3 決戦の日
「これはオランジュ公爵に公爵夫人、お元気そうで何よりです」
「あぁフレジエ公爵、お久しぶりですね。今日は御夫人ではなく御子息とご一緒でしたか」
「えぇ……少し風邪気味だったので、大事をとらせたのですよ。それとこれが息子の――」
迎えたシモンの成人祝いのパーティーの席で、少し離れた所でお父様とお母様に挨拶をしている方は、同じ公爵家であるフレジエ公爵様だ。その後ろに控えられている御子息のバジル・フレジエ様は確か私より3歳上だったろうか。
フレジエ公爵家の方々は鮮やかなピーコックグリーンの髪をお持ちの方が多いのだけれど、バジル様も例に漏れず美しいピーコックグリーンの髪をされていた。シルバーブロンドが多いオランジュ公爵家と比べると、その場がぱっと華やぐような鮮やかさは少し羨ましくもある。
細身で繊細な印象を受けるバジル様は、お父様達に挨拶された後、少し離れた位置にいる私達の方にまでぺこりと頭を下げられた。
バジル様は勉学全般に優秀という話で、特に薬学に秀でておられた筈だ。アカデミーでは私やシモンが入学した時には入れ違いでご卒業されていたし、パーティーなどでもあまりお会いする機会は多くなかったけれど、今は王立の薬学研究所に勤められていると聞いている。
趣味で薬を作っている私からすると話も合いそうではあるとは思うし、見目も麗しい方だ。ただ、もう少し筋肉質な方が私の好みなものだから、お友達にはなりたいと思うけれど、結婚相手としては対象外な方ではある。
私と、横にいるお兄様もぺこりと頭を下げて挨拶を返せば、彼はそっと控えめに微笑まれた。
家格的にも年齢的にも、バジル様は私の縁談の最有力候補だろう。フレジエ公爵様とお父様の関係も友好的だし、趣味だって合う。普通に考えればとても良い御縁だという事は解る。解るけれど――
「お兄様……やはり男の方は、もっと筋肉があって頼りがいのある御方の方が、私は好ましいと思います」
「お前はいきなり何の話だ!?まさか今、オレの事をもやし野郎だと非難したのか!?」
私はバジル様の事を言っていたし、もやし野郎だなんて一言も言っていないというのに、お兄様は何故か御自分が非難されたと被害者ぶられるのだから迷惑な話だ。
「……まぁ確かに、お兄様はもう少し鍛えられた方がおモテになると思いますけれどね」
「おまっ……!人が物凄く気にしている事を……!オレは騎士団でも頭脳労働の方が得意なんだよ!」
お兄様は御顔はとても整っているし、騎士団所属で公爵家子息という地位もおありだというのに、どうしてか未だに婚約者がおられない。以前お付き合いされていた御令嬢はいたのだけれど、どうやらお兄様の方が二股をかけられて振られてしまったらしいのだ。
筋肉はアルテュール殿下に比べれば圧倒的に足りないものの、それなりに剣の腕はたつし、家族思いでここぞという時には頼りになるお兄様だから、幸せになってほしいと思っているというのにままならないものだ。
「お兄様は御顔だけはいいのだし、悪知恵が働くのですから、今度お付き合いされる御方は何が何でも逃がさない様にしてくださいね!」
「お前……それはオレを褒めているのか貶しているのか……」
はぁぁと大きな溜息をついて項垂れるお兄様を、私はよしよしと頭を撫でる。そうしていれば、件のバジル様がこちらへとやって来られるのだから、私は少しだけ背筋を伸ばした。
「ポーラ嬢とジュールくんは相変わらず仲が良いですね」
「バジル様、お久しぶりです」
「お久しぶりです。今日の貴女はてっきりシモン王太子殿下のパートナーを務められると思っておりましたから、ジュールくんがパートナーなら私も立候補すれば良かったと後悔していた所です」
ふわりと優しく微笑まれるバジル様に、私は何と答えたものかと曖昧に笑みを浮かべる。そんな私と彼の間に立ち塞がる様に、先程まで項垂れていたお兄様が割って入られた。
「妹はとある御方との縁談を控えた身ですから、今日のオレは妹を守る騎士の役目を担っています。不用意に近づかれませんよう、お願い致します」
その言葉に私は目を丸くする。という事はバジル様は私の縁談の相手ではないという事だ。それなら一体どなたが私の相手なのだろうか。
「おや、そうなのですね。そうとは知らず失礼致しました。お相手はやはり王太子殿下でしょうか」
「公式発表されるまでは、オレの口からは何とも」
二人の間に流れる空気がどことなく不穏なものに感じられて、私はおろおろと視線を彷徨わせていれば、視線の合ったバジル様はそれでも優しそうな笑みを浮かべられた。
「私も以前からポーラ嬢との御縁を望んでいたのですが、王太子殿下の手前ではそれも叶わずとても残念です。ですが後程、ダンスだけでも踊って頂けると嬉しく思いますので、どうかお考えくださいね」
「え、えぇ……」
私が小さく頷いた時、ファンファーレの音が大広間の会場内に響き渡り、人々の視線は一斉に前方にある壇上へと向けられる。壇上には4脚の椅子が用意されており、今宵来られる王族が4名である事は一目瞭然だった。
「国王陛下、並びに王妃殿下、王太子殿下、大公殿下の御入場です!」
最初に入場して来たのは、いつもよりも煌びやかな礼服を着こなしたシモンだった。ああして見ると、シモンは王子様なんだなぁと改めて思う。
と、彼の視線はこの広い大広間であるのに、迷う事なく私を見つけてしまうのだから流石は私の親友だわと自然と口元が綻ぶ。
彼はとんとんと軽く自分の首元に巻いたアスコットタイを示していて、よく見ればそれは私が成人祝いにプレゼントしたルビーのタイピンだった。宝石店で悩みに悩んでオーダーした物だったから、気に入ってくれたみたいでとても嬉しい。
笑顔でこくこくと頷けば、彼も嬉しそうな笑顔だ。その笑顔を見た周りの御令嬢方がざわりとどよめいているものだから、私の親友は素敵でしょうとつい得意顔になってしまう。
シモンの後には国王陛下と王妃殿下が腕を組まれてご一緒に入られてきたけれど、この御夫婦は相変わらず仲が良さそうな御様子だ。
そうして最後に入られて来たのは、今日も変わらずに素敵なアルテュール殿下だ。アスター大公となられたので、今日は王弟殿下ではなく大公殿下としてのご出席らしい。
こういったお祝いの席でも、笑顔ではなく引き締まった御顔なのがこれまた最高に格好いいのだけれど、なんだか今日は少しそわそわとしてらっしゃるみたいだ。
「お兄様、アルテュール殿下はどうされたのかしら?なんだか落ち着かない御様子ね」
「ん?そうか?いつもとお変わりなくキリッとしてらっしゃるじゃないか」
「それは確かにその通りなのだけれど……」
ひそひそと小声でお兄様に話しかけるものの、騎士団長だったアルテュール殿下を崇拝しているお兄様が全く気付いていないのだから、私の気のせいだったのだろうか。
視線を戻せば、彼が私の方をじっと見ている気がしたのだけれど、すぐに逸らされてしまったからきっとたまたまこちらを見ていただけだろう。
「今宵は我が息子、シモンの為に皆よく集まってくれた。シモンも無事成人となり、今後は更にこのブラーヴ王国の民の為に尽くしていく事となろう」
「未だ若輩者ではありますが、これからも誠心誠意政務に励んでいきたいと思います。皆様、どうぞ宜しくお願い致します」
にこりと爽やかな微笑みを見せるシモンは、完全に他所行きの顔だ。会場にいる御令嬢方の反応はかなり良いけれど、私はいつものシモンの方が馴染み深いのでつい乾いた笑みが漏れてしまった。
「皆、グラスは行き渡ったか?……それではこの国の若き未来を祝して、乾杯!」
国王陛下の乾杯の音頭でそれぞれがグラスを合わせる音が響く。私はお兄様と合わせた後、にこにこと微笑むバジル様が此方へとグラスを差し出されるので、少し控えめにグラスを合わせた。
配られたカクテルはアルコールとノンアルコールのものがあったけれど、私はお酒があまり得意ではないからノンアルコールだ。一口飲めば、レモンとパイナップル、オレンジが程良く混ざり合い、トロピカルで爽やかな味わいが口の中に広がる。
私はかなり気に入ったというのに、お兄様は小さく溜息を漏らされていた。
「はぁ……やはりノンアルコールは味気ないな」
「お兄様はお酒がお好きなのだから、アルコールになされば良かったのに」
小首を傾げながらそう言えば、お兄様はじとりと恨めしげに私を見られる。
「今日はお前のお守りだからな。くれぐれも酒は飲むなと父上とあの御方に厳命されているんだ」
「お、お守り……もう成人しているのですから、そんなに心配されなくても……」
お兄様もお父様も心配性だわと漏らせば、お兄様の目つきはより厳しいものとなってしまった。
「お前なぁ……いつもシモン殿下が鉄壁の守りをされている自覚が無いだろ。あの方がどれだけ苦心されていると思ってるんだ。いいか、こういう酒の振る舞われる席ではな――」
「ポーラ嬢、グラスが空ですね。こちらのノンアルコールカクテルもお勧めですよ」
「まぁ!これはミントが入っているのですね。綺麗なミントグリーンだわ」
バジル様が差し出されたカクテルは、爽やかなミントの香りがするものだった。受け取ろうとしたのだけれど、それは寸前でお兄様に奪い取られてしまった。
「言ってる傍からこれだ!いいか、こういう場では誰彼構わずカクテルを受け取るんじゃない!何が盛られてるか解らないだろ!?」
「ジュールくん、それではまるで私がこのカクテルに良からぬ薬を盛ったみたいではありませんか」
「貴方は薬学のプロですから、用心するに越した事はありません」
ぴしゃりと言い放つお兄様とバジル様のやり取りに、私は思わずどきりとしてしまう。それはこれからまさに、私がアルテュール殿下にしようとしている事に他ならないからだ。
袖の下に忍ばせた小さな小瓶をドレス越しに触れながら、私はどきどきと逸る心を必死に落ち着けようと必死だった。深呼吸を繰り返していた所で、周囲がざわりと騒がしくなるのを感じる。
何かあったのだろうかとそちらを見やれば、当のアルテュール殿下が眉を顰めながらこちらへと真っ直ぐ向かって来ているのだから、私はひっと小さく声を漏らしてしまう。
(ど、どうしてアルテュール殿下がこちらに!?あぁ、どうしましょう、まだ心の準備が出来ていないわ!)
今日のパーティーでは、アルテュール殿下と話せるようにシモンが取り計らってくれると言っていたから、もしかしてそれが今なのだろうか。
それにしても、このタイミングでなんてあんまりだ。
私はおろおろと視線を彷徨わせ、近くにいるカクテルを持った給仕を見つけると、咄嗟に呼び止めてカクテルを一杯受け取る。手が震えそうになるのをどうにか抑えながら、さっと小瓶の中の媚薬を一滴垂らした。
「ポーラ嬢」
そうしている内に、思ったよりも近くでアルテュール殿下の声が聞こえて、私の心臓はばくばくと破裂しそうなくらいの音をたてる。
振り返って見上げれば、手を伸ばせば届きそうな距離にアルテュール殿下の精悍な御顔があって私の思考は一旦真っ白になってしまう。こんなに近くで言葉を交わすのはいつぶりだろうか。
相変わらず真顔でいらっしゃるけれど、先程よりは眉間の皺が薄くなっているようにも見える。
「今宵の君は――」
「あ、あの!アルテュール殿下!喉は渇いておられませんか!?こちらのカクテル、お勧めですよ!」
緊張で思考が停止していた私は、不敬にもアルテュール殿下の御言葉を遮り、ずいっとカクテルを彼の眼前へと差し出してしまう。
ぷるぷると腕は震えるし、声は変に裏返っているものだから、傍目にはとても怪しく見えてしまっているに違いない。汗まで噴き出す中、どれくらいの時間が経っただろうか。
「あ、あぁ……頂こうか」
私の勢いに圧されたのか、アルテュール殿下は私の手からそっとカクテルを受け取ると、一気に飲み干されてしまうのだから目を丸くする。そんなに喉が渇いていらっしゃったのだろうか。
でもそんな潔い御姿も素敵だわと、愚かな私が惚けていた所で、アルテュール殿下は突然跪かれてしまったのだ。それは一瞬崩れ落ちたようにも見えたものだから、鈍い私でも解る程に会場で警備にあたっていた騎士達が一斉に殺気立つ。
それは直前にカクテルを渡した私へと真っ直ぐに向けられていて、あまりの恐怖に息が出来ず、口は酸素を求めてはくはくと開閉を繰り返す。これは間違いなく、私がアルテュール殿下に毒を盛ったのだと疑われているのだ。
そんな物凄い緊張感の中、しんと静まり返る大広間に響いたのは蕩けるように甘いアルテュール殿下の声だった。
「ポーラ嬢、いやポーラ!君は俺にとって天に輝く一番星だ。その眩しい笑顔を、この先はずっと俺だけに見せてくれ」
読んでくださってありがとうございます!
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