32 初めての夜
「顔を思い出せない者、か……」
お茶会の日の夜、いつも通りに私の部屋で時間を過ごしていても、アルテュールの表情は真剣そのものだった。
かくいう私も、なんだか得体の知れない恐ろしさを感じて、どうにも気分が落ち込んでしまう。お茶会自体は楽しかったというのに、我知らず溜息ばかりが漏れた。
「セレストの話では、ブラーヴ王国の王城に着いてからそんなに間もないうちに向こうから接触してきたそうなの。彼女、可愛い顔に弱いし、私とシモンの絵を描く事に夢中になっていたから、特に深く考えずに情報を得たそうよ」
「それは、なんとも迂闊すぎる話だな」
セレストに何故か悪感情を抱いているアルテュールは、眉間に皺を寄せているのだけれど、一つの事に夢中になると他が見えなくなるというのは私も身に覚えがある。
私はそんな彼女を責められる立場にはないものの、カラン王国の王族である彼女なら、機密情報の重要性はよく知っている筈だ。だからこそ同じ王族であるアルテュールはこんな表情にもなるのだろう。
私はそっと隣で難しい顔をしているアルテュールに手を伸ばすと、彼の眉間の皺を伸ばそうと指でぐっと押さえつける。私が触れると、彼の肩はぴくりと少しだけ跳ねた。
「それでも貴重な情報だわ。まぁ、彼女が覚えているのは顔が可愛かったという事だけで、男か女かも解らないのだけれどね」
「っ……ポーラ、君はいきなり何を……」
「あっ、もしかして力が強かった?あんまり眉間に皺ばかり寄せていたら、癖になるかと思ったのよ」
そう言いながらもぐっぐっと指を動かしていれば、伸びてきた彼の手が私の手を掴み、引き剥がされてしまった。
「別の意味で癖になりそうだから、それくらいにしてくれ」
「別の意味……?」
意味が解らずこてんと小首を傾げる私をよそに、アルテュールは一つ咳払いをする。心なしか、その頬は赤く染まっていた。
「情報が流した者は得体が知れないが、俺としては相手に君の情報まで把握されているのが気掛かりでならない。護衛の彼女達にはくれぐれも注意するように言ってあるが、ポーラ。君も十分気をつけてくれ。それでなくとも今は建国祭前で王都には人が多く入ってきているからな」
「建国祭!確かにもうすぐだものね」
間近に迫っているブラーヴ王国の建国祭は、1年で最も賑わう国を挙げたお祭りだ。
遥か昔にこの国を興した初代国王陛下は、全知全能のオレオル神から特別なスキルを授かっていたという。その力を用いて、かつて蔓延っていた魔物を討ち果たした彼は、自らが国王となって民を導いたのが始まりとされている。
王城では式典が行われるのだけれど、民達の間では初代国王陛下の功績を讃える演劇が上演されたり、彼が好んでいたというセージを使った料理が振る舞われたりといった伝統的な祝い方の他、多くの出店が沿道や広場に並ぶ為とても賑やかだ。
この出店というのが、建国祭の少し前から並び始める為、人の出入りも多くなっているのだ。
他にも建国祭当日の夜には、願いを込めたランタンを空に飛ばすという催しがある。これがとても幻想的な光景という事もあって、恋人達には人気だという。
これまではシモンと一緒に式典に参加した後、こっそりと街の出店を回るのがいつもの建国祭だったのだけれど、今年はアルテュールと参加する事になる。
いつもは夜の治安の悪さを心配したシモンによって、早めに公爵家のお邸に帰されていたから、無数のランタンが空に浮かぶ所は遠目にしか見た事がない。恋人達には人気だというのだから、アルテュールと一緒に参加できたらとは密かに思っている。
「建国祭当日は式典に参加するのよね?」
「あぁ、王族として参加は義務付けられているからな。……実を言うと、毎年君とシモンが楽しそうに参加しているのを見ては、嫉妬していたんだ」
「えっ!?」
ぽつりと漏らされた声に驚いて目を丸くすれば、彼は少しだけ恥ずかしそうに頬を掻いた。
「毎年、式典の後にお忍びで出店を回る相談をしていただろう?」
「うっ……気付いていたのね……」
「当然だ。騎士団は当日、王都と王城の警備にあたっているのだからな。……君達が小さい頃は、それが微笑ましかったんだが、いつからかずっと羨ましいと思っていたんだ」
そう言うと、彼は真っ直ぐ私へと視線を向ける。美しい黄金の瞳は僅かに揺れていた。
「今年からは騎士団の務めもないし、それに君は俺の婚約者だ。俺は君と出店を回って、ランタンを飛ばしたい。シモンとは何度もやっているんだろうが、今年からはその役目をシモンに譲るつもりはない」
「アルテュール……」
真っ直ぐで、それでいてどこか不安気に揺れる瞳を見詰めながら、私はそっと彼の手を包み込むようにぎゅっと握り締める。
私の小さな手では、彼のごつごつとした大きな手を覆えてはいなかったけれども。
「シモンとは出店は毎年回っていたのだけれど、ランタンを飛ばした事は一度もないの。成人前なのに、夜遅くまでいるのは危ないって。だから私もランタンを飛ばすのは初めてなのよ!」
「っ……!そう、なのか……そうか」
にっこりとした笑顔を向ければ、彼はあからさまに嬉しそうな表情を浮かべるものだから、私も釣られて嬉しい気持ちになってしまう。
私も一緒に参加できたらとは思っていたのだけれど、こうして彼の方から真剣に誘ってくれるというのは、去年まではとても考えられなかった事なのだから、本当にとんでもなく嬉しい。
つい顔が緩んでしまいながらも、私はぎゅっと彼の手を握る手に力を込めた。
「あなたと過ごす初めての夜、楽しみだわ!」
心から楽しみにしている事を笑顔で伝えるのだけれど、彼はといえば一気にぶわりと顔が真っ赤になってしまうのだから、私は驚いて目を丸くする。
「え!?どうしたの、顔が真っ赤よ!?」
「ポーラ……!君はどうしてそう誤解させるような……いや、汚れているのは俺の心だ。ポーラにそんな気は全くないというのに……」
最後の方はぶつぶつと小声で呟かれるものだからよく聞こえず、私はこてんと小首を傾げる。何か誤解されるような事を言っただろうか。
訝しげな私に対して、彼はこほんと一つ咳払いをしてまだ赤い顔をしながらも優しく口角を緩めた。
「俺も、君と過ごす初めての建国祭が楽しみだ。まだいろいろ不安な事も多いが、当日は楽しもう」
「出店に関しては私の方が慣れているから任してちょうだい!」
「あぁ、頼りにしている」
可笑しそうに笑うアルテュールはとても楽しそうで、私も彼と回る初めての建国祭を想像して、つい笑顔が溢れた。
彼と話す前は得体の知れない不安に襲われていたというのに、今はもう少し先の楽しみで心はいっぱいになっているのだった。
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