閑話 唯一無二の人
「アルテュール、久しぶりだな。随分と顔色が良い……というより、幸せなのがだだ漏れじゃないか」
王城にある兄上の私室に着くなり、彼は俺の顔を見て嬉しそうに顔を綻ばせた。
促されるままソファに座れば、侍従が温かい紅茶と菓子を手早くセッティングするとそのまま速やかに退室していった。部屋に残されたのは俺と兄上の二人だけだ。
湯気が立ち昇る紅茶を一口口に含めば、爽やかな味わいと程よい渋みが口いっぱいに広がった。
「その様子なら、ポーラ嬢とは仲良くやれているみたいだな。少し前は、彼女はやっぱり義娘になってくれるやもと期待もしたんだがなぁ」
「……その節はお騒がせ致しました」
兄上が言っているのは、ポーラが逃げ出してシモンに助けを求めたあの時の事だろう。
王太子であるシモンが、護衛騎士数名のみという単独で他領に訪れる事は通常ならありえない。しかも兄上の実子はシモンのみであり、彼の身の安全は何よりも護られるべきものなのだから。
それが兄上にとっては弟である俺の領地とはいえ、シモンが直接出向く事を許可したのだから、それだけ彼のポーラへの想いが強く、必死に兄上と義姉上を説得したであろう事は明白だった。
「シモンは、元気にしていますか?」
「元気、とは言えないだろうな。長年の片想いが報われなかったんだから無理もない。それでも王太子としての仕事はしっかりこなしているのだから、私もアナイスもシモンを見守ると決めたんだ」
「そうでしたか……」
シモンは俺にとっても可愛い甥である事に変わりはない。相手がポーラでなければ、応援もできたのだろうが、ポーラはたった一人しかいない唯一無二の人だ。
もし、あのままポーラがシモンの手を取っていれば、今の彼の状況はそのまま俺自身の姿だったのかもしれないのだから、他人事とは到底思えない。
それでも、例え可愛い甥であったとしても、ポーラだけは譲る事はできないのだ。
つい真顔で考え込んでしまえば、突然伸びてきた兄上の手が、俺の髪をぐしゃぐしゃにしてしまう。いきなり何をされるのかと、じとりとした目で兄上を見やれば、彼はにっかりとした笑顔を浮かべていた。
「兄上……?」
「お前がそんな辛気臭い顔をするな。シモンよりもお前を選んだのは、他でもないポーラ嬢自身だろう?ならその選択に報いる事ができるように、お前はただ胸を張って彼女の隣に居ればいいんだよ」
そう言って笑う兄上の笑顔は昔から変わらず、いつだって太陽みたいに眩しくて、俺はその笑顔を見ると眩しくてつい目を細めてしまうのだ。
「そうですね。ポーラが俺を選んだ事を後悔してまた逃げ出さないように、俺の全てを賭けて幸せにするつもりです」
正直、彼女が逃げ出した時の苦しさや辛さは、本当にもう二度と味わいたくないものだった。
ポーラを閉じ込めたりはしないと約束したというのに、専属の護衛騎士をつけた事で、彼女が少なからず息苦しさを感じているのも薄々感じてはいる。
閉じ込めてはいないものの、今まで表だって護衛がついていなかった彼女にとっては、監視されているように感じるだろう事も予想はつくのだ。
それでも彼女に常時護衛をつけているのは、彼女が逃げるのを防ぐためというよりは、純粋に護衛のためという理由が大きい。
俺と結婚すれば、彼女は大公妃として王族に加わる事になる。それは、ただの公爵令嬢であった時よりも、危険が付き纏う事になるのは明白だ。
実際、彼女の安全を脅かし兼ねない懸念事項は、既にいくつか起きているのだから。
「……私としては、お前達が早く結婚して子を生してくれると安心なんだがなぁ」
「ごほっ!?」
タイミング悪く紅茶を口に含んだ所で、兄上がそんな事を言いだすものだから、俺はおもいきり紅茶を噴き出し、咽せてしまった。
げほげほと咳き込みながらも、抗議の気持ちを込めて兄上を睨め付ける。
「兄上!いきなり何を言い出すのですか!?」
「いやだって、考えても見ろ。お前とポーラ嬢の間に、ポーラ嬢似の可愛い姫が生まれるとする。シモンから見ればその子は従妹だ。それも大好きなポーラ嬢の娘なのだからそれはもう可愛がるだろう?年齢差はあるが、従妹同士なら結婚は可能だし、王族間の結婚は珍しい話でもないだろう?」
「まだ生まれてもないのに、勝手に俺の娘を奪う算段を立てないでください!」
そもそもポーラとは口付けを交わしたところまでだし、現状まだ俺達は結婚を前提とした友達なのだ。まだまだ先の長い話ではあるし、兄上は本当に気が早過ぎる。
俺はこんな話題をさっさと切り替えてしまおうと、一つ咳払いをすると表情を引き締めた。
「まだ不確定な未来の話よりも、目の前に差し迫った懸念事項の話です。その為に俺を呼ばれたのではないのですか?」
そう言えば、兄上もすっと国王としての表情に切り替えられるのだから、こういう所は本当に凄い人だと思う。
「……それで、書面での報告は受けたが、実際コルシック周辺に現れた魔物の様子はどうだったのだ?お前は直接その目で見たのだろう?」
「俺が見たのは死体だったが、あの大きさは間違いなくピュートーンだ」
ピュートーンとは、狂気の神フォリーの力によって蛇が変質し、巨大化したとされる魔物だ。
本来なら森の奥深くに生息し、時には人を惑わすような知性の高い魔物なのだが、対峙した騎士達の話によれば、今回討伐されたピュートーンは完全に我を失った狂った状態だったという。
こちらの言葉は届かず、ただ呻き声をあげて無差別に暴れ回り、剣で斬っても痛みを感じている様子はみられなかったというのだ。
数人がかりで頭を斬り落とした所で、ようやくその動きを止めたというのだから、そんな魔物がもしコルシックの街を襲っていたら、どれだけの被害が出たかは計り知れない。
その旨を兄上にも伝えれば、彼は難しい顔で自身の顎を撫でられた。
「人の言葉を解す程の知性を持ったピュートーンが、我を失って暴走したか……お前は、これが人為的なものであると思うか?」
「ピュートーンの死体に異常は見られませんでしたが、どうにも腑に落ちないのは確かです。ただ、魔物を狂わす程の力など、それこそフォリーの力しか考えられないのですが……」
狂気の神フォリーは、我がブラーヴ王国では禍の神と言われているが、そんな神を力の神として崇める国が隣国に一つだけ存在している。
それこそが我が国とは戦争が絶えない、アリストロシュ帝国だ。今は休戦期間ではあるものの、またいつ何がきっかけで戦争に発展するのか解らないものだから、常に彼の国については警戒を怠った事はない。
最近は特に異常はみられないと報告は受けているのだが、各地で報告されている魔物の異常行動はどうにも引っかかる。
それに加えて――
「ピュートーンが現れた森の先は……フレジエ公爵家領か」
「フレジエ公爵夫人が、風邪を拗らせて長患いをしているとの噂ですが、果たして事実でしょうか?しかも息子のバジル・フレジエは王立薬学研究所に勤めています。あの者なら有効な薬を作れそうなものですが……」
「フレジエ公爵家は王家の血も入っている名門だが……更に監視を強める必要がありそうだな」
そう漏らした兄上は、ふぅと重い溜息を漏らされる。
フレジエ公爵家はこれまで反意を見せる事なく、王国に長く忠誠を誓ってきた忠臣だ。それに今の公爵は、兄上とはアカデミー在学中の先輩にあたり、懇意にしている仲であるのだから、最近の彼の疑わしい行動には頭が痛い事だろう。
「フレジエ公爵家は、カラン王国と内通している疑いもまだ晴れていないのですよね?」
今もこの城に滞在しているカラン王国の友好使節団。その旗頭であるセレスト・エクラ・カラン王女は、俺やシモン、そして王城内の事について妙に詳しすぎるのだ。王城に内通者がいて、彼女に情報を流していると考えるのが自然なのだが、その何者かも未だに解っていない。
カラン王国とは友好関係にあるものの、王族の個人情報は特に機密扱いだ。それを流していたとすれば、国に反意ありと思われるのは当然だろう。
「そちらに関しては、あの王女がポーラ嬢を差し置いてお前にエスコートを依頼した例のパーティー。あれが開かれるのが数日後だ。お前の代わりにシモンをエスコートとして向かわせるつもりだが、彼女を探るのにお前も参加してはどうだ?勿論、ポーラ嬢も一緒に」
「それは、命令でしょうか?」
「いや、お願いだ。シモンも事情を知ってはいるが、そんな大変な役目を傷心の甥っ子に負わせるのは、放ってはおけないだろう?」
にっこりと笑顔を浮かべる兄上に、俺は溜息を一つ漏らすと、小さく頷くしかなかった。お願いとは言っているが、結局の所これは王命なのだ。
「解りました。その代わり、ポーラにもある程度情報を開示する許可をください。これ以上秘密を増やして、彼女に疑われたくはありませんから」
「疑われる?お前がか?」
「彼女が逃げ出した原因の一端は、兄上にもあるのをご存知ですか。兄上が俺にあの王女のエスコートを依頼したばかりに、彼女は俺とあの王女が恋仲だと勘違いしていたんですよ!」
俺が声を張り上げれば、目を丸くした兄上は可笑しそうに笑い出すのだから、俺はムッとして眉を顰める。面白い事なんて何もないのだから。
「そうかそうか、それは悪かった。ポーラ嬢にもお前が必要と思う事は伝えて構わない。何せこれから家族になるのだからな」
「了解しました。それでは兄上、俺はもう失礼させて頂きます。オランジュ公爵家でポーラが俺を待ち侘びているでしょうから」
「つれない奴だ。血の繋がった兄より恋人が大事なんだな」
わざとらしく涙を拭う振りをされる兄上を、俺はまたじとりとした目で見てしまう。こういうふざけた所がなければ、本当に尊敬できる立派な人なのだが。
「当たり前でしょう。ポーラは俺の一番星なんですから」
それだけ言うと、俺はさっさと兄上の私室を後にする。
早く帰ってポーラの顔が見たい。それを思えば、自然と足取りは軽くなっていった。
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