25 久しぶりの王都
「お久しぶりですね、ポーラ嬢。それにアルテュール大公殿下までお越しくださるだなんて、恐悦至極に存じます」
王都にある王城の敷地内の一角にある王立薬学研究所。その入口で私とアルテュールを笑顔で出迎えてくださったのは、フレジエ公爵家子息であるバジル様だった。
今回私達が王都にやって来たのは、国王陛下からアルテュールに内密の案件があるというのが第一の理由ではあるのだけれど、実は私も薬学研究所からお手紙を頂いていたのだ。
それというのも、視察旅行の時に果樹園でネルに教えた害虫避けのお薬が、アスター領内の農家にかなり浸透したみたいなのだ。人伝にその効果は広まっていき、とうとう他領の農家にまで噂が届いたらしい。
その問い合わせが薬学研究所にも頻繁にくるようになったみたいで、それで私に連絡を取ろうとしていた矢先にコルシックの街での魔物騒ぎが起きたのだという。
翌日の私とアルテュール、シモンのあれこれは割と騒がしかった筈なのだけれど何故か世間に広まっていないというのに、私が冒険者を救おうとした事や、自作の傷薬で怪我を治した話は、まるで物語に出てくる聖女様かのようにかなり誇張されて、あっという間に人々に浸透しているというのだから正直困ってしまう。
そもそも私は好きな人に媚薬を盛るような考えなしだし、そんな風に崇められるような立派な人でもないのだから。
私自身はそう思っていても、民達は誇張された噂を信じてしまっているものだから、いちいち訂正して回る訳にもいかず、最近は大公家のお邸の調薬室に引き篭もってひたすらお薬を作る日々だった。
そんな時に舞い込んだのが国王陛下からの呼び出しと、薬学研究所からの手紙という訳だ。アルテュールは気分転換になるからと熱心に誘ってくれたものだから、こうして一緒に王都へとやってきたという訳なのだ。
「お久しぶりです、バジル様。お変わりないようで何よりです」
「ポーラ嬢は更にお綺麗になられましたね。しかも『調薬』スキルを授かっておられただなんて、シモン王太子殿下に遠慮せずに貴女に求婚すべきだったと後悔ばかりが募りますよ」
優しく微笑むバジル様は、私の手を取り挨拶の口付けをされようとしたのだけれど、それはアルテュールによって未遂に終わった。
私の手はいつの間にかアルテュールに掴まれ、何故かそのまま彼に正面から抱き締められる格好になっているのだけれど、あまりに一瞬の出来事でどうしてこうなっているのかが全く解らない。
「バジル・フレジエ。俺の婚約者を口説くとは、貴殿は命が惜しくないと見えるな」
顔が彼の体に押し付けられてしまっているものだから、彼の表情は見えないのだけれど、こんなに怒気を孕んだ低い声を聞いたのは初めてかもしれない。
バジル様はこのブラーヴ王国を支える貴族のトップである公爵家のうちの一つ、フレジエ公爵家の次期当主だ。そんな方と王族であるアルテュールが問題を起こすというのは、今後の関係を考えてもよろしくない事だ。
しかもバジル様は挨拶をしようとされただけだし、これは完全にアルテュールの過剰反応なのだから。
「ちょっと、アルテュール!あなたはいつも大袈裟だわ!バジル様は丁寧な挨拶をしようとされただけじゃないの。それにバジル様はいつもこの調子なの。社交辞令よ、社交辞令。本当に私を好きな訳ないじゃないの」
「君こそ何を言っているんだ、ポーラ。君は自分の価値を低く見過ぎだ。こんなにも花の様に愛らしい君を好きにならない男なんて、この世の中に存在する筈がないだろう」
「ひっ!?な、なんでそんなに自信満々なのよ!そんな人いっぱいいるわ!」
真顔で私を見下ろすアルテュールの瞳は本気だ。本気でそうだと思っているのだから、本当に困った人だわと妙に熱くなった顔を手で扇いでいれば、後ろからくすりと可笑しそうな笑みが漏れた。
「成程、アルテュール大公殿下は随分とお変わりになられましたね。あの公開プロポーズは今までの貴方様からは想像もできない行動でしたが、こうして見ると私達が知らなかっただけで、もともと随分と情熱的な御方だったのでしょう」
「バ、バジル様……それは、その……」
まさかあの公開プロポーズは、私が媚薬を盛ったせいでアルテュールの気持ちが昂りすぎて起きた事だとは到底言える筈もない。そもそもまだ、その事をアルテュール本人には言えていないのだから。
ちらりとアルテュールを見上げれば、彼もなんとも言えない表情を浮かべている。
アルコールが得意ではないと以前言っていたから、彼自身はアレがアルコールの過剰摂取によって私を好きだという気持ちが止められなくなった事により起きたのだと思っている可能性が高い。
しかも彼がアルコールを得意としていないというのは公表されていない事だから、この話題は避けたい事なのだろう。
私は話題を切り替えるべく、こほんと一つ咳払いをした。
「そんな事より、バジル様。私の作るお薬の事で話があると伺っています。積もる話は中で致しましょう」
「あぁ、それもそうですね。ソフィア所長が貴女の事を首を長くして待っていますから、こんな所で引き留めていては怒られてしまいます」
今回、一度私と話をしたいと手紙をくださったのは、薬学研究所の所長であるソフィア・ペッシュ伯爵夫人だ。
彼女はもともと子爵令嬢だったのだけれど、アカデミーでの薬学の成績は入学時からずっと首席だったという。アカデミー始まって以来の薬学の天才と呼ばれ、そのまま薬学研究所の研究員となった彼女は、より効能の高い薬を数多く作り上げ、その貢献の高さから異例の若さで研究所の所長に就任されたという凄い御方だ。
私もアカデミーに通っている時、彼女が在学中に書いたという論文を見る機会があったのだけれど、本当に学生が書いたのかと驚いてしまうような素晴らしいものだったのをよく覚えている。
けれど彼女が有名なのはその類稀な才能だけではない。アカデミーに通う女学生の間で語り継がれていたのは、彼女と彼女の夫であるグレゴリー・ペッシュ伯爵との素敵なロマンスだ。
ペッシュ伯爵家は薬学に特に秀でた家門で、彼も相当な秀才だったという話なのだけれど、そんな彼が入学時から一度も薬学の成績で敵わなかったのがソフィア伯爵夫人なのだ。彼は万年次席であり、一方的にソフィア伯爵夫人をライバル視されていたらしい。
一方のソフィア伯爵夫人は、最初は彼をよく突っかかってくる同級生程度にしか思っていなかったそうなのだけれど、首席と次席で講義では一緒に組まされる事も多く、何度も喧嘩をして衝突しながらも、いつしか二人はお互いに一番の理解者へと変わっていったのだとか。
そうして今は、伯爵夫人は薬学研究所の所長を、伯爵は領地の管理や王国各地で手広く薬屋を経営しながらお互いに支え合われている理想の夫婦として名高いのだ。
そんな憧れのソフィア所長に会えるというのだから、どうにも心は弾んでしまう。バジル様の案内で研究所の奥まで進んだ所で、彼は目の前の扉を軽くノックした。
「ソフィア所長、ポーラ嬢とアルテュール大公殿下が到着されました」
「本当!?やっと会えるのね!?」
中からがたんと大きな音がしたかと思えば、バジル様が開ける前に、中から扉は勢いよく開かれた。
飛び込んできたのは好奇心を隠しきれない満面の笑顔と、美しい海の様なアクア色の髪だ。驚いて目を丸くする私と目が合うと、彼女は更に嬉しそうに破顔した。
「あなたがポーラ嬢ね!想像していたよりも小ちゃくて可愛らしい子だわ!わざわざ来てくれてありがとう。さぁさぁ、入ってちょうだい!あなたには聞きたいことがいっぱいあるのよ」
ソフィア所長は私の両手を包み込むようにぎゅっと握られると、にっこりと笑顔を浮かべた。
数々の逸話から気の強そうな印象があったのだけれど、こうして見ると彼女は身長は私よりも高いものの、物凄く高いという訳でもなく、ふわふわとした雰囲気の可愛らしい女性だ。年齢はアルテュールよりも少し上くらいだっただろうか。
アクア色の長い髪は後ろで緩くシニヨンにすっきりと纏められており、白衣姿に眼鏡がよくお似合いだ。
彼女に勧められるままに、私とアルテュールはテーブルを挟んで彼女の向かいのソファへと腰を下ろす。バジル様は座られる事はなく、ソフィア所長の斜め後ろに控えられた。
「まずは自己紹介からね。私はこの薬学研究所の所長をしているソフィア・ペッシュよ。気軽にソフィアと呼んでちょうだい」
「え!?……それでしたら、ソフィアさんと呼ばせて頂きます」
「あなたは未来の大公妃なのだから、呼び捨てでも構わないのに可愛いのね。私はポーラちゃんと呼んでもいいかしら?ポーラ嬢じゃあ他人行儀だもの」
ポーラちゃんと私を呼ぶのは、シモンのお母様である王妃様くらいだ。憧れのソフィアさんにそう呼んでもらえるのは願ってもない事で、私は頬を染めながらこくこくと頷く。
「そう?良かったわ。早速だけれど、まずはこの害虫避けの薬ね!」
ことりとテーブルに置かれたのは、私がネルに教えたものが広まった事で、それを聞いた誰かが作ったものだろう。
「害虫対策はこれまで大地の神テールに祈る儀式をする事しかしてこなかった未知の分野よ。今まで植物に薬を使うだなんて考えもしなかった所に、新しい薬を作り上げるだなんて驚いたわ!」
「私が思いつけたのは、アスター領の果樹園にいる青年が、植物をまるで人と同じように慈しんでいたからに他なりません。私だけでは薬を作ろうだなんて思い付かなかったでしょう」
そう、全てはネルの果物に対する愛情の深さのお陰なのだ。ネルからは手紙が時折届くけれど、今もきっと大切に果物の世話をしている事だろう。
果樹園に思いを馳せていれば、ソフィアさんは目を丸くした後、ふわりと優しく目元を緩めた。
「あなたは領民思いなのね!とても良い事だわ。薬を作るというのは、誰かを助けたいという強い思いが一番大切だと私は思っているのよ」
嬉しそうに笑うソフィアさんに対して、自分の私利私欲の為に媚薬なんかも作ってしまっていた私は、なんとなく後ろめたくもあり、つい苦笑が漏れてしまう。けれど、それがどうやら彼女には謙遜している様に見えてしまったみたいだ。
彼女は真剣な表情で私を見ると、ぐっと拳を握り締める。
「大丈夫よ、自信をもって!あなたは薬学研究所の誰も思いつかなかった事をやり遂げたのよ!」
「そ、そう……ですね」
なんだかこれでいいのだろうかと頬をかいていれば、隣に座っているアルテュールの方がまるで自分が褒められたかのように誇らしげに何度も頷いているのが目に入る。私の私利私欲の最たる被害者は彼だというのに。
あまり褒められるのも良心が咎めるものだから、私はこほんと一つ咳払いをする。
「それで、お話とはこれの作り方でしょうか?作り方は自由に作ってもらえるように広めてもらったのですが……」
「それなんだけれど、あなたは『調薬』スキルなのよね?」
「はい。何か問題がありましたか……?」
彼女の真摯な瞳に、私はぐっと姿勢を正す。もしかしたら広まるうちに、話が少しずつ変わって、間違った作り方にでもなってしまったのだろうか。
不安気な私の表情に気付いた彼女は、ふるふると首を横に振ると優しく微笑む。
「あぁ、大丈夫よ。どれも効果がある事は確認されているから安心してちょうだい。そもそも誰でも簡単に作れる作り方だったから、これだけすぐに広まったのでしょうしね」
「それは良かったです!安心しました」
私はホッと胸を撫で下ろすのだけれど、私をじっと見詰める彼女の瞳は、好奇心に彩られたままだ。どことなく落ち着かず、そわそわとした心地になる中、彼女は少し逡巡した後口を開いた。
「……実は私も『調薬』スキルを授かっているし、ここにいるバジルもそうよ」
「まぁ!そうだったのですね!」
初めて同じスキルの方に出会えたものだから、私はぱぁっと顔を輝かせる。薬学研究所に同じスキルを授かった方がいるとは聞いていたけれど、実際に会えたという事になんだか感動してしまう。
けれど喜ぶ私とは裏腹に、ソフィアさんもバジル様も私を見詰める瞳はなんだか私をじっと観察しているようにも見える。
「でもね、あなたみたいに新しい薬の作り方が思い浮かんだりする事はないわ。それに私が作った薬は効果が少し高めに出るのだけれど、その効果が発揮できるのは自分が調薬したものだけなの。人に同じやり方をしてもらった所で、同じ効果は出ないのよ」
「え?でも、私は――」
私が帰った後に、ネルは教えた通りに害虫避けのお薬を作ったと手紙に書いてあったけれど、それも同じような効果があったと言っていたし、それに大公家の邸では、騎士団向けに皆に手伝ってもらってお薬を作っている。それで効果に違いが出た事はなかった筈だ。
首を捻る私に対して、ソフィアさんはにっこりとした笑みを浮かべた。
「あなたには恐らく、誰かに直接教える事で相手を同調させる力があるんじゃないかと思うの!同じような効果が現れるというのもそういう事よ。ただ、そこから更に人伝していくと少しだけ効果は弱まるみたいなのだけれど、それでもあまり遜色はなかったわ!」
「まさか広まったお薬を全て調べられたのですか?」
アスター領では既に全域に広まっていたし、他領にも広まり始めているからかなりの数がある筈なのに。
目を丸くして驚く私の方を、バジル様がなんとも言えない表情で見られる。それはなんだか心配そうな、それでいて気の毒そうなものだった。
「ポーラ嬢、貴女はもしかしたら『調薬』スキルではないのかもしれません。それか『調薬』スキルの中でも最上位の力の可能性もありますが、私達には未知の領域です」
「それでね、ポーラちゃん!暫く、ほんの暫くでいいの。私の実験台に――あ、違うわ。実験に協力してくれないかしら?それが嫌なら観察させてくれるだけでもいいの!ね、駄目……かしら?」
両手を組み、キラキラとした潤んだ瞳で上目遣いにお願いしてくるソフィアさんに、私はついその勢いにたじろいでしまう。
ちらりとバジル様を見れば、なんだか死んだ様な目をされていたし、実験台という言葉も物凄く引っかかる。けれど、憧れの人にこんな瞳で見られて無下にするだなんて私には出来なかった。
「っ……わ、かりました。私で良ければ……」
「ありがとう!物凄く助かるわ!!」
なんだか大変な事を引き受けてしまった気がしないでもないけれど、子供みたいに喜ぶソフィアさんを見ているとつい笑みが溢れてしまう。
隣にいたアルテュールは、「本当に大丈夫か?」と何度も心配してくれていたのだけれども。
読んでくださってありがとうございます!
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