30 本当の望み
しんと静まり返った室内に、用意されたノンアルコールカクテルに沈む氷のからりと溶けて動く音だけがいやに大きく響く。
私はどうしてこんな事になったのだろうかと、向かいのソファに座る美貌のセレスト王女殿下をちらりと盗み見る。
彼女は優美な仕草でノンアルコールカクテルのグラスを傾けられる。ただそれだけでとても絵になるのだから凄いものだわと感心してしまう。
突然彼女が私が使用していた休憩室に訪れられたかと思えば、何もなかった筈のテーブルの上には可愛らしいお菓子とノンアルコールカクテルがあっという間にセッティングされていたのだ。
一体何が起こったのだろうかと私がぽかんと呆けてしまっている中で、彼女はそんな不可思議な事態を全く気にされた様子はない。そうしてそのまま洗練された動きでソファに腰を下ろされたものだから、私も改めてソファに腰を下ろしたのが数分前。
それから続くこの沈黙は一体何なのだろうかと、私は妙にそわそわとした気持ちが落ち着かないながらも、じっとテーブルの上のお菓子を見詰めていた。
「……ポーラ嬢、わたくしは遠回しに聞くのが苦手なものですから、単刀直入に聞かせて頂くわね」
「は、はい……」
沈黙を破ったセレスト王女殿下の表情は、真剣そのものだ。
これはやっぱり、アルテュールとの婚約を破棄しろだとか、私ではアルテュールに分不相応だとでも言われるのだろうかと、私はぐっと身構える。
けれど彼女が口にされたのは、全く思ってもみない事だった。
「どうしてシモン王太子殿下では駄目だったんですの!?お二人はわたくしの思い描く理想のカップルでしたのに!!」
「………………え」
一瞬彼女の言っている意味がよく解らず、私はぽかんと目を丸くしてしまう。そんな私の様子に気付かれているのかいないのか、セレスト王女殿下は前のめりに身を乗り出すと、私の両手をぎゅっと握り締められた。
「わたくしがお二人を初めてお見かけしたのは、わたくしが初めてブラーヴ王国の王城に着いた日ですわ。庭園のガゼボでお茶を楽しまれているお二人を遠目に拝見した瞬間、まるで雷に打たれたかのような衝撃を受けましたの!愛らしい小動物が戯れるかの如く睦まじいお二人の姿は、まるで童話から飛び出してきたように完璧な光景でしたわ……その日の夜は、わたくし興奮のあまりに絵筆を取る手を止められませんでしたもの!」
ここまで一息に話されるセレスト王女殿下の物凄い勢いに圧倒されて、私は話に合わせてこくこくと頷く事しかできない。
なんだか彼女は私が想像していたような方とは全く違うみたいだ。身構えていた緊張感は少しずつほどけていき、私は少しだけ小首を傾げる。
「絵筆、という事はセレスト王女殿下は絵をお描きになられるのですか?」
「興味を持って頂けて嬉しいですわ!こればかりは見て頂くのが早いわね」
ぱんぱんと小気味良く彼女が手を叩かれると、どこからともなく現れた侍女がさっと彼女に小さなキャンバスを差し出す。彼女がそれを受け取られたら、侍女はあっという間にどこかへ消えてしまうのだから、きっと何か特別なスキルを授かった侍女なのだろう。
もしかしたら先程のあっという間に用意されたお菓子類も、この侍女が用意してくれていたのかもしれない。
目を丸くして驚くばかりの私とは裏腹に、それが日常であろうセレスト王女殿下は落ち着いた様子で私の方へとキャンバスを向けられた。
「これがその時描いた絵ですのよ」
「うわぁ……!凄い、こんな素敵な絵は初めて見ました!」
キャンバスに描かれていたのは、庭園に咲く美しい花々とガゼボでお茶をしている私とシモンの姿だ。淡く柔らかい雰囲気の水彩画で描かれていて、それだけでも童話のような優しい絵なのだけれど、一番驚いたのはその絵が動いているという事だ。
キャンバスの中に風が吹き、花びらは舞い上がって絵の中の私達の髪を揺らしているのだから、私はそのあまりに美しく、幻想的な光景に目を奪われてしまう。
そんな私を見て、セレスト王女殿下は本当に嬉しそうに微笑まれた。
「そう言ってもらえると嬉しいですわ。これがわたくしのスキルなんですの」
「絵が動くだなんて、とても不思議で素敵なスキルですね!」
「そうでしょう!?わたくしの野望はね、このスキルを活用して童話を作ることなの。その創作意欲をかき立てる理想のカップルにようやく出会えたと思いましたのに……どうしてよりによってあの筋肉無愛想男なのです!?」
そう叫んだセレスト王女殿下は、頭をおもいきり抱えながら俯いてしまわれた。何やら呻き声まで漏れてくるのだけれど、流石に今の発言には私も納得がいかないものがある。
「お待ちください、筋肉の一体何が悪いのでしょうか!?私はアルテュールの鍛えられた芸術品のような筋肉こそ素晴らしいと思っていますし、それに彼は……以前は確かに私も無愛想だと思っていましたけれど、最近は照れたり笑ったりもしています!」
あんなに素敵なアルテュールに対して、筋肉無愛想男だなんてあまりに酷い言い草だ。彼の素晴らしい筋肉を愛する者としても、彼の婚約者としても、ここは一歩も引き下がれない。
ぐっと拳を握り締める私に対して、ゆらりと頭をあげられたセレスト王女殿下はといえば、どこか据わった目をされていた。
「そう……そうですわね……貴女の筋肉への愛は、先程伺っておりましたから理解はしておりますの。ですが、完全にわたくしとは解釈違いですわ……!筋肉は見た目には解らないくらい適度に鍛えた細マッチョこそが至高なのです!シモン王太子殿下はまさにその理想そのものですのに……」
「そうお思いなら、どうして歓迎パーティーの時にシモンではなくアルテュールにエスコートを依頼されたのですか?」
話を聞いていれば、セレスト王女殿下の好みはシモンの方だと思えるというのに、どうしてあの歓迎パーティーではわざわざ筋肉無愛想男とまで言うアルテュールを指名されたのだろう。
考えれば考える程疑問しか浮かばないのだけれど、セレスト王女殿下は私を真っ直ぐに見据えられると、当然とばかりにきっぱりと言い放たれた。
「そんなの決まっていますわ。わたくしの思い描く理想の王子様像がシモン王太子殿下だというだけで、わたくしは別に理想の殿方と結婚したい訳ではありませんもの。むしろわたくしがなりたいのはこの絵でいうガゼボ!理想のカップルを見守る最高のポジションですのよ!」
「ガ、ガゼボ……ですか」
この真剣な眼差しからするとセレスト王女殿下は冗談という訳ではなく、本気でガゼボになりたいと思われている様子だ。
実際に会話をしてみると、セレスト王女殿下はアルテュールが言っていたように内通者を通して彼とシモンの情報を集め、結婚を画策するような方とは私には到底思えない。仮に情報を集めていたとしても、何か他に理由があったのではないだろうか。
彼女は遠回しに聞くのは苦手だと仰っていたし、ここは私も正直に話した方が何か有効な話を聞けるのかもしれない。
私はぎゅっと拳を握り締めると、真っ直ぐに彼女を見詰めた。
「あの……!セレスト王女殿下は、アルテュールともシモンとも結婚する気はない、という事でしょうか?友好使節団として来られたのは、てっきりそれが目的なのだとばかり思っていたのですけれど……」
「わたくしが、結婚……?」
そう問いかければ、彼女は驚いた様子で目を丸くすると、ぱちぱちと瞬きを繰り返される。暫くすると、その表情はさぁっと青褪めてしまうものだから、私の方が驚いてしまう。
「もしかしてわたくし、ポーラ嬢を不快な気持ちにさせておりましたの!?あの男にエスコートを依頼したのは、貴女とシモン王太子殿下というわたくし理想のカップルを引き裂く訳には参りませんから、それなら王族であるわたくしがエスコートを依頼できるのはあの男しかいないからであって、本当に全く他意はありませんでしたのよ!?」
今にも泣き出してしまいそうな彼女は、ぎゅうっと私の両手を覆うように握り締められる。少しだけ潤んだ瞳が、じっと私へと注がれた。
「わたくしが友好使節団に加わったのは、こちらでしか手に入らない貴重な絵具をついでに買えたらと思っただけですの。こういう機会でもなければ、なかなか国を出られませんもの」
「あぁ、なるほど……確かに、王族の方が国外に行くのは危険も伴いますものね」
戦に参加していたアルテュールはともかく、シモンは国どころか王都を出る事すら殆どない。今の国王陛下の実子がシモンしかいないという事もあって、厳重に守られているからだ。
カラン王国は確かセレスト王女殿下を筆頭に三姉妹の王女様がいらっしゃった筈だ。世継ぎとなる王子殿下がお生まれにならなかったため、今の国王陛下の弟君の息子――セレスト王女殿下にとっては従弟となる方が国王陛下の養子となり、既に王太子に決まっているのだという。
そうは言っても、セレスト王女殿下が第一王女なのは変わりないのだし、きっとカラン王国では大切に大切に守られているのだろう。
納得する私に対して、彼女はふぅと重い溜息を漏らされた。
「……実を言うと、お父様は確かにブラーヴ王国の王族との結婚を望まれていましたわ。けれどそれをリュー……従弟で義弟のリュシアンが猛反対しましたの。わたくしが他国に嫁いだら国王にはならないとまで言うのですから、流石のお父様も折れたのですわ」
「それは随分と義姉様思いの方ですね」
「そうでしょう!とっても可愛い義弟ですのよ!」
彼を思い出しているのか、優しくはにかんだように微笑むセレスト王女殿下は、いつもよりも少し幼く見えてなんだか綺麗というよりも可愛らしいという印象が強くなった。
これで彼女はアルテュールと国王陛下が疑っていたような方ではない事がはっきりとしたし、彼女がアルテュールを好きではなかった事も解って、私は胸のつかえがとれたようにホッと息を吐き出す。
そうなると、勝手に勘違いして彼女に嫉妬していた事が、なんだか申し訳なく思えてきてしまう。きっと顔に出ていただろうし、失礼な態度をとっていた所があったかもしれないから。
アルテュールにも彼女の事を話して誤解をとかなくてはと考えていた所で、少し遠慮がちに彼女が口を開かれた。
「……あの、ポーラ嬢。もしよろしければ、またこうしてお話させてくださらない?できれば敬語もなしで」
「え?」
「わ、わたくしとお友達になってくださらないかしら!?絵のモデルになってほしいというのもあるけれど、こんなに自然に素を出して話せるのが嬉しくて……!駄目……かしら?」
顔を真っ赤に染めながら、照れた様子で上目遣いに私を見るセレスト王女殿下は本当に可愛らしくて、私は気が付けば自然と頷いてしまっていたのだった。
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