽回の機会をお願い致します……!」
彼女達の肩は、僅かに震えていた。ポーラを護衛していく中で、彼女とは随分親しくなっていたようだから、それだけ彼女達も気が気ではないのだろう。
その気持ちは、俺も痛い程に感じていた。
「ヴェロニク、ミレイユ。両名にはこれよりポーラの捜索を命じる。何かあれば速やかに報告せよ」
「「はい!」」
文字通り飛び出して行った彼女達を見送り、部屋に一人残された俺はまた一つ重い溜息を漏らした。
すぐにでもポーラを追いたい気持ちは強いものの、彼女が自分から出て行ったという事実が俺の心に重くのしかかっていたのだ。
今回は前回とは違い、お互いに想い合っている事は確認しているのだから、彼女が俺の想いを勘違いして身を引いたという事でもない。だというのに、彼女が自ら逃げ出したというのは、俺に不満でもあったのだろうかと考え出したらキリがない。
もし、これで彼女の意に反して俺が追いかけて連れ戻した所で、彼女に嫌われてしまったらと思うと恐ろしかったのだ。
また一つ溜息を漏らした所で、部屋の扉が控えめにノックされた。
「……アルテュール殿下、少し宜しいでしょうか?」
「オランジュ公爵夫人……!はい、勿論です」
遠慮がちに顔を覗かせたオランジュ公爵夫人は、俺の顔を見るなり深々と頭を下げられるのだから、俺はぎょっとして目を見開いてしまう。
「本当にこの度はわたくしの娘が多大なご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「っ……!ポーラは悪くありません。全ては俺の至らなさのせいですから、どうか顔をあげてください」
そろそろと顔をあげられた公爵夫人の顔色はかなり悪く見える。大事な娘であるポーラがいなくなったのだから当然だろう。
「あの子はわたくしも主人もジュールも、生まれた時に一目で恋に落ちてしまったのですよ。できるだけあの子が思う通りに行動できるよう、心を砕いてきたのですけれど……まさかそれが仇となって、殿下を心配させるような事をしでかすだなんて……」
「公爵夫妻のお陰で、俺が愛する今のポーラかあるのですから、嘆かれる事は一つもありません」
それは何一つ偽りのない俺の本心だった。
自由奔放な彼女はただただ愛おしいし、彼女に与えられる痛みなら、俺は全て受け入れてしまうのだろう。
そんな俺の想いが伝わったのか、俺の顔をじっと見ていた公爵夫人は、少しだけホッと息をつかれた。
「そう言って頂けるとわたくしも救われた心地が致します。アルテュール殿下がこんなにも愛してくださっている事を、あの子ももう少し自覚をしたら良いのですけれどね……」
そうしてぺこりと頭を下げて退出しようとされた公爵夫人は、去り際に何かを思いだされた様子で、あっと声をあげられる。
「そうでしたわ。わたくしったら、一番大切な事をお伝えしておりませんでした。アルテュール殿下を訪ねてシモン王太子殿下がいらっしゃっています」
「シモンが……?」
「応接間にお通ししておりますので、何かありましたら侍女にお申し付けくださいませ」
ここに滞在するようになってから、シモンが訪ねて来るのは初めての事だ。しかもポーラではなく俺を訪ねて来たのが、彼女がいなくなってすぐというのはあまりにタイミングが良すぎる。
訝しみながらも応接間へと足を向ければ、そこには真剣な表情でソファに座るシモンの姿があった。
「シモン、こんな朝早くにどうしたんだ」
「叔父上、何辛気臭い顔してるんです。ポーラを追わないのですか?」
「っ!?何故それを……」
彼の向かいのソファに腰を下ろしながらそう尋ねれば、こちらの事情を全て知っているかのような言葉に目を見開く。
シモンの真摯な瞳は、俺を真っ直ぐに捉えていた。
「何故知っているかだなんて、そんな事は瑣末な事です。叔父上はもうとっくに飛び出して、ポーラを探しに行っているものとばかり思っていましたが、随分とのんびりされているのですね」
「俺だってすぐに追えるものなら追いたい。だがポーラは彼女の意思で出ていったんだ。それを無理矢理連れ戻すというのは……」
「ポーラに嫌われそうで怖いんですね?」
その言葉は俺の心を見透かしているかのようで、俺はぐっと押し黙る事しか出来ない。
気まずさに視線を逸らせば、シモンは小さく溜息を漏らした。
「……僕はポーラが何かやらかそうとしている事に気付いていましたが、彼女を止める事はしませんでした。止めた所でポーラは僕の言う事なんか聞いた試しはないし、あれで思い込んだら頑固だからです」
そうだ、彼女は子ウサギのように愛らしい見た目をしているというのに、あれでなかなか頑固な所がある。
勘違いはよくするし、こうと決めたらそれに向かって真っ直ぐ突き進んでしまうような人なのだから。
「それならいっそ、ポーラの好きにさせればいい。僕は止めなかっただけで、追わないとは一言も言ってませんからね」
開き直ったようなシモンの態度に、俺は一瞬呆気にとられるものの、彼の言葉は落ち込むばかりだった俺の心にすぅっと沁み込んでいくような感覚を覚える。
はっきりと言い切れるその姿勢は、彼と彼女の長年の友情の賜物なのだろう。
それを羨ましくは思うが、俺がなりたいのは彼女の友達ではなく恋人であり、伴侶だ。嫌われるのが恐ろしくて立ち止まっているだなんて、それこそ彼女が好きな俺ではないだろう。
「成程、確かに道理だ。そうだな、ここで尻込みしているようでは、元騎士団長の名折れだな」
くしゃくしゃと前髪をかきあげ、俺はすっきりとした表情でシモンを見やる。彼はそんな俺を見て、少しだけ口元を緩めた。
「それでシモン、お前がここに来たのはまさか俺に発破を掛ける為ではないだろう?用件はなんだ?」
「……叔父上は、ポーラが大公家の邸から逃げ出した時、どうして僕に連絡を取れたと思いますか?」
「うん?それはお前のスキルで、動物か鳥を利用したのではないのか?」
シモンのスキルは『対話』だ。動物や鳥とも言葉を交わせるそれを活かして、連絡を取る事は可能だろう。
そうではないのかと首を捻る俺に対して、彼は懐から何かを取り出した。
「半分正解です。……これを見てください」
「なんだこれは?」
彼が取り出したのは透明なガラスに覆われた、この国の地形を小さくした模型のような物だった。掌に収まるそれをよく見ると、銀色の光が動いているのが見える。
「ポーラがいつも右手にはめている指輪があるでしょう?この光はそれの在処を示しています」
しれっと言い放つシモンに、俺はがたりと音を立ててその場に立ち上がってしまう。
要するにこれはポーラの居場所をいつでも確認できるという物なのだ。これはいろいろと問題がある。
「ちょっと待て。お前、これはまずいだろう!?これではまるで監視ではないか!それになんて物を勝手にポーラに渡しているんだ!」
「僕だってポーラが王都にいる時にはこんなもの考えもしませんでしたよ!彼女が無茶ばかりするから、仕方なくです。それに現に今、役立っているではありませんか」
「それはそうだが……」
確かに役に立ってはいるが、果たしてポーラはこの事実を知っているのだろうか。知った上ではめているのなら、それはそれで妬いてしまうのだが。
つい眉根が寄ってしまう俺に対して、シモンは一つ溜息を漏らした。
「心配しなくても、緊急時以外はこの機能を使うつもりはありませんよ。まぁこれを使わなくても、今回はある程度予想はできていたんですけどね」
「何?」
「ポーラが向かっているのは、フレジエ公爵家領です。恐らく、一緒にいるのはバジル・フレジエ公爵家子息でしょう」
「バジル・フレジエ……!あの男か……!」
薬学研究所でのあの男のいけすかない態度を思い出し、俺はすぐに追いかけなくてはと踵を返そうとするのだが、その腕をシモンがぐっと力強く掴んだ。
振り返れば、射抜くような真剣な瞳と視線が重なる。
「叔父上!僕も連れて行ってください。父上の許可は得ています」
「……解った。言っておくが、馬車ではなく馬で駆けるぞ」
「勿論です。馬は友達ですから、全く問題ありません」
そう言ってシモンは、僅かに口角をあげるのだった。
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